美容外科医の眼 《世相にメス》 日本と韓国、中国などの美容整形について

東洋経済日報に掲載されている 『 アジアン美容クリニック 院長 鄭憲 』 のコラムです。

世襲の善悪

2014-04-10 09:46:12 | Weblog

 

ソウルで思い出深い場所といえばやはり留学時代過ごした新村(シンチョン)でしょうか。韓国でも学生の街として知られ、当時は路地裏々まで食べ物屋、屋台、ビリヤード場、カフェと全く無秩序に並びつつ何となくそれぞれ存在感をもっていました。ただ、しばらくは昔の郷愁に誘われて何度か訪ねましたが、年々その変わりようにここ最近は足が遠のいています。当時の店はほとんど姿を消す中で、1972年創業の兄弟(ヒョンジェ)カルビは数少ない当時の門構えを残した焼肉屋です。しかも、ネットでの求人内容を見ると社員150人の中小企業として紹介されていますから、昔の焼肉屋さんというより会社として成長してきた感覚です。

 

韓国で一般的な家族従業の商店や飲食店で、家業を継ぐ、継がせるという意識は日本に比べればかなり低いのではないかと考えます。勿論、韓日両国に限らず、個人経営の店は、時代の嗜好変化や、コンビニに大手スーパー、そしてネット販売などの台頭により経営面でも難しくなってきているのは事実で、単純に家業を継ぐという問題だけではありません。それでも、何代も続いたお煎餅屋、佃煮やというように老舗といわれる店が多くあります。反面 韓国では前出したカルビ店のように3~40年続けば間違いなく老舗であり、それさえも一代目が頑張ってはいるが、子供には継がせたくないと考えているケースが多いでしょう。これは、昔から近代まで周囲に翻弄されてきた国あり方とともに、両班階級を頂点とする儒教的価値観の中、学問をすることで高い地位につき悠然と読書をしながら過ごすことが尊く、翻って商いや職人など汗水流して働く者に対する低い評価という価値観が生まれたのかもしれません。「子供に店を継がせるか」の問いに、自分はやむない環境から商いをしているが、子供は大学に行かせて違う人生を送らせたいと回答する店主が圧倒的です。

 

家業を継ぐと言えば、薩摩焼の沈壽官家は日本でも希有な存在だと思います。1598年、豊臣秀吉による二度目の朝鮮侵攻の際、帰国時に一緒に連行された初代から数えて現在の沈壽官さんは15代目です。特に現代、家業を継承することは容易ではないことは、沈家も同様であったと思います。15代目を継ぐにあたって悩んだとき、「(先祖の歴史も業績も苦悩も)わかっているのは今だけだが、未来は過去にあるのではないか」と考えたとありました。朝鮮の血と日本の風土が合わさったとき、世襲も凄みを増すようです。

 

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