過去のある地点で起きた出来事を、記録や伝承をもとに後世の誰かが断片を繋ぎあわせ編集したものが歴史として残る。それ故、その時代の価値観や評価により、焦点が当てられる人物がいる反面、影のように隠れ忘れ去られる人々もいる。韓国の近代史は、植民地支配からの独立、その後は政治、経済的に国としての有り体を創るべくもがき続けた道のりであった。特に軍事独裁体制から民主化への過程は、最初に学生達が声を上げ、やがて一般の国民自らが立ち上がり、多くの犠牲の上に成し得たとの自負を持っている。南北の内戦終了後の韓国で1961年の軍事クーデターで権力を掌握し、長く軍事独裁政権を続けてきた朴正煕大統領が1979年10月26日に側近の大韓民国中央情報部(KCIA)部長の手により暗殺される。予期せぬ事件で朴大統領が斃れたことで、民主化への期待が国民の間で高まるも、同年12月12日、国軍保安司令官全斗煥(ジョン・ドゥファン)少将と第九師団長の盧泰愚少将を中心とする軍内秘密組織「ハナ会(ハナフェ)」による粛軍クーデターが発生(12.12軍事反乱)。軍の実権はハナフェによって掌握、翌年5月17日による「5・17非常戒厳令拡大措置」とその直後の「5.18光州民主化運動」(光州事件)を経て、全斗煥大統領のもと新たな軍事政権が誕生した。
今回紹介する作品「ソウルの春」は、チェコスロバキアでドゥプチェク共産党第一書記による民主化改革への期待が1968年8月深夜、ソ連による軍事侵攻とその後の占領で打ち砕かれた出来事「プラハの春」から連想された題名である。スト―リーは、12.12軍事反乱をモチーフに、実名は変えているものの、資料や証言をもとに当時の軍部内の動きからクーデターに至るまでの緊迫した状況、その中で蠢き、そして巻き込まれていく人間たちの葛藤や不安、恐怖を中心に描かれていく。現時点で韓国を代表する俳優と言ってもよい二人が対照的な人物を熱演した。権力に固執した悪の象徴、チョン・ドゥグァン国軍保安司令官役にはファン・ジョンミン、一方、圧倒的不利な状況の中、自らの信念に基づきハナフェと反逆者チョン・ドゥグァンの暴走を阻止しようと立ち上がる首都警備司令官イ・テシン役にはチョン・ウソン。そして、二大スターと映画「アシュラ(2016)」以来のタッグを組んだのが名匠キム・ソンス監督。「私は歴史家ではない。十分に調査して資料を得たぶん、面白さを追求しつつも、私が言おうとしているテーマや実際にあった事件の骨組みから抜け出さないという2つの原則を守った。」その言葉通り、ドキュメンタリー調ながら、善と悪を象徴する二人の主人公を対決させることで至高のエンターテイメントとして成功した。本作が2023年韓国で上映されるや、『パラサイト 半地下の家族』などを上回る1,300万人以上の観客動員を記録し、歴代級のメガヒットとなる。
チョン・ウソンが演じたイ・テシン司令官のモデルも存在する。張泰琓(チャン・テワン)という人物である。当時、陸軍少将であったが、陸軍士官学校出身ではなく、ハナフェとも距離を置く存在であり、かつ実直で部下からの信頼も厚かったと言われる。私の義父は元将校だが、まだ若き時節、他の部下たちと一緒に彼の自宅を訪れる機会があったらしい。軍人として既にそれなりの階級であったと思われるが、贅沢品は見当たらず、配給された古い靴を磨いて履くような、堅実で質素な生活をしていたとの話を聞いた。クーデター後、張将軍は拘束され、自宅軟禁の処分を受ける。彼の父親は「忠臣の家族は謀反者の下で生きていけない」と断食し翌年死去。ソウル大学に通っていた息子も、その2年後に祖父の墓前で命を絶っている。冒頭で歴史には光と影の役割があると書いたが、張泰琓(チャン・テワン)と言う人物も時代の中で、懸命に己の使命を果たそうとしつつ飲み込まれていった一人であろうか。
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