尾木ママVS東大ママ 一触即発の激論「勝手に決めないで下さい」(スポニチアネックスの記事より)
ことわざというのは、大抵それぞれ逆の意味のものがペアであります。
「氏より育ち」と「三つ子の魂百まで」もそうです。
人の性格や能力は育ちで決まるのか生まれつきなのか、一概には結論は出せません。
今のところ全般的に「氏より育ち」を重視する人が多いんじゃないでしょうか。
実際、こっちが正しいことにしておいたほうが、人に優しい結論が出しやすいです。
まず、人は努力次第で何でもできることになります。
子どもはもちろん、子どもを育てる親にとってもやりがいが生まれます。
勉強や習い事の先生たちは、一応これを前提に仕事をしています。
また、仮にうまくいかなかったとしても「俺の努力が足りなかったんだ」と納得もできます。
それに、嫌な人がいても「環境がそうさせたんだな」と思えば、哀れみこそすれど腹は立ちません。
でも、こと勉強に関しては「氏より育ち」と言えない面が強いと思います。
例えば、ピアノが弾けるようになるなら、せめて10歳までに習う環境がないと素質以前の壁ができます。
しかし、勉強はどんな子でも小学校中学校高校で最低のことは習います。
なので、ピアノのように10段階で「0」から始めるものと違い、誰でも平均の「5」くらいまではわりと上がります。
そこから「10」まであげられる子と「6」までしか伸ばせない子の差ができてきます。
その残りの「6」以降についてくる差は、どうしても生まれつきの素質や適性がより強く関わってきます。
ところが、ピアノのように「0」から「10」まで差がつくものと、勉強のように「5」から「10」まで差がつくものを混同する人がとても多いです。
それで上記事のように、東大生を育てた親というと、誰でも入れる方法があるんだと期待したりします。
当然、その中で「1」上げるだけでもすごい差になりますし、そういうコツがあるのは確かでしょう。
でも、子どもの可能性を信じすぎるのは、優しいようでそうでないこともあります。
いわば、子どもの持って生まれた性格や素質を無視して、親の都合の良いように作り替えようとするわけですから。
でも、教育とは子どもが10人いれば10通りの答えがあるようなものなんじゃないかと思うのです。
姫星、叶夢!?キラキラネームに使われがちな漢字ランキング 2位は「羅」(gooランキングの記事より)
いわゆるキラキラネームで少し不思議に思っていることがあります。
それは、女の子の名前には結構な割合で「ラ行」が入っていることです。
上記事の「羅(ラ)」はもちろん「麗(レイ)」や「漓・璃(リ)」も同じくらい人気です。
キ「ラ」キ「ラ」ネームだけにラ行が入るのも納得です。
一番の理由は「綺麗(きれい)」とか「綺羅(きら)びやか」とかあたりの連想でしょう。
ただもう少し深い理由があるんじゃないでしょうか。
個人的に日本語の最大の良さは一音一音に意味があることだと思っています。
例えば「ね」だけでも「寝、根、値、音」などの意味があります。
それに単に語感だけでも、ガ行は強い感じがしたりパ行に面白みを感じたりも出来ます。
それで何となく心地よいフレーズを作りやすいわけです。
僕が「ラ行」に一番感じるのは「明るさ」です。
「光」「明り」「照らす」「昼」「春」「キラキラ」など明るいものには「ラ行」の言葉がつく気がします。
これはむしろ他の言語の方が顕著です。
「light」「look」「illuminate(発光する)」「ray(光線)」「sol(太陽)」「lune(月)」など光るものはラ行がつく気がします。
どの文化でもなんとなくラ行にはキラキラしたイメージを感じやすいのかもしれません。
余談ですが、そういう世界で語感が共通なのが面白いなと感じるのが太陽神の名前です。
インドやイランで「ミトラ(ミスラ)」と呼ばれ仏教で「マイトレーヤ」となったのはいいです。
ですが、縁もゆかりもないはずの日本でも「アマテラス」と呼ばれています。
どれもマ行→タ行(サ行)→ラ行の組み合わせで呼ばれてるのは面白い偶然です。
さらにエジプト神話の太陽神の「アテン」と「ラー」を組み合わせても近い響きになります。
“エアガン”突きつけ「土下座せえ」韓国籍の男を強要容疑で逮捕 滋賀県警(産経新聞の記事より)
古代ギリシャとペルシャ帝国との戦いを描いた映画に『300』という作品があります。
エンタメ作品ですから時代考証的にはほとんどファンタジーでした。
その中で、怪しげなクセルクセス王とレオニダスが対面するシーンがあります。
クセルクセス王はお神輿よろしく玉座のまま運ばれてきます。
そこから降りる方法がまた独特です。
玉座を運んでた人が今度は階段になって、それを踏みつけて降りるのです。
僕はここに西欧人のオリエンタル観というかアジア観を感じました。
(実際この映画のペルシャ軍はオリエンタルのごった煮で忍者みたいなのまで出てきます)
確かにアジアには人をモノのように扱って屈服のさせる文化があります。
例えば、中国の皇帝の前では「三跪九叩頭礼」というひざまずき頭を床につけるポーズをやらされます。
他にも宦官や纏足の風習も、やはり異様です。
また、ペルシャでいうならハーレムがあります。
トルコ系ですがオスマン帝国のハーレムで育ったスルタンには狂人が多いです。
もちろん残虐さで西欧人の右に出る者はいません。
ですが、こういう公的に悪趣味なことをするのはアジアに多い気がします。
そして、そういうオリエンタル系悪趣味を「土下座」に感じるのです。
はっきり言って、土下座という文化は絶滅してほしいと思っています。
上記事にある通り、下品なヤンキーやDQNが相手を屈服させる道具にしかなってません。
将棋の駒も取ったら仲間にするのが日本人です。
このような相手のプライドをズタズタして屈服させる文化はそぐわないです。
今度は「Regrexit」、EU離脱を「後悔」(CNNの記事より)
小学校の頃歴史を習っていて一番くらいに変だと思ったことがあります。
それは「大昔は占いで政治をやっていた」と聞かされた時です。
日本でも卑弥呼という巫女が治めてたくらいなので、まんざらウソでもなさそうです。
かりにコインの表裏ような形で決めるなら、50%の確率で真逆の結論が出るわけです。
でも、そんな半丁博打で国の重大事が決められるなんていくらなんでも理不尽です。
ところが、どうも似たようなことが現代の政治でも起き始めています。
例えば、上記事のスコットランド独立とEU独立と立て続けに国民投票をしたイギリスです。
まず、国民投票をするのは、国民の意見が真っ二つに割れているからです。
なのでその賛成反対はほぼ半分半分です。
しかも、二つの対立する立場があった場合、大衆心理としてバランスを取ろうとします。
そしてもう一つ、国民投票するということは国の将来を決める重大な問題だからです。
しかし、ここでちょっとおかしなことに気づきます。
これでは「国民投票は国の政治の重大な別れ道をほぼ50%の確率で決める」ことになります。
これではもはやサッカーのPK戦よりタチの悪い、運を天に任せているのと何ら変わりません。
まさにバクチか、そうでなければ占いです。
普通に考えて、それだけ賛否の別れているものは真ん中の妥協点を探るべきです。
時間がかかってもそちらの方が絶対に穏やかにすませられます。
なのに大の先進国がこんな占いみたいな国民投票を立て続けにやっているのは悪い冗談です。
しかも、それが議会制民主主義発祥の地で起こるのですから、西欧文明の凋落を感じさせずにはいられません。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『アニメオタクの現実逃避術』
■あとがき
後者の「やれやれ系」主人公に共感してる人の方が自己評価は上でしょうね。
エンタメ自体が現実逃避ですから、考えすぎても損しかしませんけど。
でも、例えば旅行の感想でも2つあります。
「帰ったらまた頑張ろう!」というのと「もう帰りたくない…」というやつです。
なので、あんまり現実に帰ってこれなくなるようなものは後々面倒です。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
■web漫画『KAIJU(カイジュウ) 第十四話』
■あとがき
『web漫画『KAIJU(カイジュウ) 第十三話』』からの続きです。
→初めから『web漫画『KAIJU(カイジュウ)第一話』』
梅雨のシーズンなのでそれっぽいテーマにしました。
ストーリーとしては一応『web漫画『KAIJU(カイジュウ) 第十話』』を直接引き継いでいます。
Q.一つ目の絵ちょっと茶色くにじんでない?
A.コーヒーをこぼしました。すみません
Q.傘がパラシュートの代わりになるかなあ?
A.メリー・ポピンズ
続きはこちら『web漫画『KAIJU(カイジュウ) 第十五話』』
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
トランプ氏、EU離脱決定を評価 「英国民は自国の統治権を取り戻した」「人々は外国にきて(国を)乗っ取ろうとする者たちに怒っている」(時事通信の記事より)
かつて「アラブの春」とマスコミがはやし立てたイスラム諸国の民主化運動がありました。
その発端の一つがリビアのカダフィ大佐へのクーデターだったと記憶しています。
しかし、独裁者個人の評価はともかく、リビアはそれほど悪い環境ではなかったと言われています。
石油が採れるおかげで社会福祉は無償、教育環境も世界の水準以上でした。
なのに、それでも革命は起きました。
そして皮肉にも生活が困窮する国民はずっと増えました。
一部の行動とはいえ、まともな生活を捨ててまで彼らを革命に走らせたものはなんなのでしょうか?
それは独裁政権への不公平感、です。
意外といえば意外ですが、国に革命や暴動が起こる条件は貧困層が一定以上増えることではありません。
例えば、ごく一部をのぞいて国民みんなが平等に貧乏の北朝鮮やキューバでは、待てど暮らせどクーデターは起きません。
そうではなくて、その原動力は「自分たちの意見が政治に反映されておらず不公平だ」という不満なのです。
これが一定以上たまると国は転覆します。
リビア国民のように北朝鮮の人民よりはるかにマシな暮らしをしていても、ちゃんと不満は募るのです。
そして、今は一般大衆が誰でもネットを使う時代で、不満は一気に広がります。
「アラブの春」でもフェイスブックのようなSNSが、その不公平感を大衆に広めるのに重要な役割を果たしたと言われています。
上記事の英国のEU離脱でもそうです。
少なくともしばらくは多くの英国民にとって厳しい状況が待ち受けています。
しかしそれでも「移民が英国民の仕事を奪っている」「移民がタダで社会福祉を受けている」「移民のせいで治安が悪化している」という情報がネットを通して駆け巡ります。
当然対策は必要でしょうけど、今現在はまだまだ受けるメリットの方がずっと大きかったはずです。
それでも「不公平感」を感じたイギリスの庶民の怒りは、経済にとって合理的な判断を上回るほど高まったのです。
日本を含めて各国の政治家は、このことを重々肝に銘じてもらいたいと思います。
全国で「自殺が多発している駅」ランキング(東洋経済オンラインの記事より)
最近知ったのですが、電車の人身事故というのは首都圏特有のものだそうです。
(過去記事『死にたい瞬間』でそのショッキングな目撃談をご紹介したこともあります)
確かに関西でそのような話はほとんど聞いたことがありません。
ちゃんと列になって並ばなかったりいい加減なところが、返っていいのかもしれません。
さて、ある年の瀬の頃の昼過ぎのことです。
当時学生だった僕はバイトへ行こうと地元の駅のフォームで電車を待っていました。
時間帯もあって人もまばらで、僕の前には数人なんとなく人が立っているくらいでした。
それからしばらくして構内の放送が流れると、ほどなく線路を伝って電車の音が近づいてきました。
いつものことなのでさして気にもとめず立ったまま本を眺めていました。
しかし、その小気味良いリズムが突然、激しく鉄の軋む音にかわり、構内に響き渡ります。
何事かと思って見上げると、僕の十メートルかそこらの辺りで電車が急停止をしました。
すると、すぐにそこに人だかりができ、彼らが漏らす言葉から何が起こったかが伝わってきました。
若い女の人が電車に向かって飛び出したのです。
それから先は初めて見る光景ばかりでした。
駅に降りてきた救急隊員はなにか機械のようなものも持っています。
僕には大きな掃除機のようにも見えましたが、もしかしたら違っていたかもしれません。
また、駅員さん達は手に薄いビニール手袋をはめてモノを挟むような器具を持って向かっていました。
後になって思い返してみると、その日は24日クリスマス・イブでした。
若い女性ということで、恋人と別れるかして人生に悲観してしまったのかもしれません。
爆笑問題の太田光 政治家を信用できない理由…「立候補して私に票下さいって言う奴って、ろくなやつじゃない」と一刀両断!(リアルライブの記事より)
さて、上記事の太田光さんですが。
言わずと知れた毒舌家で、相手が誰だろうがお構いなしにバカにして笑いにします。
そんな反骨精神あふれる太田さんには、一人だけ対象外がいます。
それは奥さんで事務所社長の光代さんです。
その二人の様子は夫婦というより母親とマザコン息子、更には飼い主と飼い犬くらい意識の差があります。
同じ毒舌家の東京系芸人、ビートたけしさんも似たものを感じます。
彼の場合、好みの女性のタイプがかなり変わっています。
映画を観ると分かるのですが、精神薄弱と言っていいくらいピュアな女性が好きなのです。
また、ご本人も認めるマザコンでもありました。
この毒舌家二人に共通する点はこうです。
誰かれ構わず反抗する代わりに(特定の)女性を神聖視して、自分の中のバランスを保っているのです。
いつも人をバカにしてるのは、楽そうに見えて案外大変です。
バカにしたことは自分もできなくなり、どうしても自己矛盾を抱えるはめになります。
それに、やっぱり人の悪口というのは言う方の心をも無意識に蝕んでいくものです。
でも、反逆児のように振る舞っておいて、ある女性を女神か何かのように信奉しているのは少々ずるい気もします。
偉そうですが、特に太田さんは考え方を柔軟にしていく必要に迫られているような気もしています。
とはいえ、女性を美化してしまう男性にはこういう面があるものです。
それを未熟と感じるか、可愛げと感じるかは人それぞれでしょうけど。
「時間を見ることができる」という驚くべき共感覚を持つ人(GIGAZINの記事より)
音楽といえば、誰でも好きな曲が一つや二つはあるものです。
しかも、好きな曲に出会った時などは、思わず鳥肌が立つほどの感動を覚えます。
それに比べて絵は、全く興味もなければそもそも上手下手がわからないという人が多いです。
特に男性に多いタイプですが、かくいう僕もその一人でした。
でも、やっぱり絵を見て感動できる人がうらやましかったです。
そこで、有名な画家の画集ばかりを借りては眺めていましたけどさっぱりでした。
でも、ある日突然「絵の良さが分かるようになった」と感じた瞬間がありました。
それは、家にあったセザンヌの画集を何十回かぶりに眺めていた時のことです。
はっきり言って見飽きていた絵ばかりでした。
しかし、その瞬間、舌に変な感覚がしたかと思うと全ての色に「味」を感じだしたのです。
するといきなりセザンヌの描く色の調和が鮮やかに伝わってきました。
それはまるで色々な調味料を使って工夫をこらした料理を食べた時のようでした。
それがきっかけで絵が大好きになりました。
色々見るうちに、絵の構図やもっと感覚的なものまで、だんだんと自分なりに見方が分かるようになってきました。
ですから、もし絵の良さをわかりたいのにわからない人がいたら、この方法をおすすめします。
つまり「絵を他の五感の感覚に置き換えて感じてみる」ということです。
味の他にも絵を見た時に、触り心地やどんな響きがするだろうと考えてみるのもいいでしょう。
上記事のような共感覚の話を聞くと、自分の体験もその一種なのかなと思っています。
セザンヌの静物画。鮮やかな色に味を、白くべったりした感じに手触りを感じないでしょうか。