読書と映画をめぐるプロムナード

読書、映画に関する感想、啓示を受けたこと、派生して考えたことなどを、勉強しながら綴っています。

「ライ麦畑でつかまえて」を巡る妄想

2007-07-16 11:01:51 | Weblog
1951年の今日、 J・D・サリンジャー作の小説「The Catcher in the Rye」が発売されたそうです。原題「The Catcher in the Rye」は、物語の中で子どもが歌うロバート・バーンズの詩 "If a body meet a body comin' through the rye(曲は『故郷の空』として有名)" を主人公が "If a body catch a body comin' through the rye" と聞き間違えたところから来ているそうです。日本でのタイトルは、1952年の橋本福夫訳では「危険な年齢」(版元のダヴィッド社の命名による邦題)、1964年の野崎孝訳で「ライ麦畑でつかまえて」とされ、今に至っていますね。

私は二十数年前にこの小説を先日亡くなった友人S君に薦められて読みました。残念ながら内容については全く覚えていません。今その概要を知ると、そのS君がその当時既にこの小説に共感していたのかと思うと彼の当時の感性の鋭さを改めて知る次第です。これから村上春樹訳になる「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を読んでみたいと思います。


「大戦後間もなくのアメリカを舞台に、主人公のホールデン・コールフィールドが3校目に当たる高校の成績不振で退学させられたことをきっかけに寮を飛び出し、実家に帰るまでニューヨークを彷徨する3日間の話。明確な起承転結や時系列はなく、彼の周りの人物や出来事を批判し、思い出話を語ることに終始する」。

「1945年発表の短篇『気ちがいのぼく』(I'm Crazy)を敷衍した内容となっており、主人公がニューヨークを放浪して家に帰った後、いくらか月日が経過してから『君』に語りかける構造になっている。ブロークンな口語体で主観的に叙述されているため、事実とは異なると思われる誇張表現や支離滅裂な文体が散見される」。

「今では、その当時の若者言葉を記録している本として、参考文献にされている。その独自な文体に加え、欺瞞に満ちた大人たちを非難し、制度社会を揶揄する主人公に共感する若者も多い。しかし攻撃的な言動、アルコールやタバコの乱用、セックスに対する多数の言及、売春の描写などのため、まだピューリタン的道徳感の根強い発表当時は一部で発禁処分を受けている」。(ウィキペディア)

本書に関する分析は私の敬愛する松岡正剛さんがご自身のかつてのブログ「千夜千冊」で次のように記されています。最近、村上春樹さんにはまっている私に喝を入れられた感じもします。


「サリンジャーがこの作品で用意したキーワードは"phony"である。『インチキ』とか『インチキくさい』といった意味だ。しきりに出てくる。ただし、これはオモテのキーワード」。

「サリンジャーがこのようなアンチヒーローをつくりあげたことについては、以前から『これは20世紀のハックルベリー・フィンだ』というアメリカ文学史の"お墨付き常識"があるのだが、これは当たってはいない。ハックは観察こそすれ、批評はしないし、だいいちビョーキじゃない」。

「大のサリンジャー派の村上春樹は、コールフィールドはメルヴィルの『白鯨』、フィッツジェラルドの『偉大なるギャツビー』の主人公たちに続くアンチヒーローで、そこには「志は高くて、行動は滑稽になる」という共通の特徴があると言っていたものだが、この大袈裟な指摘もまったく当たっていない」。

「むしろ村上が『ノルウェイの森』のレイコに、「あなたって何かこう不思議なしゃべり方するわねえ、‥・あの『ライ麦』の男の子の真似してるわけじゃないわよね」と主人公に向けて言わせているのが、これがコールフィールドが日本に飛び火していた何よりの証拠だったのである」。

「そもそもぼくがコールフィールドのような人物像にまったく関心が湧かないせいなのかもしれないが、どうもアメリカ文学史ではこのアンチヒーローを持ち上げすぎる。むしろ、文学としてのサリンジャーを問題にしてもらいたいのに、それがおこらない」。

「仮にコールフィールドを俎上にのせるなら、むしろその内面のキーワードを手繰りよせてほしかった。それはコールフィールドが退学後にニューヨークに来てつぶやくのだが、『無垢であることは傷つきやすい』ということだ。つまりウラのキーワードは『フラジャイル』なのである」。


ジェローム・デーヴィッド・サリンジャー(Jerome David Salinger, 1919年1月1日 - )は「20世紀のアメリカ文学を代表する作家の一人。ニューヨーク市マンハッタン生まれ。代表作『ライ麦畑でつかまえて』は現在でも新たな読者を獲得しつづけている。父はポーランド系ユダヤ人、母はスコットランド=アイルランド系だがユダヤ教に改宗した」。

「サリンジャーは、シーモア、ゾーイー他、7人兄弟と両親からなるグラース家にまつわる物語の連作を書き続けると言っていたが、現在はアメリカの田舎に隠遁して40年近く作品発表がない。これまで発表してきた作品の多くもグラース家やホールデン・コールフィールドにまつわるものが多い」。

「自らの原作(「コネティカットのひょこひょこおじさん」)に基づくハリウッド映画『愚かなり我が心』(1950年)の出来映えに失望した事から映画嫌いになり、『ライ麦畑でつかまえて』の映像化を許しておらず、村上春樹が『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の訳者解説を付ける事も許可しなかった。様々な謎・伝説に包まれた人物である」。

「『フラニーとゾーイ』頃から作品の中には東洋思想、禅の影響が色濃く、又、サリンジャー自身もホメオパシーに傾倒するなど、全体的に神秘主義的傾向が強まった。そのため、後期の作品では読者層が絞られていく一方、折しもベトナム戦争などの時局も相俟って、ヒッピーなどカウンターカルチャー寄りの人々の支持も少なからず集めるに至った」。(ウィキペディア)

さて、本書で巷間言われていることの中に次のようなものがあります。
「若者の熱狂的な支持と体制側の規制は、アメリカの『暗部』の象徴としての役割を負うことになった。ジョン・レノンを射殺したマーク・チャップマンも、共和党のレーガン元大統領を狙撃したジョン・ヒンクリーも愛読していた。現代においても、未だに禁書として扱われるところもある」。

私はどうも陰謀説が好きなので、これがCIAによる催眠を使った暗殺であるという説を捨てきれないでいます。まず、ジョン・レノンにについて。

「暗殺説まで語られた背景は、ジョンの反戦運動が世界的な影響をもち、アメリカ合衆国のベトナム戦争撤退をもたらしたと考えられるためである。また、1981年にはジョンがアメリカ国籍を正式に取得することが可能となるため(永住権取得後、連続5年滞在で申請資格が出来る)、その直前に始末しようとしたとも考えられている」。

次に、レーガン元大統領。

「ヒンクリーの父親ジョン・ウォーノック・ヒンクリーは副大統領ジョージ・H・W・ブッシュへの一番の寄付を行っていた。暗殺未遂事件の数時間前に、ヒンクリーの兄弟、スコット・ヒンクリーはエネルギー省より彼の会社ヴァンダービルト・エナジーが不適切な価格設定で警告を受けていた。翌日に予定されていたスコットとニール・ブッシュの夕食会はキャンセルされた」。

「ヒンクリーの家族とブッシュ一家の関係、および病院に向かう途中シークレット・サービスが道に迷ったことなどは事件に関する陰謀説の源となった。ちなみに暗殺は未遂だったが、仮にレーガンが暗殺されれば副大統領のジョージ・H・W・ブッシュが大統領になっていた」。

偶然だとは思いますが、マーク・デイビッド・チャップマンの誕生日は1955年5月10日、ジョン・ウォーノック・ヒンクリー・ジュニアは1955年5月29日で、ともに精神病の治療を受けていました。そして二人が持っていたのが「The Catcher in the Rye」でした。この本の一節だったか何かにそのマインドコントロールされていたというな話をどこかで読んだことがあります。

更に、これは私だけが妄想していることなのですが、「マイケル・ジャクソンの1993年と2003年の性的虐待疑惑」についても、その陰謀があったのではないかというものです。

1993年、共和党のジョージ・H・W・ブッシュ大統領から、民主党のビル・クリントン大統領へ政権が移りました。共和党は大企業や財界・軍需産業・キリスト教右派・アメリカ中南部の富裕層の保守的な白人層を代弁する政党で、一方の民主党の支持層は東海岸・西海岸および五大湖周辺の大都市市民および、高学歴知識層(裕福な層よりはアカデミックな層が中心である)、労組・労働者、さらに黒人・ヒスパニック・アジア系など人種的マイノリティ、また文化人やハリウッドの映画産業関係者です。

共和党政権が12年も続いた後ですから、民主党に政権移行されるのが自然の流れではありました。しかしながら、政権続行を願うある集団が民主党の支持者の足元を揺るがす必要性を感じた。その象徴がマイケル・ジャクソンだったのではないかという妄想です。結果的には民主党に政権移行されましたが。

更に、この事件は2003年2月3日、英国で放映された「Living with Michael jackson(邦題:マイケルジャクソンの真実)」英国人記者のマーティン・バシールによる8ヵ月密着取材放送でマイケルに寄り添うヒスパニック系の少年ギャヴィン・ヴェンチュラ=アルヴィーゾウ(Gavin Ventura-Arvizo, 1989年12月 - )が映っていたことに端を発した第二の性的虐待疑惑で再燃します。

2004年、共和党のブッシュは再び大統領選挙に立候補します。ここでは、民主党のケリー候補が善戦していました。ブッシュ陣営は再選を確固たる必要性がありました。前回と同じ理由でマイケル・ジャクソンを標的にする価値はありました。前回は失敗しましたが、今回はケリー候補の「不遜のいたすところ」もあいまって、成功を収めました。まぁ、妄想ですけど・・・。


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