2020年1月30日、世界保健機構(WHO)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への国際的な公衆衛生上の緊急事態宣言されて間もなく3年になるが、今後もウイルスが完全に消滅し、感染者もゼロになることもないだろう。それでもワクチン接種、治療法の確立、そしてウイルス感染に対する社会全体の理解が進んだことで、ようやくコロナ前の生活を取り戻そうとした最中、韓国の梨泰院において多くの若者が犠牲になる惨事が起きた。このような事態を防げなかった理由として、群衆を整理する警備不足や道路整備の不備が問題とされるのは当然だ。一方、コロナ禍で抑圧された若者たちのエネルギーが、数年ぶりに捌け口を求め通年の数倍の群衆が一気に集中したと考えると、目に見えないウイルスが人間の心理や行動に及ぼした悲劇とも言えないか。
ウイルスは細胞構造を持たなく、消化、呼吸、光合成といった代謝活動もしない。一方、RNAやDNAなどの遺伝情報を持ち、他の細胞に侵入してコピー体を作って活発に増殖するが、一定の条件下では塩のように結晶化もする。まさに生物と無生物の境界線にある不思議な存在だ。そんなウイルスは太古より共存しながら、人や動植物に感染し疾病も起こす厄介者だが、同時に遺伝子変化を助けることで生き物や人類の進化にも寄与してきた。今回紹介するのは、テロを目的に一人の科学者の手によって飛行機内に持ち込まれた最恐のウイルスが引き起こすパニックを題材に、そんな最悪の事態で当事者や、周囲の人間たちは何を考え、どう立ち向かうべきかをテーマにした作品である。
この映画の題名「非常宣言」とは、「飛行機が危機に直面し、パイロットが通常の飛行が困難と判断し不時着を要請すること」で、この宣言により航空機に着陸優先権が認められ、同時にいかなる命令も排除できる,いわゆる航空運航における戒厳令を意味する。ストーリーは、過去の航空事故のトラウマで操縦できなくなった元パイロットのパク・ジェヒョク(イ・ビョンホン)が娘と共にハワイへ向かう場面から始まる。この父娘との些細な口論から同じ便に乗り込んだ元製薬会社研究員リュ・ジンソク(イム・シワン)。彼は体内に自ら強毒変異させたウイルスカブセルを埋め込んでいた。ベテラン刑事ク・イノ(ソン・ガンホ)は、ジンソクがバイオテロを企てている可能性に気づき、テロを阻止すべく必死の努力をする。実は同便には偶然ク刑事の妻も搭乗していた。ウイルスにより次々と犠牲者が発生する中、テロの知らせを受けた国土交通大臣のキム・スッキ(チョン・ドヨン)は、緊急着陸のために国内外に交渉を開始するが、感染拡大を恐れ外国政府はどこも自国への着陸を拒否される。燃料は底をつき、ついにはパイロットまで発症し操縦困難の事態を直面していく。
ソン・ガンホとイ・ビョンホンの初共演は、非武装地帯での南北の兵士の許されざる交流と友情、そして悲劇を描いたパク・チャヌ監督の「JSA 共同警備区域(2000)」であり、私が韓国映画の秀逸さ、完成度の高さに気づかされた作品の一つでもあった。今では世界的なスターとなった二人に加え、チョン・ドヨン他、現時点でトップクラスの俳優が一同に集まったことも大きな話題になった。「一度に7本の映画を撮っているよう。」と誇らしげに語ったハン・ジェリム監督だが、そんな豪華なキャスティングを可能にしたのは、「優雅な世界(2005)」「観相師(2013)」「ザ・キング(2017)」など数々の作品で高い評価を受けたハン監督に対する映画界の期待度と信頼の厚さがあってこそだろう。
ウイルスは、増殖し続けるため様々な変異を繰り返す。それはまるで自ら意志や知能を持った集団のようだ。皮肉な見方をすれば、地球から見ると人間も環境を破壊しながら増加する点で似たような存在かも知れない。ただ映画のラストで監督が描きたかったのは、弱い存在であっても人間が人間であるための尊厳と希望ではなかったか。