Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

人生を山登りに例えれば

2013-04-30 21:35:41 | コラム

エベレストでシェルパが登山家に暴力 ネパール当局が調査(ヤフーニュースの記事より)  
世界的に有名な登山家がルートを整備しているシェルパ隊の邪魔をし怪我を負わせる格好になったようです。

近頃登山が静かなブームのようですが、こうした登山家達の大自然へのあくなき挑戦は見ている人を感動させます。
が、一方で、競技として捉えるならレギュレーションというかルールの線引の曖昧な部分が多々あります。

例えば、エベレストの頂上を目指すとして、人間が他の動力の助けを借りないというルールがあるのだとしてどこまで許容されるのでしょうか?
登っている間中寒さ暑さを感じない快適なウェアが開発されたら?
いくらでも電気を溜め込める軽量バッテリーや丈夫な軽量テントが開発されて、過酷な雪山キャンプも快適に過ごせるとしたら?
もちろんこれで登山の難しさが解決するわけではありませんが、やっぱりちょっと感動は薄れてしまうかもしれません。
同じルートなら装備の発達していなかった昔のエベレスト登山の方がずっと大変だったに違いありません。
かといって裸で登るわけにも行きませんし、それでは登山メーカーがスポンサーになってくれません。

こういったことは例えばヨットで太平洋横断にチャレンジする人にはもっといえることでしょう。
ヨットの大きさや積み込む荷物など自分自身で「ぎりぎり」の状態を作らなければなりません。

もちろん登山をバカにしたいのではありません。
僕自身ささやかながら近所の山を登りますが、頂上まで車道が通っている山頂もやはり自分の足で登ると同じ風景もまるで違って感じるものです。

スピリチュアルブーム全盛の頃にこんな話を聞いたことがありました。
私達の魂は死ぬとあの世に帰ります。
あの世は似たもの同士ばかりが集まっていて楽しいものの、ちょっと退屈で苦労がないので魂が成長できません。
だから、魂を磨くためにわざわざ大変なこの世に苦労をしに来るのだと。

魂が本当にあるのかどうかは知りませんが、この発想はどこか登山に通じるものがある気がします。
登山家の方もわざわざ自分から苦労しに来てることを肝に銘じて、命がけとはいえ無謀すぎる行いは避けて貰いたいものです。

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写真では伝えきれてませんが山中湖からの富士山の眺めは最高です。

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不思議な法律

2013-04-29 22:20:56 | コラム

「行列ができる法律相談所」など法律に関するテレビ番組がどのチャンネルでもやっているようなそんな時期がありました。
弁護士さん達のキャラクターもさることながら、法律や判例で決まっていることと我々の常識とが食い違っていたりするのが面白がられたのではではないでしょうか。

以下は学部であれば一年次に習う内容ですし、少しでも法律をかじったことがある人なら常識みたいな話ですが。

売主のAさんと買主のBさんが家を売る契約を交わしました。
ところが、Bさんが実際にお金を払って家に引越しをする前に家に雷が落ちて焼けてなくなってしまいました。
Bさんはそれでもお金を払わなければいけないでしょうか?

常識的に考えてBさんはお金を払わなくていいんじゃないかと思います。
ところが買主Bさんは売主Aさんにお金を払わなくてはいけないと法律では決まっています。
あわれBさん。

ギャルゲーの主人公のあなたは、母親の再婚に伴い相手の連れ子の黒髪ロングの白ワンピがまぶしい現役女子高生Cちゃんと一緒に住むことに。
あなたとCちゃんは晴れて兄妹となりましたが、やがて二人が惹かれあい恋に落ちるのに理由など必要ありませんでした。
「あっ…いけません。だって私とお兄さまは兄妹…」
法律上二人は普通に結婚できます。あしからず。

日本では家を借りるにもお金を借りるにも保証人がいないと始まりませんが、立場的に弱い借り手の保証人は必ず連帯保証人にさせられます。
この連帯保証人、別に借りた家やお金を使ったわけでもないのに借りた人と全く同じ責任を負わされます。
日本的と言われればそんな気もしますが、ナニワ金融道を地で行く悪習が法律で保証されてるなんていくらなんでもひどすぎます。

悪名高きこの制度、法務省も重い腰を上げたようでようやく法改正がされるそうです。

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はるか昔の二次元オタク

2013-04-28 22:00:55 | コラム

アニメオタクの事を二次元オタクということがあります。
アニメのキャラとはそもそもが「絵」であり紙やテレビのモニターなどの平面を通してしか触れ合えないので二次元だというわけです。
生身の人間は三次元だとして、フィギュアの人形はどうなんだというあれは2.5次元なのだそうです。

アニメオタク自体せいぜいここ30年くらいで成立した層なのだと思いますが、時代を隔てていても人間自体がさほど変わるものではありません。
大昔の人でも現代に生まれたらきっとアニメオタクになってただろうというような人たちはいました。

天つ風 雲の通い路 吹き閉じよ 乙女の姿 しばし留めむ 僧正遍照
(空に吹いている風よ、雲の中にあるといわれる天女の帰り道をふさいでおくれ。もうちょっとこの舞姫たちの美しい姿を眺めていたいから)

百人一首に出てくる有名な歌ですが、天女の舞を舞う娘を本物と同一視してしまう妄想力にアニオタ気質を感じます。
天台宗の大僧正までつとめた高僧が詠んだ歌というのもポイント高いです。

とはいうものの宗教者というのはある意味で究極のロマンチストなので夢見がちなところはあるようです。

処女懐胎によりキリストを身ごもったた聖母マリア様ですが、このこと自体はマリア様本人がどうというよりキリストが無原罪の神の子であることを示す奇跡だったのだと思います。
新約聖書によればキリストの誕生後マリア様は夫ヨゼフとの間に何人も子を設けていますから。
ところが、一般的にカソリック教会ではキリストの兄弟の存在を認めていないようです。
マリア様には純潔のままであってほしいという心情が働いているのだとしたら、アイドルや美少女キャラのオタクさんたちのそれとあまり変わりがないように思います。

もっともこういうタイプの人でしたら自分で彫刻した理想の女性ガラテアに恋してしまいアフロディテに人間にしてもらって結婚したピグマリオンがダントツで優勝です。
好きなアニメキャラを「○○は俺の嫁」といったりしますが、それはピグマリオンにとってすでに2,500年前に通りすぎた道でした。

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今を変えるのは感謝から

2013-04-26 21:27:18 | コラム

生活保護が何かと話題になっています。

僕自身は生活保護は公共事業の一部と考えているところがあります。
生活保護受給者はもらったお金は大抵きっちり使うので、国内の消費を助けているという面はありますから。
とはいっても巨額の財政赤字に苦しむ日本で今後も社会保障費が年に1兆円ずつ増え続けたら大変です。
そこで受給者が厳しい目で見られるのもまた仕方ないと思います。

しかし、一方で現状の生活保護制度は真綿で人の首を絞めていくような面もあると感じます。
つまり人の心理としてどうしても怠けさせてしまう面があるということです。

昔、製造業といっていいとある業種の仕事をしていた時に感じたことです。
そこはスケジュール的にタイトな行程をこなさなければない常時修羅場のファンキーな現場でした。
それでも、たまに仕事の質を優先してくれるクライアントさんにあたると、余裕を持って現場に仕事を渡せることもありました。
しかし、現場の人の仕事の質は変わらず、結局納期前にはいつもどおり怒声飛び交う修羅場が展開されるというマイナス方向に振りきれた遊園地状態になりました。

何が言いたいかというと、人は状況にあわせて無意識に目標を上げたり下げたりしてギリギリの状況を作ってしまうということです。

本来、生活保護はまず生活を落ち着かせ自立に向けた再スタートをしてもらうのが目的のはずです。
しかし、実際には与えられた金額の中でどう快適に過ごすかという方向に心理が働く傾向があります。
そうしてこのマインドセットが出来上がってしまうと、向上心が芽生えてくることは難しくなります。

これはちょっと視点を変えれば生活保護を受けていない人たちにも当てはまることです。
千年前に比べれば天国のような世界で暮らしているにも関わらず、それでも常に悩み苦しんでいます。
客観的にはどんなに恵まれていたとしてもです。

最初の例と逆のように思えるかもしれませんが、今ある現実に自分を合わせにいってしまう点では同じ事といえます。
不平不満は悪い意味で現状の追認であって、あまり向上心につながりませんから。

まずは今の生活のありがたさを思い感謝を忘れず前向きな気持ちになることが大切です。

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いいひとは悪いひと

2013-04-24 21:39:45 | コラム

よく意味が間違って覚えられていることわざに「情けは人のためならず」があげられます。
人に情けをかけてあげればいずれそれがまわりまわって自分に返ってくるという意味なのですが、情けをかけてもその人のためにならないと理解している人が多いそうです。

「健全な精神は健全な肉体に宿る」やクラーク先生の「少年よ大志を抱け」などは間違った解釈によって逆に格言たる地位を築いた好例ですが、このことわざはあまり意味を変えてほしくありません。

この「情けは人のためならず」は逆説的なところが面白いのです。
人に情けをかけるわけですから「いいひと」に違いないのですが、結局自分の利益を期待している点で利己的な「悪いひと」といえなくもありません。
しかし、よく考えればこの2つは対立するものでもありません。

例えば自分の考えと正反対の意見をいう人がいるとします。
とっさに反論したり頭ごなしに否定したくなりたくなるのが心情ですが、そこをぐっとこらえます。
それからどうしてそう思うのか、理由を聞いたり、動機を聞いたりしてみます。
それで相手が正しいと思うのなら、従えばいいのです。
自分に文句を言う人がいても同じです。
相手の言うことが正しいなら湧き上がる怒りを抑えて素直に取り入れたらいいのです。

なぜかといえばそっちの方がずっと自分にとって得だからです。

きっとそうできたら、みなからは「いいひと」と思われることでしょう。
しかし実は自分が得することだけを追求している「悪いひと」といえるかもしれません。

とは言うもの僕自身も頭では分かっていてもなかなか実践できてないことです。
メンタルが豆腐よりもろくすぐ感情的になってしまうのが主な原因ですが、自分自身が得したい貪欲さが足りてないと反省すべきなのでしょう。

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ステキ、ステキ!-Suteki, suteki!-

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流行り言葉の今昔

2013-04-23 21:32:19 | コラム

最近ネットで「激おこぷんぷん丸」という言葉がイラストつきで流行っています。
出来心にも程がある完成度の低さに内心「つられないぞ」と葛藤が生まれるものの、その語感の良さについついニヤリとしてしまいます。

流行り言葉といえば空気が読めないという意味の「KY」はいくらなんでもひどすぎました。
ネガティブな言葉ですし肝心の「ない」の部分がアルファベットに入っていないし、新聞の紙面でおじさんたちが政治家を揶揄するのに使う様は色々といたたまれない気分になりました。
それでいうと「激おこぷんぷん丸」は楽しくて良いです。

ところで、流行り言葉を生み出すのは若者です。
「イケメン」は例外中の例外として、その多くはせいぜいもって数年の儚い命ですがある一定の傾向があります。
驚きをあらわしたり何かがすごいとかかっこいいと言いたい時の表現が多いのです。

例えばもはや流行語以上に定着した感のある「マジ」や廃れてしまった「超」などがそうです。
ネットでは「ガチで」という言葉も目にしますが、やや某掲示板のオタク系の男性が使う傾向が強い印象です。
その他も半端無いが略されてしまった「パねえ」なんていうのも時々目にしました。

随分前にジョン・トラボルタ主演の「サタデー・ナイト・フィーバー」を観た時にこんなシーンが有りました。
ダンスパートナーの年上ヒロインが「スーパー(超いかすわ)」といった時、トラボルタ演じる主人公が「最近じゃメガっていうんだぜ?」と返します。
今ならきっと「クール」が使われるんじゃないでしょうか?

死語となった流行り言葉としておなじみの「ナウなヤング」ですが、近頃はもはやよくある死語として挙げる事自体が定番すぎてやや恥ずかしくなってきています。
こうして死語として顧みられることすら無くなった時に本当の意味での死語になってしまうのでしょう。

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次の時代に来たるもの

2013-04-22 21:56:39 | コラム

ゴヤの『裸のマハ』や印象派の落選展など、時代の先駆けを行くムーヴメントというのは得てして同時代の評論家や大衆に非難されがちです。
あるいはゴッホのように死後ようやく評価されるようなこともあります。
偉大な作品であればあるほど、大分後になって時代が作品に追いついてくることが少なくありません。

では現代の我々にとって来る次の時代の先駆けとなるようなムーヴメントを起こす作品とはどういったものになるでしょうか?
輪切りにした牛の親子をホルマリン漬けにした作品が割と真正面から評価されている昨今、これ以上物議をかもそうと思えばもはや法律ギリギリの線で行くしかありません。

ハイパーリアリズムという写真の様に緻密な絵がテレビで取り上げられ初めて少し経ちます。
ある意味、抽象世界をも超えた究極の客観芸術ともいえ、意味や意義そしてモラルに挑戦してきた芸術家達の次の選択としては面白いムーヴメントといえます。

むしろ観念的になりすぎた現代芸術界に対して、襖や掛軸や陶器といった生活に供する物の中で芸術性を極限まで高めていった古来の日本人のストイックさに胸打たれます。
もしかしたらそういう古臭いと思われていたものの中に新しさを見出すことが次の時代の革新につながる芸術となるかもしれません。

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20世紀米を代表する画家の1人ワイエスの作品。現在のリアリズム絵画の先駆けといえるのかも

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人はなぜ方言をしゃべるのか?

2013-04-21 21:33:03 | コラム

今日の毎日新聞の記事に面白い話題が載っていました。
自閉症の子供は方言を喋らないのだそうです。
理由は色々考えられますが、その有力な一つに自閉症の症状である共感能力の欠如があるそうです。
逆に方言をより使うのは同世代の連帯感の強まる13歳ごろと地域社会への帰属が高まる35歳頃だそうです。
我が身を顧みると確かに小学生の高学年の頃は湘南周辺の方言である「~だべ」を意識して使っていた記憶があります。
親が関西出身であまり地元の方言に馴染みのなかった僕にとって新鮮に感じたせいかもしれません。

例えば、アメリカ英語でも方言はもちろんあります。
口をあんまり開けずにしゃべるテキサス訛りや端々に英国っぽい響きがはいるボストン訛りは僕でも分かります。
(ちなみに大阪弁をしゃべるアニメキャラは英語吹き替えではテキサス訛りになっていることが多いです)
ですが、あくまで発音の違いであってアクセントが違うことはまずありません。

日本は国土が狭い割に方言が非常に多彩です。
そして英語などのヨーロッパ系の言語と違い方言によってアクセントもかなり違います。

これはなぜなのでしょうか?

日本語はたった5つの母音がほとんどの音につくとても聞き取りやすい言語です。
これが方言を産む理由を2つ作ります。
1つ目は音が拾いやすい言語なのでアクセントは変えても言葉として通じるため、地方によって様々なアクセントの方言が出来上がります。
2つ目に日本語の一音一音に母音がつく発音の煩わしさを避けるために方言が発達するのです。
例えば「開かない」より「開けへん」の方が最後が子音の「ん」で終わっているため発音が楽です。
西日本全般で使えそうな「開かん」という表現でも同じです。
「ドラゴンクエスト」が「ドラクエ」になったり、日本人が何かと四文字に省略したがるのも同じ理由です。

また日本語は語尾につく終助詞がなんであっても位置でそれとわかるのでバリエーションがでてきます。
おかげで「~や」「~と」「~じゃ」や「だっぺ」など共通点すら見いだせないレベルで地方色が出ます。
アニメやマンガでも「~ですの」から「~にょ」や「~ゲソ」など結構無理がありそうなものでもキャラの個性を出すのに使われています。

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この女の子、名はカムロちゃんというのぢゃ。ちなみにこの神社は麻賀多(まかた)神社ぢゃ

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仕事が楽にならないのはなぜ?

2013-04-20 21:07:49 | コラム

先日の記事(人と電脳のこれから)でご紹介した「第2回電王戦」の最終第5局が本日催されました。
将棋ソフト「GPS将棋」がA級棋士の三浦弘行八段に勝ち、ソフト側の3勝1敗1分という結果に終わりました。(YOMIURI ONLINEより)
PC端末を何百台もつなぎ合わせ、圧倒的演算速度に物を言わせた清々しいまでの勝ちっぷりだったようです。

20世紀初頭のフランスを舞台にした映画「マルセルの夏」で、教師の父親が新任のクラスの生徒たちに演説を打つシーンがあります。
そこでは「新世紀は人間がしている仕事は全て機械にまかせて、我々は楽して暮らせる夢のような未来が待っている」というようなことを言っていました。

しかし現実はどうでしょうか?
むしろ人々は工業化の前のほうがずっとのんびり暮らしていたように思います。
年配のサラリーマンの方から「昔なら一泊二日の出張が今では日帰りで済んでしまうから大変だ」と聞いたことがあります。
(たしかに統計上単純な労働時間は昔の方が多いのですが、今のせわしなさはその分をおぎなって余りあるほどです)
昔はブラック企業や過労死なんて言葉はありませんでしたし、IT化でそういった流れはより加速しているのではないでしょうか?

たしかにマルセルのお父さんのいうとおり、工業化により暮らしは便利にはなっています。
皆健康で最低限度の生活を送ることはできるようになったという意味では決して世の中が悪くなったとも思えません。

とはいえ、物もいいものが多く早く作れるようになったのに、人間の仕事はまるで楽にならないのはなぜでしょうか?

マルセルのお父さんはいいものがたくさん作れてたくさん売れれば、儲かったお金が給料=労働力に反映されると考えました。
ところが現実は、いいものがたくさん作れて儲かる分は商品の価格を安くし市場を広げる方に反映されてしまったのです。

おかげで大昔には庶民には高嶺の花だった自家用車も今や一家に一台の時代になりました。
でも、世の中が便利になればなるほど働く人たちは忙しくなってしまう皮肉な結果がここ日本では特に顕著です。
この点に関しては共産主義の提唱者であるマルクスの予言が割合当たったといえるのかもしれません。

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抽象的になれない日本

2013-04-19 23:59:59 | コラム

過去記事「なんで英語はかっこいい?」でもお話しましたが、日本語というのは英語と比べてあまり抽象的な言葉ではありません。
その上他所から持ち込んだ漢字も象形文字ですからあまり抽象的でないといえます。

言葉は扱う人の考え方を決めるものです。
例えば「空気を読む」とか「もったいない」なんて考えは日本人特有です。

ですから、あまり抽象的でない言葉を扱う日本人は考え方もあまり抽象的でありません。
もしかしたら順序が逆かもしれませんが。

欧米のポスターはメッセージ性とかデザイン性を重要視したものが多い印象ですが、日本のものはアイドルやアニメなどの人物がイメージキャラクターに起用されているデザインが多いです。
フランスやアメリカが「平等」だの「自由」だのふわふわしたお題目で革命を興したその百年後、日本では天皇につくか幕府につくかといったかなり具体的なテーマで内戦してました。
教会ではもっぱら天国にいくために許しを乞うことが多いのに対して、日本の神社やお寺では商売繁盛や合格祈願など現世利益をお願いしに行きます。

日本人がITや金融の分野でイマイチなのもこの特性にあると思われます。
また日本でクレジットカードがあまり普及しないのも同じ理由ではないでしょうか?

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