美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

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チャジャンミョンとラーメン

2010-11-28 12:21:58 | Weblog

 

炸醬麵(チャジャンミョン)とラーメン

日本料理と言えば‘お鮨、天麩羅’、韓国料理なら‘焼肉’というのが、国花、国鳥ならぬ「国食」でしょうか。しかし、一般的なイメージとは別に、日本人に最も愛され親しまれている食べ物は‘ラーメン’ではないかと思います。全国にラーメン屋は、5万件以上で、日本人なら‘行きつけの店’が1~2件はありそうです。また、インスタントラーメン、カップラーメンまで加えると、大人から子供まで週に一度は食べているのではないかと考えます。ちなみに日本で最初にラーメンらしき汁そばを食べたのは、水戸黄門(徳川光圀)だそうです。当時 明の国から亡命した儒学者が中国の汁麺を献上したとされ、これが日本に伝わった最初のラーメンらしきものだということです。

では韓国の「国食」は焼肉でよいかと言えば、こちらも老若男女、皆に好かれ、よく食べる料理ならば‘炸醬麵 (チャジャンミョン、ジャージャー麺)ではないかと私は思います。盛岡では冷麺とともにジャージャー麺も比較的よく食べられているようですが、日本ではあまり知られていないかも知れません。(盛岡冷麺が韓国の冷麺とはやや異なるように、ジャージャー麺とチャジャンミョンも同じ味とは言えませんが・・・)炸醬麵は、コシのある手延べ麺に、春醤(チュンジャン)という黒い味噌に玉ねぎ、豚肉などを炒めたソースをかけたものです。上に生のキュウリの千切りが乗っていて、麺とよくからませてから食べます。安価でお腹が満たされた上、なぜか何度食べても飽きがこない味です。私も韓国留学時代は週に2~3回は食べていました。1900年初めに仁川(インチョン)の中華料理店「共和春」が元祖と伝えられており、来年にはチャジャンミョン博物館がオープン予定だと聞きました。

チャジャンミョンもラーメンも、その原型は中国由来ですが、各国で独自に発展し、愛され、国民食になった点は、両者とも似ています。食に限らず、文化は発祥も大事ですが、その土地でどのように昇華、融合していくかが、より意味があるのかも知れません。もう一つ面白いチャジャンミョンの話で、韓国では黒い服を着て、黒味噌のチャジャンミョンを食べ、ブラックコーヒーを飲むブラックデーというのがあります。口の周りが食べるときに汚れるということで、デートには向かない食事というイメージを逆手に、バレンタインデー、ホワイトデーに縁のなかった男女が慰めあう日というわけです。転んでもただでは起きない韓国人魂でしょうか・・・

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夢と現実

2010-11-24 11:49:48 | Weblog

 

夢と現実

 

家内が棚の奥にあった昔の古い写真の束を出し、にやにやしながら見ていました。そこには、いかにもいたずら好きで、腕白そうな子供が写っていました。私の小学生時代の写真です。自分にもこんな時があったのかと思う反面、当時はどんな将来を夢見ていたのか思い出しました。当時夢中に読んでいたSFや冒険小説の影響か、アフリカ探検隊の隊長になりたいと考えていました。その後、夢や目標も少しずつ現実的?なものに変わっていきましたが、いまだに、何にでも好奇心旺盛なところは変わらないようです。

日本の男子小学生が将来就きたい職業はと言うと、ダントツの30%以上が野球、サッカーなどのスポーツ選手で、2位、3位が3~%で、‘医師、薬剤師’そして‘学校の先生’と続きます。女子の場合は、‘獣医、ペット屋さん’、‘幼稚園や保育園の先生’、‘パンやケーキ屋などの食べ物屋さん’の順で人気のようです。一方 韓国の小学生は大分様子が異なります。男子なら、医師、裁判官、弁護士、政治家(大統領?)科学者、女子ならば学校の先生、医師、芸術や芸能関係と答える子供が多いようです。子供の職業観は、やはりその社会の価値観を反映するものと考えると、日本では一般的な職業とみなされない政治家や裁判官が、韓国ではより身近で、やりがいのあるものという意識があるのでしょうか。あるいは、政治好き?と言われる韓国人・社会を証明する結果でしょうか・・・

しかし、数か月前の韓国のネットによる調査結果では、さらに変動する韓国社会の一面をみせています。韓国子供向けポータルサイト「ダウム・キッズ」のアンケートでは、将来希望する職業で、実に41.6%が歌手、8.5%がタレントを選びました。このサイトを利用する子供が特別に芸能界に関心がある母集団でないとしたら、半数以上の子供が芸能人を目指す社会ということになります。世界に向け韓流芸能を国のソフトパワーとして推進する韓国を反映した結果なのか、最も華やかな夢と感じる子供が多いのか、夢と現実のどちらからの選択なのか考えさせられます。

 

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生存者の道

2010-11-17 14:09:09 | Weblog

 

存者の道

チリの鉱山落盤事故によって、地下700mの場所で、2か月以上閉じ込められていた33人の作業員が救出される模様は、生放送で全世界に中継されました。各国のマスコミが争って取材合戦を繰り広げたようで、一部では、家族や本人へのインタビューの代価として金銭的なトラブルの噂も聞かれています。また救出現場でのチリ大統領の行動も、政治的パフォーマンスが過ぎるという陰口をたたく人もいるようです。しかし、そのような雑音は別として、気温35度、湿度90%の狭い空間で70日間にわたり、耐え抜いて生存したことは、医学的にも驚嘆に値することです。そこには肉体的な苦痛以上に、精神的な絶望感から抜け出すべく、お互いの連携やそれを可能にした規律や統率があったものと想像します。

奇跡の生還と言えば、15年前、韓国の三豊(サンプン)百貨店崩壊事故で十数日ぶりに瓦礫の中から救出された3人の男女は、ある意味、今回の事故以上に過酷な状況の中、人間の強い生命力、精神力を示したものとも考えられます。彼らは、崩壊した瓦礫に挟まれ、身動きも儘ならぬ中、耐え抜きました。段ボールの切れ端をちぎって空腹をしのぎ、雨水や消火用の水でのどの乾きを癒したといいます。何より彼らは時間の経過もわからぬ、暗闇の中、たった一人でこのまま永久に発見されないかも知れない恐怖と闘い続けました。救出された直後、「救助隊のお兄さんとデートしたい。」と言って笑わせた当時17歳の少女もエピソードとして伝えられましたが、その心の余裕が最後まで彼女を支えた強さだったのでしょうか。

悲惨な状況の中、九死に一生を得て生き残った生存者たち。別の意味で彼らの人生での戦いは、それから始まるのかも知れません。そのような経験をした多くの人々が、特別な体験をした幸運な人間という形で世間や周囲に奇異な視線で注目され、やがて事件自体が風化し、人々の記憶から薄れていきます。なぜ自分は生き残ったかと自問自答したある生存者の結論は「家族を大切にし、その日その日を悔いがないよう精いっぱい生きる。」でした。

 

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故郷忘じがたく候

2010-11-03 17:50:13 | Weblog


故郷忘じがたく候



朝鮮の古代国家・百済(ベクジェ・くだら)の都があったとされる公州市と扶余郡で、「今回のイベントに期間中、韓国の扶余郡は、世界最古の企業とされる「金剛組」の39代目金剛利隆氏(88)に対して、名誉郡民賞を授与しました。金剛組は、飛鳥時代の578年、聖徳太子が最初の官寺となる四天王寺を建立するために百済から招いた工匠の一人、金剛重光が創業したといわれています。しかし、1400年以上続いた世界最古の企業というだけでなく、百済文化の日本伝来を象徴する末裔として、この祭典のシンボルの一つと評価できるでしょう。

この記事を読んだ時に、学生時代に読んだ司馬遼太郎の短編「故郷忘じがたく候」を思い出しました。この話の舞台は、薩摩焼の窯里、苗代川。十六世紀末に朝鮮の役で島津軍の捕虜となり、薩摩へ流れ着いた陶工たちの悲哀の物語が中心です。その中で 薩摩焼第14代沈寿官が、少年期から青年に成長する過程で、己が何者なのか悩み、やがて反発し続けていた父の道を、自分も歩むようになる過程が、淡々と語られています。帰化はさせられたものの、連れてきた朝鮮陶工たちに対し薩摩藩では士族として礼遇しました。しかし彼らは姓を変えず、故郷への想いを子孫に語り続けました。故郷とは何か、民族とは何か、今だ 私たちも考え続けている問いです。

2010大百済展」が開催されています。百済は、朝鮮史において、高句麗、新羅とともに三国時代の一国で、4世紀半ば歴史に登場し、663年に唐・新羅の連合軍に滅ぼされるまで、朝鮮半島の西南部に栄えました。倭国とは、最も深いつながりを持ったと言われ、仏教をはじめとして、多くの大陸文化を伝え、日本古代文化の形成に強い影響を与えたとされています。百済の滅亡時に、日本に亡命した渡来人の数は一万人とも言われ、奈良地方に移住して、この時代以降の日本の政治文化に少なからず寄与しました。


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