ワンパターンになってきてるのは書いてる本人が一番思ってるweb漫画をご紹介します。
神社を訪れる女の子の願いとは?
中編に続きます。
こんなに拙い漫画を読んでくださった方いましたらありがとうございます。
宇宙エレベーターの材料はこれで決まり? カーボンナノチューブより強い物質が見つかる(GIZMODOの記事より)
上記事の宇宙エレベーターは、僕が小学生だった当時から技術的に関しては実現可能と言われていたのを覚えています。
アニメ『Gのレコンギスタ』にも登場するなど世間にも認知され、いよいよ現実に動き出そうかというところです。
さて、この宇宙エレベーターの最初の提唱者は誰なのでしょうか?
有名大学の科学者か、はたまたNASAの一流研究者なのかといえば、それは違います。
昔見たテレビ番組によれば、それはSF作家の故・アーサーCクラークさんだそうです。
またダニエル・F・ガロイの『模造世界』はコンピューターの中の仮想世界と現実世界との境界を巡るミステリーSF小説です。
さながら映画『マトリックス』ですが、読んだ後に書かれた年を見てぶったまげました。
今からなんと50年前の1964年、バーチャルリアリティもネットも影も形もなかった時代です。
他にもH・G・ウェルズなどあげたらきりがありませんが、やっぱり極めつけはジュール・ヴェルヌです。
今から150年前に書かれた『月世界旅行』での月飛行の描写の正確さは、後にアポロ11号によって実証されました。
未来の予知といえば、ノストラダムスやエドガーケイシーなどの超能力の世界の話のように思われます。
しかし、優れたSF作家達のほうが超能力者はもちろん、超一流の学者先生よりも優れています。
そこに理由があるとすれば何でしょうか?
それは彼らが「夢」を描いたからだと、僕は思います。
明日を待つより、明日を作っていく希望こそが世界の将来を作っていくのでしょう。
食べることを忘れた…空腹感や飢えを感じなくなる謎の病気に罹った少年、医師は手がかりもつかめず(英デイリー・メイルの記事より)
食欲の秋ですが、食欲に限って言えば、男性より女性のほうがある気がします。
食の量は男性の方が多いでしょうが、質に関しては圧倒的に女性の方がこだわりがあると思います。
周りを見渡しても複雑で繊細な味を楽しめる男性というのは本当に稀です。
男性の胃袋をつかむと言われてる料理も多くは子供っぽいわかりやすい味付けのものばかりです。
母方の祖父・和俊は30年以上一日二食ただひたすら同じ食事をしていました。
それほど本人の好物だったものなのかといえば、多分違います。
はったい粉を牛乳で溶かしただけのオリジナル・メニューでしたので。
赤ん坊の離乳食でもあるまいし、イギリス人も裸足で逃げ出す味気なさです。
おそらくそれは祖父の宗教的な信条によるものでした。
今でも、台所で座って謎の料理を作る祖父の後ろ姿を懐かしく思い出すことがあります。
それで八十六歳まで生きたのですから案外身体には良かったのかもしれません。
さて、もう一人、うちの父もだいぶ変わっています。
というのは、あまり空腹を感じたことがないのだそうです。
確かに朝ごはん以外はほとんど食事らしい食事を取りません。
本来なら、上記事の少年の様に身体を悪くしそうですが、普通に元気です。
本人なりに一応シグナルがあって、身体が重いと感じた時に食事を摂るそうです。
変わった人もいるものですが、有名人に同じ体質の人がいるのをある時見つけました。
『人間失格』を読んでいたら、太宰治も同じことを書いていました。
スリーエフ、有力運営会社と契約終了 80店失う(日経新聞の記事より)
昔、某西武池袋線の沿線に住んでいたことがあります。
駅前のささやかな商店街には、セブン・イレブンとファミリーマートが並んでいました。
駅から近いセブンの方が繁盛しているようでしたけど、ファミマも十分にお客さんは入っていたと思います。
ある日、ファミマのさらに数軒先のテナントが改修工事をしているのに気づきました。
で、後日見てみると、なんとセブン・イレブンがもう一軒できていたのです。
駅間の小さな商店街のほんの数十メートルの間に、セブン、ファミマ、セブンが並ぶおかしな状態です。
セブンのエリア・マネージャーはオセロのルールを現実に持ち込んだつもりかと首を傾げていました。
それからしばらくしてセブンにサンドイッチされたファミマが耐え切れずに潰れました。
やはり新しくできたセブンに少なからずお客さんを取られてしまったようでした。
しかし、新しいセブンにしたって古いセブンと競合している状態です。
しかも、同じ商品が並んでいるわけですから、駅に近い古いセブンに一方的に集まるはずです。
そして、その次に起こったことには、驚きました。
ファミマが潰れるとすぐに新しいセブンも無くなったのです。
つまりは、新しいセブンはファミマを潰すためだけに本部が送り込んだ、いわば刺客でした。
晴れて役目を終えて消えていったのです。
全国のコンビニの数はすでに飽和状態で、生き残りをかけた熾烈な競争を繰り広げています。
誰かを責めようとは思いませんが、聞きしに及ぶ資本主義の権化ぶりには胸がふさがりました。
そんな僕は、品揃えはよくないけどフランチャイズ料が良心的なデイリー・ヤマザキをひいきにしています。
岡本夏生の過激発言で “論争“ 勃発・・・アイドルに処女性を求めるべきか? 求めるべきでないか?(メンズサイゾーの記事より)
いきなりですが、マンガやスポーツ観戦を楽しむための一番のコツは何でしょう?
それは特定の登場人物やチームにおもいっきり感情移入することです。
まるで自分がその人物や選手になった気分になって喜怒哀楽を感じるのが面白いのです。
自分の人生ならやっぱり「自分になりきる」のが楽しむコツです。
では、アイドルのファンならどうでしょう?
やっぱり、その子の恋人になったつもりで応援するものじゃないでしょうか。
ですから、過去の恋愛遍歴や現在の恋人に対してショックを受けるのも仕方ないと思います。
そんなファンを「アイドルだって恋人いて当たり前だろ」と批判する人が結構います。
こういう人は成熟した大人な人か、元から他人にあまり興味ない人か、過去に同じ目にあって懲りた人でしょう。
でも、アイドルのファンを楽しむにはあまり向いていないと思います。
ただ、漫画のヒロインやスポーツのチームと違って、アイドルは生身の人間です。
あまり期待をしたり、期待をさせすぎてもお互いに不幸な結果しか生みません。
でも、人は誰しも自分にないものを他の誰かに求めます。
上記事の処女性だけでなく、優しい、金持ち、おっぱいが大きいなど、恋人への要求はあるはずです。
そうやって、自分の理想を相手に投影し相手に甘えるのが、恋愛の本質です。
そうした他人への甘えを否定するのも一興です。
恋人をパートナーや相方なんて呼ぶ風潮はそうした気分を反映したものなのでしょう。
でも、そうした人たちはあんまり恋愛を楽しむタイプではないのかなと思います。
中編からの続きです。
あとがき:
この漫画の登場人物の二人はとても運がいいです。
お互いに共感できる人間とたまたま出会えたので。
ほとんどの自殺志願者者は、そういう機会もなく一人寂しく死んでいきます。
でも、そんな人にはともかく一週間だけでも先延ばしにしてみたら?とアドバイスしておきたいと思います。
大袈裟に言うと僕もそんな気分で生きてますので。
ここまで読んでくださったいましたら、ありがとうございました。
多分、すごく昔に同じ設定のコントをテレビで観たような気がします。
そんなわけでベタですが、その分人を選ばない話かなと思います。
中編に続きます。
こんな拙い漫画を見てくださった方いましたらありがとうございました。
宮沢経産相 「私にSMの趣味はない」(産経ニュースの記事より)
高校の時してたビル掃除のアルバイト先での事です。
休みの日の掃除で、オフィスは基本的に無人なのですが、時折社員食堂で翌日の仕込みをしているコックさんを見かけることがありました。
この方は、僕が出会った中では絵描き歌のコックさんの次くらいに個性的でした。
身のこなしこそちょっとなよなよしいですが、見た目は背が高くスラっとした普通の男性です。
バイト先の先輩とは旧知の間柄で会うと時々話し込んでいました。
ある日、その先輩が僕にこっそりコックさんの秘密の趣味を教えてくれました。
実はコックさんはハードなSMのマニアで、仕事が終わると夜な夜なムチで打たれにクラブに向かうのだそうです。
先輩は同性愛者の彼に痛く気に入られ、いつもお誘いを受けているとのことでした。
端からは微笑ましい雰囲気の裏で、そんな危ない話題が飛び交っていたとは驚きです。
ですが、そのコックさんが性癖に目覚めたきっかけは悲しい過去にありました。
先輩に打ち明けたところによると、幼いころから父親に虐待を受けている内に、そっちの趣味に目覚めてしまったのだそうです。
辛い体験を自分の中で正当化するための防衛本能的な心理が裏で働いたのかもしれません。
それにしても、そこまでSM趣味のコックさんに心を開かれていた先輩に二度びっくりです。
確かに先輩は小太りの髭面で黒目がちのくりっとした目が可愛らしい、典型的な『ホモサーの姫』タイプの風貌でした。
LINEでいじめ、高1女子自殺-熊本(朝日新聞デジタルの記事より)
押井守監督の映画『攻殻機動隊』のラストシーンはこんなセリフで締められます。
「さてどこへ行こうかしらね、ネットは広大だわ」
まだインターネットが今ほど便利でなかった時代に、その先見性を示した象徴的な言葉として知られています。
ネットの出現で、世界の誰とでもつながることもできれば、個人が自由に情報を発信することが出来るようになりました。
すでにネットは世界そのものと同じくらい広大になり、グーグル先生の日々の苦労がしのばれるほどです。
江戸時代研究の難しさの一つに、一人の研究者では一生かけても読みこなせないほどの文献があることが挙げられます。
その情報を取捨選択して自分の研究につなげていくのが結構大変だそうです。
ならば、この時代を研究する後の歴史家は、更に苦労が多いかもしれません。
しかし、実際問題ネットは我々の世界を広大にしてくれているでしょうか?
ネットのおかげで人と直接会わずにやり取りが出来れば、本屋にいかずに本を買うこともできます。
いちいち旅行に行かなくても、ネットで情報を探せば、かなりの知識を集めることもできます。
そして、上の記事の件です。
この女子高生は、LINEの人間関係を自分の世界の全てと思い込んで自ら命を絶つことになりました。
思春期の頃は皆そうところがありますし、責めることはできません。
ですが、こういう事件が起こる度に周りの大人がもっと色々な世界があることを教えられなかったかと残念に思います。
ネットに触れてることの多いニートの人たちもネットの広大さの割に非常に偏った考え方になりがちです。
ネットは広大です。
しかし、一方で閉じたコミュニティを形成しやすい一面があります。
否応なしに自分と違う人と接する機会のある現実より、使いようではその人の世界を狭めてしまうのです。