美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

映画「ミナリ」 評

2021-03-08 17:15:21 | Weblog

今から遡る事40年近く前、私が学生の頃、韓国の医学部教授から「自分の同期や先輩の半分近くは米国で医師をやっている。」と聞かされ少し驚いた記憶がある。この教授の年齢から大学卒業は1960年半ばあたりか。ちょうどアメリカで新しく移民法が改正されたのも1965年である。この改正移民法により海外からの移民受け入れ条件が緩和され、これをきっかけに韓国人の米国移住が本格的にスタートした。実際、この時期の移民者は韓国で高等教育を受け経済的にも比較的に安定しながら、子供の教育やより豊かで自由な社会を求めて移住を決めた人々が多かったという。その後も北朝鮮状況や国内の政情を含め、経済的理由以外にも様々な理由から家族と共にアメリカ大陸を目指し、1987年にピークを向かえるまで増加し続けた。今回紹介する映画「ミナリ」は、まさに希望を求めて渡米したそんな一家族の物語である。

この作品、サンダンス映画祭審査員賞、観客賞をはじめ、世界中の映画賞を31賞獲得92ノミネートされ、すでにアカデミー賞の可能性が謳われるほどの評価を受けている。映画の舞台は、1980年代のアメリカ南部、アーカンソー州のオーザーク高原の荒れ地。韓国人移民の4人家族は、アメリカンドリームを夢見る父ジェイコブ(スティ―ブン・ユァン)に引きずられるようの、此処に農園を開拓するためにカルフォルニアのコリアンタウンから越

してきた。ジェイコブとは異なり、夢を追うより心臓病を抱える末っ子デビッドの治療や長女アンの教育を心配し、家族4人都会での堅実な生活を求める母モニカ(ハン・イェリ)。そんな不満をぶつけるモニカへの慰めと、夫婦が働きに出たときの子供の世話と考え、ジェイコブはモニカの母スンジャ(ユン・ヨジュン)を韓国から呼び寄せる。ジェイコブにとっては一世一代の決心のもと購入した土地。実は、前の所有者も結局開拓できず不幸になったいわく付きの場所であった。地元で雇った少し変わり者の白人労働者ポール(ウィル・バットン)と二人で懸命に働くジェイコブの前には次々と新たな困難が立ちはだかる。ストーリーは冒頭から厳しい現実の連続である。その中で、韓国で誰もが認める名優ユン・ヨジャ演じるところの料理も苦手、字も読めないが、花札やプロレスは大好きというスンジャハルモニと、無数のオーディションから選ばれ本作がデビューというアラン・キム演じる末っ子デビッドとの掛け合いは、映画に絶妙なアクセントとなっている。

監督のリー・アイザック・チョンは、幼少期の体験を基に脚本を書き上げ、一からアメリカの地で生活を築いていった両親の粘り強さに対する賛歌としてこの作品を制作したと述べている。作品の中でのデビットの眼差しの先には、まさに監督自身の過去から現在までの想いが込められているようだ。

祖国を離れ移り住む民族や集団を指す言葉にディアスポラ(diaspora)という言葉がある。‘難民’との違いは、一時的な避難ではなく彼の地で定住をめざすところだ。ユダヤ人、中国架橋を示すことが多いが、750万人と言われる韓国系在外同胞も立派なディアスポラであろう。日本と米国という国の違いという点だけでなく、時代も歴史的背景も異なるのだが、私はこの作品を観て鄭義信監督の「焼肉ドラゴン」のあるシーンが頭に浮かんだ。苦しい時、悲しい時、主人公 金龍吉は「明日はきっとえぇ日になる」と呟き、店を守るために耐え忍ぶ。映画「ミナリ」では「ミナリ、ワンダフル!」スンジャ ハルモニが何度も繰り返し声に出すシーンがある。「ミナリ」は韓国語でセリ(芹)のことである。険しい環境でしっかり根を張り、最初よりも次の世代が美味しく成長するという。一世たちが異国で懸命に耐え抜いて守った根が、次の世代であり我々なのだろう。


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