Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

066-エピローグ

2012-12-28 21:37:20 | 伝承軌道上の恋の歌

 とある動画サイトでの動画が話題に上った。解像度は粗く、古い携帯電話のビデオで撮影したもののようで、時間は一分にも満たない。再生数はわずかに二桁。映っているのはまだあどけなさの残る十代は前半の女の子。カメラが回ると、おもむろに髪を手でとかして、小声で咳払いを二回だけ。それからゆっくりとまぶたを閉じて、少しだけハスキーがかった透き通る声がメロディを奏でた。メロディを二度リフレインして彼女の歌は終わる。しばらくの静寂の後、女の子は顔を緩ませってほっと胸をなでおろすと、ビデオを消すために画面いっぱいに移って消えた。が、『管理-kanri-』のラストステージの大トリでアノン歌い、今や伝説となったマキーナの曲『名のない少女に名づける歌』と似てるという人がいた。また似てないという人もいた。とにかく、ただの噂だった。

…あとがきへつづく

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イナギ11‐最期に

2012-12-27 21:49:06 | 伝承軌道上の恋の歌

 温室の地下、様々な配管が根を生やしたそのすべてが辿り着く先でヨミは今眠っている。その表情は静かでも、ポリリズムに響くポンプの騒がしさこそが彼女の命を紡ぐ鼓動だった。病衣姿の男が傍らに立つ。彼は包帯の先からわずかに覗いた指先だけが感じられる触覚でヨミの眠るカプセルに触れる。ヨミがこうなる前も彼女には一度も触れたことがない。今ここにある自分とヨミを考えると、一方的な感情をただヨミにぶつけるだけだったあの頃を象徴的に表しているようにも思えた。
  と、後ろで空圧が抜ける音がして重い扉がゆっくりと開いた。
「…うまくいったな、イナギ」
 ウケイの声がした。
「そうなんでしょうか…」
 イナギの深い眼差しはただ死んだように横たわっているヨミの顔に向けられている。
「これでアノンもシルシも救うことができる」
「どのくらいかかるんでしょう?」
「分からない。が、それまでは私の命も長らえていられるわけさ」
 それから長い沈黙があった。ヨミがここ以外で命を長らえる術を持たないという絶望をイナギは改めて思う。一体いつまでヨミは運命に抗っていられるのだろう?大人達のせいでヨミがここの闇に触れてしまったばかりに『地上』で治す術すら失ってしまったんだ。
「…先生、どうか僕の身体をヨミに」
 イナギがまるで罪を告白する時みたいに言うと
「駄目だ。ヨミの目が覚める時までは君には生きてもらう」とウケイは言下に拒んだ。
分厚いガラスを隔てたお互いの距離は多分ヨミがこうなる前の方ががずっと遠かったようにイナギは感じた。ふとウケイが腕時計を覗く。
「シルシたちと会うかい?これから約束してるんだ」
「いえ、やめておきます。それの方が都合がいい」
「それでこそ伝承は語り継がれるというわけだ」
 しかしイナギは答えなかった。
「…これから君はどうするかね」
「ヨミがいつか目覚めるまではここで待たせてください」
「…ああ、分かった」
 ウケイは踵を返すと再び思い扉を開こうとしてふいに立ち止まる。
「あっ、そうだそうだ」とウケイはボサボサの頭をかきながら振り返った。
「イナギ、君はどこからあの歌を知ったんだ?あのアノンの歌った新曲さ。えっと、確か『名のない少女に名づける歌』だったか…ヨミも知らなかったはずだ」
 ウケイはイナギの背中に聞いた。
「ああ、見つけたんですよ。ただの偶然だけど」イナギはそう言って少し笑った。

…つづき

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ヤエコ07-浮遊

2012-12-25 22:29:32 | 伝承軌道上の恋の歌

 そこにいるのは…お父様。それにシルシお兄さま。マキは…車のボンネットに押しつぶされて血を吐いて上体を臥せっている。…それから、車を降りてよろけながら反対側まで回ると、助手席でうなだれているお兄さまを車から下ろしてゆっくりと引きずっていく。騒然としている建物の外とは打って変わって中は静かだ。警報機が遠くの方で響いてる。
 私はただ夢でも見ているようにその様子を眺めていた。
 シルシお兄様を運び終えると、お父様は再び運転席にもどっていく。頭から血を流したお父様が血まみれの手で携帯電話を手に取って
「…全て済んだ。後は頼む」震えた声でそうつぶやいた。
 そして、懐から錠剤を取り出すとそれを一息に飲み込んだ。するともがく暇すらなくハンドルを抱え込むようにその場にばたりと倒れこんでしまった。

…つづき

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ヤエコ05-オリジナル(後編)

2012-12-24 21:21:53 | 伝承軌道上の恋の歌

× × × × × × × × × × × × × × × × × × × 
「…ここは?」
 頭には温かい感触があって、頭をなぜる手の感触がどこか懐かしい感じがした。静かに目を開けるとそこは薄暗くとても狭い場所。私は身をちぢこませて収まっている。聞き覚えのある歌声がその中で響いて幾重にも反響している。まるで夢を見ているようだけど、体中の鈍い痛みに一瞬で現実に引き戻された。すぐ目の前にぼんやりとしたマキの顔があった。私に目を覚ましたのに気がつくとマキは歌うのをやめた。
「…ヤエコ?…くるしい…の?」
 マキはたどたどしい口調でそう言ってくれた。
「いいの、続けて…聴きたい…」
 切なくも優しい旋律は拍子にあわせてマキの手が優しく私の背中をなでてくれている。
 だんだんと見えてくるもので事情が分かってきた。テナントビルがひしめく街の小さな公園の真ん中の砂場にあるおわんの形をした遊具だった。コンクリートでできたそれは十代の女の子でも数人は入れそうな広さで、少しの間寒さをしのぐくらいなら充分だったし、周りの奇異の目をさけるにもちょうど良かった。
 私はマキに抱かれながら落書きだらけの低い天井を眺めている。入り口から差す光でぼんやりだけど何が書いてあるかは見える。たいていは下品な言葉や、意味の通じないアルファベットそれに恋人達の名前で埋められてる。その中で私は目を引いたものがあった。赤い色で塗り込められた数十文字の言葉は、見たことがない形をしていた。それもまだ乾ききっていなくて分の最後の節の辺りの文字は光沢をたたえていた。
「マキ…これって…」
 マキの片手を手に取ると小指の先の方から血が伝って手の平まで真っ赤に染めていた。
「…あかし」そう言ってマキは笑った。
 私はその行動に驚きながらも、精一杯に笑った。
「ありがとう。マキ…」
「ヤエコ…も…いっしょ」
 辿々しいけど一つひとつはっきりと伝わってくるマキの言葉。これまでマキが口を閉ざしていた訳はその出自を知られたくなかったからなのだろう。
「マキ…あなたは一人で、ここに来たのね…寂しかったでしょうね…」
「ヤエコもいっしょ、わたし、と…」
 身体は凍えそうなのに汗がにじむ私の額をなぜた。
「ごめんなさい。私はもういけそうにないの。とにかく今はこのお金を持って逃げて。私、ウケイ先生に話してみる。大丈夫。ウケイ先生は分かって…」
 そう言いいかけて私は外の様子が変わったことに気づいた。朝の公園の静けさに紛れて数人の慌ただしい足音が地面を通じてかすかに伝わってくる。悪い予感がする。多分、気のせいじゃない。
「マキ、逃げて」私はマキの服の襟首をつかんで言った。
「ヤエコ、いっしょ」マキは悲しそうな目をして言う
「いいから早く!」
 私の剣幕におされてマキは躊躇いながら私を残しドームを後にした。
『ちゃんと逃げてね。私何とかやってみるから…』私は祈るように目を閉じた。マキと一緒に街を歩いてみたかったな。同じ歳の子達がしているようなことしてみたかったな。
 再び目覚めたときには私は見慣れた天井を見ていた。まるでここを逃げ出した夜のことがが嘘のように。マキはちゃんと逃げられただろうか?分からない。傍らで誰かの話し声がしてる。ウケイ先生だ。私の意識が戻ったのにはまだ気づいていない様子で、私に背中を向けて誰かと電話してる。
「…そう…わかった…大丈夫…時間の問題だな…こちらもすぐに手配はしてお…」
 良かった。マキはまだ無事だ。私もあまり眠っていたわけではなかったようだ。ただ…ウケイ先生の言葉が気になった。『時間の問題』。確かに私の耳にはそう聞こえた。外の世界も言葉もろくに分からない女の子がどこまであの街の中を逃げられるだろう…不安でまた私の胸がきりきりと痛んだ。ならうまくいかないときのことを考えよう。マキが必要な意味をなくせばいい。それで彼女は救われる。しかも私にしかできないんだから責任は重大だ。でも、彼女のためなら私はどうにかやれそうだ。私は元からここで終わる運命だったんだ。だからもう大丈夫。私の命をつなぎとめてるのはこの呼吸器と点滴と…私にくっついている全てをはがしてしまえ。残っている全ての力を使って…それだけじゃ足らない。もっと確実な方法で…私にできるだろうか?でもやらなきゃ。悲しいけれども、絶望の中に私があるほどに神様への祈りがもっと届いてる。そんな気がするんだ。神様、ここからいなくなる前に最高の自分でいさせてください。

…つづき

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ヤエコ05-オリジナル(中後編)

2012-12-23 22:43:26 | 伝承軌道上の恋の歌

 全てが私に味方した。誰もいないゲートを非常用の勝手口から抜けだして、私達は外界へ一歩を踏み出したんだ。慣れ親しんだ研究所を私は一度も振り返らなかった。街灯が道しるべのように伸びる真夜中の郊外をただひたすらまっすぐ歩いていく。夜が明けるまでできるだけ遠くに歩いて行こう。私ははっきりと強くなっていく胸の痛みと一緒に頭がしびれるような危うい心地良さをどこかで感じていた。雲の上まで伸びた高い高い塔の天辺から踏み出す一歩のようだ。雲に閉ざされたまだ見ぬ下界の風景にわくわくしながら、いつか粉々になる自分を予感しながらでも降りてみたくて私はその一歩を踏み出したんだ。私は多分死ぬ。でもマキだけは私の分まで生きてもらう。
 ひとつだけのマフラーを二人で一緒にかけて、一組みだけの手袋は片方ずつつける。あまったもう一方でお互いの手をつないだ。固く結んだマキの手を私は一度も離さなかった。神様にここを離れるまでは暗闇のままで、そしてめいっぱいに明るく照らして外の世界をめいっぱい私に見せて欲しいと願った。人は本当に幸せなときにもう死んでもいいって思うっていう。人生最後のその瞬間に私は誰より幸せにいさせて欲しい。
 そして夜がしらみだす頃、ようやく私達は目的の街に辿り着くことができた。
「ようやく着きました…」
 まだ閑散としているスクランブル交差点、その前には掲げられている大きな液晶モニター、今はまだシャッターを閉めているデパートや通りに軒を並べた色んな店が何時間か後の世界を予感させて、霞がかった朝の風景にも心が弾んだ。
「マキ、聞いて。私の夢の話。私いつかこの大きなテレビに映るような人に慣れたらいいなって。みんなの前で歌を歌ったりするの」
 私はマキの手をとってまだ誰もいないスクランブル交差点の端にある街灯の下に立った。そこに素手で触れると、この時のためにと持ってきた果物ナイフをコートのポケットから取り出した。
「あかし。証。ここに私とマキの名前いれましょう。お兄様に買ってきてもらった漫画にね、そんなお話があったの。素敵でしょ?もっとも漫画の中では木に彫ってたけれど…」
 塗料を削るようにして『ヤエコ、マキ。二人の記憶』と刻んだ。
「ほら見て」
 私が促すと不思議そうな目でそれを見ていた。けど、きっと意味は通じたはずだ。思いを込めるように二人でその字に手で触れた。
「やりたいことがひとつ叶いました」
 マキも笑ってくれる。また私達は歩いていく。でも、異変は起こっていた。一度心臓が痛みを伴って大きく脈を打つと、とたんに息が苦しくなって足取りが鈍る。気づいたマキが足を止めて不思議そうな顔をして私の顔を覗く。
「なあに?」
 私はマキに笑いかけた。でも、次の瞬間には私の視界は暗く閉じていった。

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ヤエコ05-オリジナル(中前編)

2012-12-22 21:50:56 | 伝承軌道上の恋の歌

 目の前には身体に浮き出た骨の隆起がくっきりと陰影をつけていて、白い肌がより一層月に青白く照らされている。でも、それだけではなかった。まるで寄生虫が食い荒らしているかのように無数の赤茶色い痕が彼女の身体の上を這っていた。傷跡なんかじゃない。縫合した跡だ。私にもいくつか同じものはあるけれどそのひとつひとつが持つ意味が違っているのははっきりしてる。いくつも彼女の胴の周りに走るそれはひどい拷問を受けたようすら見える。その通り彼女にとってそれは拷問に他ならなかったはずだ。
「マキ…こんなになるまでどうして…」
 でも、マキは答えない。それ自体が彼女の答えだった。切り刻まれてはふさがれた彼女の身体にはそれでもまだメスの入っていない場所がわずかにある。それは彼女の胸の真ん中、ちょうど心臓の辺り。そして、私が次の手術で開けられる場所だった。そうなったら彼女の命はもう…なんてひどいことを…その時には私に何の迷いもなくなっていた。
「…ねえ、ここから逃げましょう」そう言って私はマキの手を取った。
「…ヤ…エコ?」
 マキはかすれるような声で初めて私の名を口にした。
「大丈夫。何の心配もいりません。こんなことは私が許しません。私にこんなことを二度とさせないとっておきの方法があるんです。ここで説明している時間はありません。とにかく今すぐこの研究所をでましょう。見てください、私のこの『瞳』。これはこの研究所のどこだってパスできる魔法の目なんです。心配要りません」
 マキはそれでも顔を上げてくれない。彼女は迷っている。でも、彼女の気持ちを汲みとってあげている時間さえ私達にはすでにないんだ。
「今必要なのは一歩を踏み出すこと。それだけでいいの。それだけで世界は今まで違って作りかえられる。見た目が同じだけでまるっきり作りかえられる。ちょっと怖いのは過去の経験がそうさせるだけ。でも、まるで新しい世界でなら経験にも怖がることはないの」
 こんなことは私にとっても絵空事。だからこれから現実にする。私は傍らに置いてある大きなトートバッグから黒いコートを取り出してマキの肩にマントのようにかけた。
「ほら、着替えも持ってきたの。今は迷っていてはダメ。ここにいたらあなたは生きられない。もっと歌を教えて。まだまだ覚えてない歌もたくさんある。だから…」
 そう言い終わる前に頬に涙が伝うのが分かった。
「あ…」
 マキと比べて自分ばっかり弱虫で私は恥ずかしい。
「…ごめんなさい。辛いのはマキの方なのに本当に…」
 私が言い終わる前にマキは涙をぬぐってくれた。
「…だめ…」
「ううん、大丈夫…さあ…」
 私は笑顔でマキに手を差し出した。
マキはその手を取った。

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ヤエコ05-オリジナル(前編)

2012-12-21 22:34:04 | 伝承軌道上の恋の歌


 私は夜が怖かった。一人ぼっちの部屋で闇に溶けるみたいに目をつむると、自分もその中に溶けてしまうような気がした。そのまま目が覚めなくて死んでしまうとかそういう不安とは違う。自分が自分でなくなってしまうようなそんな気持ちだ。
 暗く細い廊下を私は足早に歩く。早まる鼓動にあわせて胸が重く鈍く痛む。思わずシャツの胸の部分をくしゃくしゃにつかんだ。色々あって今日は随分と遅れてしまった。でもあの子はきっと待ってくれてる。満月の夜、私の歩いている先でぼんやりとした光を集めて私の高い影をつくっている。歌声。彼女の歌声が朧気な光にのって伝わる。窓辺に彼女の後ろ姿を見つけると、安堵が身体中を包んで力が抜けていくような気がした。
「ごめんなさい。とっても待たせてしまいました…」息を切らしながら私は言った。
 マキはゆっくり振り返る。月の光りに半分だけ照らされた顔はどこか物憂げに見えた。懇願するようなまなざしで何かを訴えかけたがっていた。大丈夫。多分そのことを私はそのことを知っている。でも、私は思わず彼女にすがるように抱きついて、
「私、全部わかったんです。あなただったんですね?」切れる息の合間で私は言う。
 抱きしめた彼女の身体は暖かかったけれど、固くこわばっていた。
「マキ…あなたからなんでしょう?あなたはここの患者なんかじゃない。もっと違う別の目的でここに連れてこられたんですね。私、そんなことに全然気づけなくて。いままであなたを苦しめてしまっていたんですね…本当にごめんなさい。でも、でも今日でそれも終わりです。だから安心してください」
 身じろぎ一つしなかったマキの身体が私の言葉に震えた。私の言葉は確実に彼女に伝わっている。でも、マキ自身から私の期待する言葉を聞くことはかないそうにない。彼女は身体が勝手に震えるのを必死に耐えているようだった。私は無理にそれを止めるようにより強く彼女を抱きしめた。早くこの恐怖からマキを開放してあげなくては。そのためにあと一つだけ私達の背中を押してくれる真実が欲しい。できれば彼女自身の口からその言葉を聞きたかったけど、今は待ってもいられない。
「ごめんなさいっ!」
 私はそう言うと、彼女に抱きついたままマキのパジャマの上着を掴んで、ボタンをちぎるようにして勢い良く彼女の胸をはだけさせた。自分でも驚くくらいに大胆にそれはうまくいってボタンが弾けて飛んでいった。小さなプラスチックのボタンはくるくると転がって、こつんと高い音を立てると、後はだんだんと静かに振動を小刻みに揺れて部屋の何処かにまぎれてしまった。
 私はしばらく言葉を失った。

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ヤエコ04-予感(ヤエコサイド)

2012-12-20 23:20:44 | 伝承軌道上の恋の歌

 この検査はくすぐったくて何度やってもなれない。ひんやりとしたゼリーが私の胸にぬられるときは自分が実験体になってるみたいで少し緊張する。大きな手術前の最後の確認といったところなんだろう。私にとってもちょっと責任重大だ。
「あの、先生?」
「何だい?」白衣姿のウケイ先生がモニターの方をみながら返事をする。
「私がもらえる臓器の持ち主ってどんな人なのでしょうか?」
 私は先生の背中に聞いた。
「ははは、なんでまた?」
 ウケイ先生は答えに困ったようで少し間を置いてから答えた。
『どんな人だった』こっちの方が表現としては正しいのかもしれない。
「聞かないほうが良かったですか?」
「まだ知らない方がいいだろう」
 『まだ』。それは大人の人の使う言葉だ。
「なんか私少しその人に悪い気がします」
「なんでだい?移植には生前の合意がある。感謝はすべきだが、気に病む必要はない」
「いえ、なんとなくですけど…私の他にも待っている人はいるだろうし…その人が私を選んでくれた保証もないし…」
 答える代わりに振り返ったウケイ先生の手には判子のお化けみたいな機械があった。重たい感触がして機械が私の胸のあたりに押し当てられる。
「深く息を吸って…」
 私は言われたとおりに息を吸い込むと胸のあたりがそるようにして膨らんでいく。
「はい止めて」と言われるがままに息を止めながら、私は昨日の夜のマキの涙の意味を考えた。喜んでくれると思って言ったのに何故彼女は泣いたんだろう?
うれし泣きとは全然違う。彼女は悲しくて泣いたんだ。そしてそれは私の手術と関係している。その時私の胸がかすかな痛みと共に一度だけ大きく鼓動した。まずい。検査中なのに変な反応が出たら大変だ。でもそれとは裏腹に私の気持ちははやるばかりだった。
「はい。吐いて」
 私はまるで大きなため息をつくように胸にたまった空気を吐き出した。ウケイ先生がモニターの確認してメモをとっている間、私はしばらく天井を眺めていた。
「…それとな、ヤエコ…夜中に出歩くのはもうお終いにしなさい」
 ウケイ先生は背中を向けたままそう私に言った。私は言葉を失った。
「…知ってたんですね」
 それならマキのことも?彼女もお目こぼしをもらっていたのかも知れないけど、先生自身から切り出さない限りは私も口外しないほうが良さそうだ。
「私、夜の研究室って不思議な感じがして好きなんです」
「夜はめっきり冷えるようになってきたし、身体に良くない。最後の検査も済んだんだからしばらくは安静だ」
 それは困る。そしたらマキにあの涙の訳を聞けなくなってしまう。
「じゃあ、じゃあ今夜が最後…」
「ダメだ。いいね?」
 ウケイ先生はそれまでになかったくらいに強い調子で言った。こんな態度は今まで一度だって見たことがない。いつも厳しいお父さんやお兄様と違ってお願いごとは何だって聞いてくれたし、甘やかし過ぎなくらいに甘やかしてくれてばっかりだったのに。はっきりとは分からないけど、何か悪い予感がするんだ。

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ヤエコ04-予感(マキサイド)

2012-12-19 22:40:50 | 伝承軌道上の恋の歌

 前兆。意識がぼうとして力が入らない。寝ている間に麻酔か何か打たれたのだろう。こんなことをしなくても私は逃げたりしないのに。薄く目を当てるとそこはあたりにそこらじゅうにコードが伸びた機械ばかりが並ぶ小さな部屋だった。今はそれら全部が私のためにあるんだ。私の傍らにいる見慣れぬ人はまさに手はずを整え終わったところのようだった。私は意識を取り戻したのがばれないように眼を閉じた。はだけた胸に冷たくぬめるゼリーみたいなものがぬられて、よく分からない機械がまるで落とした宝石でも探し当てるように私の胸のあたりを順繰りに巡っていく。
 この機械を当てられるのは前兆だ。こんなことは前にもあった。その数日後に私は臓器を取られた。皮膚をとられたときも、あばらを抜かれたときもみんな同じだ。今度、私は『それ』をとられて元の姿のままだろうか?まだ生きていられるんだろうか?いっそのこと殺して冷蔵庫の中に入れておいてもいいだろうに。こんな面倒くさいマネまでして私を生かしておく意味はなんだろう?その方が安くつくんだろうか?夜な夜な私が出歩くのを許しているし、よく分からない。
 これは私を生かす検査じゃない。でも、私の身体で誰かを生かすことになるんだ。一瞬、あの子の顔が浮かんだ。やっぱりそうなんだろう。
「あの娘になら、いいかな…」
 ぼんやりした頭でそう考えるうち私は再び意識を失った。

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ヤエコ03-涙

2012-12-18 22:28:06 | 伝承軌道上の恋の歌

 今日私に降りかかった災難はひどい。マキに教わった歌を私が歌っているのをお兄様が内緒で録音していたのだ。それもウケイ先生もグルになっていた。あまりに興奮してウケイ先生から太い注射までもらうはめになって私はちょっと怒っていた。私はリクライニングに身体を預けたまま病室の壁ばかりを眺めて不貞腐れていた。
「…でもいい歌だったよ」
 私の傍らでお兄様はいやらしく笑う。どうしてそういう蒸し返すことをするんだろう?
 私がどんな反応をしても相手を喜ばすだけだ。それでもお兄様はにやけているから始末が悪い。この状況を二人で端と端を支えあっているようなものだ。らちがあきそうにない。それにしたって変だ。どうしてこんなニヤニヤしてるんだろう。ちょっと変なところがあるお兄様だけど、今日はちょっと格別だ。
 それからウケイ先生が入ってきてこう言った。
「…ヤエコ、いい知らせだ」と。
 そしてその夜マキと会うのはどんな時より嬉しくなる。私は高鳴る心臓のこの痛みも、今は私のこの気持をそのままに伝えてくれてる。そして彼女はやってきた。いつものとおりだけど、もう私にはそれだってまるで違って見えるんだ!この夜の光りに照らされ眠っている温室の植物たちも、窓から見える街の灯りも、ひんやりと冷たい窓のガラスも、全部同じくらい愛しくなって叫びたい気持ちだ。私の二つの瞳に大きく映ったマキが不思議そうな目で私を見てる。どうやったらうまく伝えられるだろう?分かってもらえるだろうか?でも、私にとってこの子は一番伝えたかった相手なんだ。
「ねえ、聞いて。私、もうすぐ手術できるようになったんだよ」
 私はマキの右手をそっと自分の左胸に当てた。
「私ね、ここがとても悪かったの…怖かったりドキドキしても痛くなるけど、楽しいことで胸が高鳴っても痛むのよ。ひどいでしょう?でも、もう大丈夫だって!うまく代わりが見つけられたんだって!」
 喜び勇んで言うと、マキは目を丸くしたまま黙ってしまう。
「…?どうしましたの?」
 私はそう聞くけど、マキの大きな瞳は私を映したっきり動かず光をたたえている。うまく伝わらなかったのかな?なにか誤解でも与えてしまったんだろうか?マキに映る私の目はみるみるうちに曇っていっていっただろう。
「マキちゃん?」私がそう聞くとマキは私に向かって微笑んでくれた。
 初めてマキが私に笑ってくれた。ぎこちなさがまたとても愛らしくて私は今すぐ抱きしめたいくらいに感激してしまう。良かった。マキも喜んでくれてる。
「…きっと、あなたもよくなります。私がよくなるんですから」
 私は彼女の手をとってそう言った。すると笑顔のマキの目にみるみる涙が溜まって、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「マキ…?」
 せっかくの笑顔も涙でどんどん崩れていく。それはいつしか嗚咽に変わる。
「大丈夫…大丈夫ですから…ね?泣きやんで…」
 どうしていいか分からず、私はただマキの青白く光る髪を撫ぜる。でも、それはいつしか嗚咽を含んで、こらえきれなく鳴った感情が爆発したみたいになる。
「ねえ?どうしましたの?多分、私力になれますから…ウケイ先生だってお父様だっていらっしゃるんですから…」
 不安そうに見つめる私にマキはすがるように抱きついてきた。それはマキの声なき声だった。私はそれをいずれ知ることになる。でも、その時の私は冷え切った私のからだと違って、マキのからだは優しく暖かくて触れ合った胸同士で感じる心臓の音は羨ましいくらいに強く伝わってくるのにただ感動していた。

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