「白い巨塔」や「沈まぬ太陽」 などの作家 ・ 山崎豊子さん 死去(読売新聞の記事より)
とある縁で勤務医をされている方に聞いた話なのですが。
良し悪しは別として「白い巨塔」が流行った頃は院内政治対する世論の批判が強くなり、実際に医療界も影響を受けたそうです。
近年リメイクもされた時にも、他の「医龍」や「Dr.コトー」など医療系ドラマも業界に影響があったとのことでした。
さて、話題をアメリカに移しますと、それがもっと大掛かりに行われているような気がしなくもありません。
例えば大ヒット海外ドラマ「24」序盤のシーズンでは黒人の方が大統領でした。
放映時はブッシュ政権の頃でまだオバマのオの字も出てませんでした。
アメリカのドラマや映画に登場する黒人は皆さん有能に描かれます。
そこには未だ社会的地位の低い黒人層のイメージ向上という明確な政治的意図があります。
ですから「24」の黒人大統領もきっとその延長線上にあるものだと思っていました。
ところが、数年後の大統領選挙では知名度の低かったバラク・オバマさんがあれよあれよという間に頭角を現したのです。
次回の大統領選挙では民主党からはヒラリー・クリントンさんが立候補しそうな雰囲気です。
そういえば、「24」のシーズン4、「マダム・プレジデント」「ハンガー・ゲーム」などここ4、5年で女性大統領の登場するドラマや映画が出てきています。
女性大統領の可能性があるからドラマにしたのか、女性大統領を実現させるためにドラマが作られたのか。
卵と鶏の関係で答えは出ませんが、ほんのりと大衆操作の臭いを感じてしまうのでした。
天皇陛下、皇居内の水田で恒例の稲刈り(読売新聞の記事より)
私事で恐縮ですが、昨日横浜くんだりまで演劇を観に行ってきました。
終戦直後、戦地から戻らぬ兄を待つ盲目の少女のシーンで、ふと思ったことがあります。
天皇皇后両陛下が東北の被災地にお見舞いに行かれた時のことです。
そこである女性が津波に流されたまま行方不明になっている小さな孫の写真を陛下に差し出しました。
それに天皇陛下から「早く見つかるといいですね」と言葉をかけられたと取材で答えておられました。
彼女はまた希望を新たにし励まされたそうです。
僭越ながら、僕はその時は陛下のお言葉に違和感を覚えました。
その時ですでに震災の日よりひと月以上は経っていたと思います。
行方不明とはいえ、実際にはお孫さんが生きている可能性は高くありません。
「早く見つかるといいですね」という返答はかえって残酷なのではないかと感じたのです。
しかし、僕が浅はかであったと昨日気づきました。
事実よりその人の今にとって正しい言葉というのはあります。
好きな女性に振られても受け入れられず「もしかしたら思い直してくれるかも」と思って過ごす男性って結構います。
可能性は別として、希望を持つことで心の均衡を保とうとしているわけです。
もし彼のことを思ってくれる友人がいたら「そんな女のことはさっさと忘れろ」と言ってくれるかもしれません。
きっといずれふっきれるのでしょが、受け入れるのに時間が必要な場合もあります
それならば、結論を急がせるよりはそっとしておいてあげるのも思い遣りというものです。
歳の割に人生経験の浅いおかげで例えが悪すぎですが、多少は似たところはあるんじゃないでしょうか。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
今上陛下から遡ること115代、崇神天皇の皇女をまつる倭姫宮のこの夏の様子
アンリ・ルソーの絵画と音楽に触れる 28日に世田谷美術館でイベント(産経新聞の記事より)
芸術の秋です。
僕自身、熱しやすく冷めやすいタイプで音楽だけでもピアノ、ギター、歌、作曲なんかをかじりました。
お陰でどれも中途半端な感じではあるのですが、つくづく思うことがあります。
それは『上手くならない一番の理由は自分で限界を決めているから』ということです。
最近また始めたピアノで頭打ちになっている時にプロの演奏を聞くだけでコツがつかめる経験を何度かしました。
それでも下手っぴではありますが、無意識に作ってしまった才能のリミットが無くなる感じです。
素人同士のカラオケでも恍惚とした表情でうっとりと歌い上げる人ほど音程がお留守になっていることって多くないでしょうか?
この手の方は今の自分のレベルに満足し切っているせいで、大好きな歌で自ら進歩の芽を断ってしまっています。
どんな人もたいていは自分のことが大好きです。
謙遜はしててもどこかで自分はすごくいいほうじゃないけどそれほど悪いほうでもない「中の上」くらいだという意識を持ちがちです。
もしくは「自分には才能がないから仕方ない」と言い訳をしてあきらめてしまうことも多いです。
身近にもう20年近く絵を習っている人がいます。
絵自体の描写にはそれなりに進歩が見られるのですが、いまいち面白みというか個性が出てこない感じです。
勉強熱心で展覧会にも足しげく通っているので、感想を聞いてみてその理由がわかりました。
ホンモノそっくりかどうかかという一点でのみ絵を観ていいて、個性の表現にまで鑑賞力が及んでいないのです。
天才と言われている人は単に脳のイメージを手に伝えるのが得意というだけではありません。
天井知らずにどこまでも理想のイメージを高められる人でもあります。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
アンリ・ルソーと同じく40代で家業を譲った後に絵を本格的に学んだ伊藤若冲
ある日の午後、居間でパソコンを観ていると、父から古ぼけた紙切れを差し出されました。
云わく祖父の清純(きよずみ)が生前に有名な音楽家に書いてもらったサインを見つけたというのです。
軍医であった祖父は先の大戦中南方で亡くなっていますから、戦前の、恐らく昭和10年代のものであろうということでした。
筆記体のアルファベットから外国の方の名前であることは間違いありませんが、サインの多くがそうであるように、容易には判読できません。
どうも持ち合わせの大学用紙の端くれのようで、急に思い立って書いてもらったような風にも見えます。
なんとか楷書体に直すと「Felu h ewTarhu」あたりでしょうけど、これでは人の名前かどうかも怪しい雰囲気です。
それならばと戦前に来日した有名な音楽家をネットで調べてみます。
ラフマニノフやトスカニーニなど僕でも知っている方も名を連ねていますが、いずれもスペルがかけ離れています。
父は最初の文字の「F」からフルトベングラーかもといいますが、計画はあったものの残念ながら来日は実現していません。
かくして困難を極めた捜索活動でしたが、どうもこの人ではないかという人物に行き着くことができました。
それは東京音楽学校(現・芸大)の教授だったヘルムート・フェルマーです。
そう考えてみれば「Fell Helut artu」とも読むことができ「Fellmer Helmut Art Univ」を省略したのではないかと推察できます。
彼は1940年リヒャルト・シュトラウス作曲『日本建国2600年祝典曲』の初演の指揮をとった音楽家でもありました。
当時、記念公演が東京と大阪の歌舞伎座で行われており、大阪に住んでいた祖父は何かのツテで彼に会うことができたのでしょう。
このあたりではちょうど彼岸花が咲き終わる頃です。
お彼岸とは春分秋分の日に極楽浄土に思いを馳せたのがその始まりとされています。
そんな折にかの国より祖父が便りをくれたのではないかと思い、改めて故人を偲ぶ日としました。
専業主婦希望は3人に1人 独身女性、厚労省が調査(共同通信の記事より)
恋する乙女ならずとも、女性の心や社会的なありかたというのはなかなかに複雑です。
日本の女性の社会進出率は135カ国中101位と圧倒的に低く、安倍政権も政策課題の柱に据えています。
管理職に女性が占める割合は10%とこちらも先進国の中では相当に低い水準です。
この統計によればさぞや現状の日本の女性は仕事上の差別で苦しんでいるはずです。
確かにそうなのかもしれませんが、事情はもう少し複雑です。
例えば、上記の記事の通り3割以上の女性が結婚後は寿退社し専業主婦を望みます。
で、働く女性はどうかというと、これまた半数の人はプライベートを重視するために管理職になるのを望みません。
仕事上の男女の差をなくしていくというのもひとつの方向ですし、ある程度は当然ではあります。
しかし、日本においてはインテリや政府など偉い人がはりきるばかりで、一般の女性の意識はまるで別のところにあるのが問題です。
では当の本人たちにもあまり望まれていない変革を、一体何の目的でやるんでしょうか?
政府の弁によれば、少子化のために女性の労働力を生かす必要があるからだそうです。
陰謀論なら、女性が働けばより多く税金を取れるからともいえるでしょう。
欧米視点では日本は男尊女卑のひどい国のはずです。
しかし、一方で女性に生まれてきてよかったと思う女性の割合が先進国の中でもトップクラスです。
それならば、日本オリジナルの女性と社会の関係のありかたを探る方がずっと皆が望む形に近づくんじゃないでしょうか。
森口尚史氏 論文や投稿など68本のうち14本に不正 東大調査発表(47NEWSの記事より)
「尼崎殺人死体遺棄事件」の発覚当初、主犯の角田美代子の本人写真を一部メディアが報道したことがありました。
それがまるで普通のオバサンだったので人は見かけによらないなと思っていたら、やっぱり全くの別人のものでした。
IPS細胞の臨床実験を捏造した森口さんには、知識豊富な読売新聞の科学記者がコロッと騙されました。
話だけなら知識のない僕も信じたでしょうけど、ご本人を直接見たらただよう胡散臭さに眉に唾つけたと思います。
そんなわけですから、普通の人の感覚というのは意外とバカにできないものだと思うのです。
地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教も、その道の人によれば教義自体はとても立派なんだそうです。
実際そこに魅せられ、国内トップクラスの頭脳を持つエリートが入信したりもしました。
また、高名な宗教学者の中にはコロっと騙され事件が発覚してなお教団を擁護していた方もいました。
しかしながら、そんな教義を知る気もない素人の目には初めから色々と怪しかったです。
座禅を組んで発作のようにピョンピョン跳ね回る信者たちもまともじゃありませんでした。
「真理党」の選挙活動でゆるい歌に乗せてゾウのかぶりものをした女性信者が踊る様も悪い冗談でした。
知識は人の人生を豊かにし物事をより良く理解する助けとなります。
しかし、リクツにハマり込んで「常識」の目で物を見れなくなってしまっては本末転倒です。
ですから、偉い学者や官僚、メディアのいうことも、いい大学を出ているからとなんでも鵜呑みにするべきではありません。
普通の人が培ってきた常識的な感覚が、膨大な知識と理論を蓄えたインテリより正しい判断をすることは十分にありえます。
半沢直樹の監督「女性視聴者層は切り捨てて作った。男臭いし恋愛も無いしなんで数字取れてるんだろう」(東洋経済オンラインの記事より)
マーケティングという言葉が知られるようになって随分たちますが、疑問に思っていたことがあります。
世の中の新しい商品って何もお客さんがあらかじめ欲しいと思っているものばかりじゃないからです。
例えば、携帯電話やスマホなんて市場自体影も形もなかったところから生まれた商品です。
これは市場の調査をして消費者の声を聞くだけではなかなか出てこなかったと思います。
消費者の発想の先を行く革新的なアイディアとそれを実現する技術をもった企業が無から有を生み出すことだってあります。
こういう戦略のことをプロダクト・アウトというそうです。
ドラマ『半沢直樹』も監督さんの話を聞く限りそれに近い気がしました。
テレビ・ドラマはマーケティング上F1F2層と呼ばれる20代~40歳代の女性を対象とするのがセオリーとされてきました。
が、この作品はあえてそういう層を切り捨てるところから出発してますが、結果的にそういう層にも受けたようです。
送り手と受け手の関係は、ある意味で親子関係にも似ています。
甘やかしすぎると子供をスポイルし厳しすぎても心は離れていきます。
あまりに受け手の望むものを与えて客をのけぞらせてしまえば、もうそのアーティストは飽きられ自分を見失って終わりです。
逆にサプライズを求め過ぎてそれまでのイメージを変えすぎてもファンを落胆させてしまいます。
ファン自体も自覚できていない秘めた願望を拾い上げ、いい意味で期待を裏切る事がヒットを飛ばす秘訣です。
口で言うほど簡単なことではないですが、視聴率42%を叩きだした『半沢直樹』はそこがよく出来ていたんじゃないでしょうか。
ホームレスが大金発見、警察に届け持ち主判明 米ボストン(CNNのニュース記事より)
数年前から家の近所でホームレスをしている人をたまに見かけ不思議に思っています。
辺りは田んぼも多い駅から離れた郊外ですから、生活を成り立たせていくのにいい環境とは思えません。
野宿の必需品はとりそろえていそうな大きなリュックをいつも背負っています。
前に近くの川で魚を釣っているホームレスの話を聞いたことがあり、もしかしたら彼がその人ではないかと思います。
日がな一日紫外線にさらされるため肌も真っ黒で大分疲れてますが、その雰囲気にはまだ若々しさが残っています。
彼のような歳でそういう環境を選んでいる人というのはあまり見かけませんので、特別な事情でもあるのかと気になります。
見ると、その目にはどこか子供のような純粋な光が宿っています。
それで「もしかしたら世の中を渡っていくのに苦労をしたのかもしれないな」と感じました。
あまりに内面がスレてなさすぎると周囲に合わせていくことが人より大変だったりしますから
さて、なぜ僕が彼に詳しいのかというと行く先々の神社で会うことがあるからです。
近所の小さな神社でも時折見かけますし、自宅から10キロほど離れた神社で見かけてびっくりしたこともあります。
しかし、神社を根城にして雨露をしのいるわけではありません。
ちゃんとお参りをしに来ているのです。
ある神社ではお社を眺めながらベンチに座ってぼんやりと佇んでいることもあります。
また、別のところではお社の脇に回ってつっ立っていたこともありました。
何をしているのかと気になってちょっと覗いてみたら他の参拝者の邪魔にならないようにして、祝詞のようなものを唱えているのです。
忠魂碑に手をかざしてひたすら祈り続けているのを見たこともあります。
思い入れ強すぎてやや心配な感じもしますが、昔、修験道の行者になるのはこういう人だったのかもしれません。
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※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
新潟は彌彦神社の神橋。2年ほど前の写真です
紅葉? 芸術? 温泉? みんなが行きたい秋デート(マイナビニュースの記事より)
私事で恐縮ですが、芸術の秋は一向に上達しないピアノでドビュッシーの曲をいくつか練習しています。
きっと数々の名曲のように美しい心を持ち幸せな家庭を築いたんだろうと、グーグル先生に尋ねてみてその人物像にたまげました。
もともと人妻好きという渋めの性向を持つ彼は、若い身空で不倫を経験しています。
その後、10年もの間支え続けた恋人と突然別れ、ソプラノ歌手と関係を持ちます。
そのショックで恋人ギャビーはピストルで自殺未遂したというから穏やかではありません。
さらに追い打ちをかけるように彼女の友人と結婚してしまう混乱ぶりです。
しかし、本来の人妻好きの性分が抑えきれずに人妻エンマと不倫、そのショックで妻のリリーもピストルで自殺未遂します。
このエンマとの間にできた娘シュシュのために作られた楽曲が「子供の領分」だということです。
性格も気難しく内向的、こうしたスキャンダルで作品もまっとうに評価されなかったこともあったようです。
とにかく身近な女性にばかり手を出す上に必ず不幸な結末で終える辺り、プレイボーイというより純度の高い野獣です。
パートナーの自殺というキーワードで二人ほど思い出す芸術家がいます。
ピカソは常に一人の女性を愛するが、突然別の人に心移りする一途だか浮気性だか分類に困る性格をしていました。
世界一の画家に作風にも影響を与えるほど深く愛される一方突然それを失うのですから、並の神経ではそのギャップには耐えらなかったでしょう。
ピカソの死後、当時の妻と過去に付き合った女性の二人が自殺しています。
同じくイタリアの伊達男モディリアーニも二番目の妻が彼の死後ショックのあまり自殺をしています。
作品と作者の人格は別とはいいますが、簡単に割り切れないのが人情です。
私生活が乱れているからこそ作品に対して純粋に美しいものを求めるということもあるのかもしれません。
相原コージさんの4コマギャグ漫画「コージ苑」にある中年の刑事が主人公のシリーズがありました。
毎度のごとく彼は凶悪犯から人質の命と引き換えに色々な要求をされます。
例えば公衆の面前で裸になれとか要求がかなり下品な感じにエスカレートしてくのです。
その度に人一人の命を救えるのならと、刑事さんは健気に辱めに耐えるのです。
ギャグにはなってますが、このテーマそのものはかなり難しい問題をはらんでいると思います。
普段から命は大事と言っている我々は人一人救うために大勢の人の前で裸になれるでしょうか?
自分の命がなくなるわけでも生活を投げ出す必要もありませんから人道主義的にはやるべきな気もします。
「人の命は地球より重い」と言った日本の総理もいましたが、たった一人の社会的名誉なんて地球よりは大分軽いです。
さすがにこんな目に合うことはめったにないでしょうが、複雑な現代社会で我々は日々良心を試されています。
僕は行儀が悪いと思いつつニュースを見ながら朝食をとります。
近頃はシリアの戦場で苦しむ市民の様子が報道されていますが、考えてみれば物を食べながらこういった映像を見てるなんて異常です。
しかし、気の毒だと思いつつ、あまり深くは考えないような耐性がいつのまにかついてしまっています。
海外で臓器移植を受けるために募金を募るニュースもよく見ます。
しかし、僕自身募金をしたことはありません。
昨日も某オンラインショップでプリンタのインクを買いましたが送料は無料でした。
有り難いことですが、末端の宅配の人たちはそのために薄給でつらい思いをしているかもしれません。
思春期の頃にすませておくことでしょうけど、見ず知らずの人のために少し後ろめたさを感じつつ、日々を過ごしています。