美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

中高年、特に男性諸氏のための「BTS(防弾少年団)」講座

2021-03-18 18:53:07 | Weblog

 5,6年ほど前だろうか、「防弾少年団」という少し変わった名前のKポップグループが流行していると耳にした。その時は、彼らが誰かというより、夢を抱いて次から次へとデビューする少年少女の一組として、過酷なエンタ―テイメントの世界で果たして数年後も生き残れるのだろうかという憂いだった。しかし、そんな勝手な心配をよそに、彼らはアジアのみならず、世界中で目覚ましい活躍を続けた。昨年発表したシングル曲「Dynamite」は、米国の人気チャート「ビルボード ホット100」において初登場1位を獲得する大ヒットとなる。ちなみにアジア人で1位となったのは坂本九の「スキヤキ(上を向いて歩こう)」以来の快挙らしい。そして先日、受賞より「BTS受賞を逃す!」事がニュース速報として流れた今年のグラミー賞。言わずもがな、世界で最も権威のある音楽賞である。

昨年は何度か雑誌「TIME」の表紙を飾り、年末の「Newsweek」では、「BTSが変えた世界」と銘打ったタイトルとビートルズをイメージさせる表紙で特集号が組まれた。今更ではあるが、若者に人気の「韓流アイドルグループの一つ」程度に考えていた中高年、特に男性諸氏(勿論、私も含めて)は大いに認識を改める必要があるようだ。この7名の男性グループは世界進出に伴い、2017年より「防弾少年団」の発音表記Bangtan Sonyeondanの略称「BTS」を正式名称して用いている。そもそも若干奇妙な防弾少年団という名の由来は、「10代20代の若者たちが感じる生きづらさ、偏見、抑圧という銃弾から俺たちが守る。」という意味が込めたものだと。

BTSは韓流、K-POPとしてスタートしたグループではあるが、2014年以降アメリカで本格的に活動しながら、そういった既存の枠をはるかに超え、新しい指示層を獲得していった。アメリカンポップスに疎い私でも、ケイティ・ベリー、テイラー・スウィフト、セレーナ・ゴメス、アリアナ・グランデ、ジャスティン・ビーバーといった名前くらいは聞き覚えがある。BTSは既に彼らと肩を並べる存在と評価される。特に、2011年から2016年までジャスティン・ビーバーの独断場であったビルボード・ミュージック・アワード(BBMAs)のトップソーシャルアーティスト部門をBTSが2017年に受賞し周囲を驚かせた。(その後現在まで連続受賞している。)

BTSのこれほどの成功の理由に関して、音楽業界や経済界、そして様々な分野の評論家が分析し、コメントしている。勿論、類まれな音楽センス、歌唱力、ダンスは当然である。ある評論家は「小さなヒットは他の歌手より優れていれば可能だが、圧倒的なヒット、そしてそれを継続するには明らかに他と‘違う‘必要がある。」と述べる。彼らには「アメリカンポップスともK-POPとも異なる」違いがあると。そして、BTSを語るときに外せないのが、「ARMY」と呼ばれる世界中のファンたちの存在である。最新のデジタルプラットフォームやアプリを利用し、BTSとARMY、そしてARMY同士が繋がっている。ファンあってのエンターテイメントであるが、ARMYの役割はそれ以上のようだ。ARMYのコメント、反応がBTSの方向性、戦略を決めているとも言える。自由で規律はないが、強固な軍隊の絆。そして、BTSの歌詞にARMYたちが望むメッセージが込められる。

近年、世界に蔓延する新自由主義と呼ばれる社會体制において、個人は熾烈な競争を要求される。その結果、一部の勝者を除いて、その他の絶対的多数は敗者となり、そこに多くの若い世代が含まれる事になる。「BTS現象」とまで呼ばれる彼らARMYたちのBTSへの期待の拡散は、まさに世界中の傷ついた若者が防弾服を求め、熱烈に且つ自然に受け入れられた結果かも知れない。

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映画「ミナリ」 評

2021-03-08 17:15:21 | Weblog

今から遡る事40年近く前、私が学生の頃、韓国の医学部教授から「自分の同期や先輩の半分近くは米国で医師をやっている。」と聞かされ少し驚いた記憶がある。この教授の年齢から大学卒業は1960年半ばあたりか。ちょうどアメリカで新しく移民法が改正されたのも1965年である。この改正移民法により海外からの移民受け入れ条件が緩和され、これをきっかけに韓国人の米国移住が本格的にスタートした。実際、この時期の移民者は韓国で高等教育を受け経済的にも比較的に安定しながら、子供の教育やより豊かで自由な社会を求めて移住を決めた人々が多かったという。その後も北朝鮮状況や国内の政情を含め、経済的理由以外にも様々な理由から家族と共にアメリカ大陸を目指し、1987年にピークを向かえるまで増加し続けた。今回紹介する映画「ミナリ」は、まさに希望を求めて渡米したそんな一家族の物語である。

この作品、サンダンス映画祭審査員賞、観客賞をはじめ、世界中の映画賞を31賞獲得92ノミネートされ、すでにアカデミー賞の可能性が謳われるほどの評価を受けている。映画の舞台は、1980年代のアメリカ南部、アーカンソー州のオーザーク高原の荒れ地。韓国人移民の4人家族は、アメリカンドリームを夢見る父ジェイコブ(スティ―ブン・ユァン)に引きずられるようの、此処に農園を開拓するためにカルフォルニアのコリアンタウンから越

してきた。ジェイコブとは異なり、夢を追うより心臓病を抱える末っ子デビッドの治療や長女アンの教育を心配し、家族4人都会での堅実な生活を求める母モニカ(ハン・イェリ)。そんな不満をぶつけるモニカへの慰めと、夫婦が働きに出たときの子供の世話と考え、ジェイコブはモニカの母スンジャ(ユン・ヨジュン)を韓国から呼び寄せる。ジェイコブにとっては一世一代の決心のもと購入した土地。実は、前の所有者も結局開拓できず不幸になったいわく付きの場所であった。地元で雇った少し変わり者の白人労働者ポール(ウィル・バットン)と二人で懸命に働くジェイコブの前には次々と新たな困難が立ちはだかる。ストーリーは冒頭から厳しい現実の連続である。その中で、韓国で誰もが認める名優ユン・ヨジャ演じるところの料理も苦手、字も読めないが、花札やプロレスは大好きというスンジャハルモニと、無数のオーディションから選ばれ本作がデビューというアラン・キム演じる末っ子デビッドとの掛け合いは、映画に絶妙なアクセントとなっている。

監督のリー・アイザック・チョンは、幼少期の体験を基に脚本を書き上げ、一からアメリカの地で生活を築いていった両親の粘り強さに対する賛歌としてこの作品を制作したと述べている。作品の中でのデビットの眼差しの先には、まさに監督自身の過去から現在までの想いが込められているようだ。

祖国を離れ移り住む民族や集団を指す言葉にディアスポラ(diaspora)という言葉がある。‘難民’との違いは、一時的な避難ではなく彼の地で定住をめざすところだ。ユダヤ人、中国架橋を示すことが多いが、750万人と言われる韓国系在外同胞も立派なディアスポラであろう。日本と米国という国の違いという点だけでなく、時代も歴史的背景も異なるのだが、私はこの作品を観て鄭義信監督の「焼肉ドラゴン」のあるシーンが頭に浮かんだ。苦しい時、悲しい時、主人公 金龍吉は「明日はきっとえぇ日になる」と呟き、店を守るために耐え忍ぶ。映画「ミナリ」では「ミナリ、ワンダフル!」スンジャ ハルモニが何度も繰り返し声に出すシーンがある。「ミナリ」は韓国語でセリ(芹)のことである。険しい環境でしっかり根を張り、最初よりも次の世代が美味しく成長するという。一世たちが異国で懸命に耐え抜いて守った根が、次の世代であり我々なのだろう。

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