美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

映画「リバウンド」評

2024-04-22 17:24:38 | Weblog

日本では、多くの学生が、中学、高校進学と同時に何かしらの部活動を始めるのが普通で、その うち半分以上が運動部を選択する。逆に、どの部にも所属しない少数派は何部かと聞かれて自嘲気味に「帰宅部」などと答えるが、周囲からもあまり良いイメージは持たれない。一方、韓国は中高で本格的にスポーツに取り組むのは一部の「スポーツエリート」を目指す学生で、彼らの目的はスポーツ枠での大学進学や、その先にある進路の為だ。両国ともに人気のスポーツである野球部やサッカー部がある高校は、日本では4000校以上だが、韓国は60校余り。いくら人口が三分の一であるとは言え、その差は歴然である。
野球に関しては、明治維新後には米国から日本に伝わり、戦前よりプロチームが活動しており、歴史的にも実力面でも日本が先行するのは当然である。しかし、一個のボールさえあればどんな環境でもできる為、‘貧者のスポーツ’とも言われるサッカーは、体格的優位さもあってか六二五戦争(朝鮮戦争)後の混乱期から1990年初めくらいまで韓国が圧倒していた。しかし近年はそのサッカーでもやや日本の後塵を拝しており、韓国ファンは心穏やかではない。Jリーグがスタートし、環境面やサポートが充実してきたことが大きな要因だが、選手の育成面で考えると少数精鋭方式の韓国と、多くが青少年期からスポーツに触れてきた日本との違いを指摘する専門家もいる。
スポーツ(sports)の語源はラテン語のデポルターレ(deportare)で、移す、転換するを意味し、乗馬や狩猟で貴族がストレス解消をしたことが始まりとの説だ。それ故、体を動かすことでの肉体的、精神的な健康を目指すのがスポーツ本来の意義である。一方、私のような怠け者も観戦するだけでも、気分転換になり、時に感動を受けるのもスポーツの一面であり、不思議な魅力である。
今回紹介する作品「リバウンド」は、廃部寸前であった地方の高校バスケットボール部が成し遂げた実話を基にした青春感動物語である。2012年、交代選手もいない僅か6名の選手で全国大会に出場した釜山(プサン)中央高校バスケットボール部の快進撃が、韓国全土に衝撃と旋風を巻き起こした。部員も集まらず、存続も危ういバスケットボール部のコーチに就任したのは、学生時代に全国大会でMVPにまで選ばれるも、選手としては大成できなかったカン・ヤンヒョン(アン・ジェホン)。スランプで自信を失った元スター選手チョン-ギボム(イ・シニョン)、天才と言われながら家庭の事情で怪我した足の手術を受けられずバスケットを辞めざるを得なかったべ・ギュヒョク(チョン・ジヌン)など、才能や熱い想いを持ちながら様々な理由でバスケットを諦めかけた若者をスカウトし目標に邁進していく。CGに頼らず、リアルさと躍動感を追求したチャン・ハンジュン監督は、400人を超えるオーディションからキャストたちに、バスケットのトレーニング受けさせ撮影に臨んだ。選手役の俳優たちの動きが、まるで目の前で実況中継を観ているような迫力と臨場感はその為だろう。
各国が政策としてスポーツを奨励するのは、国民の健康と文化的生活推進が基本である。一方オリンピックのような国際大会への出場は、国威発揚という目的としての意義は小さくない。1936年のナチス政権下のプロパガンダに利用されたベルリン大会は極端な例としても、アジアでは64年の東京大会、88年のソウル大会はまさに国を挙げたアピールの場であった。戦後復興の証しを求め、国民は熱狂し応援の拍手も送った。しかし、冷静に分析すると、オリンピックのメダル獲得に必要な国の予算や負担は意外とコストパフォーマンスが悪いというデータもある。この映画で監督は、国や誰かの為ではなく、ゴールに入らず跳ね返った‘リバウンド’ボールを懸命に奪い、何度も繰り返しチャレンジする姿にこそ、スポーツとその先にある若者の未来があると伝えている。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アリランラプソディ」 映画評

2024-02-20 14:26:59 | Weblog

 

韓国内だけでなく、朝鮮半島全域で老若男女問わず、謡われ、愛されてきた民謡と言えば「アリラン」をおいて他にない。2012年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に「民謡アリラン」として登録されたが、3大アリランといわれる江原道の旌善(チョンソン)アリラン、全羅道珍島(チンド)に伝わる珍島アリラン、慶尚道の密陽(ミリャン)アリランをはじめ、国内だけで50種、韓半島全体では100種、歌詞は3000通りあるとされる。共通するのは、謡の前後に入る「アリラン アリラン アラリヨ~」のフレーズと心の奥に響く旋律だ。様々な地域で人々に、口伝によって永く歌い継がれたアリランだが、アリラン百説というように、その起源や「アリラン」という単語の語源も古代語、人名、地名、嘆き言葉など諸説があり定まったものはない。近年、私たちがよく耳にするメロディーと、「アリラン、アリラン、アラリヨ、アリラン峠を越えていく 私を捨てていく愛しい人は 十里も行かずに足が痛む」という内容の歌詞は、日本の植民地下の1926年に上映された映画「アリラン」(監督・脚本・主演 羅雲奎)主題歌として制作されたものである。映画は大ヒットし、歌も多くの人々に定着した。朝鮮半島の長い歴史の中で、侵略や戦争で土地を追われ、時に山を越え、海を渡った同胞たちの中でも「アリラン」は謡われた。「アリラン峠」は実在しないが、彼らにとっては、不安と期待の中で超えざるを得なかった心の峠であった。

 今回紹介する「アリランラプソディ―海を越えたハルモニたち」は、戦前より多くの在日コリアンが住み着いた神奈川県川崎市桜本地区で暮らすハルモニたちにフォーカスをあて、優しい視線で根気よく、彼女らの日常や想いをカメラに収めたドキュメンタリー作品だ。監督は桜本を二十年以上撮影してきた在日二世の金聖雄(キムソンウン)監督(60)。金監督自身は大阪鶴橋出身で6人きょうだいの末っ子。母親は韓国・済州島出身で日本に渡り、日本語の読み書きも出来ないながら婦人服の卸をして子供ら育て上げた。彼女が77歳で亡くなった年、同世代の桜本のハルモニたちと出会うことで、自分が母の人生に関して何も知らなかった事に気づく。そんな思いで桜本ハルモニたちを記録した作品「花はんめ」(2004年公開)が監督デビュー作となった。その後も監督はハルモニたちを訪ね、カメラに収め続ける。彼女らのしわが年輪のように深く刻まれて行く様に、ハルモニたちが経験した過去を歴史として残さなければという想いも強くなる。ハルモニたちも、そんな監督と接しながら、辛すぎて忘れようとしていた記憶を少しずつ語り始める。彼女らが在日コリアンに対するヘイトスピーチへの抗議や戦争反対を訴えるデモに参加するのも、心の奥に閉じ込めていた苦しい経験が突き動かした行動かも知れない。完成した映画を鑑賞したハルモニたちの笑顔をみて、「心から映画を作ってよかった。」と話す金監督、「映画とは?監督としては失格かもしれないが、作家性や芸術性などどうでもよい。」という言葉の裏には、ハルモニたち同様、困難の時代を生きた母親や在日の人々の歴史を残すことが、この映画の意義であり使命であるというメッセージかも知れない。

脳科学の研究が進むことで、記憶と共に忘却のメカニズムもわかってきた。人間が戦争や災害など悲惨な体験をした場合、悪い記憶として心に刻まれる。普段は考えまいとしても、ふとしたきっかけに思い出され、不安や恐怖、悲しみがフラッシュバックされトラウマとなる。研究では無理に忘れようとするより、リラックスした環境で信頼できる人に体験を話すことが、記憶の安静化、トラウマの改善に繋がるという。戦争前後にハルモニたちが受けた様々な体験の記憶も、それに寄り添い話を聞くことで、彼女ら自身の心を癒すのは勿論、国の記録ではなく、実際に存在した個人の記憶として残せるのではないか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コンクリート ユートピア」映画評

2023-12-23 14:50:44 | Weblog

 

 

中高年の方なら1990年代に起きた日本のバブル崩壊を記憶しているだろう。1985年9月、先進5カ国による「プラザ合意」がなされ急激な円高ドル安が進んだ。それまで順調だった日本経済は不況に陥り、日本政府は公共事業拡大と低金利政策を実行する。結果、企業・個人にお金が余り、やがて余ったお金は株式投資や不動産投資に回され、いわゆるバブル景気が生まれる。それが、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施で一気に資金がストップ。当然地価は暴落した。バブル絶頂期には「広大なアメリカ全土より狭い日本の地価総額が高い。」さらには、「東京を売ればアメリカが買える。」というほら話までまことしやかに囁かれた。とにかく、その時まで狭い日本の土地価格は上がり続ける「不動産神話」が存在した。一方、韓国はというと、昨年から地価は多少頭打ち傾向にはあるが、韓国人の不動産への期待感はまだ根強いものがある。特に首都圏のアパート(日本で言えばマンション)への投資、執着は衰えない。「漢江の奇跡」と称される1960年代後半から始まるソウルを中心とした目覚ましい経済発展は、急激な人口増加を伴い、深刻な住宅不足を招く。多くの人口を限られた土地で吸収する為、ソウル市は勿論、近郊の新都市にも数多くのアパート群が建設された。特に江南(カンナム)地域などソウル中心部のアパートに住むことは韓国人の憧れであり、ステイタスの証明だ。それゆえ、不動産=アパートという形で価格も上がり続け韓国の「不動産不敗神話」が生まれた。経済的な余裕のない若者が一か八か「魂(ヨンホン)もかき集めて(クロモアッタ)」資金を集め命がけの投資をする「ヨンクル族」と呼ばれる人々の存在と、その悲劇も伝えられる。今回紹介する映画「コンクリート ユートピア」も、韓国でのそんなマンション事情も理解して観て頂きたい。

本作品はトロント国際映画祭で「パラサイト 半地下の家族」に続く傑作との評価を受け、第96回アカデミー賞国際長編映画賞の韓国代表作品にも選出された話題作である。ストーリーは、世界を襲った未曾有の大災害により一瞬で廃墟と化したソウル市内で唯一崩落しなかったマンションが舞台。周囲の生存者たちは、冬の寒さ、飢えをしのぐため、このマンション押しかけ、様々な人間で溢れかえる。無法地帯となったマンションでは不法侵入による殺傷、放火事件が発生し、危機を感じた住民たちは主導者を立て、居住者以外を追放し、住民のためのルールを作ってマンション居住者だけの“ユートピア”を目指す。その為の指導者として住民代表となったのは、902号室のヨンタク(イ・ビョンホン)。職業不明で冴えないその男は、権力者として君臨したことで次第に狂気を露わにする。そんなヨンタクに傾倒していくミンソン(パク・ソジュン)と不信感を抱くミンソンの妻ミョンファ(パク・ボヨン)。異常な状況下で住民はより閉鎖的になり、ヨンタクは支配力をエスカレートさせていく。やがて、思いもよらない争いが勃発し、ヨンタクの本当の正体が明らかに・・・。サバイバルパニック大作であると共に、人間の本性を問うサスペンスとして見ごたえのある作品となった。

身体的には他の獰猛な動物に劣る人類が、過酷な環境で生き残るため、家族を中心とした共同生活を始め、さらに集まり集落、部族、国家を形成して行く。その結果、より有利な生活圏を守るべく、外部の人間や集団との境界線を作り、そこをめぐり争いが生まれた。 太古から、高度の知識や科学を享受する今現在まで、歴史上紛争や戦争が絶えたことはない。「ユートピア(utopia)」は、16世紀の思想家トーマス・モアの著作で登場する理想郷だが、ギリシア語では「素晴らしいが、決して存在しない場所」を意味する。 理想郷どころか争いがない世界自体も「存在しないユートピア」であるとは考えたくないが・・・

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「極限境界線 救出までの18日間」 映画評

2023-10-26 12:50:30 | Weblog

 

 

アフガニスタンという国を私たちはどのくらい知っているだろうか。人口約4千万、国土は日本の1.8倍と言えば、決して小国ではない。しかし、中央アジアと南アジアの交差点に位置する地理的要因もあってか、古くはアレキサンダー大王のマケドニア王国、チンギスハンのモンゴル帝国など、強大な周囲諸国の支配や影響を受け現代に至るまで不安定な国政と貧困に喘いでいる。18世紀以降は部族間で王が交代する首長国として存在するも、19世紀に入ると中央アジアを巡る英露の覇権争い、いわゆる‘グレートゲーム’の抗争地として保護国という曖昧な立場に。1926年イギリスから正式にアフガニスタ王国として独立するが、第二次大戦下再び諸外国の影響下で混乱する。戦後冷戦の中、クーデターにより共和制となるが、当時の軍事政権はソ連の支援のもとイスラム教徒を弾圧したことから、再び内乱となりソ連の侵攻が始まる。聖戦(ジハード)の名のもと、イスラム教徒達が立ち上がりソ連との10年に及ぶ戦闘を繰り広げ、撤退に追い込んだ。その中心となったのが、タリバン(神学生たち)などの宗教派閥の集団である。当時は冷戦下でソ連に対抗すべく、彼らに対して欧米や西側諸国も様々な支援を行った。シルベスター・スタローン主演の「ランボー3 怒りのアフガン(1988)」は、まさにランボーがイスラム戦士と一緒に、悪のソ連兵を完膚なきまで叩きのめし撤退させるハリウッド的な勧善懲悪ものだった。しかし、彼らタリバンがアフガニスタンを実行支配した現在は、今度はアメリカにとって脅威となっているのが現実である。ソ連の撤退後もタリバンを中心とする全体主義的な政権下でも内乱は続き、2001年アメリカ軍が侵攻し彼らは一時的には政権から排除され暫定政府が樹立する。この時、アメリカの要請で韓国政府も医療支援、海空輸送支援団、建設工兵支援団として部隊を派遣した。映画の題材となった、2007年の韓国人23名の拉致事件もこの様な背景の中で起きた出来事である。

 今回の作品「極限境界線 救出までの18日間(原題 交渉)」は、この拉致事件に関わった交渉人の苦悩と命がけの行動を中心に描いた物語だ。外交や国益よりも人質の安全と救出を最優先に考える交渉人にキャスティングされたのは、今最も旬の二人、ファン・ジョンミンとヒョンビン。それだけでも映画への期待度は高まるが、実際 韓国では上映と同時にNo1ヒットを記録した。あらすじは、アフガニスタンの砂漠で韓国人キリスト教徒23名がタリバンに拉致され、駐屯中の韓国軍の撤退と現政権に収監されているタリバン戦士の釈放を要求してきた。人質殺害までのタイムリミットは24時間。急遽韓国政府は外交部のチョン・ジェホ(ファン・ジョンミン)室長を現地に送り対応させる。テロには一切屈しないと明言するアフガニスタン外交通商部は囚人の釈放には応じない。また韓国政府も米軍との足並みを崩すことは出来ないことから、韓国軍の撤退は困難であると伝える。一方、国家情報院でパキスタンで活動していたパク・デシク(ヒョンビン)工作員も、独自のルートを使って人質解放の道を探っていた。二人は異なる価値観や手段用いて解決を図ろうと対立もするが、人命救出への熱意から協力して立ち向かう。しかし万策尽きようとした彼らは、最後に命懸けの賭けに出るが・・・。緊迫の駆け引きと展開に加え、見ごたえのあるアクション満載の大作である。

 実際に事件が起きた当時、人質なったキリスト教徒たちが政府の中止要請にも応じず危険地域へ渡航し、かつ異なる信仰を持つ国への短期布教目的であったことから、彼らへの批判もあった。今回に限らず同様のケースで身代金や外交的譲歩等の国の対応に対し、個人の「自己責任論」として問題視する声も巻き起こる。「外交部の最重要使命の一つが国民を守ることではないか」と主人公が外交部長菅にあえて反論させた意図は、この様な論調への一つの意見であろう。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コンフィデンシャル 国際共助捜査」映画評

2023-09-21 17:47:19 | Weblog

 2020年より始まったいわゆる‘第4次韓流ブーム’は、コロナ禍で外出の機会が減り、自然と動画配信サービスの需要が高まったことが大きな原因であった。その時人気を二分した韓国ドラマが「愛の不時着」と「梨泰院クラス」。若者を中心に男女問わず高い評価を受けたサクセスストーリー「梨泰院クラス」は、その後日本でも「六本木クラス」としてリメイクされた。一方、北朝鮮のエリート将校と韓国財閥の娘のラブストーリー「愛の不時着」は、日本は勿論、世界のどの国であっても再現は不可能だろう。
大戦後の東西冷戦を起因とした分断国家のうちベトナムは76年、ドイツとイエメンは90年に統一した。唯一現在も分断状態であるのが韓国と北朝鮮である(中国と台湾を分断国家と定義すべきか異論はあるが)。この現実は歴史上の悲劇であり今も多くのの問題を抱えている反面、文学、演劇そしてドラマや映画などエンターテインメント分野の題材としては数多く取り上げられてきた。しかし、その描き方は時代や政治背景により異なっている。南北の関係をテーマにした作品が登場し始めたのは、韓国戦争(六二五戦争、朝鮮戦争1950~53)の傷跡が未だ癒えていない50年代後半からである。そして60年代から70年代は軍事政権下の反共法もあって、北朝鮮を好意的、同情的に描くことが許されず、無条件悪く描かなければ「容共」と見なされた。厳しい検閲による画一的な表現が変化してきたのは、
80年代の民主化運動を経験した60年生まれの「386世代」が映画界に台頭してからである。カン・ジェギュン監督による「シュリ」(1999)や「ブラザーフッド」(2004)、パク・チャヌク監督の「JSA」(2000)など、金大中政権で検閲が廃止され抑圧されてきた様々な物語が噴き出してきた。
 その後、韓国映画は世界進出を目指すなかで、海外で広く受け入れられる娯楽性を強め、ファンタジーの要素を多く取り入れた作品が増えていった。今回紹介する「コンフィデンシャル 国際共助捜査」も、前作「コンフィデンシャル 共助」(2017)の続編として制作された痛快アクション大作である。ドラマ「愛の不時着」で寡黙だが、命がけで愛する女性を守り抜く北朝鮮将校を演じたヒョンビンが、ここでも実直で屈強な北朝鮮特殊捜査員(少佐)役として登場する。映画のストーリーは、北朝鮮の特殊捜査員リム・チョルリョン(ヒョンビン)が、北から逃亡した国際犯罪組織のリーダーの逮捕と消えた 10 億ドル奪還の任務を受け再びやってくる。北朝鮮側の捜査協力要請に対して、捜査の失敗により左遷されていた南の破天荒なベテラン刑事カン・ジンテ(ユ・へジン)は、現場復帰をかけ相棒役を志願する。 こうして2 人は前作に続いて 2 度目のタッグを組む。今回の注目は、チョルリョンに恋するジンテの義妹ミニョン(イム・ユリ)との再会とて恋の行方は?さらに、米国からも犯人を追って訪韓するイケメンFBI 捜査官のジャック(ダニエル・ヘニー)の登場で奇妙な三角関係の成立?と、さらにアクションだけでなく、韓流美男美女の共演もスケールアップし、男女ともに楽しめる。
 韓国ドラマや映画では暫し、娯楽作品であっても社会に存在する現状や問題、権力者の横暴、腐敗などを描き、それを乗り越えていく主人公に視聴者はカタルシスを感じる。そして
南北分断は歴史的にも、国の根本的なあり方や、国際政治その他の面でも最も根本的なテーマである。反面、分断から70年以上過ぎ、韓国の人々にとって現況への一種の慣れと、現実の受け入れが進み、切実な統一への希望は希薄になっている。映画で北朝鮮の登場人物を魅力的な才能の持ち主や、スーパーマンのように描くのは、何とか人々の関心を繋ぎ止めようとする意図もあるのではと勝手に想像もする。先日のニュースは、北朝鮮内のコメントで韓国に対して’南朝鮮‘ではなく‘大韓民国’との表現を使用したことが伝えられた。もはや別々の国であるという意味であろうか。現時点では、北朝鮮こそ韓国にとって最も近くて遠い国になっているのかも知れない。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

狎鷗亭(アックジョン)スターダム 映画評

2023-09-05 17:58:28 | Weblog

 

2000年代初め、‘冬ソナ’や‘チャングムの誓い‘などのドラマ放送をきっかけに‘第一次韓流ブーム’が巻き起こった。それに伴い韓国文化、社会に対する関心も集まるなかで、韓国の美容外科の現状が興味本位で伝えられた結果、「美容整形大国」いう表現がメディアで使われ始めた。この言葉の裏側には、それまで普通の日本人の感覚=所謂「親からもらった体にメスを入れる」行為への抵抗感もあり、少なからず否定的な意味合いも含まれていたと思う。しかし、あらためて考えると日本以上に儒教が社会規範や価値観に強い影響を持った韓国で、なぜ美容外科が広く受け入れられたのだろうか? 

韓国では子供の頃、しいては出産直後から、容姿や外見を評価される。親戚を含め周囲から男女限らず、この子は美男だ、美女だ、あるいはその逆も歯に衣を着せず言われる。それは幼少時から大人になるまで続き、褒められるにしろそうでないにしろ本人は当然強く意識せざるを得ない。ヒトは性格や個性、能力を持って総合的に評価される。しかし、韓国のように価値評価の中で外見の占める割合が高いと考えら社会では、特に女性の場合、美を追求することが自己価値を上げると考えるのも当然と言えば当然。最新の美容法や化粧品が広がる以前から、民間療法的な美容法や美肌法が多くあるのも、韓国女性が昔から美容に高い関心を持ち、実践してきた証拠である。美容外科をはじめとした、美容医療が発展し、広く受け入れられる土壌は十分であっただろう。市場の原理として、重要があれば供給が生まれる。私が韓国で医学を学んでいた80~90年代には既に、美容外科の基礎である形成外科は人気であり、専門医過程に進むのは狭き門であった。結果的に優秀な学生が集まり、結果的に現在の韓国美容医療の発展に至っている。

現在、韓国全体で美容外科、美容皮膚科は4千数百件とされるが、その半分がソウルに存在する。その中でもお洒落なショッピング街として知られるソウル江南地区の狎鷗亭(アックジョン)には、通称‘美容整形通り‘といわれる一角もあり、およそ800件が集中している。今回の作品は、この狎鷗亭(アックジョン)亭を今のような「美容整形の聖地」にまでに創り上げた男の物語である。ストーリーは、狎鷗亭(アックジョン)で生まれ育った風変りだが憎めない主人公テグク(マ・ドンソク)を中心に展開する。生業は不明だが、とにかく比類のない顔の広さと、愛嬌、それに腕っぷしで、頼まれごとは何でも引き受ける不思議な人物テグクは、天才的な技術を持ちながら騙されて医師免許はく奪の上、多額の借金まで背負うことになった美容外科医ジウ(チョン・ギョンホ)と組み、かつてない新しい美容整形ビジネスをこの地で始めようと決意する。かつては弟分だったヤクザの実業家、中国人の富豪、怪しげな美容サロンの女主人と、一癖も二癖もある人間たちを巻き込んで話は展開していくのだが・・・ 主演のマ・ドンソクはシリーズ化した「犯罪都市」の大成功で、今韓国映画界でNo1ヒットメーカーの座を確実にしている。今回は、腕力こそ多少封印したが、ユーモア溢れる存在感は健在だ。

最近、人種や性差別に対する人権運動の高まりと共に、ルッキズム(lookism、外見重視主義)を批判する論調もよく目にするようになった。韓国はある意味わかり易い?ルッキズム社会である。一方、日本は建前上「見た目より中身、外見より心」を当然の理として語られて来た。大ヒットした韓国映画「カンナさん大成功です(2006)」は才能があっても容姿で損をしてきた女性歌手が、整形手術を受け大変身し成功を目指すストーリーである。まさに映画の舞台となったのは、今回の作品とほぼ同じ時期の話だが、実はその原作は日本の漫画であった。現在では美容医療も韓国に劣らず人々の中に浸透しているが、当時の日本社会の本音を、韓国映画の中でより成功物語として映像化したと考えると面白い。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「高速道路家族」映画評 

2023-04-25 11:32:03 | Weblog

本作品を観て映画「パラサイト 半地下の家族」(2019)を思い浮かべる人も少なくないだろう。「パラサイト」は言わずもがな、非英語作品初のアカデミー作品賞獲得、さらにカンヌ国際映画祭の最高賞であるパルムドールも同時受賞という韓国映画に輝かしい歴史を刻んだ作品である。制作、指揮したポン・ジュノ監督が当初の「内容が余りに韓国的で、世界では十分に理解されないだろう。」という憂慮は見事に裏切られる。そのテーマに関して世界のメディアは「多くの国における普遍的な格差の問題を描いた作品」と評価した。しかし、私はこの作品こそ、韓国的な家族愛、時に苦しいほどの肉親に対する執着心を描いた映画であり、今回の紹介する「高速道路家族」にも同じ何か痛々しい愛憎の匂いを感じる。 

先日、日本政府が異次元の少子化対策案を発表した。日本に限らず近年、アフリカと一部の中東国を除いて世界的な少子化傾向は確実に早まっている。特に先進諸国、中でも2022年度の韓国の合計特殊出生率0.78という値は衝撃的である。韓国で少子化が叫ばれてから過去16年間、日本円で27兆という巨額な対策費が投じられて来た。しかし、歯止めがかかるどころか7年連続で過去最低値を更新し続けている。人類文化史から考えても、ある程度成熟した国での少子高齢化はやむを得ないとしても、韓国の極端な少子化への説明は簡単ではない。よく言われる、競争社会における子供への教育の必要性と、それに対応すべく親の重圧、負担が挙げられてきた。だが、それ以前に若者の未婚、晩婚問題がより深刻ではないか。そこには‘家族’そのものの在り方や意義という、儒教思想をもとに培われてきた社会全体に対する反動が隠されているかも知れない。 

映画「高速道路家族」は、メガホンをとったイ・サンムン監督にとって初の長編映画作品である。アジアで新人監督の登竜門ともいえる釜山国際映画祭(2022)で「『パラサイト 半地下の家族』に次ぐ大傑作!」「ユーモア、サスペンス、アクション…映画のすべてが詰まった傑作」と称賛され、見事なデビューとなった。ストーリーは、仲良くヒッチハイク?をしている家族の様子で始まる。実はギウ(チョン・イル)ジスク(キム・スルギ)夫婦と幼い姉弟の4人家族は、高速道路のサービスエリアを渡り歩きながらのあてもないテント暮らしをしている。身づくろいは駐車場のトイレで、食事代は見知らぬドライバーに、財布を忘れたと嘘を言い2万ウォンを借りて?済ませる生活。ジスクは母親として、子供の将来への不安を感じながらも、ささやかな今の家族の絆だけを思い生きていた。しかし、ある日別のサービスエリアでお金を借りたヨンソン(ラ・ミラン)と再遭遇し警察に通報されてしまう。ギウは逮捕され、行き場を失った母子3人をヨンソンは連れて帰り、面倒を見る。我が子を亡くしたヨンソンにも、埋められない心の穴があったのだ。しかし、不思議な縁からの新しい家族を得た彼女らの前に、留置所を抜け出したギウが現れる・・・。大胆な家族の設定と人間像、そして後半は進むほど一気にサスペンス調に変わっていく展開に最後まで目が離せない。 

韓国はいま少子化どころか、結婚さえ選択しない若者が急上している。つまり自ら求める‘家族’の必要性、意味自体が問われているのかも知れない。一方、映画やドラマの世界では夫婦、親子の絆をテーマにしたものが未だ多い。そこでは主人公や登場人物たちが、家族を守り、愛情を取り戻すために自らを犠牲に命懸けで奮闘する。時に方法や手段は、無謀で非合法的で、周囲の人々や第三者を傷つけることも厭わない。‘家族’同様必ず取り上げられる‘社会悪や権力者の不条理’に立ち向かう弱者側のヒーロ―の活躍がそうであるように、現実には困難であるからこそ観客はカタルシスを感じる。家族の絆や愛情も、映画やドラマ内だけで描かれるメルヘンの世界にならないかとちょっぴり不安に駆られた。 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハンサン-龍の出現」 映画評

2023-03-25 14:18:33 | Weblog

 

 ソウルの正宮である景福宮(キョンボククン)の南門、光化門一帯は、朝鮮時代以後、歴史と政治の心臓部の役割を担ってきた。この場所に2009年にオープンした光化門広場には、韓国人が最も尊敬する二人の人物の銅像がある。世宗(セジョン)大王と李舜臣(イ・スンシン)将軍である。1418年朝鮮王朝4代国王に即位した世宗は、様々な学問に対する博識と分析力に秀でた人物で、ハングル文字の発明をはじめ、民衆の生活に役立つ発明をし、

韓国の歴史上もっとも優れた君主として1万ウォン札に肖像が描かれている。光化門も「王の大きな徳が国を照らす」という意味である。一方、李舜臣将軍は、豊臣秀吉による朝鮮侵攻(壬辰倭乱、文禄 慶長の役)で20万近い圧倒的な日本軍勢に対し、劣勢の朝鮮海軍を率いて多くの海戦に勝利した救国の英雄だ。しかし、韓国ギャラップ調査でも常に歴史上の尊敬する人物トップの李舜臣将軍と次点の世宗大王を比べると、前者は輝かしい戦歴や武功伝承と同時に、苦悩と悲劇性が伴い、そこがまた韓国人の恨(ハン)の心を揺さぶらずには居られない存在である。実際、李舜臣の生涯は決して華やかで、英雄としての待遇で彩られたものではなかった。豊臣秀吉の明国制圧の野望のもと、1592年に釜山に上陸した小西行長をはじめとする軍勢は瞬く間に釜山鎮を陥落させ破竹の勢いで北上、半月余りで首都漢城(ソウル)に占領する。朝鮮国王もやむを得ず、都を捨て平壌からさらに北に向けて避難する。朝鮮の命運も尽きようとしたその時から、李舜臣の戦いは始まる。友人で朝廷の中心人物でもある柳成龍の推挙で、47歳で全羅左道(チョンラジャド)海岸防衛の長官・全羅左水使に7階級特進で任命された彼は、釜山の東南、巨済島(コジェド)玉浦(オクポ)に停泊していた藤堂高虎が率いる日本水軍に奇襲をかけ、二六隻の船を喪失させ朝鮮軍の初勝利を挙げる。此の後6年、途中同僚の元均に陥れで獄に繋がれ、白衣従軍(一兵卒として従軍)として過ごした時期も経て、再び最高司令官・三道水軍統制使に復帰し最期の戦いとなる露梁海戦に臨み、敵の銃弾を受け亡くなるまで朝鮮軍の海の城壁であり続けた。

今回紹介する映画「ハンサンー龍の出現」は、初戦の玉浦海戦からおよそ2か月後、日本水軍脇坂安治との巨済島先 閑山(ハンサン)島沖での海戦を描いた作品である。この映画は、キム・ハンミン監督自らが企画した‘李舜臣の海戦 三部作’の一作目で、韓国で1700万人動員と記録的ヒットになった前作「バトルオーシャン 海上決戦」(2014)に続く第二部である。前作は戦乱末期1597年の鳴梁(ミョンリャン)海戦を描き、この時50代の老獪で貫録を備えるも、長い戦乱と同僚の裏切りからか、苦悩と疲弊がみえる将軍を名優チェ・ミンシクが演じた。今回は遡ってその5年前、任官し数カ月、指揮官としての経験は十分ではないが、思慮深さと胆力を兼ね備えた壮年期の李舜臣を、今最も注目の俳優パク・ヘイルが演じている。その他、李舜臣最大に好敵手として登場する脇坂安治役のピョンヨハン、己の命を犠牲に日本軍をおびき寄せる囮を志願するオ・ヨンダム老将役のアン・ソンギなど、いつもながら適材適所の俳優陣の演技には瞠目する。そして、何より歴史的な一戦でありながら、正確な資料の乏しい「閑山(ハンサン)島海戦」を入念に検証し、最先端のVFXとアニメーション技術で、圧巻の「海で撮影しない初めての海戦映画」として完成した。

6年にも及ぶ戦乱中、映画でも登場する ‘降倭’と呼ばれた投降日本兵も数多くいた。として記録に残り、後に朝鮮王に認められ金忠善(キム・チュンソン)の名と官位を授かった‘沙耶可’もその一人だ。彼らの子孫は今も半島で生きている。一方、司馬遼太郎の短編「故郷忘じがたく候」の主人公 薩摩焼第14代陳寿管のように日本に連行され、先祖の血と技術を受け継ぎながら生きる人々も。戦った武人以上に多くの人生に影響を与えた侵略であった。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「別れる決心」 映画評

2023-02-07 16:35:59 | Weblog

韓国近代歌謡の歴史を遡ると、1930年代から日本による統治時代に入った演歌の影響を受けた「トロット」と呼ばれるメロディーラインが庶民の間で広く親しまれた。そして大戦終結による独立、また朝鮮戦争(六・二五戦争、韓国戦争)を経て、在韓米軍の社交場で演奏したポップスやシャンソンなども登場し、民放放送開局(1962)とともに数々のヒット曲も生まれる。そのような時節、南珍(ナム・ジン)による「カスマプゲ」が大ヒットし、後に国民的歌手となる羅勲児(ナ・フナ)もデビューした1967年、鄭薫姫(チョン・フンヒ)が謡う「アンゲ(霧)」という曲が世に出た。彼女の澄んだ歌声と、霧の中去った恋人を想う歌詞、甘く哀しいメロディーは、すぐに多くの人々の心に響く。今聞いても懐メロと呼ぶ古臭さは全く感じず、カラオケでも広い世代で愛唱される曲の一つである。そして、今回紹介する映画「別れる決心」は、この曲から生まれた作品である。

パク・チャヌク監督がドラマ制作の仕事でロンドン滞在中、韓国への恋しさからいろいろな曲をネットで探し聞く中、チョン・ウンヒの「アンゲ(霧)」から忘れていた若い頃の感情、様々な想いが沸き、この思いをいつか映画で表現しようと考えたとインタビューで話している。打算や欲ではなく、純粋に誰かを愛し、やがて別れる悲しみを描いただけに、カンヌ国際映画賞でグランプリに輝いた「オールドボーイ」(03)を始めとする復習三部作や、「お嬢さん」(16)などの代表作と異なり過激な暴力や描写を極力抑えた作品となった。

ストーリーは、岩山に登頂した60代の男が転落死した事件を発端とする。捜査を指揮するのは、不眠症であることを言い訳に、昼夜を問わず仕事に没頭する真面目で礼儀正しい刑事チャン・ヘジュン(パク・ヘイル)、一方妻からは「殺人事件が起きたら嬉しい?」と皮肉られている。亡くなった男の若く美しい妻ソン・ソレ(タン・ウェイ)は、中国出身で韓国語はまだ苦手、事情聴取でも多少の行き違いや齟齬はあるが、へジュンはそれ以上に彼女から何かを感じ取る。ヘジュンはソレの監視を開始し、取調室では事件について語り合う中で、容疑者に対する別の感情を抱き始め、ソレもまた彼の想いに気づく。事件はやがて思わぬ展開を向かえていくのだが、葛藤の中でお互いにある決心をする。

この映画はカンヌ国際映画祭で監督賞の受賞をはじめとして、アカデミー賞 国際長編映画部門、ゴールデン・グローブ 作品賞 非英語部門など数々でノミネートされている。前述したように今までのパク・チャヌク作品に比べると、動的な激しさや表現は控えめだ。それは監督が意図した主人公と‘穏やかで、清廉で、礼儀正しく、親切な刑事’と、悲運な過去と現実の中でも、強いプライドと意志を持ち生き抜いてきた異国人という二人が出会いによる眼に見えない心の化学反応という形で魅せたかったではないか。理性で抑え込もうとするほど内部の圧力は高まり、遂にヘジュンは「(私は)完全に崩壊しました。」と呟く。彼を翻弄し、利用しているように振る舞うソレの「あなたの未解決事件になりたい。」という台詞の裏にも自分でも理解できない感情が隠されている。

ジャンルで言えばミステリーロマンスと表現できる本作だが、最大の謎は二人の愛の選択と結末であろう。哲学者ニーチェの言葉、「愛からなされるものは常に善悪の判断の向こうにある。」が思い浮かんだ。パク・チャヌク監督曰く「大人に語りかける、繊細さとエレガンスとユーモア をもった喪失の物語」の映画である。

末筆ながら、2023年を迎え最初の映画を紹介しながら、ここ数年にわたるコロナ禍や世界に漂う様々な‘霧(アンゲ)’が今年こそすっきり晴れてくれることを心より願うばかりである。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「非常宣言」 映画評

2022-12-20 13:13:52 | Weblog

 

 2020年1月30日、世界保健機構(WHO)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への国際的な公衆衛生上の緊急事態宣言されて間もなく3年になるが、今後もウイルスが完全に消滅し、感染者もゼロになることもないだろう。それでもワクチン接種、治療法の確立、そしてウイルス感染に対する社会全体の理解が進んだことで、ようやくコロナ前の生活を取り戻そうとした最中、韓国の梨泰院において多くの若者が犠牲になる惨事が起きた。このような事態を防げなかった理由として、群衆を整理する警備不足や道路整備の不備が問題とされるのは当然だ。一方、コロナ禍で抑圧された若者たちのエネルギーが、数年ぶりに捌け口を求め通年の数倍の群衆が一気に集中したと考えると、目に見えないウイルスが人間の心理や行動に及ぼした悲劇とも言えないか。

 ウイルスは細胞構造を持たなく、消化、呼吸、光合成といった代謝活動もしない。一方、RNAやDNAなどの遺伝情報を持ち、他の細胞に侵入してコピー体を作って活発に増殖するが、一定の条件下では塩のように結晶化もする。まさに生物と無生物の境界線にある不思議な存在だ。そんなウイルスは太古より共存しながら、人や動植物に感染し疾病も起こす厄介者だが、同時に遺伝子変化を助けることで生き物や人類の進化にも寄与してきた。今回紹介するのは、テロを目的に一人の科学者の手によって飛行機内に持ち込まれた最恐のウイルスが引き起こすパニックを題材に、そんな最悪の事態で当事者や、周囲の人間たちは何を考え、どう立ち向かうべきかをテーマにした作品である。

 この映画の題名「非常宣言」とは、「飛行機が危機に直面し、パイロットが通常の飛行が困難と判断し不時着を要請すること」で、この宣言により航空機に着陸優先権が認められ、同時にいかなる命令も排除できる,いわゆる航空運航における戒厳令を意味する。ストーリーは、過去の航空事故のトラウマで操縦できなくなった元パイロットのパク・ジェヒョク(イ・ビョンホン)が娘と共にハワイへ向かう場面から始まる。この父娘との些細な口論から同じ便に乗り込んだ元製薬会社研究員リュ・ジンソク(イム・シワン)。彼は体内に自ら強毒変異させたウイルスカブセルを埋め込んでいた。ベテラン刑事ク・イノ(ソン・ガンホ)は、ジンソクがバイオテロを企てている可能性に気づき、テロを阻止すべく必死の努力をする。実は同便には偶然ク刑事の妻も搭乗していた。ウイルスにより次々と犠牲者が発生する中、テロの知らせを受けた国土交通大臣のキム・スッキ(チョン・ドヨン)は、緊急着陸のために国内外に交渉を開始するが、感染拡大を恐れ外国政府はどこも自国への着陸を拒否される。燃料は底をつき、ついにはパイロットまで発症し操縦困難の事態を直面していく。

ソン・ガンホとイ・ビョンホンの初共演は、非武装地帯での南北の兵士の許されざる交流と友情、そして悲劇を描いたパク・チャヌ監督の「JSA 共同警備区域(2000)」であり、私が韓国映画の秀逸さ、完成度の高さに気づかされた作品の一つでもあった。今では世界的なスターとなった二人に加え、チョン・ドヨン他、現時点でトップクラスの俳優が一同に集まったことも大きな話題になった。「一度に7本の映画を撮っているよう。」と誇らしげに語ったハン・ジェリム監督だが、そんな豪華なキャスティングを可能にしたのは、「優雅な世界(2005)」「観相師(2013)」「ザ・キング(2017)」など数々の作品で高い評価を受けたハン監督に対する映画界の期待度と信頼の厚さがあってこそだろう。

 ウイルスは、増殖し続けるため様々な変異を繰り返す。それはまるで自ら意志や知能を持った集団のようだ。皮肉な見方をすれば、地球から見ると人間も環境を破壊しながら増加する点で似たような存在かも知れない。ただ映画のラストで監督が描きたかったのは、弱い存在であっても人間が人間であるための尊厳と希望ではなかったか。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする