作品の中で映し出される釜山の街並みは、今やGDP世界10位まで成長した韓国でソウルに次ぐ第二の大都市の名に相応しい洗練された姿である。私が学生であった1980年代、釜山大学に通う友人を訪ねた思い出の中にあるのは、一地方の港町。海水浴客もまばらな浜辺で寝そべり、日が暮れる前から露天商から発達したチャガルチ海鮮市場の屋台で、山盛りの魚介類をつまみに焼酎を飲んだ頃のイメージとはかなり異なる。「釜山」という名称が歴史に登場したのは朝鮮王朝1470年の『宗実録』が初であった。それ以前の書物『世宗実録(1402)』『慶尚道地理志(1425年)』『世宗実録地理志(1454年)』や同時期の『慶尚道續撰地理志(1469年)』『海東諸国記(1471)』では「富山」と表記されていることから、15世紀末に富山から釜山に名称変遷があったらしい。そしてこの名称の由来となった山―山の形がずんぐりして釜に似て~と『海事録』の中にある「登釜山詩」で表されたのは、現在の釜山東区 佐川洞背後の「甑山(チュンサン)」とされる。韓日関係から顧みると、日本と最も地理的に近い街と言える釜山は、良きも悪しきも歴史的深いかかわりを持つ。秀吉よる朝鮮出兵(文禄の役 1592~)で最初に上陸したのが釜山。これをきっかけに幾つかの漁村が点在しているに過ぎなかった海岸沿いには,日本に対する前線基地としての「釜山鎮」が設置され,その後さらに湾の南側には,李氏朝鮮が開国を迫られる中で,日本人使臣のための臨時的宿所としての「(草梁)倭館」も設けられた。その後も日韓併合、朝鮮戦争(6.25戦争)など多くの困難を経て、現在は近代的な国際都市として今があるのだろう。映画界でも毎年開かれる釜山國際映画祭はアジア最高の映画祭と呼ばれる存在だ。
本作品「ハード・ヒット 発信制限」は『テロ、ライブ』(13)『The Witch/魔⼥』(18)他、数々のヒット作を手掛けてきた名編集者キム・チャンジャの初長編監督作品であり、その舞台に選ばれた撮影地がまさに釜山の街、そして有名な海雲台(ヘウンデ)ビーチである。
キム監督は「地平線と海に隣接した美しい都市。このような美しい街で恐ろしい事件が起こる。」という自らのアイデアを形にすべく夢中に取り組んだ。密集した都会や繁華街の真ん中、そして浜辺の観光地での撮影の為、店や建物の一軒一軒に訪問し住民の許可と制作への協力を要請することからスタート。まずは安全性を確保すべく綿密な計画、準備を繰り返された。実際にこの映画を観れば、CG技術が発達した今日であっても、リアルなカーアクションの迫力はひと味違うと再確認出来るだろう。
ストーリーは、日常通りの平和な朝、銀行支店長ソンギュ(チョ・ウジン)は二人の子供を学校まで送り届けて職場に向かうべく車で家を出るシーンから始まる。運転中、車のフロントボックスにあった見知らぬ携帯に発信制限(非通知)電話がかかってくる。「車から降りても、第三者に知らせようとしても座席の裏に仕掛けた爆弾が爆発する。」最初は半信半疑であったソンギュも、部下の車が目前で爆破され事実であることを思い知らされる。二人の子供を載せ、誰の助けも期待できない絶体絶命の状況で警察と激しいカーチェイスが繰り広げられる。名脇役として評価の高い俳優チョ・ウジンにとって、デビューから22年目で初の単独主演映画である事も大きな話題になった。全編を通して、狭い車内での一挙、一動だけで進行される展開を、長女役のイ・ジェインと共に迫真の演技で魅せている。昨年韓国で公開前「日韓戦を控えた心境で向かえた?」とのチョ・ウジンの心配もよそに、大ヒットとなった。
韓国で観客の心を捉える映画の必要条件、シナリオや演出の完成度、そして俳優の演技力に加え、家族愛、人として道徳倫理、社会正義、弱者からの勧善懲悪という十分条件も満たした作品である。