美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

誰のための未来

2015-05-22 17:04:46 | Weblog

居間から家人の叫び声!何かと思い駆けつけるとか鏡の前で白髪が増えたと嘆いている姿がありました。勿論、容姿に関しては女性ほどではないにせよ、男性も気力体力ともに年齢による衰えは年々感じざるを得ません。普段アンチエイジング治療にも関わっている私ですが、肌を含めて若さや健康を目指すのも、最終的には患者さんが自信を取り戻すことで前向きな生活をしてもらうのが目的です。ただ、医学の発展や様々な環境因子の向上によって、先進国を中心に国民の高齢化は今後も続き、それと供に安心できる老後を考えたとき、年金というシステムは一つの答えであると同時に、様々な課題も抱えています。

 韓国の国民年金制度が始まったのは1988年です。しかし当初加入できたのは10人以上の事業所に勤務する雇用者に限定され、やがてより小規模の事業所、そして農漁村地域居住者へと広がり、ようやく国民皆保険となったのは1999年からとなります。つまり40年間加入で得られる満額受給者はまだ誰もいません。また日本のように自営業者や無職の人(第1号被保険者)、非雇用者(第2号被保険者)のようの分けられることなく全て一律ですが、公務員年金など他の職域年金加入者、(2)生活保護の給付金受給者、(3)学生など所得のない者、(4)専業主婦などは加入する必要がありません(但し任意で加入可)。年金保険料の支払いは、被雇用者の場合は基準所得月額に9%をかけた額を労使で折半、自営業者は基準所得月額の9%を全額自分で払います。このように自営業者でも一定額ではなく、所得額に比例した保険料を支払うところは日本とまた異なる点です。このほかにも細かい仕組みや支給比率など日本の制度との違いはありますが、何より根本的な差異は、年金に税金が投入されていないところでしょう。よって、最低保障年金はなく、保険料を支払わない期間の年金はもらえず、所得代替率も低く抑えられています。高齢者には厳しく、年金で安心の老後というわけにはいきませんが、税に頼らず国民負担を抑えた現実的な制度となっています。

国民と企業の「税負担と社会保険料負担」の、国民所得に対する割合を示す国民負担率を26.5%とOECD諸国の平均より10%近く抑え「低負担、低給付」を選択した韓国。一方、今後も増加する支給額に対して年金積立金切り崩し、毎年10兆円以上の国庫負担を強いられている日本。「歴史的な成功を収めた」と評価されるスウェーデンでさえ制度の見直しが議論されている現在、「誰のための未来なのか?」という視点が社会全体に必要なのかも知れません。

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極限状態で残るもの

2015-05-12 15:50:21 | Weblog

先週はじめにチリ南部のカルプコ火山が54年ぶりに大噴火したのに続き、その数日後にはネパールでは81年ぶりという大地震が発生しました。小さな国土に世界の活火山の7パーセントが存在し、4年前には東日本大震災を経験した日本は勿論、地震とは無縁と考えられてきた韓国も、ここ数年は明らかに地震発生頻度が激増しており他人事ではありません。ある地域では数十年~百年に一度とはいえ、私たちが今こうして日常の生活を送っている瞬間も、世界のどこかでは大きな災害、あるいは戦争や内乱が起きています。天災や戦禍に限らず、様々な不幸な状況に直面したとき、外部的、物質面な困難に対するサポートは勿論ですが、内面的、精神的な問題に対して私たちはどう立ち向かっていけるのか考えてみる必要があります。

東日本大震災後、被災地で多く読まれた一冊の本がありました。ユダヤ人の精神科医ヴィクトール・フランクルがナチスの強制収容所での壮絶な体験を綴った『夜と霧』です。1947年に初版となったドイツ語の原題「…trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager」は直訳すると、「・・・それにもかかわらず、人生にイエスと言う:一人の精神科医強制収容所を体験する」となります。邦題の「夜と霧」は1941年ヒトラーによる「ユダヤ人やその他の非ドイツ国民の中で国に対して反逆の疑いがあるものは家族ごと捉えて収容所に拘束せよ」という特別命令が、夜間に霧に紛れて秘密裏に実行されたことから通称「夜と霧」命令と言われたことに由来するものです。この本は単なる精神科医の悲惨な経験の記録ではなく、原題にある「・・・それにもかかわらず」が示すように、強制収容所での言語を絶する、理不尽な、まさに極限状態の連続の中で生き残る為に必要なものを問い続けた哲学書です。収容所では些細な偶然やナチスの将校のきまぐれによって生死が分かれ、そこには夢、希望、人間としての欲求など全く存在しません。そんな環境の中で自ら生きることを放棄する人も多くいました。それでも最後まで希望を捨てず耐え抜いたのはどんな人だったか?「繊細な性質の人間、感受性の豊かな人間がしばし頑丈な身体の人々よりも、収容所生活をよりよく耐え得た」暗く寒い闇の中でも神に祈り、僅かな食事休憩の間も歌で心を癒す繊細さです。

「私はもはや人生から期待すべき何ものもない」人は目的を失ったとたん存在の意味も感じなくなります。そんな人間にフランクは語りかけます。「『私が人生の意味を問う』のではなくて、『人生が何をわれわれから期待しているか』が、問題なのである。(その為に)苦しむことは、それだけでもう精神的に何事かを成し遂げることだ。」人間とはとんでもなく愚かでもあり、偉大でもあると気づかせてくれる一冊です。

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