美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

「ボストン 1947」映画評

2024-09-02 16:38:40 | Weblog

今年はパリで夏季オリンピックが開催された。地理的にも、その背景を考えても決して遠くないウクライナ、そしてパレスチナ地区では連日戦闘による破壊、殺害が続く真只中の大会である。実際、よく謳われる「政治理念、宗教、民族を超えたスポーツによる平和の祭典」という大義名分を言葉通り素直に受け止められない現実がある。戦後で言えば、共産圏で初めて開催された80年のモスクワ大会は、前年のソ連のアフガニスタン侵攻に抗議したアメリカの呼びかけでイギリス、フランス、西ドイツ、イタリア、日本などがボイコットを決めた。最終的には中国も含め60ヵ国が参加せず、81ヵ国での開催となる。そして次の84年ロサンゼルス大会は、報復としてソ連及び東欧諸国が参加をボイコット。まさにスポーツが東西対立の道具とされた。勿論戦前も何度か戦争で開催を断念した事もある上、オリンピックを政治的プロパガンダに利用した大会として暫し挙げられるのが36年のベルリン大会だ。ヒトラー率いるナチス政権は、人種差別、軍国主義の特性を隠蔽し、平和的で寛容なイメージを外国にアピールした。古代オリンピックの開催地ギリシアから聖火をリレーで運ぶ儀式もこの時からで、ドイツ民族が文化面でも正当な継承者であることを象徴し、ドイツの若者をナチ党に惹きつける意図があった。

それとは別にベルリンオリンピックは、日本の植民地統治下での大会として韓国では特別な意味を持つ。この大会のマラソン競技に日本代表として孫基禎(ソン・キジョン)、南昇龍(ナム・スンニョン)の二人の青年が参加し、見事金、銅メダルを獲得した。特に、孫基禎は前年の明治神宮大会で世界記録を出したのに続き、オリンピック最高記録での優勝であった。しかし、このとき2人の若者は、表彰台で日章旗が上げられるのを直視できず、君が代を聞きながらうつむくしかなかった。特に民族意識が強かった孫基禎は、外国人からサインを求められると名前に加えて「KOREA」記し警察から監視に対象になる。勿論、朝鮮国内では彼らを民族の英雄として称え、朝鮮の新聞「東亜日報」に胸の日の丸を塗りつぶした写真が掲載された。

今回の作品は、あまり知られていない孫基禎のオリンピック後の指導者として軌跡、そして彼の教え子である徐潤福(ソ・ユンボク)の成長とボストンマラソンでの快挙を描いた映画である。あらすじは、1945年、韓国が日本から解放された後、荒れた生活を送っていたソン・ギジョン(ハ・ジョンウ)の前に、ベルリンで共に走り銅メダルを獲得したナム・スンニョン(ぺ・ソンウ)が現れ、“第2のソン・ギジョン”と期待される若手選手ソ・ユンボク(イム・シワン)をボストンマラソンに出場させようと声をかける。祖国は独立してもベルリンのメダルは日本人のまま記録されていた。止まった時間を動かし、祖国への想いと名誉を取り戻すためレースに挑むソンと選手たちは様々な困難に挑んだ。韓国映画を世界に知らしめた作品と言っても過言ではない「シュリ」(99)や観客動員1000万を超えた大ヒット作「ブラザーフッド」(04)で名声を不動のものにしたカン・ジェギュ監督。「実話としてどうアプローチしようかと悩み、フィクションを最小化して、実際の話を忠実に盛り込んだ」本作品は観るものに臨場感と感動を呼ぶ。

歴代オリンピック男子マラソン競技では、92年バルセロナ大会で韓国の黄永祚(ファン・ヨンジョ)選手が再び金メダルを獲得した。一方、公式記録上は‘日本人’の金メダリストは唯一、孫基禎ただ一人。彼は、オリンピック後、明治大学に留学するが、陸上より知名度を利用され、朝鮮人の学徒志願兵募集の演説に駆り出される。抑圧された思いを背負いながらも、スポーツを通した平和の実現、とりわけ日本と韓国の関係改善に心を砕いていたと、横浜市に住む長男の孫正寅(ソン・ジョンイン)氏は語る。オリンピアン、それもゴールドメダリストのプライドだろう。

 

 

 


映画「ソウルの春」 評

2024-08-06 10:30:54 | Weblog

 

過去のある地点で起きた出来事を、記録や伝承をもとに後世の誰かが断片を繋ぎあわせ編集したものが歴史として残る。それ故、その時代の価値観や評価により、焦点が当てられる人物がいる反面、影のように隠れ忘れ去られる人々もいる。韓国の近代史は、植民地支配からの独立、その後は政治、経済的に国としての有り体を創るべくもがき続けた道のりであった。特に軍事独裁体制から民主化への過程は、最初に学生達が声を上げ、やがて一般の国民自らが立ち上がり、多くの犠牲の上に成し得たとの自負を持っている。南北の内戦終了後の韓国で1961年の軍事クーデターで権力を掌握し、長く軍事独裁政権を続けてきた朴正煕大統領が1979年10月26日に側近の大韓民国中央情報部(KCIA)部長の手により暗殺される。予期せぬ事件で朴大統領が斃れたことで、民主化への期待が国民の間で高まるも、同年12月12日、国軍保安司令官全斗煥(ジョン・ドゥファン)少将と第九師団長の盧泰愚少将を中心とする軍内秘密組織「ハナ会(ハナフェ)」による粛軍クーデターが発生(12.12軍事反乱)。軍の実権はハナフェによって掌握、翌年5月17日による「5・17非常戒厳令拡大措置」とその直後の「5.18光州民主化運動」(光州事件)を経て、全斗煥大統領のもと新たな軍事政権が誕生した。

今回紹介する作品「ソウルの春」は、チェコスロバキアでドゥプチェク共産党第一書記による民主化改革への期待が1968年8月深夜、ソ連による軍事侵攻とその後の占領で打ち砕かれた出来事「プラハの春」から連想された題名である。スト―リーは、12.12軍事反乱をモチーフに、実名は変えているものの、資料や証言をもとに当時の軍部内の動きからクーデターに至るまでの緊迫した状況、その中で蠢き、そして巻き込まれていく人間たちの葛藤や不安、恐怖を中心に描かれていく。現時点で韓国を代表する俳優と言ってもよい二人が対照的な人物を熱演した。権力に固執した悪の象徴、チョン・ドゥグァン国軍保安司令官役にはファン・ジョンミン、一方、圧倒的不利な状況の中、自らの信念に基づきハナフェと反逆者チョン・ドゥグァンの暴走を阻止しようと立ち上がる首都警備司令官イ・テシン役にはチョン・ウソン。そして、二大スターと映画「アシュラ(2016)」以来のタッグを組んだのが名匠キム・ソンス監督。「私は歴史家ではない。十分に調査して資料を得たぶん、面白さを追求しつつも、私が言おうとしているテーマや実際にあった事件の骨組みから抜け出さないという2つの原則を守った。」その言葉通り、ドキュメンタリー調ながら、善と悪を象徴する二人の主人公を対決させることで至高のエンターテイメントとして成功した。本作が2023年韓国で上映されるや、『パラサイト 半地下の家族』などを上回る1,300万人以上の観客動員を記録し、歴代級のメガヒットとなる。

チョン・ウソンが演じたイ・テシン司令官のモデルも存在する。張泰琓(チャン・テワン)という人物である。当時、陸軍少将であったが、陸軍士官学校出身ではなく、ハナフェとも距離を置く存在であり、かつ実直で部下からの信頼も厚かったと言われる。私の義父は元将校だが、まだ若き時節、他の部下たちと一緒に彼の自宅を訪れる機会があったらしい。軍人として既にそれなりの階級であったと思われるが、贅沢品は見当たらず、配給された古い靴を磨いて履くような、堅実で質素な生活をしていたとの話を聞いた。クーデター後、張将軍は拘束され、自宅軟禁の処分を受ける。彼の父親は「忠臣の家族は謀反者の下で生きていけない」と断食し翌年死去。ソウル大学に通っていた息子も、その2年後に祖父の墓前で命を絶っている。冒頭で歴史には光と影の役割があると書いたが、張泰琓(チャン・テワン)と言う人物も時代の中で、懸命に己の使命を果たそうとしつつ飲み込まれていった一人であろうか。


「THE MOON」映画評

2024-07-09 13:21:25 | Weblog

 

 

‘’Space...the  final frontier‘’ (宇宙...それは最後のフロンティア)。 昔、テレビドラマ「スタートレック」冒頭の語りは今も耳に残っている。SFの世界は別として、誰しも一度は宇宙という存在に想いを馳せたことはあるだろう。私も小学校のころ、宇宙の果ては?果てがあるならその先は?と考えはじめて眠れなくなった夜を何度か経験した。古代の人々にとって、空、宇宙から得られるものは、星を眺め神話やおとぎ話を創造する以上に、月や星の位置、変化から、年月、季節や気候、現在位置を予想し知り、生きるために必要な情報をそこから得る事が出来た。韓国でも、慶尚北道慶州に新羅の善徳女王(632~647年)治世下に建造され、東洋最古の天文台と称される「瞻星台」を始め、天体への興味は、高麗時代の「書雲観」、朝鮮時代の「観象監」などの王立の天文、気象観測所に受け継がれていった。特に、訓民正音(ハングル)の創製で知られる朝鮮第四代王、世宗によりまとめられた『世宗実録地理誌』の記録にあった ‘さそり座で起きた新星現象’ は、最近米国の研究チームによって新星周期の新事実として英科学誌『ネイチャー』で発表され、再評価を受けるほど正確に記述されていたことが判明している。しかし、その後朝鮮は大国に翻弄され、独立後も六二五戦争(朝鮮戦争)を経て、天空に目を向ける余裕は全く無い空白期間を向かえる。それが1957年ソ連(ロシア)、続いて翌年アメリカが人工衛星を打ち上げた事で、世界中が再び宇宙への関心を強める事がきっかけとなり、韓国も宇宙先進国には遅れるも1989年韓国航空宇宙研究院(KARI)を発足、宇宙開発スタートに立った。1997、98年に観測型ロケットを打ち上げたのち、ロシアの技術協力を受けて衛星搭載型ロケット 羅老(ナロ)号を開発、2013年3度目にして衛星を軌道に乗せることに成功した。そして2022年6月、独自開発した後継機ヌリ号により、世界7番目に人口衛星の軌道投入に成功した国となる。今年5月、尹大統領は月、さらには火星に到達が可能な独自のロケットの開発、2032年に資源採掘を実施する計画などを盛り込んだ「宇宙経済ロードマップ」を発表し、韓国航空宇宙庁(Korea AeroSpace Administration、KASA)を発足させた。

今回の作品「THE MOON」は、このロードマップ実現を目指して、2029年 3人のクルーを乗せた有人宇宙船ウリ号が、月面有人探査を目指して挑む科学アドベンチャー大作である。背景では国家間の軋轢⁈で宇宙連合から除外された韓国が、単独で月の膨大な地下資源の獲得を目的に月面調査に挑む。しかし、月周回軌道への進入を目前にしながら太陽風の影響で通信トラブルが発生し、修理中の事故によりクルーの命が失われる。唯一残された新人宇宙飛行士ソヌ(ド・ギョンス)を生還させるため、5年前の有人ロケット爆発事故の責任を取り組織を去った当時の責任者ジェグク(ソル・ギョング)が宇宙センターへ呼び戻され指揮を執る。NASAの月周回有人拠点の統括ディレクターであり、ジェグクの元妻であるムニョン(キム・ヒエ)も協力する中、困難なミッションは果たして・・・ 特殊効果、VFX技術でいまやハリウッド映画の全く遜色ない映像に、韓国らしい人間、家族ドラマをしっかり加えた見ごたえある映画となった。

作品内で、月を目指す目的は「人類1万年分のエネルギー資源獲得」と説明している。確かに、それが可能になれば莫大な費用と様々なリスクを賭ける価値があるかも知れない。アポロ計画による有人月面着陸の目的は、米ソ連戦時代に有人宇宙飛行で明らかに後れを取っていたアメリカの起死回生の目標であった。国家予算の4%(今の価値なら約38兆円?)を投入した国を挙げたプロジェクトは、その後55年間どの国も目指すことはなかった。しかし今再び、各国が月への有人飛行を計画している。世界中で起きている様々な紛争、貧困、気候変動によるが自然災害が日々報道されるなか、子供時代からのの夢や好奇心だけでなく、その技術が地球上の問題解決にどう活かされるかも気になるところだ。


「ちゃわんやのはなし 4百年の旅人」映画評

2024-05-23 15:29:24 | Weblog

日本統一を果たした豊臣秀吉が、明国の征服を目指して朝鮮に侵攻した文禄・慶長の役(壬辰倭乱 イムジンウェラン)は1592年に始まり休戦と交渉を挟むが、秀吉の死去で撤退する1598年まで続いた。日本軍延べ30万人以上を動員した戦乱は、16世紀において世界最大規模の侵略戦争であったとされる。当然ながら、朝鮮国土や国民の被害は甚大で、戦死者は当時の朝鮮人口の20~25%(100万~150万)と言われる。そして5~10万人規模の朝鮮人が捕虜として連行され、その中には様々な分野の技術者、学者も多く含また。その他は奴隷として売買され、日本から東南アジア、インド、欧州にまで売られていった。実は救援軍として参戦した明国にも多くの朝鮮人子女が連れ去られている。結果、朝鮮はその後長い間、国の荒廃、人口減少で苦しみ、復興に100年を要することになる。

今回の作品「ちゃわんやのはなし 4百年の旅人」は、この時日本に連れてこられた陶工たちの物語である。戦国時代、特に秀吉が利休を重用して以降、茶の湯は豊臣政権の政治の場として利用される。それ故、時によって茶器は一国に代わるほどの価値を持つようになり、褒賞として大名に、また逆に大名からの政権への貢物として扱われるようになる。その為か、朝鮮に出兵した西国大名たちは連れてきた陶工たちに領内に窯を築かせ、陶器や磁器を焼かせた。彼らの中で与えられた地で土を探し、陶工技術を磨き独自の陶器を創り上げ、代々伝承し続けて今に伝える人々がいる。この映画に登場する「沈壽官家」はその代表的存在だ。両班の沈氏一族は、もともとは慶長の役当時、交通・防衛の要衝として明・朝鮮軍が構えた全羅北道の南原(ナムォン)城にて王子の守護をしていた。 やがて10万の日本軍の猛攻を受けて壊滅、多くの戦いの中でも最も悲惨を極めたと言われる被害を出した。一族も奮闘むなしく島津の軍に捉えられ、遂には捕虜となる。藩主 義弘が当初より文化の中心でもあった南原城内で陶磁工を探していたのではないかと司馬遼太郎は文中で推測している。名門の出身ながら異国に連行された初代 沈当吉以降、薩摩の地で祖国を偲びながら、その技術を活きる糧として生きる。江戸時代、薩摩藩主であった島津家は朝鮮人技術者達を手厚くもてなし、士分を与え、門を構え、塀をめぐらす事を許すかわりに、その姓を変えることを禁じ、また言葉や習俗も朝鮮のそれを維持する様に命じた。そして、沈家は一度も養子を迎えることなく、また不思議にも代々息子は一人のみ、薩摩藩焼物製造細工人としての家系をたどり400年、現在15代沈壽官氏に至る。

中学に上がったぐらいの頃か、自宅に白磁、青磁らしき置物にあった焼 沈壽官」の名を知ったのは、司馬遼太郎の短編「故郷忘じ難く候」を読んだことから。この作品は、故14代沈壽官が「己は何者なのか?」と問い続けた少年期から青年期の葛藤を経て、薩摩焼伝承者として生きる覚悟を描いた物語である。彼は名工と呼ばれ高い評価を受けるが、真の己の使命は次の世代に継承させることにあると悟る。在日二世として日本社会で生きるとは、国籍や姓名だけでなく周囲とは異なる存在であるとの認識は持っても、アイデンティティと言えるものは曖昧な当時の自分には、400年遡って朝鮮の姓と陶工としての使命と技術を受け継ぎながら、生粋の日本人として生きる沈家の生き様に何故だか羨ましさを感じた記憶がある。

日本に連行された多数の運命とは逆に、部下と共に朝鮮軍降伏し、その後武功を立てて金忠善として生きた‘沙也加’に関しても司馬は記している(街道をゆく 韓のくに紀行)。彼の子孫は、韓国大邱市郊外の友鹿里(ウロンニ)で英雄の子孫として暮らす。我々が存在する理由は、過去に遡れば知ることができるだろう。しかし、個々の立場によって受け継つぐべきものと、変えるものがあり、それを決めるのは現在の自分である。

 

 


映画「リバウンド」評

2024-04-22 17:24:38 | Weblog

日本では、多くの学生が、中学、高校進学と同時に何かしらの部活動を始めるのが普通で、その うち半分以上が運動部を選択する。逆に、どの部にも所属しない少数派は何部かと聞かれて自嘲気味に「帰宅部」などと答えるが、周囲からもあまり良いイメージは持たれない。一方、韓国は中高で本格的にスポーツに取り組むのは一部の「スポーツエリート」を目指す学生で、彼らの目的はスポーツ枠での大学進学や、その先にある進路の為だ。両国ともに人気のスポーツである野球部やサッカー部がある高校は、日本では4000校以上だが、韓国は60校余り。いくら人口が三分の一であるとは言え、その差は歴然である。
野球に関しては、明治維新後には米国から日本に伝わり、戦前よりプロチームが活動しており、歴史的にも実力面でも日本が先行するのは当然である。しかし、一個のボールさえあればどんな環境でもできる為、‘貧者のスポーツ’とも言われるサッカーは、体格的優位さもあってか六二五戦争(朝鮮戦争)後の混乱期から1990年初めくらいまで韓国が圧倒していた。しかし近年はそのサッカーでもやや日本の後塵を拝しており、韓国ファンは心穏やかではない。Jリーグがスタートし、環境面やサポートが充実してきたことが大きな要因だが、選手の育成面で考えると少数精鋭方式の韓国と、多くが青少年期からスポーツに触れてきた日本との違いを指摘する専門家もいる。
スポーツ(sports)の語源はラテン語のデポルターレ(deportare)で、移す、転換するを意味し、乗馬や狩猟で貴族がストレス解消をしたことが始まりとの説だ。それ故、体を動かすことでの肉体的、精神的な健康を目指すのがスポーツ本来の意義である。一方、私のような怠け者も観戦するだけでも、気分転換になり、時に感動を受けるのもスポーツの一面であり、不思議な魅力である。
今回紹介する作品「リバウンド」は、廃部寸前であった地方の高校バスケットボール部が成し遂げた実話を基にした青春感動物語である。2012年、交代選手もいない僅か6名の選手で全国大会に出場した釜山(プサン)中央高校バスケットボール部の快進撃が、韓国全土に衝撃と旋風を巻き起こした。部員も集まらず、存続も危ういバスケットボール部のコーチに就任したのは、学生時代に全国大会でMVPにまで選ばれるも、選手としては大成できなかったカン・ヤンヒョン(アン・ジェホン)。スランプで自信を失った元スター選手チョン-ギボム(イ・シニョン)、天才と言われながら家庭の事情で怪我した足の手術を受けられずバスケットを辞めざるを得なかったべ・ギュヒョク(チョン・ジヌン)など、才能や熱い想いを持ちながら様々な理由でバスケットを諦めかけた若者をスカウトし目標に邁進していく。CGに頼らず、リアルさと躍動感を追求したチャン・ハンジュン監督は、400人を超えるオーディションからキャストたちに、バスケットのトレーニング受けさせ撮影に臨んだ。選手役の俳優たちの動きが、まるで目の前で実況中継を観ているような迫力と臨場感はその為だろう。
各国が政策としてスポーツを奨励するのは、国民の健康と文化的生活推進が基本である。一方オリンピックのような国際大会への出場は、国威発揚という目的としての意義は小さくない。1936年のナチス政権下のプロパガンダに利用されたベルリン大会は極端な例としても、アジアでは64年の東京大会、88年のソウル大会はまさに国を挙げたアピールの場であった。戦後復興の証しを求め、国民は熱狂し応援の拍手も送った。しかし、冷静に分析すると、オリンピックのメダル獲得に必要な国の予算や負担は意外とコストパフォーマンスが悪いというデータもある。この映画で監督は、国や誰かの為ではなく、ゴールに入らず跳ね返った‘リバウンド’ボールを懸命に奪い、何度も繰り返しチャレンジする姿にこそ、スポーツとその先にある若者の未来があると伝えている。


「アリランラプソディ」 映画評

2024-02-20 14:26:59 | Weblog

 

韓国内だけでなく、朝鮮半島全域で老若男女問わず、謡われ、愛されてきた民謡と言えば「アリラン」をおいて他にない。2012年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に「民謡アリラン」として登録されたが、3大アリランといわれる江原道の旌善(チョンソン)アリラン、全羅道珍島(チンド)に伝わる珍島アリラン、慶尚道の密陽(ミリャン)アリランをはじめ、国内だけで50種、韓半島全体では100種、歌詞は3000通りあるとされる。共通するのは、謡の前後に入る「アリラン アリラン アラリヨ~」のフレーズと心の奥に響く旋律だ。様々な地域で人々に、口伝によって永く歌い継がれたアリランだが、アリラン百説というように、その起源や「アリラン」という単語の語源も古代語、人名、地名、嘆き言葉など諸説があり定まったものはない。近年、私たちがよく耳にするメロディーと、「アリラン、アリラン、アラリヨ、アリラン峠を越えていく 私を捨てていく愛しい人は 十里も行かずに足が痛む」という内容の歌詞は、日本の植民地下の1926年に上映された映画「アリラン」(監督・脚本・主演 羅雲奎)主題歌として制作されたものである。映画は大ヒットし、歌も多くの人々に定着した。朝鮮半島の長い歴史の中で、侵略や戦争で土地を追われ、時に山を越え、海を渡った同胞たちの中でも「アリラン」は謡われた。「アリラン峠」は実在しないが、彼らにとっては、不安と期待の中で超えざるを得なかった心の峠であった。

 今回紹介する「アリランラプソディ―海を越えたハルモニたち」は、戦前より多くの在日コリアンが住み着いた神奈川県川崎市桜本地区で暮らすハルモニたちにフォーカスをあて、優しい視線で根気よく、彼女らの日常や想いをカメラに収めたドキュメンタリー作品だ。監督は桜本を二十年以上撮影してきた在日二世の金聖雄(キムソンウン)監督(60)。金監督自身は大阪鶴橋出身で6人きょうだいの末っ子。母親は韓国・済州島出身で日本に渡り、日本語の読み書きも出来ないながら婦人服の卸をして子供ら育て上げた。彼女が77歳で亡くなった年、同世代の桜本のハルモニたちと出会うことで、自分が母の人生に関して何も知らなかった事に気づく。そんな思いで桜本ハルモニたちを記録した作品「花はんめ」(2004年公開)が監督デビュー作となった。その後も監督はハルモニたちを訪ね、カメラに収め続ける。彼女らのしわが年輪のように深く刻まれて行く様に、ハルモニたちが経験した過去を歴史として残さなければという想いも強くなる。ハルモニたちも、そんな監督と接しながら、辛すぎて忘れようとしていた記憶を少しずつ語り始める。彼女らが在日コリアンに対するヘイトスピーチへの抗議や戦争反対を訴えるデモに参加するのも、心の奥に閉じ込めていた苦しい経験が突き動かした行動かも知れない。完成した映画を鑑賞したハルモニたちの笑顔をみて、「心から映画を作ってよかった。」と話す金監督、「映画とは?監督としては失格かもしれないが、作家性や芸術性などどうでもよい。」という言葉の裏には、ハルモニたち同様、困難の時代を生きた母親や在日の人々の歴史を残すことが、この映画の意義であり使命であるというメッセージかも知れない。

脳科学の研究が進むことで、記憶と共に忘却のメカニズムもわかってきた。人間が戦争や災害など悲惨な体験をした場合、悪い記憶として心に刻まれる。普段は考えまいとしても、ふとしたきっかけに思い出され、不安や恐怖、悲しみがフラッシュバックされトラウマとなる。研究では無理に忘れようとするより、リラックスした環境で信頼できる人に体験を話すことが、記憶の安静化、トラウマの改善に繋がるという。戦争前後にハルモニたちが受けた様々な体験の記憶も、それに寄り添い話を聞くことで、彼女ら自身の心を癒すのは勿論、国の記録ではなく、実際に存在した個人の記憶として残せるのではないか。


「コンクリート ユートピア」映画評

2023-12-23 14:50:44 | Weblog

 

 

中高年の方なら1990年代に起きた日本のバブル崩壊を記憶しているだろう。1985年9月、先進5カ国による「プラザ合意」がなされ急激な円高ドル安が進んだ。それまで順調だった日本経済は不況に陥り、日本政府は公共事業拡大と低金利政策を実行する。結果、企業・個人にお金が余り、やがて余ったお金は株式投資や不動産投資に回され、いわゆるバブル景気が生まれる。それが、1989年の金融政策転換と1990年の総量規制の実施で一気に資金がストップ。当然地価は暴落した。バブル絶頂期には「広大なアメリカ全土より狭い日本の地価総額が高い。」さらには、「東京を売ればアメリカが買える。」というほら話までまことしやかに囁かれた。とにかく、その時まで狭い日本の土地価格は上がり続ける「不動産神話」が存在した。一方、韓国はというと、昨年から地価は多少頭打ち傾向にはあるが、韓国人の不動産への期待感はまだ根強いものがある。特に首都圏のアパート(日本で言えばマンション)への投資、執着は衰えない。「漢江の奇跡」と称される1960年代後半から始まるソウルを中心とした目覚ましい経済発展は、急激な人口増加を伴い、深刻な住宅不足を招く。多くの人口を限られた土地で吸収する為、ソウル市は勿論、近郊の新都市にも数多くのアパート群が建設された。特に江南(カンナム)地域などソウル中心部のアパートに住むことは韓国人の憧れであり、ステイタスの証明だ。それゆえ、不動産=アパートという形で価格も上がり続け韓国の「不動産不敗神話」が生まれた。経済的な余裕のない若者が一か八か「魂(ヨンホン)もかき集めて(クロモアッタ)」資金を集め命がけの投資をする「ヨンクル族」と呼ばれる人々の存在と、その悲劇も伝えられる。今回紹介する映画「コンクリート ユートピア」も、韓国でのそんなマンション事情も理解して観て頂きたい。

本作品はトロント国際映画祭で「パラサイト 半地下の家族」に続く傑作との評価を受け、第96回アカデミー賞国際長編映画賞の韓国代表作品にも選出された話題作である。ストーリーは、世界を襲った未曾有の大災害により一瞬で廃墟と化したソウル市内で唯一崩落しなかったマンションが舞台。周囲の生存者たちは、冬の寒さ、飢えをしのぐため、このマンション押しかけ、様々な人間で溢れかえる。無法地帯となったマンションでは不法侵入による殺傷、放火事件が発生し、危機を感じた住民たちは主導者を立て、居住者以外を追放し、住民のためのルールを作ってマンション居住者だけの“ユートピア”を目指す。その為の指導者として住民代表となったのは、902号室のヨンタク(イ・ビョンホン)。職業不明で冴えないその男は、権力者として君臨したことで次第に狂気を露わにする。そんなヨンタクに傾倒していくミンソン(パク・ソジュン)と不信感を抱くミンソンの妻ミョンファ(パク・ボヨン)。異常な状況下で住民はより閉鎖的になり、ヨンタクは支配力をエスカレートさせていく。やがて、思いもよらない争いが勃発し、ヨンタクの本当の正体が明らかに・・・。サバイバルパニック大作であると共に、人間の本性を問うサスペンスとして見ごたえのある作品となった。

身体的には他の獰猛な動物に劣る人類が、過酷な環境で生き残るため、家族を中心とした共同生活を始め、さらに集まり集落、部族、国家を形成して行く。その結果、より有利な生活圏を守るべく、外部の人間や集団との境界線を作り、そこをめぐり争いが生まれた。 太古から、高度の知識や科学を享受する今現在まで、歴史上紛争や戦争が絶えたことはない。「ユートピア(utopia)」は、16世紀の思想家トーマス・モアの著作で登場する理想郷だが、ギリシア語では「素晴らしいが、決して存在しない場所」を意味する。 理想郷どころか争いがない世界自体も「存在しないユートピア」であるとは考えたくないが・・・


「極限境界線 救出までの18日間」 映画評

2023-10-26 12:50:30 | Weblog

 

 

アフガニスタンという国を私たちはどのくらい知っているだろうか。人口約4千万、国土は日本の1.8倍と言えば、決して小国ではない。しかし、中央アジアと南アジアの交差点に位置する地理的要因もあってか、古くはアレキサンダー大王のマケドニア王国、チンギスハンのモンゴル帝国など、強大な周囲諸国の支配や影響を受け現代に至るまで不安定な国政と貧困に喘いでいる。18世紀以降は部族間で王が交代する首長国として存在するも、19世紀に入ると中央アジアを巡る英露の覇権争い、いわゆる‘グレートゲーム’の抗争地として保護国という曖昧な立場に。1926年イギリスから正式にアフガニスタ王国として独立するが、第二次大戦下再び諸外国の影響下で混乱する。戦後冷戦の中、クーデターにより共和制となるが、当時の軍事政権はソ連の支援のもとイスラム教徒を弾圧したことから、再び内乱となりソ連の侵攻が始まる。聖戦(ジハード)の名のもと、イスラム教徒達が立ち上がりソ連との10年に及ぶ戦闘を繰り広げ、撤退に追い込んだ。その中心となったのが、タリバン(神学生たち)などの宗教派閥の集団である。当時は冷戦下でソ連に対抗すべく、彼らに対して欧米や西側諸国も様々な支援を行った。シルベスター・スタローン主演の「ランボー3 怒りのアフガン(1988)」は、まさにランボーがイスラム戦士と一緒に、悪のソ連兵を完膚なきまで叩きのめし撤退させるハリウッド的な勧善懲悪ものだった。しかし、彼らタリバンがアフガニスタンを実行支配した現在は、今度はアメリカにとって脅威となっているのが現実である。ソ連の撤退後もタリバンを中心とする全体主義的な政権下でも内乱は続き、2001年アメリカ軍が侵攻し彼らは一時的には政権から排除され暫定政府が樹立する。この時、アメリカの要請で韓国政府も医療支援、海空輸送支援団、建設工兵支援団として部隊を派遣した。映画の題材となった、2007年の韓国人23名の拉致事件もこの様な背景の中で起きた出来事である。

 今回の作品「極限境界線 救出までの18日間(原題 交渉)」は、この拉致事件に関わった交渉人の苦悩と命がけの行動を中心に描いた物語だ。外交や国益よりも人質の安全と救出を最優先に考える交渉人にキャスティングされたのは、今最も旬の二人、ファン・ジョンミンとヒョンビン。それだけでも映画への期待度は高まるが、実際 韓国では上映と同時にNo1ヒットを記録した。あらすじは、アフガニスタンの砂漠で韓国人キリスト教徒23名がタリバンに拉致され、駐屯中の韓国軍の撤退と現政権に収監されているタリバン戦士の釈放を要求してきた。人質殺害までのタイムリミットは24時間。急遽韓国政府は外交部のチョン・ジェホ(ファン・ジョンミン)室長を現地に送り対応させる。テロには一切屈しないと明言するアフガニスタン外交通商部は囚人の釈放には応じない。また韓国政府も米軍との足並みを崩すことは出来ないことから、韓国軍の撤退は困難であると伝える。一方、国家情報院でパキスタンで活動していたパク・デシク(ヒョンビン)工作員も、独自のルートを使って人質解放の道を探っていた。二人は異なる価値観や手段用いて解決を図ろうと対立もするが、人命救出への熱意から協力して立ち向かう。しかし万策尽きようとした彼らは、最後に命懸けの賭けに出るが・・・。緊迫の駆け引きと展開に加え、見ごたえのあるアクション満載の大作である。

 実際に事件が起きた当時、人質なったキリスト教徒たちが政府の中止要請にも応じず危険地域へ渡航し、かつ異なる信仰を持つ国への短期布教目的であったことから、彼らへの批判もあった。今回に限らず同様のケースで身代金や外交的譲歩等の国の対応に対し、個人の「自己責任論」として問題視する声も巻き起こる。「外交部の最重要使命の一つが国民を守ることではないか」と主人公が外交部長菅にあえて反論させた意図は、この様な論調への一つの意見であろう。

 


「コンフィデンシャル 国際共助捜査」映画評

2023-09-21 17:47:19 | Weblog

 2020年より始まったいわゆる‘第4次韓流ブーム’は、コロナ禍で外出の機会が減り、自然と動画配信サービスの需要が高まったことが大きな原因であった。その時人気を二分した韓国ドラマが「愛の不時着」と「梨泰院クラス」。若者を中心に男女問わず高い評価を受けたサクセスストーリー「梨泰院クラス」は、その後日本でも「六本木クラス」としてリメイクされた。一方、北朝鮮のエリート将校と韓国財閥の娘のラブストーリー「愛の不時着」は、日本は勿論、世界のどの国であっても再現は不可能だろう。
大戦後の東西冷戦を起因とした分断国家のうちベトナムは76年、ドイツとイエメンは90年に統一した。唯一現在も分断状態であるのが韓国と北朝鮮である(中国と台湾を分断国家と定義すべきか異論はあるが)。この現実は歴史上の悲劇であり今も多くのの問題を抱えている反面、文学、演劇そしてドラマや映画などエンターテインメント分野の題材としては数多く取り上げられてきた。しかし、その描き方は時代や政治背景により異なっている。南北の関係をテーマにした作品が登場し始めたのは、韓国戦争(六二五戦争、朝鮮戦争1950~53)の傷跡が未だ癒えていない50年代後半からである。そして60年代から70年代は軍事政権下の反共法もあって、北朝鮮を好意的、同情的に描くことが許されず、無条件悪く描かなければ「容共」と見なされた。厳しい検閲による画一的な表現が変化してきたのは、
80年代の民主化運動を経験した60年生まれの「386世代」が映画界に台頭してからである。カン・ジェギュン監督による「シュリ」(1999)や「ブラザーフッド」(2004)、パク・チャヌク監督の「JSA」(2000)など、金大中政権で検閲が廃止され抑圧されてきた様々な物語が噴き出してきた。
 その後、韓国映画は世界進出を目指すなかで、海外で広く受け入れられる娯楽性を強め、ファンタジーの要素を多く取り入れた作品が増えていった。今回紹介する「コンフィデンシャル 国際共助捜査」も、前作「コンフィデンシャル 共助」(2017)の続編として制作された痛快アクション大作である。ドラマ「愛の不時着」で寡黙だが、命がけで愛する女性を守り抜く北朝鮮将校を演じたヒョンビンが、ここでも実直で屈強な北朝鮮特殊捜査員(少佐)役として登場する。映画のストーリーは、北朝鮮の特殊捜査員リム・チョルリョン(ヒョンビン)が、北から逃亡した国際犯罪組織のリーダーの逮捕と消えた 10 億ドル奪還の任務を受け再びやってくる。北朝鮮側の捜査協力要請に対して、捜査の失敗により左遷されていた南の破天荒なベテラン刑事カン・ジンテ(ユ・へジン)は、現場復帰をかけ相棒役を志願する。 こうして2 人は前作に続いて 2 度目のタッグを組む。今回の注目は、チョルリョンに恋するジンテの義妹ミニョン(イム・ユリ)との再会とて恋の行方は?さらに、米国からも犯人を追って訪韓するイケメンFBI 捜査官のジャック(ダニエル・ヘニー)の登場で奇妙な三角関係の成立?と、さらにアクションだけでなく、韓流美男美女の共演もスケールアップし、男女ともに楽しめる。
 韓国ドラマや映画では暫し、娯楽作品であっても社会に存在する現状や問題、権力者の横暴、腐敗などを描き、それを乗り越えていく主人公に視聴者はカタルシスを感じる。そして
南北分断は歴史的にも、国の根本的なあり方や、国際政治その他の面でも最も根本的なテーマである。反面、分断から70年以上過ぎ、韓国の人々にとって現況への一種の慣れと、現実の受け入れが進み、切実な統一への希望は希薄になっている。映画で北朝鮮の登場人物を魅力的な才能の持ち主や、スーパーマンのように描くのは、何とか人々の関心を繋ぎ止めようとする意図もあるのではと勝手に想像もする。先日のニュースは、北朝鮮内のコメントで韓国に対して’南朝鮮‘ではなく‘大韓民国’との表現を使用したことが伝えられた。もはや別々の国であるという意味であろうか。現時点では、北朝鮮こそ韓国にとって最も近くて遠い国になっているのかも知れない。


狎鷗亭(アックジョン)スターダム 映画評

2023-09-05 17:58:28 | Weblog

 

2000年代初め、‘冬ソナ’や‘チャングムの誓い‘などのドラマ放送をきっかけに‘第一次韓流ブーム’が巻き起こった。それに伴い韓国文化、社会に対する関心も集まるなかで、韓国の美容外科の現状が興味本位で伝えられた結果、「美容整形大国」いう表現がメディアで使われ始めた。この言葉の裏側には、それまで普通の日本人の感覚=所謂「親からもらった体にメスを入れる」行為への抵抗感もあり、少なからず否定的な意味合いも含まれていたと思う。しかし、あらためて考えると日本以上に儒教が社会規範や価値観に強い影響を持った韓国で、なぜ美容外科が広く受け入れられたのだろうか? 

韓国では子供の頃、しいては出産直後から、容姿や外見を評価される。親戚を含め周囲から男女限らず、この子は美男だ、美女だ、あるいはその逆も歯に衣を着せず言われる。それは幼少時から大人になるまで続き、褒められるにしろそうでないにしろ本人は当然強く意識せざるを得ない。ヒトは性格や個性、能力を持って総合的に評価される。しかし、韓国のように価値評価の中で外見の占める割合が高いと考えら社会では、特に女性の場合、美を追求することが自己価値を上げると考えるのも当然と言えば当然。最新の美容法や化粧品が広がる以前から、民間療法的な美容法や美肌法が多くあるのも、韓国女性が昔から美容に高い関心を持ち、実践してきた証拠である。美容外科をはじめとした、美容医療が発展し、広く受け入れられる土壌は十分であっただろう。市場の原理として、重要があれば供給が生まれる。私が韓国で医学を学んでいた80~90年代には既に、美容外科の基礎である形成外科は人気であり、専門医過程に進むのは狭き門であった。結果的に優秀な学生が集まり、結果的に現在の韓国美容医療の発展に至っている。

現在、韓国全体で美容外科、美容皮膚科は4千数百件とされるが、その半分がソウルに存在する。その中でもお洒落なショッピング街として知られるソウル江南地区の狎鷗亭(アックジョン)には、通称‘美容整形通り‘といわれる一角もあり、およそ800件が集中している。今回の作品は、この狎鷗亭(アックジョン)亭を今のような「美容整形の聖地」にまでに創り上げた男の物語である。ストーリーは、狎鷗亭(アックジョン)で生まれ育った風変りだが憎めない主人公テグク(マ・ドンソク)を中心に展開する。生業は不明だが、とにかく比類のない顔の広さと、愛嬌、それに腕っぷしで、頼まれごとは何でも引き受ける不思議な人物テグクは、天才的な技術を持ちながら騙されて医師免許はく奪の上、多額の借金まで背負うことになった美容外科医ジウ(チョン・ギョンホ)と組み、かつてない新しい美容整形ビジネスをこの地で始めようと決意する。かつては弟分だったヤクザの実業家、中国人の富豪、怪しげな美容サロンの女主人と、一癖も二癖もある人間たちを巻き込んで話は展開していくのだが・・・ 主演のマ・ドンソクはシリーズ化した「犯罪都市」の大成功で、今韓国映画界でNo1ヒットメーカーの座を確実にしている。今回は、腕力こそ多少封印したが、ユーモア溢れる存在感は健在だ。

最近、人種や性差別に対する人権運動の高まりと共に、ルッキズム(lookism、外見重視主義)を批判する論調もよく目にするようになった。韓国はある意味わかり易い?ルッキズム社会である。一方、日本は建前上「見た目より中身、外見より心」を当然の理として語られて来た。大ヒットした韓国映画「カンナさん大成功です(2006)」は才能があっても容姿で損をしてきた女性歌手が、整形手術を受け大変身し成功を目指すストーリーである。まさに映画の舞台となったのは、今回の作品とほぼ同じ時期の話だが、実はその原作は日本の漫画であった。現在では美容医療も韓国に劣らず人々の中に浸透しているが、当時の日本社会の本音を、韓国映画の中でより成功物語として映像化したと考えると面白い。