美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

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幽霊の国民性

2012-08-22 16:49:49 | Weblog

 

各地で梅雨明けとなり、今年も厳しい暑さが予想されます。「夏は当然暑いものだ。」と開き直っても、夜の寝苦しさに負け、エアコンのスウィッチに手が伸びてしまいます。まさに「夏の怪談」は、冷房はおろか扇風機もない江戸時代以前からの、背筋をぞっとさせて涼をとる日本人の知恵です。しかし、実際、怖い思いをすると涼しくなるというのは医学的にあり得るのでしょうか。アメリカの大学で健康な20人治験者に、コメディー映画とホラー映画の両方をみせて、その後に血流の変化を測定する実験をしました。するとコメディー映画を見たみた後は22%増加し、逆にホラー映画の後は37%減少したということです。この実験が正しければ、怪談話で怖がれば、体表温度が下がり、実際に涼しくなるわけです。反面 これはあくまで健康なボランティアを対象に行ったもので、体に良いか悪いかだけ考えれば、やはり笑って血流が良くなるほうに軍配が上がるでしょう。

韓国で怪談といえば、KBSで1977年から16年間放送された人気シリーズ「伝説の故郷」がまず頭に浮かびます。九つの尻尾をもつ狐の妖怪が、美女に化けて男を騙し、その肝を食べて1000年以上生きながらえる「九尾狐(クミホ)」など地方に昔から伝わる伝説や怪談を怖さだけではなく、哀しく、時には教訓も交えて紹介したものです。2008年に新シリーズが復活しDVDもレンタルされているようですから、興味のある方はぜひご覧になってください。また、最近若い層に人気なのは、いわゆる「学校の怪談」「都市伝説」的な内容です。こちらは、私が学生時代も、誰もいないはずの実験室やトイレで○○を見た!といった幽霊話がまことしやかに語り継がれましたが、どの国でも小中学生ぐらいの子供には、夜の学校は最も身近でありながら不思議な場所なんですね。また日本で昔流行った「口裂け女」が韓国で1990年ごろ「赤いマスク(빨간 마스크)」とマスクの色だけ赤となり子供たちの中で流行しました。怖い話も文化として伝わる証拠です。

日本の幽霊は、足がなく影のようにスーッと現れるのが特徴です。足がないのは江戸中期の画家円山応挙の幽霊図や、歌舞伎の表現による影響とされています。一方韓国の幽霊は、やはりやや騒がしく存在感がしっかりしているようです。幽霊にも当然国民性?があるからでしょう。  

 

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文化の色

2012-08-08 16:20:21 | Weblog

 

 

ある国や民族を象徴する色があると思います。例えば中国では、古代中国からの哲学から、世の中に存在する万物は「木・火・土・金・水」の五つからできているという「五行説」に則り、そこから導き出した「青・赤・黄・白・黒」を正色として、民族衣装や建物の彩色に用いてきました。韓国でも「五行説」の影響は受けながらも「白衣民族」と呼ばれたように白を何色にも染まらない純粋性、独立精神を表すものと特別な色と考え、独自の色彩表現を創ってきたようです。日本でも神に仕える清らかさを示すものとして白無垢は特別な地位を与えられています。

一方、西欧で白色の文明といえば、パルテノン神殿などの荘厳な建造物や、それらに刻まれた彫刻、そして「ミロのビーナス」や「ラオコン」などの彫刻像に代表されるイメージから、多分多くが古代ギリシャ文明を思い浮かべるでしょう。しかし、先日 放送されたNHKスペシャル「大英博物館の真実」第二話「古代ギリシャ白い文明の真実」の内容はかなり意外なものでした。大英博物館の研究員による最新の色彩分析技術を使った調査の結果、白で象徴された古代ギリシャ時代の建造物や彫刻は、実は長い時間と共に塗料が剥げて現在の白い状態になったもので、当時は鮮やかな極彩色で彩られていたことが判明したのです。その上、優雅で上品な、独自の白い文明のイメージを強調すべく、大英博物館内部で、僅かに残った塗料をそぎ落とすという作業までしていた記録が残っているのです。こうした背景には、およそ250年前の産業革命と植民地政策で世界に台頭しようとするヨーロッパにおいて、他の大陸や地域に対して、文明的な独自性、優越性を白いギリシャ文明を持って世界に知らしめようという意図があったと解釈されています。

確かに、ギリシャ文明の発祥には、古代ギリシャ人が貧しさから傭兵としてエジプトの王に雇われ、エジプト文明の影響を強く受けた事実や、白ではなく、エジプトやメソポタミア文明でも見られる様々な色彩を持った文明であったとすれば、かなり私たちのギリシャに対する印象が違ったかも知れません。歴史というものの評価の大切さ、困難さをあらためて感じます。

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ビルマとミャンマー

2012-08-02 10:21:28 | Weblog

当時の軍事政権が国の英語呼称をBurma(ビルマ)からMyanmar(ミャンマー)に変えたのは1989年のことです。ミャンマー国内ではそれ以前からミャンマー或いは口語で訛ってバマーですから、西洋人がつけたBrumaという呼び方を国内の正式名称に戻したもので、国名が変わったわけではありません。民主指導者アウンサン・スーチー女史の軟禁など、当時の政権に対する英国を中心とした欧米諸国の批判に対する反発の意図が感じられます。しかし、長い英国による植民地支配時代が長かったミャンマーの人々の中には、実際に欧米に対する反感が存在するのも事実で、それを利用して国内の団結を図ろうとするのが実際だったかも知れません。

今年の5月に韓国の李明博大統領はミャンマーを電撃訪問し、テイン・セイン大統領と会談しました。韓国大統領がミャンマーに訪れたのは、1983年の北朝鮮によるラングーンでの爆破テロいわゆる「ラングーン事件」以来実に29年ぶりでした。この事件で韓国の副首相をはじめ韓国の閣僚4名を含む17名、ミャンマーの閣僚、政府関係者4名の21名が爆死、負傷者は47名に及びました。全斗換前大統領は専用車の到着が2分遅れたことでかろうじて難を逃れました。当時 非同盟中立を標榜していたミャンマーですが、北朝鮮とはかなり親密な関係であったようです。しかし、この事件がミャンマーを英国からの独立に導いた英雄であるアウンサン・スーチー女史の父、アウンサン将軍の墓前で起き、ミャンマー閣僚も被害にあったことから事件直後に北朝鮮と断絶しますが、その後 国際社会で孤立したミャンマー政権は再び国交を結び軍事協力も強めていたといわれます。しかし、最近の民政移管に伴い、北朝鮮との軍事協力を停止したというミャンマー側の申告を受けての大統領訪問となったようです。

昨年3月に新政権が誕生し、新憲法のもと民主主義による国家建設を標榜し歩き始めたミャンマー。しかし、その国の文化や現状を考慮せずに、民主主義という言葉のみ独り歩きし、十分な過程を経ずに進められた「民主化」が、ときに国民の幸福よりも一部の利権者や列強国に利用されてきたことは、歴史が示すとおりです。ミャンマーの真の民主化を期待します。

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