美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

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シリコンバレーの偉大な海賊

2011-10-27 18:48:15 | Weblog

昨年たまたまレンタルショップでDVDを借りて観た映画がありました。タイトルは、「バトルオブ シリコンバレー」(原題は Pirates of Silicon Valley、シリコンバレーの海賊たち)、若き日のスティーブ・ジョブスとビル・ゲイツを主人公に、アメリカにおけるコンピューターの創世記における二人の葛藤と成功を描いた物語です。既にこの世界で巨人として地位を確立していたIBMに対して、己の頭脳と熱意のみで挑戦し、新しい時代を切り開こうとする二人の姿は、今のシリコンバレーを築いてきた多くの若者にとってまさに象徴的な存在です。一方二人の天才、性格等は対照的に描かれています。燃え盛る炎のように激しく、決して自分にも周囲にも妥協を許さない独裁者的なジョブスに対して、強い信念と頑固さは持ちながらも、時には柔軟な対応も計算の上に行うゲイツ。それはそのまま二人の人生、経営方針、そしてアップルとマイクロソフトという企業の特徴に表れていったようです。

映画の中で、ジョブスがマイクロソフトの新しいパソコンを前にマックの技術を盗んだ泥棒ということで、激怒しゲイツを罵倒します。最初は黙って聞いていたゲイツですが、堂々と反論します。「そのマックの技術も、ゼロックス研究所の技術を盗んだものだろう。」独創的な自分の技術やアイデアを武器に持ちながら、さらに相手の技術も時には盗み、利用し大海原を航海するというのが、まさに原題にある‘シリコンバレーの海賊たち’という所以でしょう。ここ数か月継続しているアップルとサムソン電子の訴訟合戦も、この業界で生きている限りは、当たり前の事に過ぎないかも知れません。徹底的に模倣し、研究することで誰にもまねができないものを生み出してきたのが、戦後の技術大国日本を作り上げたとも言えます

大学院生だった未婚の母のもとに生まれたジョブスは、すぐ養子にやられます。地元の州立大学に進学しますが、経済的問題もあり1学期で中退、一時ゲーム会社に就職した後、自宅ガレージでアップルコンピューター社を創設し、そこから彼の伝説が始まりました。「死は生が生んだ唯一無比の最良の発明と言える。古いものを一掃して、新しいものに道を譲る。」ステイ-ブ・ジョブスの死を惜しむ声は世界中から伝えられています。しかし、この言葉通り、最後まで時代の革新者として全うした人生であったと感じます。

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作家 金鶴泳

2011-10-21 14:32:09 | Weblog

 

  ちょっとした縁から金鶴泳の遺稿作「土の悲しみ」(シングルカット社刊)を手に取る機会に恵まれました。恥ずかしながら、この時まで著者に関して全く知らず、それ故、先入観なく、読み進めることができました。私小説とも言えるこの作品は、幼少時より母親に対する父親の家庭内暴力に怯える環境の中、そのトラウマによるものか‘吃音’に苦しみ、愛情に満たされない寂しさと苦しさの中で大学生活を送る在日青年の話です。彼は偶然知り合った女子大生に恋心を抱きながらも、自分の気持ちを打ち明けることもできないまま哀しい恋は終焉します。書かれた文章には、堅苦しさも、意識的な飾りもなく、言葉で己の内面にあるものを表現することで、漸く一日一日を生き延びているのではないかと感じるものでした。1985年、彼が46歳で表現することを辞め、自らの命を絶ってから今年で26年が経ちます。

作家 金鶴泳は、東大大学院化学系研究科博士課程を中退し、66年「凍える口」で文藝賞を受賞したこと期に、執筆活動を本格的に始め、その後4回も芥川賞の候補に挙がります。彼の作品や文章は、その後の多くの在日作家に、多大な影響を与えたと言われていますが、金鶴泳自身は、在日作家というレッテルにも、在日文学という評価にも無関心だったのではないでしょうか。吃音に対する苦悩を表現した「凍える口」にもあるように、自ら言うところの「恐ろしい家庭環境」、そして「吃音」、「在日朝鮮人としての葛藤」が繊細すぎるほどの感性を持つ作家の中で生涯蠢き続け、執筆することで、ガラス細工のような脆い心を支えてきたように私には思えます。

主人公の祖母は、異国の地で、寂しさと絶望の中、鉄道自殺を遂げます。遺体は線路側に仮埋葬され、遺骨は行方がわからないまま、祖母の墓に埋葬された骨壺には周囲の一握りの土のみが入れられました。「土の悲しみ」とは、まさに誰からも愛されないものの悲しさと哀れさなのです。父親の暴力に対して殺したいほどの憎しみを持ちながら、経済的には依存し、頼る自分の弱さを自覚します。哀しい物語ではありますが、美しいこの本の装丁同様、読後はなぜか爽やかさも感じるのが不思議でした。 ぜひ一読を薦めます

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ニュートン、アインシュタイン、そして

2011-10-13 10:25:52 | Weblog

韓国の子供たちに「好きな尊敬する科学者は誰?」と質問したところ第1位はアインシュタイン、第2位はエジソンでした。これは日本の子供に聞いたとしても、同様な回答になるのではないかと思います。そして天才の代名詞でもあるアインシュタインと言えば、誰もが「相対性理論」という言葉を思い浮かべるでしょう。彼がノーベル賞を受賞したのは、相対性理論によってではなく、「光電効果」に対する論文であることは、意外に知られていません。これは、光電効果に関しては、当時の測定技術によっても実証可能なもので、その理論の正しさが証明できたからとも言えます。反面、「特殊相対性理論」「一般相対性理論」に関しては、その内容の偉大さや革命性は、多くの物理学者が感じるものでありましたが、具体的な検証が難しいものでした。しかし、その後、天文学や量子力学の分野での観測や解析により、相対性理論で予言された内容が少しずつ確認され、改めてアインシュタインの偉大さが認識されてきました。

アインシュタインが光に対する疑問を持ち始めたのは、彼が16歳の頃でした。「もし自分が光の速さで進んでいるとしたら、自分が手に持っている鏡に顔が映るだろうか?」音速で飛んでいる旅客機の前には、飛行機の音は伝わらない事を考えれば、鏡には自分の顔は映らないことになります。しかし相対性理論によれば、どんな物質も高速に限りなく近づくことはできても、光速に達することはできない為、光は、自分が進む速度より速く鏡に到達することになり、結果的に顔は鏡に映ることになります。つまり「物体は光速に近づくほど質量が増大し、加速しにくくなる為、光以上の速度にはならない。」というのが相対性理論の大原則の一つです。ところが、ニュートン力学に革命を起こしたアインシュタインの物理原理を覆そうかという発見が欧州合同原子核研究所(CERN)により発表されました。研究チームによると光速より60ナノ(1億分の6秒)速い素粒子ニュートリノの観測に成功したということです。この発見の衝撃の大きさは、彼らが同じ実験を15千回繰り返し、その上様々な誤差を計算し、それでも発表には慎重であったことでも伺えます。

今後さらなる検証や議論を生むと考えられる結果ですが、事実ならば、物質が時間を越えて移動できる、所謂‘タイムマシン’も理論上は可能になるかも知れません。誰ですか!過去に戻ったら旦那さんのプロポーズを再考しようなんて言う貴女は!!

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テレビの貢献と限界

2011-10-10 12:40:31 | Weblog

ここ十数年の間に人々の生活に最も影響を与えたものでは、IT技術と携帯通信ではないかと考えますが、20世紀最大の発明と言えば、やはりテレビ放送でしょう。1897年にドイツの物理学者Karl. F. Braunによってブラウン管が発明され、ヒットラーの指示のもと国威発揚のため、世界で最も早くテレビ放送がドイツで始まりました。1936年、ベルリンでの第11回オリンピック大会は、史上初のテレビ実況中継となったわけです。これに刺激されてか、この年イギリスのBBCでもテレビ放送を開始し、アメリカでもニューヨーク市で実験放送が始まりました。

日本では、戦争により一時テレビ技術の研究が中断されていましたが、戦後19532月にNHKによる最初の放送が、そして韓国ではやや遅れて1956年に大韓放送が、最初のテレビ放送を開始したと言われています。最初は物珍しさか、興味本位で見ていた人々も、番組のコンテンツが増えるにつれ、テレビの前にくぎ付けとなり、お茶の間にはなくてはならない存在となるまで時間はかかりませんでした。高度成長期で馬車馬のように働いた昭和のお父さん達も「一杯のビールとプロ野球中継があれば、頑張れる。」と言わしめ、お金のかからない大衆の娯楽としての地位は、日本でも韓国でも不動のものでした。テレビは長い間、家族団欒や手軽な癒しの道具としての役割を主導してきましたが、反面その影響力の大きさから特定の立場からのプロパガンダとして利用されてきたのも事実です。テレビにおいて「百聞は一見にしかず」とは、真実を理解させる事とは限りません。同じ出来事でも、選択と構成によって意図した内容に見せることも可能であることを証明してきました。最近言われる‘テレビ離れ’も、インターネットをはじめとする他の情報手段が発達することで、今まで流されるままに受け入れてきたテレビ内容に対し物足りなさや疑問を持ち始めたことも要因の一つでしょう。

最も身近なマスメディア媒体に成長したテレビだけに、特に報道や社会問題を取り上げた番組では、100万人単位の視聴者を前にして結局は当たり障りのない内容、一般受けしそうな結論にならざるを得ないところです。スポンサーも傷つかず、勿論一般大衆という視聴者に反感を持たれないという暗黙の了解が、そこにあります。テレビを見れば、その国の文化水準がわかると言われるのは、この為ですが単なる暇つぶしの時間とならない為にはテレビの存在意義も、ある局面を迎えているのでしょう。

 

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