美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

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映画「焼肉ドラゴン」鑑賞後記

2018-06-09 17:52:21 | Weblog

日本で数々の賞を総なめし、韓国でも非常な好評を博した演劇「焼肉ドラゴン」。残念ながら私自身は2008年初演の以来、2011年、2016年と見逃し続け、次回の上演こそと待ちわびていた矢先の映画化の知らせに正直少し複雑な思いがあった。勿論、大いに期待する半面、果たして演劇ならではの臨場感や一体感が映画のスクリーンでは抽象化、一般化されどこか遠く感じてしまわないだろうかと。しかし映画初監督にも拘わらず鄭義信の手にかかればそんな心配は杞憂であった。

ストーリーの舞台は高度成長期、関西地方の空港そばにあるトタン屋根長屋が連なる一角の小さなホルモン屋。この地域は戦時中 軍用飛行場建設のため多くの朝鮮人労働者が集められ住み着いた場所である。戦後空港は米軍に接収、周囲の地域も国有地として摂取されるはずが、混乱の中で行き場を失った朝鮮の人々が住み着き、そこへまた日本の他の地域だけでなく、朝鮮半島からも同郷の知人や親せきを頼って人が集まり暮らしていた。植民地時代兵隊として徴収され、左腕を失いながらも故郷の済州島に家族と共に帰るべく懸命に働き続けた「焼肉ドラゴン」の店主 金龍吉(キム・ヨンギル)もそんな一人。  一方、龍吉の再婚相手 英順(ヨンスン)も同じ済州島出身で、彼女は所謂「済州島四・三事件 」後 娘一人連れ命からがら日本に渡りこの集落にたどり着く。朝鮮戦争後、反共を掲げてきた韓国では永らくこの事件への言及はタブー視されていたが、2003年廬武鉉大統領就任後、初めて国として島民に謝罪するとともに、真相解明、数万人といわれる犠牲者の名誉回復を宣言された。韓国映画「jiseul(チスル)」はこの事件を題材に描かれた作品で、2013年にサンダンス映画祭(米国 ユタ州)で韓国映画として初めてワールドシネマグランプリを受賞している。 そして今年の4月3日、文在寅大統領は追悼記念式に出席し改めて盧大統領の意思を引き継ぐことを誓う演説を行っている。在日一世の歴史的背景、そして店主夫婦のように何故様々な困難と闘いながらも異国の地にしがみつき生きざるを得なかったかを理解するうえでは忘れていけない歴史である。

映画は大阪万博開催の直前の1969年、金家の長男 時生(ときお)が‘嫌いだった’町の細い路地―子供らの笑い声と泣き声とわめき声、おっちゃんやおばちゃんが怒鳴りあう声が朝から晩まで騒がしい―を通り実家「焼肉ドラゴン」帰ってくるところから始まる。鄭義信監督が演劇の戯曲を執筆する最中、昭和の時代考証として多少意識したという邦画「Always 三丁目の夕日」にも感じる懐かしさの匂い。しかし「焼肉ドラゴン」の味付けはより力強く、うるさく、にぎやかで、楽しく、愛おしく、哀しい、まさに噛み応えのあるホルモンで、韓国ドラマや映画に出てくる人間たちの激しさ、熱さともどこか異なりものである。物語は一家の長女(真木ようこ)その幼馴染 哲男(大泉洋)、次女(井上真央)との三角関係、三女(桜庭ななみ)の不倫、長男 時生(大江晋平)のいじめ問題を中心に展開していく。ベテラン、若手の出演者一人々の息づかいを感じる演技は、まさに目の前で舞台を見ている錯覚に陥る。出演者がアボジ、オモニを中心に真の家族になって行く過程は、オモニ英順役のイ・ジョンウン、そして特に映画化にあたって鄭義信監督が店主 龍吉役はこの人しかいないとオファーした韓国の名脇役 キム・サンホの存在は大きい。彼の日本語による静かで長い昔語りは、演技力云々より龍吉の生き様を言葉に移し替えた心の呟きである。

この作品を「在日」というジャンルで括られることは監督も望んでいないはずだ。大切な人がいれば苦しくても、悲しくても「明日はきっとえぇ日になる」と信じる「究極の家族愛と希望」の物語である。鄭義信監督が日韓どちらでもない‘棄民’と表現するある在日一家の話が、両国で高い評価をうけ、感動を与えるのはその為だろう。

 

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統一の遺伝子

2018-05-24 18:07:47 | Weblog

未来の医療を語るときのキーワードと言えば、遺伝子治療と再生医学でしょうか。「うちの子は誰に似たのかしら?」多分どの家庭でもよくされるこの会話、時に夫婦げんかの種にもなりますが・・・とりあえず「遺伝子」について少し整理してみます。

1865年メンデルはエンドウ豆の交配により親から子へ形質(姿、形、性質)の伝わり方に関する重要な法則を発見しました(メンデルの法則)。しかし、実際に形質を伝える物質が何であるかは謎のままでした。1900年代に入り、バッタの生殖細胞の核内にある棒状のものが遺伝を伝える素=遺伝子ではないかと考え、細胞を色素で染めたときによく染まるところから染色体と名付けられました。やがて遺伝子はDNA(デオキシリボ核酸)という糖とリン酸、4種類の塩基からなることが分かりました(1944年 アベリーの実験)。そして1953年、皆さんも一度は名前を耳にしたことがあるでしょうが、ワトソンとクリックによりDNAは二重らせん構造である事が明らかにされ、これにより分子レベルでの遺伝子研究が一気に加速することになりました。

1980年代になり遺伝子に関する詳細な研究が進むにつれて、いずれ人間は生命の設計図を手に入れることができるのではないかと科学者は考えます。1990年、アメリカ政府が3000億円の予算をたてて立ち上げたのがいわゆる「ヒトゲノム計画」です。ゲノム(genome)とは、遺伝子(gene)と染色体(chromosome)の合成語で、或る生物が持つ全ての遺伝情報を意味します。2003年にはヒトの全塩基配列を決定され、ヒトの遺伝子数は約2万2000個、対になる塩基数は約30億塩基ということが判明しました。当時のアメリカ大統領ビル・クリントンは「人類はこれまで作ったものの中で、最も価値のある地図」と自画自賛しました。しかし、実はこれは本当の解明の始まりに過ぎませんでした。

遺伝子の情報は、結局のところ生物の体を構成するタンパク質を構成するための暗号であり、ヒトのタンパク質の種類は5万から10万種類と考えられていますが、遺伝子数が2万余りなら、足りません。また全塩基対の98%がタンパク質合成暗号として意味をもっていない等、不明のままです。世界中の科学者、研究機関が莫大な費用をかけてやっとスタートラインに立てたという感じでしょうか。

一方10年以上の歳月と3000億円余りかかった人間一人のゲノム配置決定も、今では1週間ほど、費用も100万円で可能になり、今後はさらに身近になるでしょう。それに伴い、個々の遺伝子検査に基づいたオーダーメイド医療時代の幕開けと期待されます。現在遺伝子治療、ゲノム編集技術に関する特許数でアメリカが圧倒していますが、韓国もフランス、中国、ドイツに次ぎ第5位と健闘、それに伴い韓国国会でも癌など特定の疾病に制限されていた遺伝子治療研究をすべての病気に拡大する法案が推進されています。反面、やや怪しげな民間レベルでの遺伝子診断も横行しており、先述したようにまだまだ霧の中を手探りで進んでいる現実であることを理解する必要があるでしょう。

いずれにしても、将来本当の意味ですべての遺伝子情報そして、それによって合成されるタンパク質の種類や役割が解明されたなら、その人間の外観、体質、性格、未来の病気、寿命まで予想できる日が来るのでしょうか?オックスフォード大学をはじめ、最新の研究で遺伝子絶対説にかわりエピジェネティクス(epigenetics 後成遺伝学)が注目を集めています。これは遺伝子の作用はヒトが生きているあいだ常に変化しうる、そしてDNA配列はそのままでも、変化した作用、影響は次世代に伝わるというものです。つまり一定の遺伝子を持っていても環境やある刺激により遺伝子の持つ形質が発現するか、どう作用するかが決まり、その特徴や結果的に起きた変化は子供や子孫に伝わるという事実です。まさに遺伝子に運命づけられているのではなく「未来は変えられる」ということす。国をひとつの生命体と考えれば、そこに住む1人一人が遺伝子であり、戦争、平和、そして民族統一という変化も運命ではなく、様々な行動や意識によって選択できるものなのだと例えられるかも知れません。

 

 

 

 

アジアン美容クリニック 院長 、帝京大学医学部、形成外科、美容外科講師 鄭 憲

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弱い人工知能(AI)と強い人間

2018-04-09 13:31:16 | Weblog

ここ数年はマスコミやネット上に人口知能(AI)という言葉が登場しない日はないかも知れません。そのAIへの関心をに一気に集めるきっかけになった大きな出来事として2016年3月、囲碁の世界では最強の一人と目される韓国の李 世ドル(イ・セドル)棋士とGoogleが開発したゲームAI「AlphaGO」の対戦がありました。対局前の大方の予想は李 世ドル其士優勢であったのが、結果は4勝1敗でAlphaGOの勝利、人工知能が囲碁という高度な頭脳ゲームにおいて人間を打ち負かしたことは世界を驚かせました。遡る事20年ほど前、1997年に当時チェスの世界チャンピオンであり天才といわれたカスパロフに初めてIBMのコンピューター「DEEP BLUE」が勝った時以上の衝撃です。この時は、スーパーコンピューターの計算ミスによる誤手が、逆にまぐれ勝利を導いたとも評価もありましたが、AIと対局した李世ドル其士は「AlphaGOはほぼ完璧なゲームをした。一度も自分がリードしたと感じなかった。」とも言わしめました。

人工知能という言葉は、1956年にアメリカのダートマス大学で行われた研究者の会議において使われたのが最初だと言われています。その後、コンピューターの計算能力は画期的に進歩しましたが、知識やデータの処理が速い機械という範疇を超えるまでには至らないレベルでしたが、2000年代になって人間の脳神経回路を模索して考案された「ニューラルネットワーク」と「ディープラーニング」という自ら対象の特徴を見つけて学習する技術を取り入れたことで「知能」つまり、「知識や経験を基に思考し判断を下す力」をつけ始めたと言われています。この二つの基本技術は、コンピューター処理性能の飛躍的向上とインターネット網の広がりによるビッグデータの蓄積で、或る条件下では既に人間を凌駕するものです。

世界で最も早く高齢化、人口減少の道を突き進む日本はもちろん、それ以上のスピードで少子化が深刻な韓国でも、減少する労働人口を補うためには様々仕事の現場にAIは導入されていくでしょう。人手不足を補い、業務を助けるテクノロジーとしての期待する半面、人間を追い払い、とって代わる脅威になるのではという不安を持つ人もいるでしょう。医師の中でもそれは同じです。「AIを用いた診療支援を必要とするか?」というアンケートに半分以上が有効だと回答する一方、AIの得意分野とされる画像診断や情報をもとに可能性の高い疾病を分析してピックアップする作業から始まり将来的には医師の役割が代置され縮小していくのではないかとの声も聞かれます。これは医療に限らず、ほぼすべての業種そして人間の存在そのものを脅かすのではないか、かつてSF映画や小説で描かれた世界を想像してしまいそうですね。

AIと共存する社会を考えるとき哲学者ジョン・サールが提唱した「弱いAI」と「強いAI」という分類が参考になるのではないかと考えます。ここで言う弱い、強いはAI の処理能力や有用性を意味するものではなく、「物事の意味を理解し自ら思考する知能」を持つかどうかです。与えられた条件下のゲームで莫大な計算能力を発揮して人間のチャンピオンに勝利したとしてもそれは「弱いAI」の範疇であり、一方役に立たなかったとしても自ら思考し何らかの答えを導けたならば「強いAI」と判断されます。まだ、本当の意味での「強いAI」は実現していませんし、「真の知性」を持つAIの実現は不可能だとする研究者もいます。AlphaGOも実は囲碁のルールも意味も理解してはいないのです。 対局後、李世ドル其士は「古い考え方に疑問を持ち、これから学ぶことが増えた。」とコメントしました。その言葉の中に「強い人間」の可能性と、AIと共存するヒントがあるような気がします。

 

 アジアン美容クリニック 院長 、帝京大学医学部、形成外科、美容外科講師 鄭 憲

 

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さまざまな美容情報が溢れる中で・・・黒い肌が白くなるとうたう石鹸のネット広告をみて

2018-03-06 11:53:58 | Weblog

 先日 患者さんから洗うだけで肌が白くなり、シミやしわが消える石鹸の広告に関して質問されました。

その商品を紹介しているサイトを見てみると確かに洗うだけで漂白効果?があるとうたっています。説明にはメラニン濃度が35%以上の肌(この表現も意味不明ですが・・・)にだけ反応し、シミ、くすみを洗い流し、白い肌になれるとあります。さらにパリコレ常連のトップモデルであるという黒人女性が使用し白い肌になったというコメントと共に、女性の手の甲部分の写真が掲載されていました。明らかに皮膚の一部のメラニン細胞が何らかの原因で減少、消失してしまい皮膚の色が白く抜けてしまう病気である白斑症(一般的に‘しろなまず’と言われるもの)の写真です。先天性、遺伝性のものと後天性の白斑症あり、後天性では、ストレス、薬剤、化学物質、自己免疫疾患、感染症など様々な原因があり、年に9万人以上報告され決して少ないものではありません。また、治療法も状態や原因によって選択されますが、まだ完全ではなく悩んでいる人が多いのも事実です。それだけに、このような広告に利用されることは決して許されるものではないでしょう。

もちろん、少しでも医学的知識があればこのようなニセ情報に惑わされることはないでしょうが、今回の美白石鹸?に限らず、いかにも最新の研究成果であるように思わせる表現は巧みです。医学用語っぽい単語を並べ、外国や国内の研究機関名をちらつかせ信じさせようとします。また、有名人や海外のセレブが使っているとか、匿名の体験談を載せる、また情報源のはっきりしない統計結果やグラフ、アンケートなどをそれらしく説明しているのも多いようです。特にシミ、ニキビ、しわ、薄毛、ダイエット、健康サプリメントなど関心が高い悩みで、手軽さやお小遣いで何とかかえるネット販売は、そのようなニセ美容医学のターゲットになりやすいかもしれません。

モノの真偽を見極めることはどんな分野でも簡単ではありませんが、少なくても痩せる、細くなる、毛が生える、白くなる、しわが無くなる等々、簡単に体や皮膚が変化することは医学的に容易い変化ではないのです。簡単に、飲むだけで、塗るだけでそれが可能になる化粧品や栄養剤、サプリメントは存在しないと考えて間違いありません。

 

 アジアン美容クリニック 院長  帝京大学医学部  形成外科  美容外科講師 鄭 憲

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平昌オリンピックから思うこと

2018-03-06 11:37:15 | Weblog

 

先月 17日間にわたる寒くて熱い平昌オリンピックが終了しました。(引き続き平昌パラリンピックが3月9日より開催され、こちらも同様多く関心が集まることを期待します。)今回の大会は2010年、2104年の冬季オリンピック招致選で、いずれも1回目の投票で先頭に立ちながら2回目の投票で逆転負けという悔しい経験からの3度目の正直、それも1回目の投票で過去最高の得票を獲得した悲願の大会です。

しかし招致が決定してからも決して平坦な道のりではありませんでした。その後国内外での政情不安、大会数カ月前をひかえた段階で囁かれた施設準備の遅延や気候を危惧する声、チケット販売率の不振、さらに直前には急遽決まった北朝鮮選手団や関係者の参加や、それに異議を唱える様々な声。「厳しい寒さと劣悪な環境のもとでも、それぞれの役割を黙々とこなし忍耐と笑顔を忘れることのなかった皆さんの尊い犠牲的精神によって平昌オリンピックは成功することができました。」韓国オリンピック協会組織委員長が閉会式で運営に関わった1600人余りのボランティアへの言葉には、社交辞令ではない率直な感謝と大会を無事に終えられた安堵の気持ちがこもっていたと思います。

オリンピックといえば、1894年のアテネ大会から始まった近代オリンピックと古代ギリシャにおいて紀元前776年から(紀元後)394年まで行われた古代オリンピックに分けられます。紀元前当時のギリシャには多数の都市国家が存在し、常に戦争が絶えない状態でした。そんな古代ギリシャ社会において、オリンピックは全能の神ゼウスに捧げる神事として各国代表が名誉と神のご加護をかけて全力を尽くし競うものでした。当時の種目は、単、長距離走、幅跳び、やり投げ、円盤投げなどの陸上競技に、レスリング、拳闘などの格闘技、それに4頭立ての馬車競争などで、参加者は男子に限られ、競技中は原則 裸体で日焼け止めのオイルは許されたようです。(平昌の開幕式、閉会式で登場したトンガの選手は、実は古代オリンピックの正装に最も近かったことになりますね。)それが理由ではないでしょうが、残念ながら女性は参加はもちろん、観戦もできなかったようです。大会は当時から4年に1度開かれ、神聖なものとして期間中は何をおいても参加が義務づけられ、国家間の戦争中でさえ「聖なる休戦」として戦士も武器を捨てオリンピックにはせ参じたといいます。古代オリンピックは様々な戦乱を乗り越え293回まで途切れることなく1168年間受け継がれました。まさに平和の祭典と呼ばれる所以です。

一方近代オリンピックの始まりは、最後の古代オリンピック開催から1500年余り後、フランスの教育者ピエール・ド・グーベルタン男爵の人間教育に対する「身体性」の必要を訴え、1894年パリの国際会議においてその理念が掲げられると共に、古代にならい4年に1度の国際的なスポーツ大会を行うことが決定しました。第1回大会は2年後のアテネ大会で、冬季オリンピックはこれに遅れること28年、1924年フランスのシャモニー・モンブランから始まります。

古代オリンピック同様「平和の祭典」としての意義は変わりませんが、近代オリンピックは122年の歴史の中、第一次、第二次大戦の影響下で3度中断されています。同一神を信仰する古代ギリシャ地域で続いた古代オリンピックと異なり、現代の複雑な国際情勢の中世界の国々が参加する近代オリンピックの抱える難しさもあるでしょう。また参加国の増加とともに、大会規模も拡大していくなかで主催国の費用的な負担は年々重くなっています。かつての東京やソウルのように国がさらなる発展のきっかけとして主催した時期も過去のもの、年々立候補地も減少しています。本来の理念や意義が形骸化し、商業主義、政治利用など否定的な意見も聞かれる現実もある意味やむを得ないかも知れません。

そんな現状での平昌大会も直前まで開催に対する賛否の声は少なくありませんでした。しかし、スピードスケート女子500メートル決勝後に抱き合ってお互いをたたえ合った韓日の選手の笑顔と涙、少なからず冷たい視線がある中で同じ目標の為戦った南北の選手の別れの涙は、ほんの僅かな数滴ですが、一瞬でも世俗の汚れを溶かす洗浄剤のように私には感じました。

 

アジアン美容クリニック 院長 帝京大学医学部  形成外科  美容外科講師 鄭 憲

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科学の貢献

2016-01-21 14:48:51 | Weblog

今年のノーベル医学賞は、南米やアフリカ、アジアなどの地域でのマラリアや寄生虫感染症の薬剤発見、開発に寄与した3名に贈られました。残念ながら韓国の研究者は含まれていませんが、2名は中国、日本の学者であり、この分野での東アジアの貢献度高さが示されたことは誇らくあります。近年では先進諸国を中心に、高齢化に伴い罹患者も増加してきた癌、アルツハイマーや肥満、高血圧、糖尿病などに関係する治療薬、そして次世代の医療と見做される再生医学や遺伝子治療に注目が集まりがちです。大手製薬会社が研究開発費を投じるにあたって得られる利益を考えると当然の方向かも知れません。しかし、南米、アフリカ、南アジアでの5歳未満児の死亡率は圧倒的に高く、原因の40%以上が細菌、寄生虫によるものです。また、戦後 日本人、韓国人の平均寿命が急激に伸びに影響を与えた要因をあげるとしたら栄養の改善とともに医学分野ならば感染症対策でしょう。

 受賞者の一人、中国中医学院の屠ユウユウ研究員は東晋時代の古代薬学書『肘後備急方』からヒントを得、青蒿(セイコウ:和名 クソニンジンArtemisia annua)というキク科の薬草から分離された成分アルテミシニンがマラリアに有効である事を発見しました。マラリアはWHOをはじめ国際社会が取り組むべき三大感染症対策の一つに挙げられ、今でも年間 患者数は2億5千万、死亡者はおよそ80万人にのぼります。屠氏は中国本土出身で海外留学の経験もなく、中国文化大革命のさなか徒手空拳で研究を続けてきました。さらに

アルテミシニンは西洋医学ではなく、「伝統薬から開発された医薬品としては、20世紀後半における最大の業績」と称えられだけに、今回の栄誉にたいする中国での反響は当然です。一方、米国ドリュー大学のウィリアム・キャンベル博士と北里大学の大村智・特別栄誉教授は寄生虫に対する抗生物質「エバーメクチン」を発見した功績で受賞しました。この薬は重症化すると失明を引き起こすオンコセルカ感染症やリンパ系フィラリア症(象皮症)の予防に劇的な効果を発揮し、「アフリカを中心に2億人を失明から救った」といわれます。異色の研究者という意味では、大村教授も中国の屠氏に引けを取りません。山梨大学自然科学科の学生時代はスキー・クロスカントリーに打ち込み、「県内に敵なし」というほどの腕前で国体にも出場、卒業後は教師を志し教員採用試験を受け定時制高校で化学と体育を教えます。定時制ということで同年代の生徒相手の授業がうまく進められず、「学び直す」必要を感じ大学院に入ったのが研究者としてのスタートだと述べています。

 その後、紆余曲折を経て米国留学した大村教授が、米国化学会の大物教授に認められた理由は「研究だけではなく学生の指導ができた」為でした。また。スキー選手時代に「レベルの高い環境に身を置く大切さ。人まねはしないで努力を重ねることの重要さを学んだ」と述べています。異色の経歴はけっして無駄ではなかったようです。

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デモ世代

2015-11-19 11:16:45 | Weblog

 「マイクを持って先頭を歩く人に合わせ、まるでお祭りのように皆が声を上げながら進んでいました!ちょっと不思議な光景でした!」先日クリニックの若い女性職員が遭遇したのは、どうも安保法案採決に対する抗議デモの一団だったようです。デモ活動自体は民主主義の国ならば普通に見られる光景です。ドイツではベルリンだけでも一日平均8つのデモ集会が開かれ、フランスではそれこそ日常茶飯事といってもよい程、連日いたる所でデモやストライキが行われます。さすが「フランス革命」成された地ですが、民主主義とは常に個人の権利を守るべく主張することという理念が徹底しているのでしょう。一方、日本ではメーデーなどの定期的な集会を除いては普段デモを目にすることもなく、自分とは関係ないもの、そして参加者に対しては特別な一部の人々という認識があります。当院の職員が感じた違和感も日本ではごく当然のものかも知れません。

 うって変わって隣の韓国はアジアの中でデモが最も盛んな国です。最近は労働組合や政府の政策への抗議デモが主ですが、地域の再開発反対、女性地位向上、その他個人的な主張を掲げた小規模なもの、中にはプラカードを持って立っているだけの一人デモまで様々です。韓国でこれほどデモが民衆の中に根付いているのは、近代の韓国史はそのまま民主化運動の歴史とも言えるからです。1960年3月に行われた大統領選挙の不正に反発した学生や市民による4月19日の大規模デモにより李承晩大統領が下野した4.19革命から、その後1980年代軍事独裁政権打倒を叫んで繰り広げられる民主化デモは、その時代を創り上げ象徴するものでした。私が留学していた時期もまさに80年代、デモが日常の世界でした。大学のキャンパス内で自然と起きるデモ集会とそれを制圧しようとする機動隊(戦闘警察)、そして普段は隠れていてもデモが起きると皮の手袋を嵌めて学生を追い回し、時には殴打するジャプセと呼ばれる人間たち。私のような留学生もあまりの横暴には憤慨するものの、生まれて初めて味わう催涙弾になすすべもなく逃げ回るしかありませんでした。韓国社会の現実が未だに多くの問題は抱えているとしても、一人一人の行動がなければ何も変わらないことは過去から学んだ教訓でしょう。

 今回国会前で開かれた数万人規模のデモの様子は世界のメディアでも広く取り上げられました。特に英国BBCは無関心、無気力と普段批判されている日本の若者の行動に驚きをもって伝えています。韓国の例に限らず、小さな行動が大きな力に成り得ること、そして

えてして若い世代から始まることは歴史が示す通りです。

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長寿(チャンス)商会

2015-10-06 18:22:04 | Weblog

「若さは若者に与えるにはもったいない」とは風刺家として知られるアイルランド出身のノーベル文学賞作家のバーナード・ショーの言葉です。多くの若者は青春という掛け替えのない瞬間を、短慮と経験不足から無駄に浪費している事にたいしての皮肉と、経験は十分でも、情熱や体力、純真さを失った老人たちの若さへの嫉妬心が込められています。しかし、人生の後半になってもう一度10代をやり直せといわれたら、是非!と答えるか、少し躊躇するかは人それぞれでしょう。

70歳になって、青春の1ページを彩る‘初恋’を経験できたら・・・韓国映画「チャンス商会」は、そんな淡い恋と家族の愛情、そして韓国に限らず高齢化が進む今の社会が抱える現実をテーマにした物語です。主人公のキム・ソンチル爺さんは、長年チャンススーパーで働く頑固者店員。地域の再開発計画が進む中、チャンス商会の社長をはじめ、地元の住民の説得にも一人首を振らずに古い一軒家で一人暮らしを続けてきました。ある日迎えの家に花屋を開業した女主人(イム・グンニム)が娘、孫と共に引っ越してきます。何かと気にかけ心遣いをしてくれるグンニムにいつしか惹かれるようになるソンチル爺さんは、社長や周囲の人々から恋の手ほどきを受け初デート。徐々に二人の距離は近づいていきますが、やがて隠された真実があきらかになります。登場人物は皆心優しく、最後のどんでん返し?はあっても若干出来すぎ感は否めませんが、そこは「シュリ」「ブラザーフッド」、そしてオダギリジョー、チャン・ドンゴン共演で話題となった「マイウェイ 1200キロの真実」など数々の話題作を手掛けたカン・ジェギュ監督の手腕と老年カップルを演じるパク・クニョン、ユン・ヨジョンをはじめ、韓国俳優陣の演技力で最後まで持って行かれました。(恥ずかしながら鬼の目に涙・・)しかし、韓国社会の現実、未来は決して感動的とは言えません。国連の資料から2050年に予測される超高齢化国として、日本次いで2位、さらに世界の高齢者の生活環境を調査しているNPO機関「ヘルプエイジ・インターナショナル」による「高齢者が住みやすい国ランキング」ではアジア諸国の中では最下位、全体96か国中60位とかなり厳しい結果でした。

この映画「チャンス商会」の別題は「Salut d'Amour(愛の挨拶)」。イギリスの作曲家エルガーの楽曲にも同名のものがありますが、関連はわかりません。ただ無名時代のエルガーが周囲の反対を押し切って、年齢の差、宗教の違い、陸軍少将の娘という身分違いの女性アリスとの婚約記念に贈った曲として知られています。愛があれば年齢やその他の障害も乗り越えられるという意味が込められた題名かと勝手に想像してみました。

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社会と会社

2015-10-06 18:21:16 | Weblog

日本語で社会という言葉をひっくり返すと会社。日常的に頻繁に使う用語ですが、改めて考えると双子の関係のように伺えます。明治8年(1875年)に「東京日日新聞」で「ソサイエチー(society)」にルビ付きで「社會」という語を使用したことで訳語として定着しましたが、社会という言葉自体はそれ以前、中国の「近思録(1176年)」の中でも見られます。中国の村落では「社」は土地神を「会」は土地神を祭る集会を意味し、土地ごとに祭りの為に開かれる集まりを「社會」と称していました。一方「会社」という表現は、江戸後期の蘭学者が、騎士団や学校を意味する単語の訳として登場しますが、companyの訳語としては福沢諭吉の著書「西洋事情」が最初です。勿論、近代化の直前で植民地となった韓国では「社会」「会社」のまま用語として受け入れましたが、中国では現代の意味での「社会」は、日本から逆輸入されましたが、「会社」は中国では「公司(コンス)」。微妙なニュアンスの違いがあったようです。

 世界史の中で登場する会社といえば、まず思いつくのが「東インド会社」です。ここで言うところの「インド」は、ヨーロッパ地中海沿岸地方以外の地域を指し、東インドをアジア地域、西インドはアメリカ大陸を指すことから、植民地支配を基とした商業政策を目的にイギリス、オランダ、デンマーク、フランスが運営した会社です。中でも1602年にオランダで設立されたオランダ東インド会社(連合東インド会社)は、オランダ連邦議会の決議によって誕生した世界最初の株式会社といわれます。会社はジャワ島のジャカルタに本拠を置き、国家から東インド地域での独占的な貿易権とともに、植民地での立法権、徴税権、通貨の発行権、裁判権、さらには条約の締結権から戦争の遂行権まで認められていました。最盛期には約40隻の戦艦、約150隻の商船、約1万人の軍隊を擁し、現代の株式会社の印象とは相当かけ離れたもので、貿易も行えば行政や戦争も代行する、いわば植民地に根を下ろしたもう一つの国家とも考えられます。そして貿易や植民地からの徴税による莫大な利益は、国家への上納金や株主への配当金として還元され、株主には年間約20%、多いときは50%の配当が支払われたようです。英語のCompanyは、ラテン語の compāniōn で、ともに(com)パン(panis)を食べること(ion)という意味から来ているとされますが、当時はパンどころか植民地のすべてを食い尽くす存在でした。

 世界最初の株式会社はオランダですが、世界最古の会社といわれる企業が日本にあります。神社仏閣建築の設計、施行を手掛ける株式会社金剛組(こんごうぐみ)の初代は、聖徳太子の命を受け百済の国から招かれた3人の工匠のうちのひとり、金剛重光です。工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わり、その後も日本に留まり代々寺を守り続けました。古今東西、社会も異なるように会社も様々です。

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文学の力

2015-09-25 11:35:58 | Weblog

お笑いコンビ ピースの又吉さんが文芸誌デビュー作「花火」で見事芥川賞を受賞しました。 ご存じ芥川賞は、1935年より直木三十五賞とともに創設され、純文学分野の新人に対して与えられる文学賞として最も名誉あるものでしょう。今回の受賞は、お笑い芸人出身初の快挙というだけではなく、純文学作品としては受賞前から異例の60万部以上のベストセラー作品が芥川候補となり且つ受賞した珍しいケースです。報道によると既に120万部を超える勢いで、購入者も通常多くない10代、20代の若い世代に多く、長く出版不況に喘いでいた業界にとっては待ち望んでいた救世主と言えるかも知れません。

‘読書離れ’といえば、昨年行われた文化庁の調査によると、マンガや雑誌を除く1カ月の読書量は、「1、2冊」と回答したのが34・5%、「3、4冊」は10・9%、「5、6冊」は3・4%、「7冊以上」が3・6%だったのに対し、「一冊も読まない」との回答が最も多く、47・5%に上っています。3年前の調査に比べても「読まない」のポイントは増加しており、年代別では高齢者ほどその割合は高く、必ずしも若者だけの活字離れとは言えないようです。勿論、インターネットの普及とともに、読書数の減少は世界共通の傾向ではあります。韓国出版研究所の調査では、韓国人の一カ月平均読書量は1.5~1.8冊で日本と同様の結果で、やはり4人に一人は一冊も読まないと回答しています。ただ日本以上にネット依存度が高い韓国では今後さらに減少する可能性は高いだけに、国内の読者だけではなく海外でも広く読まれる本、作家の登場が出版社や文学を志す人にとっては切望されるところです。しかし出版の世界ではK-popや韓流ドラマが日本を発端に世界中に浸透したことに比べると真逆といってよい現状です。ここ数年、韓国で出版される日本の翻訳書が年間800冊以上なのに対し、日本で紹介される韓国の本は20冊程度です。この出版格差がそのまま両国の文学力の差を反映するものではありませんが、存在を知られなければ魅力が伝わるわけもありません。より遅れる前に韓国も文学の韓流普及にも目を向ける必要があるでしょう。

韓国で直木、芥川賞に該当する文学賞を挙げるなら、東仁文学賞や李箱文学賞でしょうか。先日読み始めた本は、2009年にこの李箱文学賞を受賞したキム・ヨンス氏の「世界の果て、彼女」(新しい韓国の文学シリーズ10、株式会社クオンCUON)です。あとがきで著者はこう書いています。「僕たちは多くの場合他者を誤解している。僕たちは努力しなければ互いを理解できない。そして他社の為に努力するという行為そのものが、人生を生きるに値ものにしてくれる。」

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