エベレストでシェルパが登山家に暴力 ネパール当局が調査(ヤフーニュースの記事より)
世界的に有名な登山家がルートを整備しているシェルパ隊の邪魔をし怪我を負わせる格好になったようです。
近頃登山が静かなブームのようですが、こうした登山家達の大自然へのあくなき挑戦は見ている人を感動させます。
が、一方で、競技として捉えるならレギュレーションというかルールの線引の曖昧な部分が多々あります。
例えば、エベレストの頂上を目指すとして、人間が他の動力の助けを借りないというルールがあるのだとしてどこまで許容されるのでしょうか?
登っている間中寒さ暑さを感じない快適なウェアが開発されたら?
いくらでも電気を溜め込める軽量バッテリーや丈夫な軽量テントが開発されて、過酷な雪山キャンプも快適に過ごせるとしたら?
もちろんこれで登山の難しさが解決するわけではありませんが、やっぱりちょっと感動は薄れてしまうかもしれません。
同じルートなら装備の発達していなかった昔のエベレスト登山の方がずっと大変だったに違いありません。
かといって裸で登るわけにも行きませんし、それでは登山メーカーがスポンサーになってくれません。
こういったことは例えばヨットで太平洋横断にチャレンジする人にはもっといえることでしょう。
ヨットの大きさや積み込む荷物など自分自身で「ぎりぎり」の状態を作らなければなりません。
もちろん登山をバカにしたいのではありません。
僕自身ささやかながら近所の山を登りますが、頂上まで車道が通っている山頂もやはり自分の足で登ると同じ風景もまるで違って感じるものです。
スピリチュアルブーム全盛の頃にこんな話を聞いたことがありました。
私達の魂は死ぬとあの世に帰ります。
あの世は似たもの同士ばかりが集まっていて楽しいものの、ちょっと退屈で苦労がないので魂が成長できません。
だから、魂を磨くためにわざわざ大変なこの世に苦労をしに来るのだと。
魂が本当にあるのかどうかは知りませんが、この発想はどこか登山に通じるものがある気がします。
登山家の方もわざわざ自分から苦労しに来てることを肝に銘じて、命がけとはいえ無謀すぎる行いは避けて貰いたいものです。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
写真では伝えきれてませんが山中湖からの富士山の眺めは最高です。