Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

なんでも嫌う人の心理学

2014-06-30 23:42:20 | コラム

世の中には「何でも嫌う人」がいる:研究結果 (Lifehackerの記事より)

例えば、ネットの掲示板で「タコの足の本数」を聞きたいとします。
普通に質問しても無視か「ググレカス」とまともなまず答えは帰ってきません。
ところが「タコの足の本数は10本に決まってるだろw」なんて書くとものの数十秒で正しい答えが帰ってきます。

何の因果か人は相手を憎んだり馬鹿にできる時の方が活動的になります。
ですから、何かを敵視することは、人によっては生きる目的にすらなりえます。
クレーマーとまで行かなくても、愚痴っぽい人や必ず否定から会話に入る人は男性には特に多いです。

でも、意外と本人たちは気づいていません。
自分のことを「客観的」で「分析力がある」と思っていることがほとんどです。
世の中馬鹿ばっかりで、自分がそれを正してやっていると思っています。

でも、言葉とは力を持つものです。
何かを批判することは、相手を否定する以上に自分を否定することになります。
あれもダメ、これもダメと言う度に、自分もそれをできなくなってしまうのですから。

極端な例ですが、無差別殺人者の多くは強い自殺願望を抱えており、実際に犯行後自殺するものも多いです。
これも、他人を否定することと自分を否定することが同じという証拠です。

逆に言えば、何事にもポジティブな面を見つけることで自分が得できるのです。
世の中面白くないことだらけですが、やっぱり得する方がいいと思います。

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君がそこにいてくれるだけで

2014-06-29 23:09:52 | コラム

ストイコビッチ独占インタビュー 「日本代表の監督には非常に興味がある」(サッカーダイジェストwebの記事より)

今を遡ること十余年前、まだ日韓ワールドカップの熱気も冷めやらぬ中、ジーコ日本代表監督就任が発表されました。
しかし、Jリーグの最大の功労者の一人が日本代表監督になることに反対する意見は多かったです。
次のワールドカップでの成績次第では、彼の過去の功績まで傷つくことになりかねません。

そしてちょうど今回のワールドカップと写し鏡のような関係になってしまいました。
その結果としてジーコさんとJリーグとの間に距離ができてしまったような気がするのです。

さて、何事にも象徴となる「アイコン」は必要です。
例えば、野球なら長嶋茂雄さん、ロックなら内田裕也さん、上方落語なら桂米朝師匠、お笑い界ならビートたけしさんといった具合です。
かつては第一線で活躍し、それが後に数々の「伝説」となって今に伝わっています。
そして、今でこそ鳴りを潜めましたが、そのたたずまいというか存在自体が周りから求められています。

一言で言えば、それは業界の「権威」といってもいいでしょう。
恐らく、実力の点では、彼らをしのぐ後輩はたくさん出てきています。
が、彼らが「権威」として頂点にどんと構えてくれているおかげで、全体にタテのまとまりが生まれているのです。

そして、これは国家にも言えます。
日本では象徴としての天皇皇后両陛下がおられます。
日本国最高の「権威」ですが、今は「権力」をふるうことはありません。
かえって権力を振るわれては、失敗した時に責任を問われ権威が失われることになりかねません。
ですから、そこにいてくださるだけで、なんとなく国全体がまとまるのです。

ですから、正直なところ、ストイコビッチさんにもJリーグの「アイコン」のままでいてほしいと思います。
後ろ向きかもしれませんが、せっかくの日本との縁をなくしてしまうのはあまりにも惜しいので。

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天皇杯で優勝し天皇皇后両陛下に最敬礼するデムーロ騎手

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にわかファンの効用

2014-06-28 23:24:06 | コラム

中川翔子がにわか批判に反論 「にわかって言葉きらい!趣味くらいすきに楽しみたいじゃないか」(日刊スポーツの記事より)

ニコライ・カプースチンというロシアの現代音楽のピアニストがいます。
超絶技巧に加えジャズともクラシックともいえない風変わりな作風ですが、ポップで聴きやすい雰囲気があります。

彼の演奏を某サイトでニコニコしながら観ていた時のことです。
そこで『左手のベース音がウォーキングできてない。ジャズ屋としては笑うしかない』という批判コメントを見つけました。
この投稿した人は曲がジャズの作法に適っていないことが許せなかったようです。
でも、当のカプースチンさんからしたら「で、それで?」と言い返したくなるかもしれません。

どのジャンルにもこの手は一定数存在します。
彼らは純粋に楽しむことを忘れ、仕入れてきた知識で作品の善し悪しを判断しようとします。

例えば、ある絵を見て「すごく…いい」と「感動」したとします。
すると、その感動の理由を知りたくなったり、どういう技法で描かれているのか興味が湧いてくるかもしれません。
これらは、「感動」の手助けをしてくれる絵の「知識」です。
音楽や絵画やスポーツ、なんでも構いませんが何事にも「感動」と「知識」の二つの面があるというわけです。

この「感動」と「知識」の順序は間違っても逆ではありません。
しかし、前述のジャズ屋さんのように「知識」を「感動」にすり替える頭でっかちな人達が結構います。
こうした人達は、作品がそのジャンルの約束事や様式を守っていることで感動しようとするのです。

もちろん、様式にはそれぞれにきちんとした意味があり、本来の素晴らしさにつながっています。
そのジャンルを深く知らないと、良さが分かってこないことも沢山あります。

しかし、それが行き過ぎてしまい、ファンが知識や約束事に縛られるようになっては後は廃れていくだけです。

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作風と同じく親しみやすくどこかユーモラスな顔立ちのカプースチンさん

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続・ネット弁慶の言い分

2014-06-26 22:25:34 | コラム

爆笑問題・太田、セクハラやじを飛ばした人物を批判…「渋谷の交差点の痴漢とか、ネットで匿名で悪口書いてる奴らと一緒」(Livedoorの記事より)

「見ている夢を他人が知ることができたら、この世に聖人はいなくなる」
随分昔、こんな言葉をどこかで見た記憶があります。
主にエロス関連でしょうけど、もし人に知られたら非常にマズい夢を見た経験は誰にでもあると思います。

今の時代、そこにパソコンのハードディスクの中身とネットの閲覧履歴もつけ加わりそうです。

人によったら、それにネットの書き込み履歴も加わるかもしれません。
ネットが匿名なのをいいことに人の悪口を書きこんでウサを晴らしているのなら、バレたらマズイことになります。

そして、その悪口のターゲットは主に有名人の人たちです。
そこでよく言われるのが、上記事のような「匿名で人の悪口を書くのは卑怯だ」という意見です。
有名人の方は顔も名前も出して意見を言っているのに、ネットの不特定多数に批判されるのは、不公平にも思えます。

ですが、一般人の僕としては、これにはちょっとだけ反論があります。
『炎上商法』なんて言葉もある通り、有名人の人たちにとってある意味人の悪口も商売の一つです。
太田光さんの切れ味するどい毒舌のファンという人は多いと思います。

しかし、匿名で書き込むような普通の人は、それはマイナスにしか働きません。
政治と宗教とスポーツの話はするなといわれるくらいです。
悪口とまでいかなくても、自分の主義主張を知られるだけで仕事や友人関係に差し障りがでるのです。

ネットは匿名とはいえ、だれでも見られる公の場ですから、それ相応のマナーがあります。
ですから、ただの悪口は論外にしても、スジの通った批判には匿名ならでは価値もあるんじゃないかと思います。

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犯罪者に憧れる人たち

2014-06-25 22:28:18 | コラム

「人を殺してみたい」19歳少年、歩いていた70歳男性に馬乗りになり、アイスピックで重傷を負わす-横浜(TBS NEWSiの記事より)

昔、いわゆる神戸少年殺人事件があった時のことです。
とある学者さんが、テレビでこれは今までにない『脱社会』型の犯罪だと主張していました。

今までの無差別殺人は自らの社会への不満を何かに向けるぶつけるものでした。
ところが、この件はそれすら超越した違う新しいタイプの犯罪だというのです。

でも、僕からすればこの意見には違和感がありました。
自らを「スクールキラー」と名乗り遺骸を校門に置いたことからも、学校という属する「社会」の一部に対する敵意が見て取れます。
そして、痛々しい犯行声明文からもその「社会」に対し自分の存在を知らしめたいことは誰だって分かるはずです。

偉い学者さんの言っていることですし、彼のほうが正しいのかもしれません。
しかしながら、左系ということもあり、今の社会や価値観を壊したい願望を彼に投影しているのかもしれないと、その時は感じました。

憧れているまでいかなくても、異常な犯罪者に対してある種の「ヒーロー像」を求める人がいます。
まるで虫か何かのように平気で人を殺す、常人離れした行動に興味をひかれるようです。

しかし、根っからの反社会的な性格の人物ですら、ただの興味本位で人を殺したりしていません。
家庭内の不和や虐待など幼少期の体験があって、他者への抑えがたい憎しみを募らせていったり、性的倒錯に陥っているのです。

その意味で上の事件だって例外ではないと思います。
心理状態は異常ですが、その心境には理由があるはずです。
もしくは、そんな人を平気で殺せる人物像に憧れていたのかもしれません。
間違っても、犯罪者を特別な存在に仕立て上げるべきではないと思います。

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女らしく、私らしく

2014-06-24 23:15:06 | コラム

田嶋陽子さんに「早く結婚を」と言われたと告白 竹田恒泰氏「男性蔑視としないのはなぜ」に賛否両論 (J-castニュースの記事より)

「男だったら泣くんじゃない」
男であれば、子供の頃に一度は言われたことがあるんじゃないでしょうか?
僕は親にも学校の先生にも言われたことがあります。
でも、今でも変だとは思いません。

それに対して、「女の子らしさ」はかなり複雑です。
女らしい服装やスタイルには皆憧れますが、中身になるとそうでもありません。
「女の子らしくしなさい」と母親なら許されそうですが、父親が年頃の子に言ったら大変です。
職場の上司が言おうものなら、次に会うのは法廷になるかもしれません。

上記事の件も、「結婚しろ」も男性に言う分には問題ではありませんが、女性に言おうものなら上へ下への大騒ぎです。

しかし、なぜこれほどまでの差が出るのでしょうか?
それは「女らしさ」の中身にあります。
女らしい女性といえば、お行儀よく慎ましやかなタイプが思い浮かびます。
逆にガサツで自己主張の強い女性は、あまり女らしいとは言えないと思います。

つまり「女らしさ」は何かを「しない」ことで得られる消極的な面が強くあります。
そして化粧や服装の身だしなみ行儀作法までとにかく約束事だらけの「義務」の面が多いのです。
それに対して「男らしさ」は何かを「すること」で得られる積極的な目標です。
そのためには普段は多少ガサツでいい加減でも「まあ男だし」と許されます。

ですから、女性に対して「結婚しろ」というのも受け取る側は人格を無視した強制と感じます。
男性にはアドバイスくらいに受け取られるのがせいぜいです。

しかし、最近では「女子力」なんて言葉もあります。
ある意味で、女性にとっても「女の子らしさ」は強制ではなく目指すべきものとなりつつあるのかもしれません。

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盗難にあった佐倉市の双体道祖神。男女に必要なのは「対立」ではなく「協力」ですね。

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貧乏長屋のK君

2014-06-23 23:09:40 | コラム

先進国なのになぜ!? 貧困の子どもが多い日本のシビアな現実(パピマミの記事より)

今も格差が問題となりつつありますが、やはり貧しさの程度で言えば昔も随分ひどかったように思います。

思い出すのが、松本人志さんと高須光聖さんによる浜田雅功さんの子供の頃のエピソードです。
特に高須さんの印象に残っているのが浜田さんの「一メモリだけくれ」というフレーズでした。
家が貧乏だった浜田さんは、学校の給食の出ない土曜日はいつも昼抜きです。
そこで、親が自営業だった高須さんが昼飯代を渡され買い食いする側で、分前に与ろうとするのです。

『チキンライス』の歌詞にもあるように、松本さんの家も貧しかったようです。
しかし、どこか当時を懐かしむようなところもある松本さんに対し、浜田さんはあまり語りたがりません。
性格もあるのかもしれませんが、思い出したくもないほどつらい経験だったのかもしれません。

さて、小学生の頃ほんの一時期、僕の兄弟がよく遊んでいたK君という子がいました。
おとなしく物静かな子で、同じようなタイプの兄弟と気があったようでした。

彼もまたとても貧乏な家の子でした。
聞けば、家は近所の木造長屋の一室で、そこに六人兄弟という大所帯で暮らしているそうです。
同学年と子と比べても明らかに背が低く、体つきも細すぎます。
彼もまた、あまり満足にご飯を食べさせてもらっていなかったようです。
僕の母もかわいそうがり、彼が遊びに来る日は決まって僕の家で一緒に晩御飯をとっていました。

しかし、それもつかの間、K君は引っ越して行きました。
どこでどうしているかも分かりませんが、よしもと芸人さんのように、この経験をバネにできていたらと不遜にも思います。

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南蛮人にはわかるまい

2014-06-22 23:41:32 | コラム

都議会やじ、海外も批判、東京五輪開催や日本の企業慣行と絡めた報道も…「日本における女性の低い地位を反映している」(東京新聞)

上の記事は違うとしても、欧米社会から時折「日本女性の社会的地位は低い」と面白おかしく喧伝されることがあります。
そして彼らは日本を含めた他の国は、自分たちより「遅れている」と「差別」するのです。
反差別を訴えるその根本を支えているのが、他文化への差別意識だというなんとも皮肉な話です。

たしかに、あまり社会進出をせず経済的な自立があまりできない日本女性達は彼らにはかわいそうにみえるのでしょう。
しかし、その裏には、家計をしっかり握り夫には小遣いを渡し子供を味方につける、あんまりかわいそうでもない実態があります。
実際のところどちらが本当に偉いのかは、結構意見が分かれそうです。

もちろん、偏見から実際に企業での活躍を阻まれている女性もたくさんいます。
しかし、欧米の紋切り型の批判は実情を知ろうともしないただのステレオタイプに感じます。

とはいえ、ラテン諸国は少しだけ事情が違います。
例えば、イタリアもあまり女性の社会進出があまり進まない「遅れた」国です。
しかし、一方で「マンマ」といえばイタリアでは神にも等しい存在です。
その隠れた女性上位の面は、どことなく日本とも近いものを感じます。

そして、その共通点は信仰にも現れます。
日本の神道での事実上の最高神といえば女神アマテラスオオミカミです。
キリスト教のイタリアではどうかというと、宗主キリストを差し置いて、聖母マリア様が一番人気です。

今、我々が旨としている男女平等思想はもともと欧米でもゲルマン系の文化だと思います。
北方での厳しい環境を生き抜くため、彼らには男女別け隔てなく協力し仕事をすることが求められたのです。
そうした中で生まれた文化が今の世界の価値観を支配しているのは、必然といえるのかもしれません。

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ラファエロの椅子のマドンナ。このなんとも優しげな眼差しに惹かれたのが絵に興味を持ったきっかけでした

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無意味さの意味

2014-06-21 22:17:33 | コラム

新宿コマ劇場前で女子大生が集団昏倒する異常事態が発生「脱糞した人も」=明大のテニスサークルか?(BUZZAP!の記事より)

大学といえば、趣味にちなんだ色んなサークルがありますが、中でもひときわ目立つのが「テニサー」ことテニスサークルです。
聞くところによれば、これはテニスとは名ばかりの仲間と集まって飲んで騒ぐのが好きな学生の集まりだそうです。
最近では取り繕う気もなくなり、単に飲みサーなどと呼ばれることもあるようです。

元気をもてあますただの浮かれた学生の集まりと思う人も多いかもしれません。
しかし、この手のサークルは、日本の企業戦士を育てる養成所として立派に機能している面があると思うのです。

まず、飲んで騒ぐにもそれ相応の社会性が必要ですし、バイタリティも求められます。
これに順応していくだけでも、社会人としての素養は培われるに違いありません。

そして、何より磨かれるのはその「無意味さへの耐性」そのものだと思います。

ぶっちゃけた話が飲んで騒いだところで、何かが生まれるわけでもありません。
「コール」や「王様ゲーム」や「一気飲み」の罰ゲームなど、別にさしたる目的はありません。
いわば、騒ぐために騒いでいます。
それは、深く考えたら負けな、楽しく愉快なから騒ぎです。

しかし、それは大学を卒業した社会人のする「仕事」も同じです。
仕事とは理不尽で嫌なことがとても多いです。
そこにいちいち「意味」を考えていてはキリがありません。
それに耐えるには、あまり深く考えず明るく楽しくやり過ごすのが一番です。
大それたやりがいや使命感、あるいは生きる意味を求めれば、たちまち辛くなってしまいます。

そういうストレスを受け流すノリをテニサーや飲みサーは培ってくれます。
そしてその道は、お金や仲間や恋人や新しい家庭といった世間の大多数の人が幸せを感じられる場所へとつながっています。

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歴史は繰り返す

2014-06-20 23:42:26 | コラム

ブラジルW杯C組 日本、ギリシャとスコアレスドロー 数的優位生かせず、香川途中投入もゴール割れず…突破は厳しく

本大会が始まる前、3度めのワールドカップを迎える遠藤選手がこんなことを言っていました。
「雰囲気がドイツW杯の時と似ている」
前評判も高く、親善試合もなかなかの結果だった点をそう表現したものです。

が、歴史は繰り返すとはよく言ったもので、ここまで2戦までを終え、図らずも本戦の内容まで似ています。

まず1戦目のコートジボワール戦、せっかくリードしたものの、内容は相手の強いフィジカルに押され気味でした。
そして消極的なプレーが目立ちはじめ、後半短い時間帯で立て続けに失点したのはどこか8年前のオーストラリア戦を思い出させます。

そして、2戦目、ギリシャはクロアチアにもほど近いヨーロッパのチームです。
どうしても勝ち点3が欲しい大事な試合、右からの決定的なクロスを合わせられずに引き分けになってしまいました。
(今回の内田選手のクロスもバウンドしていて、大久保選手もあわせるのはかなり難しかったと思います。
ちなみにクロアチア戦の柳沢選手もセーフティにインサイドであわせるのは歩幅的に大変でした)

そして、次の3戦目はグループリーグ突破が決まっている南米の強豪との試合です。
前々回のブラジルは、最初こそ流し気味でしたが、最後は叩きのめされてしまいました。
果たして、コロンビアはどうでしょうか?

フィジカル、決定力、苦手の南米との戦い方…
やはり、同じような課題が透けて見えます。
これはいずれ乗り越えなければいけない壁のようです。

ならば、今度こそは勝ちを手に入られることで、サッカー日本代表は前に進めます。

不思議なことに人は何かの壁にぶつかった時、辛いからと逃げても、また同じ壁にぶつかるものです。
繰り返さないためには、やはり自分を変えることで壁を乗り越えるしかありません。

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日本人では相手を背負えるテクニシャン、大久保嘉人選手や松井大輔選手のファンです

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