日経平均、398円93銭安の1万6017円26銭で終了=東京株式(1/21)(時事通信の記事より)
正月友人のK君に久しぶりドライブに誘った時のことです。
車に乗り込んでくるなり開口一番彼からとび出したのは「今年の抱負がある」という宣言でした。
それで、ようやく十年前泥棒に割られて以来そのままになっている部屋の窓を直す気になったのかと思いました。
ですが、どうやら違います。
「俺、株式投資を初めてみようと思う」と言うのです。
聞けばもうすでに銘柄もいくつか買って投資家デビューを果たしているとのことでした。
それでさらなる飛躍を遂げようとK君は、今年最初の運試しをしてみることにしました。
初詣に寄った神社でおみくじを引いてみたのです。
ところが、「小吉」と書いたそれの「「相場」の欄には「今すぐに売って手仕舞いせよ」と書いてあるのです。
これを見て、なぜか僕のほうがぞっとしました。
なんだか神様に見透かされてる気分になったのです。
そして、その予感は的中しました。
年始早々、東京の投資市場が上記事の有り様です。
また、世界恐慌が起こる直前のアメリカでこんなエピソードがあります。
ある学者が、靴磨きをしている少年から株式投資をすすめられました。
それで、彼は「これはいよいよ株式が危ないかもしれない」と思ったそうです。
というのも、靴磨きの少年まで話が来るなんて、すでに市場が飽和しきっているということです。
K君には悪いですが、そんな話を思い出したりもします。
ですが、神社ファンの僕としては、おみくじが見事的中したと信じておきたいところです。
アフリカ南部、1400万人に飢餓の危機(AFBbbの記事より)
だいぶ昔ですが『うるるん滞在記』という番組の、武田真治さんが出ていた回のことです
東南アジアの辺境の村に、ボランティアで井戸を掘りに行くという内容です。
この番組は、毎回、最後の現地の人たちとの涙の別れが、一番の見せ場でした。
ですが、どういうわけか武田さんの様子は、どこか冷めた雰囲気です。
その理由が大分後になってからナイティナインさんのラジオで分かりました。
実は裏では、持っていったサックスを盗まれそうになったり、村の長老に自分の家の目の前に井戸を掘れと要求されたり色々あったそうです。
それですっかり幻滅してしまい、別れの場面でもどうしても泣けなかったそうです。
さて、たまに『その××円でアフリカの子ども○人の命が救える』みたいな広告を見かけます。
しかし、これはどう考えてもおかしいです。
というのも、物の原価は安くても、本当に彼らのもとに届くにはこの何十何百倍の経費がかかるからです。
送金にも手数料がかかり、物を卸すにもいくつもの業者がからみ、輸送量もかかります。
そもそも、そのための道路や施設から作らなければならないかもしれません。
それでも届けばいい方で、たいていは途中で悪い役人がくすねて、横流ししておしまいです。
ですから、××円がそのまま薬や食料になって困ってる人の手に届くなんてありえないです。
結局、何が一番必要なのでしょうか?
それは「強い国家権力」です。
アフリカ原産の穀物が存在せず、乾燥地帯も多く、エイズやエボラのような未知の病原菌が絶えず出現する…
アフリカの悲劇は、こうした要因から社会全体の経験値が上がらず、部族社会から抜け出せないところにあります。
それに豊富な天然資源が欲しい先進国としては、そのままの方が都合がいいのです。
ウルトラマンタロウの「ぶっ飛びすぎている放送タイトル」TOP5 (ロケットニュース24の記事より)
さて、日本の英雄といえば、誰を思い浮かべるでしょうか?
多分、一番多いのは織田信長なんじゃないでしょうか。
天下統一という目標を初めてかかげ新しい時代を作ったヒーローです。
一方で、『努力・勝利・友情』をテーマにする少年ジャンプのマンガの主人公はどうでしょうか?
なんとなく、ちょっと抜けてるけど信念を持ち、持ち前の人の良さで仲間を惹きつける…
そんなタイプが多いような気がします。
あえて言えば、豊臣秀吉系が多いかもしれません。
でも、もしかしたら、そうした理想のヒーロー像ができたのは最近かもしれません。
というのも、古代より伝わる日本神話には、まったく違う英雄の姿があるからです。
まず、日本初の英雄スサノオです。
村の娘を生贄にするヤマタノオロチを倒すエピソードが有名です。
勇猛な神様だけに、なんとなく神剣アメノムラクモを武器に戦って倒したようなイメージがあるかもしれません。
けど、実際は、酒で酔わせて寝首をかくというしょっぱさです。
その次に思いつくのは、ヤマトタケルノミコトでしょうか。
彼もまた、スサノオのスタイルを受け継いでいます。
宿敵イズモタケルを倒すのに、女装して宴の席に潜り込み虐殺するという、何か別の性癖に目覚めてしまいそうな展開です。
このように、古代の日本のヒーローは実はずる賢く正々堂々とは戦わないのが伝統です。
さらにこの二神に共通しているのは、父親から疎まれた末っ子だということです。
他にも山幸彦やオオクニヌシも皆末っ子です。
これも、日本の武士階級の長子相続の伝統とも異なります。
上記事のウルトラマンタロウも末っ子で最強という設定ですが、案外こちらのほうが本来のヒーロー像に近いのかもしれません。
長野バス転落事故 基準額割れでバス違法運行 「ツアー会社から要請」(朝日新聞の記事より)
「大富豪は不況で生まれる」という格言があります。
普通に考えたら、これはおかしいです。
景気が良い時ほど儲かる人が増え、その中から大金持ちも生まれそうです。
ところが、この「大勢が儲かる」というのがいけません。
好況時はいろんな会社の物やサービスが出てくるので、お金がひとつのところに集まりにくいです。
それに対して、不況時は消費者も財布の紐が固くなります。
そんな時に絶対的な基準になるのは唯一「安さ」です。
つまり、景気が良くないと人は選ぶ余裕がなくなり とにかく安いものに飛びつくようになります。
こうなると、企業としてはある意味で簡単です。
斬新なアイディアや質の高いサービスを考える必要はなくなります。
ただひたすらコストを抑えて商品を「一番安く」提供できた企業が独占的に勝ちます。
こうして「大富豪は不況で生まれる」わけです。
その証拠に、安さで評判の某アパレルメーカーはリーマン不況のまっただ中で過去最高益をあげています。
今は景気が少し上向いている部分もあるようですが、なにより気持ちが冷え込んだままです。
それで消費者がサービスの質も考えずに安さに飛びついてしまっています。
それが、更に企業側の値下げ合戦を激化させるという悪循環です。
しかし、その後ろには、安く買い叩かれている生身の人間がいることを忘れないようにしたいです。
自分の命を危険にさらす上、人の命まで削っています。
一人ひとりのお金の使い方ひとつで、良い企業を育てることも、悪徳企業をのさばらせることもできます。
とても難しいことですが、そんなことを思います。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『ささやかな潔癖症②』
■あとがき
過去記事『web漫画『ささやかな潔癖症』』の続きです。
料理のにおいって、食べるのとセットだとよくても、においだけ別に漂ってくるとくさいです。
特に肉の焼けたにおいとか醤油のこげたにおいとか。
いつも不思議に思ってます。
果物のにおいは食べるのと切り離してもいい匂いですけど。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『小六病のいろいろ』
■あとがき
一応上から順に精神的に大人な順のつもりです。
思春期に入ると、誰しも自意識過剰になります。
やることなすこと自己主張が入ってしまい、自然でいられません。
おとなになっても小中学校の恥ずかしい出来事を思い出したりする人はまだ継続中ということかもしれません。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
メリー副社長「I女史と4人のメンバーは絶対に芸能界で仕事をさせない!」(ポストセブンの記事より)
何時の時代も人を「商品」にするビジネスはヤクザなものです。
山口組も元は神戸港の人夫貸しから始まりました。
以前の仕事場で同じビルのテナントだった派遣会社の人たちも、なかなかのチンピラでした。
それは芸能事務所も同じです。
けど、使う側なりの言い分だってあります。
まず、タレントを一人育てるだけでも莫大な時間とコストがかかります。
それに、本人の努力と才能はあるにせよ、テレビに出られるのは事務所の力のおかげです。
それを地位が確立したからと、勝手に出て行かれたらたまったものではありません。
物なら著作権を主張できますが、人はそうもいきません。
ですから、裏切り者は他のライバル事務所も巻き込んで業界から干すことで、秩序を保っています。
多分この血の掟による制裁は、上記事の方たちも例外ではなさそうです。
他の事務所も変に受け入れたら自分たちが同じ目にあいますし、業界全体で抗争になります。
さて、ではこの鉄の掟がなくなったらどうなるでしょうか?
ちょうど、アニメ業界はそれに近い状態です。
スタジオも、アニメーターを雇い入れて育てたところで出て行かれるのが分かっています。
ですから机を貸すだけで、他は何の契約も保証もありません。
アニメーターもアニメーターです。
今の環境で固定給でやれる実力なら、フリーで仕事を取ったほうがずっとメリットがあります。
その結果、大多数の中の上より下の実力の人たちが、非常に割を食う仕組みになっています。
このように双方が自由な結果が、アニメ業界の壮絶ブラックな労働環境なのです。
さて、芸能界とアニメ業界、どちらをマシと思うかは人によるかもしれません。
妻に女グセの悪さを暴露されたゲス極・川谷 (リアルライブの記事より)
美術、音楽問わず男性アーティストの方々といえば、そっちの方がお盛んです。
19世紀から20世紀の有名画家たちの間では、女性のヌードモデルと関係を持つのが当たり前でした。
中でもグスタフ・クリムトは14人もの非嫡出子がいたといいます。
音楽でも海外アーティストが来日すれば、グルーピーと呼ばれるファンの女性が群がります。
そんな彼女たちとホテルでパヤパヤするのも、もはや床屋に髪を切りに行くくらいの気軽さで受け止められています。
同じような環境になれば、普通の男性でも同じことになるかもしれません。
ただ、もし彼らに共通する特徴があるとしたらなんなのでしょうか?
それは、インスピレーションと快楽とが、隣り合わせにあるからです。
まず、ひとつの絵を描いたり曲を作るのは、試行錯誤の繰り返しです。
なんとなく絵筆を滑らせたり、楽器の音を響かせたりします。
すると、たまに「これだ」という「快感」の感覚が降りてくる時があります。
一般的にこれをインスピレーションと言います。
この快感の信号は、ごくごく微量です。
のほほんとしていると、全く気づかないか、ふとまたどこかへ消えていってしまいます。
なので、脳を「気持ちいい」信号が出たらすぐにキャッチできる状態にしておきます。
いわば、脳が常に「快楽的に」なっている必要があります。
ですから、アーティストの人たちは仕事柄、自分の「快感」に対してすごく敏感です。
普通の人なら自制心が働くところを、そこで理性が働かないからインスピレーションが生まれます。
当然それは、より直接的な「快感」に対しても同じです。
ベッキー 女子会で「不倫」止められたが…結局、川谷の術中に(スポニチアネックスの記事より)
対人関係の悩みでも、個人的に一番くらいに困るものがあります。
それは「嫌な人の嫌味なアドバイスを聞くべきか」という問題です。
どんな性格の悪い人でも、批判というのはそれほど間違っていないことが多いです。
むしろ、嫌な人は意図的にこっちを傷つけようとしています。
ですから、聞き流せるような的はずれなことは逆に言いません。
親しい友人だと気を使って言われないようなことを、言ってくれるので余計にタチが悪いです。
ですけど、その指摘を素直に聞けるかといえば、まず無理です。
こういう時いつもどうしたらいいのかをよく悩みます。
一つ目の対処法はこうです。
「マイナスをプラスにしてやったぜ、ざまあみろ」と思うことです。
嫌なことを言われて傷つくのはむしろ相手の思う壺です。
それをむしろ改善するきっかけに自分で変えてやれば、相手にとっては負けです。
でも、こう思うのもなかなか難しいです。
そういう時は、あまり考えないことです。
脳の記憶は、体験を記憶する分野と、抽象的な情報を記憶する分野に分かれています。
例えば、言葉の単語は、どこで(=体験記憶)覚えたのかは覚えていませんが、意味(抽象記憶)はしっかり覚えています。
わざわざ自分で考えなくても、脳はちゃんと無意識のうちに記憶を整理してくれています。
これを利用してやるのです。
嫌な奴に言われた事実(=体験記憶)と自分のためになるアドバイス(抽象記憶)は、時が経てば自然と分かれていきます。
こうして冷静に受け止められるようになってから、生かしていけばいいと思います。
そうするのに必要なのは、ただひとつ、できるだけ心を軽く自然体でいようという心がけだけです。
豪州で撮影されたナゾの光! 炸裂するように消える姿が不気味すぎる / 稀な気象現象「球電」か!?(ロケットニュース24の記事より)
徳川家の菩提寺としても有名な東京の増上寺でのことです。
ここは本堂にも気軽に入れてお参りできるので、神社巡りのついでにたまに寄っていました。
あまり混んでいませんし、椅子も並んでいて、のんびりと仏像を眺めていられます。
秋口の頃だったと思います。
まだ明るかったですが、そろそろお寺は一日を終えようとしていました。
作務衣姿の若いお坊さん達が、寺じまいの準備にとりかかっています。
そして、中央の祭壇に数人のお坊さんたちが上り、一斉に読経をはじめます。
意味は分かりませんが、なんとなくありがたいと思って聞いていました。
大きな伽藍の左の奥の方には親鸞(だったと思います)の木像があります。
ふと、そこに目を向けると、おかしなことに気づきました。
像の額のあたりがすごく明るく白く光っているんです。
その木像のすぐ近くで掃除をしている人もいます。
ものすごく明るいので、その人に何かリアクションを期待したのですが、気づいていないのか淡々と作業をされています。
近づいてみればよかったですが、何故かそうはしませんでした。
そして、読経が終わるのと同じくらいに光は消えてなくなりました。
僕自身オカルト好きですが、だからこそ、オカルトには人一倍厳しいつもりです。
まず疑ってかかりますし、実際そういう体験は今まで一度もしたことがありません。
それで、日が暮れかけ何かに反射した光が、像に降り注いでいるんだろうと一応考えています。
ここまで書いて、少し似た体験をもう一度だけやはり有名なお寺でしたのを思い出しました。
また機会があればご紹介したいと思います。