美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

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国のものさし

2013-10-22 14:54:27 | Weblog

 

 日本ではテレビの現地レポートなどで、ある場所の広大さを説明する場合、「およそ東京ドームの○個分です」といった表現を用います。確かに何となく広いということは感じますが、具体的な広さを認識するより漠然と聞き流しているだけです。東京に住んでいる人間ならば一度くらいは東京ドームに行ったことはあるでしょうし、一般的な野球場の大きさと考えればある程度のイメージは浮かびますが、日本全国で使う広さの尺度として適切であるかは正直疑問です。ただ、何平方メートル、何万ヘクタールと数字を並べられても正確に理解できるかと言われれば、何らかの具体的な‘ものさし’は必要です。

 韓国で‘東京ドーム’にあたるものとして思い浮かぶのは「汝矣島(ヨウィド)」でしょうか。汝矣島はソウルの漢江(ハンガン)に浮かぶ中州の人工島で、国会議事堂、証券会社、放送局などがあり、ビジネスの中心地のひとつです。汝矣島の面積は約8.4㎢、東京ドームが46755m=0.046755㎢ですから、汝矣島の広さは所謂 東京ドーム約180個分の大きさです。はてさて、尺度から見ると韓国人の方が日本人より180倍‘大気もの’なのか、単に‘おおざっぱ’なのかです。一方このような‘ものさし’は欧米にも存在するのでしょうか。少し調べてみると、アメリカでは、フットボール場(アメリカンフットボール球場、a football field)何個分という表現は時々使われるようです。その他、セントラルパーク、自由の女神なども時に登場するようですが一般的かどうかは定かではありません。その他、昔はエンパイアステートビル(empire state building)何個分なども暫し出てきました。欧州ではたまにニュースなどで聞かれるのがバチカン市国何個分の広さという表現です。勿論、地域ごとにいろいろあるでしょうが、使用頻度は東京ドームにはかなわないのではないでしょうか。(そういえば昔は、後楽園球場や霞が関ビル何個分でした!日本の伝統的なものさしとも言えますね。)

 特定の人工物を‘ものさし’とするのは山地が多い国土で、世界に誇る建築物技術を持って国を整備してきた日本らしさの一つかも知れません。同じ人工物でも、広島原爆の何個分の破壊力などという表現は、未来永劫 ものさしには使われないように祈ります。

 

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国のものさし

2013-10-22 14:53:58 | Weblog

 

日本ではテレビの現地レポートなどで、ある場所の広大さを説明する場合、「およそ東京ドームの○個分です」といった表現を用います。確かに何となく広いということは感じますが、具体的な広さを認識するより漠然と聞き流しているだけです。東京に住んでいる人間ならば一度くらいは東京ドームに行ったことはあるでしょうし、一般的な野球場の大きさと考えればある程度のイメージは浮かびますが、日本全国で使う広さの尺度として適切であるかは正直疑問です。ただ、何平方メートル、何万ヘクタールと数字を並べられても正確に理解できるかと言われれば、何らかの具体的な‘ものさし’は必要です。

韓国で‘東京ドーム’にあたるものとして思い浮かぶのは「汝矣島(ヨウィド)」でしょうか。汝矣島はソウルの漢江(ハンガン)に浮かぶ中州の人工島で、国会議事堂、証券会社、放送局などがあり、ビジネスの中心地のひとつです。汝矣島の面積は約8.4㎢、東京ドームが46755m=0.046755㎢ですから、汝矣島の広さは所謂 東京ドーム約180個分の大きさです。はてさて、尺度から見ると韓国人の方が日本人より180倍‘大気もの’なのか、単に‘おおざっぱ’なのかです。一方このような‘ものさし’は欧米にも存在するのでしょうか。少し調べてみると、アメリカでは、フットボール場(アメリカンフットボール球場、a football field)何個分という表現は時々使われるようです。その他、セントラルパーク、自由の女神なども時に登場するようですが一般的かどうかは定かではありません。その他、昔はエンパイアステートビル(empire state building)何個分なども暫し出てきました。欧州ではたまにニュースなどで聞かれるのがバチカン市国何個分の広さという表現です。勿論、地域ごとにいろいろあるでしょうが、使用頻度は東京ドームにはかなわないのではないでしょうか。(そういえば昔は、後楽園球場や霞が関ビル何個分でした!日本の伝統的なものさしとも言えますね。)

特定の人工物を‘ものさし’とするのは山地が多い国土で、世界に誇る建築物技術を持って国を整備してきた日本らしさの一つかも知れません。同じ人工物でも、広島原爆の何個分の破壊力などという表現は、未来永劫 ものさしには使われないように祈ります。

 

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オリンピック 政治とスポーツ精神の狭間

2013-10-03 11:08:22 | Weblog

 

 東京での2度目のオリンピック開催が決定しました。1964年最初の東京五輪当時まだ赤ん坊の私は、大会自体記憶しようもないわけで、生きているうちの身近で五輪競技を見物できることを素直に喜びたいと思います。勿論、大会の招致に関しては。震災復興、原発や内外の政冶、経済問題など少なからず課題を抱える中、その意義や負担に対しての効果などに疑問を持つ人々もいたことは事実です。しかし、今回立候補した他の都市に限らず、過去のどの立候補地においても同様に何かしらの問題から開催に異を唱える声がある中での決断であったでしょう。

 特に70年代後半から80年代は東西冷戦の真只中であり、世界情勢も不安定な状況下、オリンピック開催は赤字を抱えるだけのお荷物とも捉えられ、あえて立候補する国は僅かでした。1984年大会は立候補地がロサンゼルスのみ、1988年もソウルと名古屋の二都市のみだけです。すでに経済大国で財政的にも盤石な名古屋に対して、朴正煕大統領暗殺後、軍部を掌握し自ら大統領に就任した、全斗煥政権下の決して平穏とは言えない時期のソウルとの争いとなりました。このような状況の中、最後の最後、に締切ぎりぎりで名前を挙げたソウルの立候補は、ある意味無謀とも考えられ、当初は名古屋の圧勝との予想が大勢でしたが、蓋をあけるとソウルの大逆転となります。オリンピック招致活動には表舞台で行われるもの以外に、水面下での様々なロビー合戦や、駆け引きがあったとの噂はあります。しかし、その後の困難な条件の中で成し遂げたオリンピックの開催は、国民にとっては大きな自信と誇りになったことは間違いありません。

 90年代以降は国際政治のパワーバランスに振り回されまいとした結果、商業主義に傾倒しているとの批判を受けるようになるオリンピックですが、逆に立候補都市は増加し、開催招致レースは熾烈になっています。様々な思惑や開催までの道のりは純粋にオリンピック精神に則ったものだけではなくとも、最終的な勝利者はスポーツを楽しむことで生じる喜びや力であってほしいと願います。

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