美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

スポーツと政治

2012-10-03 17:03:54 | Weblog

 

  連夜の熱戦で、オリンピック期間は私だけでなく多くの方々が寝不足気味であったのでないでしょうか。そのスポーツと平和の祭典ともいわれる五輪も無事閉幕しましたが、一選手の些細な競技後の行動をきっかけに、逆に韓日国民に微妙な感情的亀裂を生み、その余波が政治家の発言と相まって、さらに両国関係をぎくしゃくしたものにしています。歴史的、政治的に内在していた摩擦が、スポーツを発端に起きたことは残念なことですし、オリンピックの理念に反するでしょう。その点では、韓国選手に対して今回のオリンピック委員会の指摘はやむを得ないものですが、へそ曲がりの私には一般的なよくいわれる「スポーツと政治は別もの」という言葉には若干違和感があります。

  一定のルールのもとに行われる競技、スポーツ自体に政治が関与する余地はないでしょう。しかし、国対抗の試合であったり、各国から参加する国際大会である場合、選手たちは当然 国を代表し、国の名誉を掛けて競技に臨むことになります。選手たちの純粋な意気込みは別としても、その大会が世界的な注目度が高ければ高いほど、政治的な思惑がさまざまな形で働くことは十分にあり得ることです。オリンピックを例に挙げれば、1936年のベルリン大会はまさに、ナチスドイツが世界にゲルマン民族の優越性を誇示するためのものであり、ドイツでは「非政治的、中立的」選手は逆に排除されました。そしてこの大会で、日本統治時代のため、日本人としてマラソン競技に参加し、金メダルと銅メダルを獲得したのが孫基禎(ソン・ギジヨン)と南昇竜(ナム・スンヨン)選手でした。すでに世界記録保持であった孫基禎選手は、ベルリン滞在中外国人記者にサインを求められるとハングルで署名し、その横にKOREAと書いたといいます。その後の近代オリンピックの歴史をみても、各時代の国際状況、政治の影響を全く受けなかった大会はむしろ珍しいかもしれません。1948年、戦後初めてのオリンピックでは日本、ドイツは敗戦国ということで参加は認められず、逆に韓国は日本による植民地からの独立で初の参加となりました。

  どの国の人間であろうと、自国の選手が活躍すれば国威発揚とまでいわずとも、誇らしく感じ、逆に試合で負ければ悔しく思うのは当然です。しかし、その感情を政治的に利用しようとする何者かが存在する可能性に関しては、常に冷静でなければいけないと考えます。

 

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