美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

成果の国籍

2013-09-17 12:27:27 | Weblog

 「連絡ややり取りはメールで」というのが常識となって既に久しいと思います。実際、自分でも手紙らしい手紙を最後に書いたのはいつだったか思い出せません。そしてメールのかたちも、パソコン主体から携帯へ、そして携帯からスマートフォンへと進化?してきているようで、自称アナログ人間の私も、クリニックのスタッフに合わせて今ではスマホユーザーに1人です。さらによりクリニックのスタッフとの連絡が迅速にスムースにできるという事で、スマートフォンに適応した無料通話、メールアプリケーションとして‘カカオトーク’や‘LINE’を使用しています。

 カカオトーク、LINEともに韓国企業が世に送り出したもので、お互いユーザー数を争って激しいライバル関係の中、アジアを中心に急速に広がっています。アメリカ発信のfacebookのような個人情報をオープンにすることには抵抗感を持つ日本人にも馴染み。スマートフォンでの使いやすさにこだわったスタイルからモバイルメッセンジャーとしてのシェアはfacebookを大きく上まり、過半数に迫りそうな勢いです。しかし、このLINEに関して、一部で韓国発なのか日本発なのかという議論が起きています。芳しくないことは相手のせいに、手柄は自分のものとしたい人間の性?ではあるでしょうが、こんな疑問が生まれたのは、LINEが開発された経緯にあります。韓国最大のインターネットサービス会社であるNHN(Next Human Network)の取締役会議長である李海珍(イ・ヘジン)氏の指揮のもと傘下の日本法人NHNジャパン研究陣の試行錯誤の中で生まれたのがLINEです。そのきっかけは、 李海珍(イ・ヘジン)氏が日本出張中に起きた東日本大震災でした。テレビの映像で震災の模様を見続けた彼は、「コミュニケーション道具は結局、大切な人との疎通を強化するのに使うものではないだろうか」と考えが浮かんだと語っています。その結果開発されたアプリには、自分がどこにいるのかを家族・友人に知らせることができる位置送信機能も追加されました。NHNジャパンは今ではLINE株式会社と変名していますが、韓国NHNの完全子会社であることは変わりません。

 結局、開発地は日本であり、日本人研究陣ほか韓国、その他の多国籍のスタッフが共同で開発したソフトであることは間違いありません。会社や製品、ソフトに限らず、優れたものが世界中の人々の協力で生まれる現代、一々国籍を尋ねること自体が野暮なのでしょう。

コメント

ケミカルピーリングの意味

2013-09-14 18:28:53 | Weblog

 すべすべで透明感のあるきめ細かい肌・・・誰でも望むことです。ケミカルピーリングやその他のピーリング治療に多くの人が期待するのは、表面がざらざらした木肌の表面をヤスリなどで削ってあげることで表面がすべすべするように、人間の肌もピーリング(削皮)することできめ細かくなるといったイメージではないでしょうか。

 クリニックやエステなどで多く行われているケミカルピーリング治療は、一般的にグリコール酸(フルーツ酸)、サリチル酸、トリクロロ酢酸などの溶液を適度な濃度に薄めて肌に数分間塗布し皮脂や角質を科学的に溶解するという施術です。

 この治療の適応と考えられるのは、ニキビの炎症が治まりにくい方、特に脂肌と考えられる方です。適度の濃度で、数回治療をおこなうと確かに、ニキビが治まり、肌の状態が改善されていきます。しかし、あくまでも一時的な治療であり、長期間だらだらと志向するものではないと考えます。

 また、むしろ普段から肌の乾燥を感じやすい方、敏感肌の方にはピーリングは適応でないどころか、逆効果かも知れません。なぜなら、正常な肌の状態を守っているのは他ではなく、自分自身の皮脂によって形成された皮脂膜とその下にある角質層であるからです。

 現代女性はそれでなくても、夜になれば化粧品を落とさなければいけないとか考え、クレンジング、ダブルクレンジング、さらに洗顔と必要以上にはだのバリアーを洗い流していることが多く、その後どんな化粧水や栄養クリームを使用してもはるかに優秀な自分の皮脂、角質で構成されたバリアゾーンを完全にカバーできるものではないのです。(化粧品を落とす意味と考え方に関しては別の項で説明します。)

 そのような女性の肌に、クレンジングよりさらに強い酸によるピーリングをおこなえば、肌が改善するどころか痛める原因になりなりうることは単純に考えても理解できると思います。そもそも肌を保護している正常な角質を悪者のように考え、それを除去することが毛穴やくすみ、肌の若返りの治療であるかのようにピーリング治療をおこなわれているケースがあるならば決して望ましいことではありません。

 最初にメニューありきではなく適切な診断やカウンセリングを受け、イメージではなく十分に自分肌が感じる本当の効果を信じて治療を決めてください。

 

アジアン美容クリニック 院長。帝京大学美容センタ―講師  鄭 憲

コメント

歴史を評価する側

2013-09-10 13:06:52 | Weblog

 よく政治家が本人にとって不本意な形で辞任する時など、「本当の評価は歴史がしてくれる」という捨て台詞を残すことがしばしあります。残念ながら一般的には言い訳がましく聞こえ、さらに評価を落とす結果になるようです。しかし、一時的な評判や世論とは異なり、後にある事象の意味が判断されることも少なからずあるのも事実です。韓国では独立運動の義士であり、英雄として称えられる安重根(アン・ジュングン)は、日本人にとっては、当時の枢密院議長で元老 伊藤博文を暗殺した犯罪者です。このように両国の立場から彼に対する扱いが異なることはやむを得ないとして、この事件が結果的にその後の両国にとってどのような影響を与えたかは、様々な意見があり、ましてや歴史家でもない私が評価できるものではありません。私の関心はむしろ人間自身、それも実際に肌で感じた実像にあります。

 1909年10月26日事件後、安重根は逮捕され旅順監獄に収監されますが、検察官や判事、看守などそこで彼と接した日本人に強い印象を残すことになります。特に獄中時の特別看守であった千葉十七とは殊更深い交流がありました。当時25歳の千葉十七は、宮城県の出身で、志願し大陸での軍務についた青年で、当初は明治の元勲を殺害した安重根に対して強い憤りを感じていました。しかし看守として接する過程で、徐々にその言動、思想、そして人柄を知るにつれ、一人の人間として心を許し、5歳年上の安に対して尊敬の念まで抱くようになります。安重根も、千葉十七の実直さやその間の精一杯の気遣いに感謝し、処刑の直前に「為國獻身軍人本分」と墨書し十七に託します。その後、朝鮮総督府での勤務を終え、故郷仙台で鉄道員として勤めながら、安重根の写真と遺墨を仏壇に祭り、亡くなるまで1日も欠かさず礼拝し、49歳で亡くなるまで東洋平和の実現を祈り続けました。千葉十七の没後も、その遺志は未亡人と姪に受け継がれます。今も、宮城県若柳町にある大林寺には千葉十七夫妻の墓があり、1981年(昭和56年)、千葉家の遺族の希望により韓国に遺墨が返還されたことを記念し、安重根と千葉十七の友情を称える顕彰碑が建立されました。

 千葉十七に残された遺墨には「為國獻身軍人本分」と書かれています。自分の行動が私事ではなく国の為であることを示すものですが、一方 安重根を敬愛する気持ちから看守としての任務に負担を感じ、悩んでいた千葉を想ってのものとも考えられます。安重根が獄中で執筆していた「東洋平和論」には韓日中のアジアにおける平和的協力も言及していますが、結局 完成することはできず、今も我々の宿題と言えます。

 

コメント

チームワーク

2013-09-03 16:40:50 | Weblog

 

 韓国では昔から「女性が嫌いな男たちの話題」のワースト3は第三位がサッカーの話、第二位が軍隊の話、そして第一位が軍隊でサッカーをした話というジョークがありますが、2002年ワールドカップ以降は少なくともサッカーに関しては女性の指示も増えてきているようです。(我が家では変わらずですが・・・)今回 厳しし最終予選を突破し、晴れて韓日共に来年のワールドカップブラジル大会本戦出場を決めたことは喜ばしいことですが、特に韓国チームは最後まで予断を許さないぎりぎりの戦いの末の出場権獲得でした。当初からの約束ではありましたが、本戦は予選を指揮した崔康熙(チェ・ガンヒ)監督に代わり洪明甫(ホン・ ミョンボ)監督が引き継ぐことになりました。

 洪明甫(ホン・ ミョンボ)といえば、現役時代は「永遠のリベロ(サッカーでは時に攻撃にも参加する自由な守備手を意味)」と呼ばれ2002年ワールドカップでは韓国の主将として活躍した韓国サッカーを代表する人物です。引退後は指導者として確実に実績を積み、最近ではロンドンオリンピックで韓国チームを率い、初の銅メダルを獲得するなどカリスマ的人気を得ています。今回は、韓国サッカー界の窮状を救う‘切り札’という期待を一身に背負っての登板であり、かなりのプレッシャーがあるのではと察します。そんな中、洪明甫監督が自分と一緒に代表チームを指揮すスタッフには、以前から彼の戦術、ポリシー、性格を熟知した最も信頼できるコーチ陣を招聘するのは当然ですが、選手の健康管理から体調面の指導を一任する重要なフィジカルコーチとして再び参加するのが池田誠剛氏です。洪明甫監督とは、Jリーグ時代からの知り合いですが、彼が監督となり若手代表チームを率いることとなり、コーチを依頼された当時は日本のライバルでもあり、韓日の独特の関係を知る池田氏は招聘に応じるかどうか迷ったようです。しかし、韓国内でも日本人スタッフを正式コーチとして招くことへの批判がある中、情熱的に説得する洪明甫監督の熱意に参加を決意しました。ロンドン五輪の三位決定戦では、独島プラカードの問題も起こり日本で「売国奴」「非国民」の批判まで受けた彼ですが、結果的には韓日両国のサッカーの発展のためという池田氏の信念は揺るぎませんでした。

人間同士の強い信頼関係や、結びつきの前では、政治的意味や形だけの‘愛国’は小さいものに感じます。

コメント