美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

話題の韓流ドラマ「愛の不時着」 について。

2020-06-15 12:45:47 | Weblog

韓流ドラマ「愛の不時着」考

  

人々がコロナ禍で在宅を中心の生活を余儀なくされた結果、仕事は勿論、生活様式や日々の過ごし方にも様々な影響が出ている。ネット動画配信サービス利用の増加もその一つだろうが、中でも「愛の不時着」という韓流ドラマが非常に人気となっている。今年2月まで韓国で放送され記録的な視聴率を記録した本作は、米国はじめ世界中に配信され、特に日本では「冬ソナ」以来?とも言える話題作である。

当院の患者さんやスタッフからも「是非、先生も観るべき!」という言葉に押され、昭和のメロドラマ風の題名には抵抗を感じるも「チャングムの誓い」以来の韓流ドラマに挑戦した。結果的に私のような恋愛ドラマとは最も縁の遠い還暦前のオジさんが最終話まで完走できたのは、斬新な設定、脚本の精妙さ、映画並みの精巧なセット、そして主役のみならず、多彩な俳優人々の演技力によるものだと認めざるを得ない。改めて、米国アカデミーまで席巻した韓国エンターテイメント恐るべし。

ドラマのあらすじは、韓国の財閥令嬢のユン・セリ(ソン・イェジン)が乗ったパラグライダーが竜巻に吸い込まれ不時着したのが38度線を超え北朝鮮領土。そこで前線警備を指揮していた青年将校のリ・ジョンヒョク(ヒョンビン)に発見される。彼は北朝鮮の村でセリを匿いながら韓国への脱出を図る。二人は様々な困難と陰謀に巻き込まれるが、いつしかお互いに惹かれ合い・・・という物語。南北に分断された恋愛ストーリーと言えば映画「シュリ」が思い浮かぶが、こちらはより現実離れした設定のラブコメディである。さらに16話にわたる長丁場のドラマだけに主人公カップル以外の様々な人間関係が喜怒哀楽、そしてサスペンスの要素も加わり展開される。個人的に興味を惹かれたのは、前半の北朝鮮の村落を中心に描かれた内容だ。企画、脚本作成の段階から、数名の脱北者など北朝鮮事情を知る人物を招き、撮影時も北朝鮮訛り、単語をはじめ、なるべくセットや衣装、その他も現状に近く検証し再現された。‘携帯電話’を손전화(ソン ジョナ,手の電話)、‘夫’を세대주(セデジュ、世帯主)、‘嘘をつくな!’が후라이 까지 마라!(フライカジマ!)などの北朝鮮独特の表現も新鮮だ。電気の供給が不安定なため暫し停電になり炊事は薪で火を起こす村の生活。海外の製品もこっそり取引される戦後の闇市を思い浮かべる市場。そして平壌に住む特権階級の人々との想像以上の貧富の差など、なるほどと思うところも多い。

勿論、ドラマはあくまでフィクションであり、政治色や思想的な部分は可及的に避けられ、より深刻な状況、例えば国民の40%が栄養失調であり、物資や設備の枯渇でほぼ医療崩壊現実など、より過酷で切実な問題や多くの貧困層には触れられていない。しかし、北朝鮮という閉鎖された暗い集団としてではなく、中流層と思われる人々の暮らしぶり、人々は愛する家族や大切な相手がいる同じ人間として描いている点は評価されるだろう。視聴者のレビューや感想のなかのコメントでも「北朝鮮の人々に対する見方が変わった。」「南北の平和を期待する」という内容が多い。それはドラマ制作にあたって意図されたものかどうかは不明だが、1990年代、ハーバード大学のジョセフ・S・ナイ教授が提唱し、「文化、政治的価値観、外交政策などを用いて国の魅力を高め、他国に対し共感を呼び味方につける力」と定義できるのが「ソフトパワー」であれば、まさに韓流エンターテイメントもその一つであろう。

南北境界線で繰り広げられる韓流版「ロミオとジュリエット」。本家の物語では、一時的に薬で仮死状態になることで家族を欺き駆け落ちするというジュリエットの計画を記した手紙が、当時流行していたペストの検疫で使者が足止めされロミオに届かなかったために悲劇の結末となった。一方「愛の不時着」はコロナウイルスの影響下でより世界で流行(パンデミック?)していると考えるはちょっと無理があるだろか。

 

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映画「君の誕生日」映画評

2020-06-01 10:32:59 | Weblog

 

2014年4月16日に発生した大型旅客船「セウォル号」沈没は、乗客・乗員含む300名以上の犠牲者を出す韓国海難事故史上最悪の惨事であった。亡くなった人数以上に人々に衝撃を与えたのは、被害者の多くが済州島への修学旅行を楽しみに出発した高校生たちであったこと、そしてこの事故の一部始終がテレビやインターネットで中継され、懸命に無事を祈る家族や多くの国民の見守る前で船もろとも海に飲み込まれていった現実である。当時この模様は海外にも同時に放送され、私も食い入るように画面を見続けていた1人であった。

多くの尊い命と若者の未来を一瞬のうちに奪い去った「セウォル号」事故は、その後少しずつ明らかになる事実により人々に衝撃を与える。乗客の命を預かる責務を放棄し沈没する船から真っ先に脱出した船長や一部の船員たちの卑劣で愚かな行動、安全性を無視し利益優先の船舶会社の運営、それをチェックすべき行政部門の怠慢、救出現場での海上警察の混乱、国、政府の対応の問題点等々。遺族は勿論、国民の多くが怒り、悲しみ、やるせなさから、当時の大統領をはじめ、関係者への責任の追及と非難は拡大していった。それらは同時に多くの大人たちが若者の命を守れなかった己ら自身を恥じらい、責める気持ちの表れとも言えるだろう。

社会全体に深い傷跡を残した事故から5年が過ぎ漸く完成した映画「君の誕生日」は、新鋭イ・ジョンオン監督自身がボランティア活動を通じ、多くの時間を遺族と接する中で実際のエピソード、人物を基に企画、制作された作品である。ストーリーはセウォル号事故で最愛の息子を失ってから2年、未だに悲しみの最中でもがく家族が彼の二度目の誕生日を向かえるなか、様々な人々の関わりや想いを受けて変化していく姿を描いたものである。ボランティアや遺族会の会員、友人たちが計画する息子の誕生会をめぐって、彼の死が受け入れられないまま拒否反応を示す母親に対し、ある事情により息子の事故当日から今まで韓国に戻れず、2年後の誕生日を目前に家族のもとに現れた父親。事故の衝撃と悲しみの深さのあまり家族は葛藤し関係はぎくしゃくするが、皆の長男に対する愛情と想いに優越はない。この二人を演じるのは、「私にも妻がいたらいいのに」以来18年ぶりに共演したソル・ギョングとチョン・ドヨン。「あの日以降、詩人は詩を、小説家は小説で、歌手は歌で追悼してきたが、俳優である自分は何をしたか己に問うた。」と無理なスケジュールを変更して出演を決めたソル・ギョングに対して、惨事の悲しみの大きさから当初出演を固辞しようとしたジョン・ドヨン。韓国映画界で最高の演技派と言っても過言でない二人が、この作品ではドキュメンタリー作品とも思えるような自然な表現や表情が観るものの心に響く。

この映画評を執筆している数日前にも韓国では検察による事故当時の政府機関への捜査に関する報道がニュースで流れ、ソウル光化門広場には真相追求と責任者処罰を訴える遺族の集会が開かれている。‘国民のトラウマ’といえるセウォル号事故の映画化には多くの批判や憂慮もあったと聞く。それでも監督は「あの事件がどんなに私たちの人生を変え、私たちの心に影響を与えたのかを表現したかった。」と遺族や関係者に寄り添い、話に耳を傾け、懇々と彼らの気持ちをスクリーンに書き留めていった。最後の瞬間、自分の救命胴着を友人に渡し、先に避難させた少年の話も実際に聞かれる多くの同様の話の一つである。人間の醜さや愚かさに対して美しさや勇敢さ、どちらも現実である。だからこそ残されたものはより苦しみ悲しい。しかし癒えない傷を忘却という包帯で覆い隠すのではなく、しっかり心に刻み、亡くなった‘彼らを決して忘れないこと’の大切さを映画が私たちに訴える。

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映画「スウィング キッズ」映画評

2020-02-18 13:00:36 | Weblog

 映画の舞台は朝鮮戦争(6.25戦争、韓国戦争真っただ中の1951年、増加する朝鮮人民軍と中国共産軍の捕虜を収容するため米軍が巨済島に設置し、約17万人が収監された当時最大規模の捕虜収容所である。

巨済島は、面積400k㎡余りで種子島とほぼ同等、済州島に次ぐ二番目の大きさの島である。釜山の南西に位置し、島から東西方向には朝鮮海峡を経て対馬に至り、その地理的条件から古来より朝鮮と日本の交通の要として知られる。弘安の役では元・高麗軍の停泊地点として、文禄・慶長の役(壬申倭乱)では日本軍が拠点となるなど、歴史上の重要な場面においてこの場所が暫し登場する。そんな地政学的影響の為かどうかはわからないが、この小さな島から金泳三、そして現在の文在寅と二人の大統領を輩出している。しかし、それ以上に個人的な巨済島への思い入れは、私の母親の故郷であることかも知れない・・・

この映画は、スイス人写真家ワーナー・ビショフ(Werner Bischof)が従軍記者時代に撮影した1枚の白黒写真―「収容所内に造られた自由の女神像の前で仮面をかぶって踊る人民軍捕虜たち」ーからインスピレーションを得て創作されたミュージカル「ロ・ギス」をモチーフに、日本でもヒットしリメーク版まで制作された「サニー永遠の仲間たち」でよく知られるカン・ヒョンチョル監督の最新作である。

巨済収容所の背景として、捕虜の中には北朝鮮人民軍がソウルや他の都市を占領するなかで強制徴募して無理やり人民軍に組み入れられた若者も多く存在した。それゆえ、休戦会議が始まる時、戦争捕虜の処理問題が持ち上がることになった。当然、収容所内でも強制的に入隊させられた反共の兵士たちと、本来の人民軍兵士たちの間での流血殺傷騒動もが頻繁にあった。そして1952年5月7日、人民軍捕虜が暴動を起こし収容所所長のドット准将が逆に捕虜になるという事件(巨済捕虜収容所 暴動事件)が発生する。ミュージカル、そしてこの映画が生まれるきっかけとなった「踊る兵士の写真」もこのような状況の中、少しでも捕虜たちの荒ぶる気持ちを静め、慰安しようとする米軍管理側の苦肉の一手の一つではないかとも想像できる。

映画のストーリーは、共産思想を持った人民軍捕虜たちが米国流の自由と文化に感化されたことを対外的にアピールしようと画策した収容所所長が、戦争捕虜によるタップダンスチームの結成を命じるところから始まる。沖縄に残した女性との再会を条件に、不承不承ダンスプロジェクトを無理やり担当させられた元タップダンサーの米軍下士官 ジャクソン(ジャレット・グライムス)のもと、捕虜収容所の一番の問題児ロ・ギス(KpopグループEXOのD.O.),少女家長として幼い妹弟を懸命に養う無認可通訳士のヤン・パンネ(パク・ヘス)、ダンスで有名になることが生き別れた妻を探す手段と参加したカン・ビョンサム(オ・ジョンセ)、栄養失調と狭心症の持病を持つが天才的振り付けの才能を持つ中国共産軍兵士シャオパン(キム・ミノ)が人種、国籍、言葉の壁を越えてダンスグループ‘スウィング キッズ’を結成する。

ブロードウェイ最高のダンサーの一人であるジャレット・グライムスの神業的なタップダンスのパフォーマンスに圧倒され、憎まれ役?の米軍人たちのダンス、スウィング キッズのメンバーのタップも見ごたえ十分である。だがやはり主人公ロ・ギス役D.O.の躍動する動きと演技は、厳しいトレーニングと才能の結晶であることは疑いようもない。 戦争、捕虜、差別、飢え、イデオロギーの違い、何一つ思い通りにならない現実の中で、タップダンスのステップする瞬間にのみ全てから解放され、内に秘めたエネルギーを自由に爆発させ青春の火を燃やしていった若者たちの物語として心に残る。映画のエンディングに流れるビートルズの「Free as a bird」はそんな彼らへの鎮魂歌である。

 

 

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映画「国家が破産する日」 映画評

2019-10-26 16:17:25 | Weblog

 誰もが程度の差はあっても心の中に触れられたくない、思い出すのも辛い記憶、いわゆる「トラウマ」があるのではないだろうか。同様な意味で‘国’の歴史の中にもトラウマといえる出来事が存在する。近年ならば、アメリカの同時多発テロ、日本の東日本大震災もその一つにあたるのかも知れない。多くの国民の心に深い傷跡を残し、今でも様々な影響を与えている。1997年、韓国はアジア諸国にて起きた急激な通貨下落を発端とした経済危機に陥り、IMF(国際通貨基金)の支援を受けると共に様々な管理下に入った。この映画は、IMFとの交渉にあたった当時非公開で運営された対策チームの緊迫したやり取りを中心に描かれたフィクションである。朝鮮戦争後最大の国難と言われた通称「IMF危機」。多くの国民の人生に影響を与えた出来事が21年経ってようやく映画化されたのは、いかにこの事が韓国の人々の中で生々しいトラウマとして刻まれていたかを示しているのかも知れない。

 舞台は、1997年11月のソウル。連日メディアからは好調な国の経済成長をうたうニュースが流れていた。韓国は前年の1996年末に先進国クラブと言われるOECDに加盟、失業率は過去最低を記録し、国民の経済意識を問うアンケートでは85%が自身を中流層だと答えた。そんな国内の雰囲気に後押しされて、より飛躍を目指し多くの企業はその規模の大小に関わらず資金を借りて新しい人材や設備の投資に踏み出そうとする。国民の誰もが今以上に豊かで明るい未来を夢見ていた時代、この物語はアメリカ最大の投資銀行東アジア事業部から投資家に向けた1通のメールから始まる。‘All investors leave Korea. Right now. (投資家は今すぐ韓国を離れろ!)’―7月にタイを中心に始まったアジア各国の急激な通貨下落は、韓国経済に大きな衝撃を与えるべく足元まで迫っていた。

 映画はそれぞれ立場の異なる3人の姿が描かれる。一人は韓国銀行通貨政策チーム長のハン・シヒョン(キム・ヘス)。彼女は様々な状況から差し迫る通貨危機を予測し報告、事態の重大さを強く政府に訴えることで、非公開の対策チームが立ち上げられる。しかし、翌年の大統領選挙を控え、事態の収拾より政治的影響を優先する大統領府の経済首席、また国民が受ける被害よりIMFによる経済改革を強引に推進しようとするパク・テヨン財政局 次官(チョ・ウジン)の対応にハン局長は憤りを覚える。一方、小さな町工場を経営するハン・シヒョンの兄ハン・ガプス(ホ・ジュノ)。堅実な経営を続けてきた彼も好景気という世間の雰囲気に押され取引拡大の為、扱わなかった手形決算の条件を引き受け窮地に陥る。そしてもう一人、国家的金融危機を独自に察知し、一攫千金のチャンスととらえて会社に辞表を提出、投資家を集め‘国家破産‘に人生最大の賭けを挑む金融コンサルタントのユン・ジョンハク(ユ・アイン)。

 財閥も含め多くの会社が倒産し、130万人以上が失業、経済的理由による自殺者も激増した国家的危機であったが、その原因、政府の対応、IMFとの交渉内容に関してはいまだ明らかにされていない部分も多い。それだけにエンターテインメントとしてどう表現するか容易ではなかっただろう。当時の報告書や資料、様々な人の経験談や関係者からの聞き取りをから完成したシナリオを基に監督の思いを練りこんだ演出、それに応え韓国俳優人の演技力が十分に生きた作品となった。ユーモラスな役からシリアスな役までこなす人気実力ともにトップ女優のキム・ヘスと、既に若手とは言えない実力派に成長したユ・アイン、IMF専務理事役のフランスの名優ヴァンサン・カッセルも食えないポーカーフェイスぶりの演技も魅せる。

 当時、徹底的な緊縮財政を強いるIMF管理下の韓国の食堂や小売店にてIMF価格という表示が目についた。IMF=緊縮、つまり安い特別価格ということだ。また、やけ酒飲んで

「IMFされた!」ぼやくのはIMF=I’m fired.つまり「解雇された!」という意味。その後韓国は、2001年にIMF からの負債を完済、管理体制から脱却した。苦しくて辛い出来事に対しても、あえてのタネにしてでも引っ張り出し泣きながら飲み込む姿が韓国人の「恨(ハン)」でありパワーなのかと妙に納得した記憶がある。

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映画「工作」評論

2019-07-29 11:10:55 | Weblog

映画「工作」 評論

 昨年日本でも上映された「タクシー運転手」「1987、ある戦いの真実」は、韓国の民主化が成し遂げられる過程で起きた事件や出来事、その中で人々が体験した悲劇や苦しみを描いた作品であった。そして今回、朝鮮半島においての最大の課題であり、政治、経済、外交のすべてに影響を及ぼし続けている南北問題の裏の歴史を、あるスパイ事件を基とした作品が日本公開となる。

韓国のスパイ事件というと北朝鮮のスパイまたは北側の指示を受けた人間による韓国内での行為を想像する人が多いかも知れないが、映画の副題にもある黒金星(ブラックヴィーナス)というコードネームを持つ主人公は韓国側から北に送られた実在の人物(パク・チェソ)である。彼は1990年に韓国軍の情報部に入り、当時から噂されていた北朝鮮核開発についての情報取集を担当する。ここで開発に関わったとされる韓国系中国人物理学者と関係を築くことに成功し、報酬と引き換えに低性能ながら北朝鮮が核兵器2発をすでに製造した事実を突き止めた。パク・チュソはこれらの功績が認められ、1995年国家安全企画部(通称 安企部、現在の国家情報院)にスカウトされる。彼は不満を抱いてビジネスマンに転身した元韓国兵を装い、中国・北京で中国の農産物を輸入する韓国企業に紛れ込んだ。ここで非関税扱いの北朝鮮製品も取り扱い、この仕事を通じて徐々に北朝鮮側の接触者やその他の情報提供者らとのネットワークを構築していく。やがて北側の厚い信頼を得るようになった彼は、韓国企業のコマーシャルを北朝鮮の景勝地で撮影しながら、工作活動を展開する。そして、1997年には百花園迎賓館でおいて北朝鮮最高指導者である故金正日総書記と面会できるまでになる。

本作品は、昨年韓国で上映されるや否や観客動員500万人を超え、韓国のアカデミー賞と称される大鐘映画祭 主演男優賞をはじめ数々の映画賞も席巻、名実ともに高い評価を受ける大ヒット作品となった。主演の黒金星を演じるのは、今や国民的俳優と評されるソン・ガンホと並び人気、実力ともに押しも押されもせぬ存在となったファン・ジョンミン。日本で既に紹介された『傷だらけの二人』,『新しき世界』、『国際市場で逢いましょう』、『ベテラン』,『華麗なるリベンジ』、『アシュラ』などで様々な顔を魅せ、作品ごとに独自の存在感を観客の心に残す稀有な俳優である。この映画に銃撃戦は勿論、追走やカーチェイス、暴力シーンも登場しない(ラブシーンも)。無骨な男たちの台詞による緊迫した心理戦、騙し合い、ファン・ジョンミン曰く「マウス・アクション」「シェイクスピア劇」様の展開が繰り広げられる。己の人生を捨て命がけの任務を遂行しようとする工作員 黒金星と、金儲け以外には興味のない楽天的な事業家を完璧に演じ分けるファン・ジョンミンに対し、北朝鮮・対外経済委員会のリ・ミョンウン所長役のイ・ソンミンが、これまた感情を内に秘めた緊迫の演技力で応えている。

映画「工作」のモチーフとなったのは、1997年12月の大統領選挙を控えて、金大中候補を落選させるために当時の安全企画部が主導したとされる「北風工作」事件である。金候補が北側から選挙支援資金を受けたとの噂を流す、さらに北の高官と接触して選挙直前に軍事的アクションを起こすことを依頼する等、いわゆる‘北からの風’を吹かせることで選挙を保守派有利にしようとの企てだ。しかし、結果的には金大中政権が誕生、作戦を主導した安企部海外室長の自らの口から事件は曝露され‘黒金星’の存在も世にあかされることになった。北の核開発の実態を暴くため命がけの工作をし、‘韓国諜報史上最も成功したスパイ’と評価されるも政権が変わるや、今度は作戦中に国の情報を北側に漏洩した罪で逮捕、投獄されてしまう。南北分断の歴史の中で暗躍したスパイの物語ではあるが、彼らも国家や民族の為という大義のもと、政治と権力に利用され翻弄された多くの名もない人間の一人に過ぎないことをこの映画は伝えてくれる。

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「新聞記者」映画評

2019-06-29 18:16:54 | Weblog

巨大組織や公権力による様々な圧力や陰謀、それを暴こうと懸命に奮闘する新聞記者という構図は韓国映画では暫し取り上げられるシナリオである。そこは、お茶の間であれ酒場の一席であれ、政治家や政局の裏話で盛り上がる「韓国人の政治好き?」を思えば必然的かも知れない。一方日本では正面から政権やメディアの問題を取り上げた所謂‘ポリティカル・エンターテインメント’は珍しいだろう。

映画「新聞記者」は、東京新聞社会部 望月衣塑子記者の著書を原案に、実際の事件や官僚と政権の癒着問題を彷彿されるエピソードを盛り込んだオリジナル作品だ。河村光庸プロデューサーによると、映画は「官邸に“不都合な質問”を発し続ける望月記者の「個」が集団に立ち向かう姿にインスパイアされ企画したもの」であるが、「一個人の新聞記者を美化・礼賛する内容ではなく、報道メディアに関わる全ての人たちにエールを送る」意味を込めたとしている。河村プロデューサーからこの作品の監督として依頼された藤井直人監督は、某雑誌のインタビューに答えて「政治的素養もなく関心もない自分には無理」と一度は断るものの最後は「フィクションとして、エンターテインメントとして描く」ことを条件に承諾する。しかし、改めて政治というものに向かい合い、官僚や記者に取材を繰り返す中でフィクションでありながらも、国家権力の闇に迫ろうとする記者・吉岡エリカと、理想に燃え公務員の道を選んだ若手エリート官僚・杉原拓海(松坂桃李)の葛藤と苦悩の政治サスペンスとして完成した。

深層を追い求める女性記者吉岡を演じるのは、9歳でドラマデビューし天才子役として活躍、その後大ヒット映画『サニー永遠の仲間たち』(2011)、『怪しい彼女』(2014)ほか多数の作品に主演し誰もが認める実力派女優 シム・ウンギョン。彼女が演じるエリカは優秀な記者であった日本人の父と韓国人の母のもとアメリカで教育を受け、父親の遺志を心に秘めて日本の新聞社で働く女性記者という設定である。河村プロデューサー曰く、これは「ともすれば内向きになりがちな日本の報道メディアに複眼的な視点を持ち込むため、これは必然的な成り行き」で且つ「複数のアイデンティティと苦悩や葛藤を持つ役柄に言語を超えて表現できるのは彼女以外ない」ことからのキャスティングと述べている。 幼少時から芸能界で過ごし、同世代と比べると多くの人生経験を積んできた彼女だが、活躍によってさらに評価が高まるにつれ、自他ともに感じる期待や無言のプレッシャーもあるだろう。俳優としての幅を広げるために「いろんな国でいろんな経験をしたい」と考え、一時俳優活動を休止し米国留学したことも、そして2年前から日本での演劇、映画活動を始めたのもそんな理由からだ。今ではインタビューも全て日本語でこなす日本語の実力は、複数のルーツを持つ帰国子女という設定を忘れるほどである。

本作品では、権力対個人を描いた韓国の社会派映画によくみられる絶対的な悪役は登場しない。国民はあえて知る必要がないと判断した情報を守り、そのためには手段を択ばない冷徹な杉原の上司・多田智也(田中哲司)でさえ、自分の仕事こそ国家の安定に必要で国益であるという信念を持つ。一方、国民の知る権利を守ることこそ民主主義の根底であり、ジャーナリズムの使命であると考える記者・吉岡。多田と吉岡、国益を選ぶか個人の権利を優先するか、父として家庭の安泰か良心の思う通り行動するかの狭間で苦しむ杉原の姿は、どこにでもいる普通の人間の姿である。「そんな理由で自分を納得させられるんですか?? 私たちこのままでいいんですか??」シム・ウンギョンの厳しい眼差しと心の底から絞り出される言葉を受け、激しく動揺し虚ろな表情をうかべる杉原。その問いは映画を観る私たち自らに向けられていることに気づきハッとさせられる。

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ミュージカル劇 「はだしのゲン」

2019-04-09 10:42:12 | Weblog

ゲンとの再会は何十年ぶりだろうか。自らの被爆体験を基に書き上げた中沢啓二原作の漫画「はだしのゲン」が週刊少年ジャンプで連載がスタートしたのは1972年、私が小学生の頃である。日本は韓国戦争(朝鮮戦争)特需を基に始まった高度経済成長を歩みはじめ、1956年の経済白書に宣言された「もはや戦後ではない」という言葉が国民一人一人まで実感されてきた時代。漫画雑誌も黄金期を迎え、多くの人気漫画が連載されていた。しかし、それら漫画の中で「はだしのゲン」に描かれた広島原爆投下の実態の生々しい描写は、子供の目にもおどろおどろしく、またそんな悲惨な状況下での主人公ゲンのしぶとさと明るさは不思議な対比として鮮明に記憶に残っている。

「ミュージカルはだしのゲン」は、木山事務所プロデューサーの木山潔が原作者の協力のもとに制作され1996年初演、2013年まで日本各地、さらにニューヨーク、モスクワ、ポーランド、韓国など世界で400回以上の公演を重ねた。今回の作品は、木山氏の意志を引き継いだPカンパニーが木島恭氏の脚本・演出のもと今現在の時代背景、様々な状況下で求められたバージョンアップ版「はだしのゲン」と言ってもよいだろう。漫画に描かれた主人公の父 中岡大吉はかなり短気で己の正義感や価値観にてらして間違ったものに対しては、相手が誰であれ立ち向かい、時には暴力もじさないという人物である。一方、劇中の大吉は、同様に徹底した平和反戦主義を貫く頑固ものであるが、優しさと風格を感じる演技に誰かの面影を感じながらみると配役 加藤頼とあり、名優加藤剛さんの次男であった。そしてゲン(中岡元)役の女優(いまむら小穂)の元気な坊主少年としか見えない(失礼!)エネルギ―溢れる演技と、演劇全体に流れる「踏まれても、踏まれても、踏まれるほど大きく育ち、やがて豊かな実をつける麦のように強く生きる」というテーマが悲惨な物語でありながら観るものに勇気と可能性を示してくれる。

強い反戦意識と共に、人種や民族による差別に対しても明確に否定し、子供たちにも周囲の言動に追従しないよう厳しく諭す父 中岡大吉。そんな大吉に対して尊敬の念を持ち、ゲンの母の身重もあり貧窮する中岡一家に食料を届ける朴さん。朴さんは植民地支配下時代、徴用や徴兵という名のもとに連行された朝鮮人の一人である。実際、戦争末期は人的資源の不足が深刻になり日本の国家総動員法も朝鮮半島まで適応され、当初自由募集であった徴用も次第に強制的さをおびるようになる。原爆投下当時、広島、長崎にも多くの朝鮮人労働者とその家族が在住していた。そして数万人が被爆、市内に集中して居住していた彼らは被爆後も頼る知り合いもなく残留放射線の影響を受け続けた。さらに劇中にあるように避難所でも差別の為十分な手当もうけられないケースも多かった。結果的に祖国に帰れぬまま多くが死亡し、2万3千人が漸く韓国に生還するも日本に7千人あまりが残留したとされる。祖国に戻った彼らを待ち受けたのは、放射能汚染に対する周囲の偏見と日本の為に働いたことに対する非難の中で「忘れられた被爆者」として永らく放置されることになる。2016年伊勢志摩サミットへの参加で訪日したオバマ元大統領が広島へ訪問した。

 

現職米大統領として原爆死没者慰霊碑への献花と演説は歴史的な出来事としてまだ記憶

に新しい。しかし、そこからわずか200mの場所にある韓国人原爆犠牲者慰霊碑の存在はあまり知られていない。

超ロングセラーとして1000万部以上発行された漫画「はだしのゲン」の原作者中沢啓二は7年前に肺がんで他界し、最初の「ミュージカルはだしのゲン」のプロデュサー木山潔も後を追うようにその2か月後に同じく肺がんで世を去る。しかし、世代を超えて漫画は読み継がれ、ミュージカルは再びリニューアル上演された。「自分の頭でよう考えろ、何が本当で何が嘘か、自分の目でよく見ろ」ゲンの父は多くの犠牲者に代わって今の私たちに問い続けている。

  

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映画「1987」映画評

2018-12-01 15:59:04 | Weblog

 1987年 ソウル。この映画の中心舞台となる延世大学で留学生活を送っていた私にとっても特別な作品である。他科の学生に比べると真面目で優秀ではあるが、多少個人主義で政治活動や学生運動に対しては関心が低いとみられる医学生中にも講義の合間に集会を開き、軍事独裁の非を訴えデモの参加を呼び掛ける同級生のメンバーがいたことを思い出す。作品中、学生運動を主導するグループがアニメの上映会と銘打って、一般学生を誘い「光州事件」のビデオを見せるシーンが登場するが、確かに私も同級生から前置きなく同じような内容のものを見せられた記憶があった。普段は一緒に酒も飲み、くだらない話や失恋の悩みも面白おかしく話す友人であっただけに、騙されたとは言わないまでも何か気まずい思いを感じた。暫し講義がデモによって中断され、催涙ガスによってひりつく顔を水で洗う日常の中、レポートや試験の準備に忙しく政治どころではないという気持ちもあったが、本音は日本からの留学生ということで、目立つような行動は避けたいという無意識な自己防衛心が働いたのかも知れない。それほど当時の軍事政権による監視圧力は強く感じるものであった。

映画の背景となる80年代、軍事クーデターにより国を掌握し1979年までの18年間、軍事独裁的政権を続けた朴正煕大統領が暗殺で倒れたことで一時、国民の民主化への期待は高まったが、全斗煥保安司令官による戒厳令発令と光州民主化運動の弾圧、そして新たな軍事政権の誕生によりその期待は打ち砕かれた。しかし、知識層、特に理想を求め、ある意味純粋な学生たちから言論の自由、直接選挙による民主主義政権の樹立のための強い熱意やその為の民主化運動は自然の流れでもあり、その中心となったのが「386世代」と言われた「1990年代に年齢が30代、1980年代に大学生活を送り、1960年代に生まれ」の彼らであった。反面、戦後の植民地支配からの独立、6.25戦争(韓国戦争、朝鮮戦争)による南北分断と常に周囲国の中で翻弄されてきた韓半島の歴史では、外交、政治、経済の早急な発展のためにはある程度の独裁政治をやむなしとする意見も皆無ではなかった。特に生活にさほど余裕がない一般の国民からは、親のすねを齧る学生が本分である勉学を怠り、政治運動をすることに批判的な声もあったはずである。それが1987年、ソウル大生 朴鐘哲(パク・チョンチョル)と延世大生 李韓烈(イ・ハニョル)の二人の死により一気に国民全体の闘争に発展し、結果的に大統領直接選挙制を容認させ、韓国民主化実現の大きな分岐点となる。それだけ韓国現代史において非常に大きな出来事であったにも拘らず、政治的配慮からか正面から語られることもなかったテーマの映画化には多くの困難があったことが覗える。映画企画当初はシナリオが外部に漏れないように極秘裏に進められ、具体的な資金援助を持ちかけても当初は多くの企業は尻込みする。しかし、チャン・ジュナン監督曰く、幾つかの奇跡があり作品は完成し、韓国内で動員数700万人を超えるヒットとなり、海外でも次々に上映され高い評価を得ることになる。

映画は、発端となったソウル大生拷問致死事件を中心に展開し、事件に関与した実在の人物たちの心の葛藤も掘り下げることで一個人の視点からこの歴史の一幕を映し出すことに成功している。特にキム・ユンソク演じる拷問致死事件の主導者である治安本部 対共分室のパク所長を単に無慈悲な悪人としてではなく、幼少時の悲惨な体験により反共=愛国主義と頑なに信じた時代の産物として描く一方、権力に屈せず己の職位をかけて法を順守するハ・ジョンウ演ずるチェ検事。善と悪として対峙させる。どちらも国を守り職務を全うする意志と忠実さは相似した人間でありながら全く正反対の行動となる。この映画は無力な個々の力の結集から民主化という大きな変革を成し遂げた勇気と共に、イデオロギーや政治によって人の心が分断されることへの警告がと受け止めるべき作品ではないだろうか。

 

 

 

 

アジアン美容クリニック 院長 、帝京大学医学部、形成外科、美容外科講師 鄭 憲

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「共犯者たち」 「スパイネーション/自白」 映画評

2018-12-01 15:55:49 | Weblog

 中学生ぐらいの頃だろうか、一時漠然と新聞記者になりたいと考えた。きっかけは当時新聞で連載されていたコラムを読み、800字にも満たない文章が伝える世界に何かしら心に伝わる力を感じての事だったと思う。それもそのはず、当時コラム欄を執筆していたのは新聞史上最高のコラムニストと評されながら急逝した深代惇郎記者であった。彼が担当した期間は3年弱の短い期間であったが、コラム「天声人語は「天に声あり、人をして語らしむ」という中国の古典に由来の通り、世の様々な出来事、事象、事件を幅広い教養と知識から分析しつつも決して奢らず、また、何者にも媚びず、あくまで民衆の目線で言葉にした。それ故、鋭い洞察力と洗練された内容ながら文章には温かい血が感じられたのだろう。そんな記事が書けるジャーナリストに憧れた時期があった。

一方、今回日本で上映される2本のドキュメンタリー映画「共犯者たち」「スパイネーション/自白」に登場するのは、権力やそれに迎合するメディアに対する追求や、国家機関によるスパイ捏造事件の真相究明に奔走する「戦うジャーナリスト」たちである。監督は、韓国の公営放送局MBCで様々な不正、腐敗事件を暴き、名物PDとして名をはせた崔承浩(チェ・スンホ)氏。彼は2008年に誕生した李明博政権後、MBCのスクープ番組「PD手帳」での米国牛肉BSE(狂牛病)疑惑報道をはじめ政府に対する批判姿勢を貫く。2010年それまでの社長に代わり李大統領と個人的に近いとされる新しい社長の就任に伴い、様々な制作編成や人事の交代が行われ、それに反発するMBC労組は社長退陣と公営放送の正常化を訴え170日間に及ぶストを行った結果、157名が懲戒を受け崔承浩PDを含め6名が解雇されることになる(2012年)。崔承浩監督は 、朴槿恵大統領が就任する翌年、MBCのみならず、KBS、YTNなどを解雇されたジャーナリストと共に非営利民間団体としてジャーナリズムセンター「ニュース打破」を設立した。権力と資本から独立した自由なメディアとしてSNS上の呼びかけで集まった市民の会費での運営を主とし、その名前はマスコミに溢れるフェイクニュースを「打破」し検証のもと事実を伝えるニュー―スを目指すことから命名されたという。

2作品のうち「共犯者たち」は当時の保守政権下でおこなわれたとされるメディア統制の実態や、それに抵抗する崔承浩監督や同僚、仲間たちの9年間の闘いを編集したドキュメンタリ―である。ここでいう「共犯者」とは権力に追随する側についたメディア関係者を指す。映画内で崔監督が前MBC社長や編集責任者へのアポなし取材やインタビュー場面で暫し使われる「同じ記者出身として!」「言論出身なのに!」という言葉から、その憤りは権力者(=主犯)そのものに対する以上に同業者により強く注がれているのかの如く見てとれる。もう一つの作品「スパイネーション/自白」は、2012年の国家情報院による「北朝鮮スパイ捏造事件」を長期にわたる徹底的な取材をもとに追求し、真相に迫ったものだ。作品の後半で1970年代軍事政権の真っただ中、留学中にスパイ容疑で逮捕、拷問による自白強要で懲役12年の刑を受け心と体に重い障害を残した在日韓国人の金勝孝(キムスンヒョ)さんへのインタビューは痛ましく、悲しい。

全体主義国家によって分割統治された近未来世界の恐怖を描いた小説「1984」の著者で英国のジャーナリストのジョージ・オーウェルは「ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。 それ以外のものは広報にすぎない。」という言葉を残した。誰もが「言論の自由」が大切であるということに疑問を持つことない。しかし、「言論の自由」「報道の自由」は暫し多数派、力のあるもの、権力を持つものに都合が良い場合は容易である。しかし、彼らが報じたくない事柄をどう扱うかでジャーナリストとしての真価と存在意義が問われることをこの作品は示しているのではないか。

 

 

 

 

 

アジアン美容クリニック 院長 、帝京大学医学部、形成外科、美容外科講師 鄭 憲

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映画「焼肉ドラゴン」鑑賞後記

2018-06-09 17:52:21 | Weblog

日本で数々の賞を総なめし、韓国でも非常な好評を博した演劇「焼肉ドラゴン」。残念ながら私自身は2008年初演の以来、2011年、2016年と見逃し続け、次回の上演こそと待ちわびていた矢先の映画化の知らせに正直少し複雑な思いがあった。勿論、大いに期待する半面、果たして演劇ならではの臨場感や一体感が映画のスクリーンでは抽象化、一般化されどこか遠く感じてしまわないだろうかと。しかし映画初監督にも拘わらず鄭義信の手にかかればそんな心配は杞憂であった。

ストーリーの舞台は高度成長期、関西地方の空港そばにあるトタン屋根長屋が連なる一角の小さなホルモン屋。この地域は戦時中 軍用飛行場建設のため多くの朝鮮人労働者が集められ住み着いた場所である。戦後空港は米軍に接収、周囲の地域も国有地として摂取されるはずが、混乱の中で行き場を失った朝鮮の人々が住み着き、そこへまた日本の他の地域だけでなく、朝鮮半島からも同郷の知人や親せきを頼って人が集まり暮らしていた。植民地時代兵隊として徴収され、左腕を失いながらも故郷の済州島に家族と共に帰るべく懸命に働き続けた「焼肉ドラゴン」の店主 金龍吉(キム・ヨンギル)もそんな一人。  一方、龍吉の再婚相手 英順(ヨンスン)も同じ済州島出身で、彼女は所謂「済州島四・三事件 」後 娘一人連れ命からがら日本に渡りこの集落にたどり着く。朝鮮戦争後、反共を掲げてきた韓国では永らくこの事件への言及はタブー視されていたが、2003年廬武鉉大統領就任後、初めて国として島民に謝罪するとともに、真相解明、数万人といわれる犠牲者の名誉回復を宣言された。韓国映画「jiseul(チスル)」はこの事件を題材に描かれた作品で、2013年にサンダンス映画祭(米国 ユタ州)で韓国映画として初めてワールドシネマグランプリを受賞している。 そして今年の4月3日、文在寅大統領は追悼記念式に出席し改めて盧大統領の意思を引き継ぐことを誓う演説を行っている。在日一世の歴史的背景、そして店主夫婦のように何故様々な困難と闘いながらも異国の地にしがみつき生きざるを得なかったかを理解するうえでは忘れていけない歴史である。

映画は大阪万博開催の直前の1969年、金家の長男 時生(ときお)が‘嫌いだった’町の細い路地―子供らの笑い声と泣き声とわめき声、おっちゃんやおばちゃんが怒鳴りあう声が朝から晩まで騒がしい―を通り実家「焼肉ドラゴン」帰ってくるところから始まる。鄭義信監督が演劇の戯曲を執筆する最中、昭和の時代考証として多少意識したという邦画「Always 三丁目の夕日」にも感じる懐かしさの匂い。しかし「焼肉ドラゴン」の味付けはより力強く、うるさく、にぎやかで、楽しく、愛おしく、哀しい、まさに噛み応えのあるホルモンで、韓国ドラマや映画に出てくる人間たちの激しさ、熱さともどこか異なりものである。物語は一家の長女(真木ようこ)その幼馴染 哲男(大泉洋)、次女(井上真央)との三角関係、三女(桜庭ななみ)の不倫、長男 時生(大江晋平)のいじめ問題を中心に展開していく。ベテラン、若手の出演者一人々の息づかいを感じる演技は、まさに目の前で舞台を見ている錯覚に陥る。出演者がアボジ、オモニを中心に真の家族になって行く過程は、オモニ英順役のイ・ジョンウン、そして特に映画化にあたって鄭義信監督が店主 龍吉役はこの人しかいないとオファーした韓国の名脇役 キム・サンホの存在は大きい。彼の日本語による静かで長い昔語りは、演技力云々より龍吉の生き様を言葉に移し替えた心の呟きである。

この作品を「在日」というジャンルで括られることは監督も望んでいないはずだ。大切な人がいれば苦しくても、悲しくても「明日はきっとえぇ日になる」と信じる「究極の家族愛と希望」の物語である。鄭義信監督が日韓どちらでもない‘棄民’と表現するある在日一家の話が、両国で高い評価をうけ、感動を与えるのはその為だろう。

 

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