罪と罰
日本でも韓国でも、凶悪で残忍な殺人事件が起きる度に、死刑制度に関する議論が活発になります。両国とも、世界的には今や少数派とも言える死刑制度存続国です。しかし、韓国の場合は、つい最近行われた死刑制度審査で合憲であるとの判断が下され、制度上は継続していますが、過去12年間以上執行されておらず、事実上の廃止国に分類されています。現在 先進国で死刑制度が存在し、執行されているのは日本とアメリカだけとも言えるでしょう。
現在112カ国が事実状死刑制度を停止していますし、これは世界の潮流となっています。国連の人権委員会でも、しばしば日本に対して、廃止に向けた要請を繰り返していますが、このような国際世論の中、制度を存続し続けている背景は、国内世論の強い支持があるためです。最近の世論調査でも、存続すべきという賛成派が85%にもあがり、アメリカ、韓国の6割程度という結果に比べても高い数字です。「悪を憎む。」といえば明快ですが、やや感情論的な意味合いが強く、冷静に制度全体を討議する必要もあるかもしれません。
被害者にとって加害者は「殺しても飽き足らない。」と感じてもやむを得ないですが、‘あだ討ち’では社会制度は成り立ちません。ハンムラビ法典の196,197条の「目には目を歯には歯を・・・」の一文も、むしろ過剰な報復を諌めて、同等の報復に抑えることで文明秩序を維持しようとしたものです。死刑が犯罪の抑止力になるものか、国が人命を奪うことが許されるのか、免罪問題をどうするか、など やはり十分な議論は必要だと思います。
日本が特に死刑制度に対する指示高い背景には、宗教が発達しない文化での高い道徳観、独自の死生観、‘時代劇’などにも見られる‘お上’による裁きへの期待等があるような気がします。また 特に地下鉄サリン事件以降の社会全体に蔓延する不安感、無力感を表すものかもしれません。社会は誰が守らなくてはいけないのか、本当に護なければいけないのは何なのかを改めて考えることが、求められているのだと思います。