過労死・電通、新人は奴隷、超タテ社会…先輩の革靴に注がれたウイスキーを飲まされるetc(東京新聞の記事より)
人がどん底に落ちた時の気分は、だいたい二つに分かれます。
一つ目は「…鬱だ死のう」です。
当たり前ですがたいていはこうなります。
そして、二つ目はちょっと不思議です。
「もうこれ以上失うものなんてないぜ!」と妙な勇気が湧いてくることがあるのです。
全てを失って初めて、いかにそれらのせいで自分が自由を失っていたかに気づくのです。
自分を縛っていた変なプライドや思い込みが消えて、何でもできる気がしてくるのです。
社会的な成功者には一度人生のどん底を味わったエピソードを持つ人が多くいます。
それはこの境地に達することが成功をつかみ取るために必要だったからでしょう。
しかし、このいささか倒錯的な心理状態は、悪用されることもあります。
例えば、Xのボーカル・TOSHIさんは、教祖からひどい暴言を投げられかえって彼に心酔してしまいました。
軍隊でもまず新人をいじめ、ボロカスに罵倒して一人前の兵士に仕上げていくこともあります。
そして、これと同じことが企業でも行われています。
ブラック企業では「研修」と称して新入社員のプライドをずたずたにすることが半ば常習化されています。
こうして心理的に「なんでもやれる」状態にして思い通りに動かすのです。
上記事のような企業もそれを心得て、新人には屈辱を味合わせます。
当然、悪評は学生にも知れ渡っており、みなそれを承知で華やかな世界を夢見て入ります。
個人的に知る限り、それが性に合ってる人も結構いるのです。
残念ですが、これが変わることは基本的にはないでしょう。
もしこの会社がそれを捨てても、ほかの会社が同じことをやって取って代わるからです。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『東京にいた時の方がよく見た生きもの』
■あとがき
練馬区の6畳1間の木造アパートにいた時のことです。
■ヤモリ
どこにでもいそうですが、何故か神奈川の実家では一度も見たことはありません。
■しっぽの短いネコ
江戸時代にしっぽの長い猫はしっぽが別れて化け猫になるという迷信が広まったせいらしいです。
■ネズミ
よく天井裏を走っている音が聞こえてきました。
それどころか押入れの天井に穴を開けられてしまいました。
■ニンゲン
むこうはむこうで同じこと思ってる。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
過去記事『すごく怒らせてしまった人に謝るには?』から拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『すごく怒らせてしまった人に謝るには?』
■あとがき
そもそもここまで割り切れることが難しいわけですが。
この人の一貫性を持ちたがる心理はかなり強力だそうです。
例えば、会社の金を横領する人ですら、その帳簿の嘘にどうしてもパターンを作ってしまいます。
言い換えれば、人は自分で自分にルールを作ってしまいそれに逆らえない性質があるのだと思います。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
和歌山県の人口 100万人割れる(AGARAの記事より)
昔、父方の一族のルーツを尋ねて和歌山に旅行に行ったことがあります。
その新宮市にある神倉神社という神社を訪れた時のことです。
ここで祭られている巨大な磐座は、日本神話にも登場するほど古い歴史を持っています。
しかし、そこにたどり着くまでには、非常に急な石段を登らなければいけません。
もし足を踏み外しでもしたら、池田屋階段落ちを何倍も壮大にしたものを体験した挙句、気づいたころにはあの世に旅立っているでしょう。
僕も初めて入り口の鳥居から見上げた時は、口をあんぐり開けたまま、途方に暮れてしまいました。
しかし、覚悟を決めると、登山鉄道よろしく時折スイッチバックしながら斜めに登っていくことにしました。
その途中まで来たところ、上へと伸びる石段の遥か先に人影が現れました。
見れば、年は50代くらいの藍色の着物を着た女性でした。
その人が軽い身のこなしであっという間に降りてくるのです。
まるで忍者のようで、ちょっとあっけにとられました。
和歌山ですしきっと甲賀の出に違いありません。
どうにか登りきると、街の展望とその名に違わぬ大きな磐座が待っていました。
そして、その傍らに花が生けてあります。
(小さくて見にくいですが、写真中央の門(?)の左手にあります)
きっとさっきの女性が捧げたものに違いないと直感しました。
この神の宿る磐座は、こうした方たちによって支えられ神話の時代から今にいたるまでその歴史をつないでいるのでした。
高樹沙耶容疑者、原発問題理由に石垣島移住…1泊約3万円の民宿経営(スポーツ報知の記事より)
昔、医者をしている兄弟にこんな質問をしたことがあります。
「人間の病気は身体全体のバランスを崩すことから起こっている。
だから、一つの症状病気を薬で治したとしても、長い目で見れば他のところにゆがみが出るのではないか?」
それに対してこう答えられました。
「でも腫瘍は切ればそれで治るし、外傷とか骨折はあてはまらない。
それに長い目で見たところでその影響がよそで出るほど人間の一生は長くないし、その考えはどうかと思う」
ぶっちゃけ、ぐうの音も出ませんでした。
自然というと大体がいい意味です。
心も身体も自然でいられればいいとされています。
自然とは全体的なバランスが取れていて、そこにあるものすべてが調和がとれた最高の状態です。
でも、それって本当でしょうか?
本当なら、どうしてわざわざ農薬が必要なんでしょう?
そうしないと害虫がわいたり作物が病気になってしまうからです。
現代医療のおかげで我々は中年以降は「薬漬け」にされ、自然とは言えない生活を送っています。
ところが、そうなった結果、平均寿命はどんどんのびています。
しかも、昔と比べても化学調味料を山ほど使ったものを食べてるのに、です。
自然にあるものは、決して調和のとれた素晴らしいものとばかりは言えません。
中には病原菌もあり、毒もあり、寄生虫もいます。
仮にそれらが全体の調和をもたらしているとして、人間自身はそれで苦しむのです。
そして、現在環境破壊にいそしんでいる人間もまた自然の産物です。
ですから、自然は素晴らしくもあり恐ろしくもあるのです。
それを古代の日本人は「畏れ」と表現しました。
なので、大麻を「自然のものだから」良いとする意見には、ちょっと首をかしげたくなります。
米大統領選 FBI幹部の妻へ多額寄付=クリントン氏側近に疑惑-米大統領選 (Sputnikの記事より)
例えば、サッカーの日本代表が負けた時一番評価が上がるのは誰でしょうか?
それは「代表に呼ばれていない」選手です。
まだ何もしていないことに対して、普通はこう考えます。
「してないということはできないんだな」
でも、負けが込んでくると、そう考えない人がどんどん多くなっています。
「してないということはやれるのにやらせてもらえないんだな」と考える人が増えてきています。
確かに、何もしていない人というのはある意味で最強です。
実際にやって失敗した人より、失敗もしてない分だけ上に立っているような気になれます。
よく考えるとおかしいのですが、ネットでの炎上案件の多くはそういう錯覚に基づいて起きています。
でも、どうしてこういう人が多くなっているんでしょうか?
やっぱりそれだけ世の中に閉塞感を感じているんでしょう。
行き詰った状況では、過去の経験はただのしがらみや失敗の積み重ねと思われます。
上記事の両米大統領候補にもちょっと似たところがあると思います。
事実ヒラリーさんの過去の政治の経歴は、同時に数々の疑惑と汚職の歴史でもあります。
でも、彼女の是非は置いておいて、僕は物事を新しく変えるのにもやはり経験は必要だと思います。
少なくとも過去の経験の欠如を新しさと錯覚するのは危ない兆候です。
<スパルタ教育>子供たちが泣きながら走る「スポ根幼児園」に入園希望者殺到!(NEWSポストセブンの記事より)
「金持ちの子はぜいたくに馴れ甘やかされて育つのでろくな大人にならない」
なんとなくこういうイメージってないでしょうか?
確かに、一代で財を成したような成金の親の子はそういうタイプは多いかもしれません。
それにこういうことにして見下す要素があれば、ふつふつと湧いてくる嫉妬心も抑えられます。
でも経験上、お金持ちの子はしっかりした人が多かったです。
それも親戚縁者にどこそこの取締役や教授なんていうのがずらっと並ぶ、名家の子ほどそうでした。
どうも世間のイメージと違いますが、どうしてこういうことが起こってしまうのでしょうか?
まず、金持ちの家がお金持ちでい続けるには、それなりに努力が必要です。
ですから、いい家の子はまず教育が厳しいです。
親からの躾もそうですし、子どもの頃からピアノ・水泳・塾と、遊ぶ暇なく習い事をさせられます。
普通なら非行に走りそうですが、周りもそれが当たり前で育ってきてるので、案外持ちこたえます。
そして、小さいころから厳しい環境に身を置くため、自然と人間性が磨かれる人が多くなるというわけです。
それに対して、大多数の庶民の世界では真逆のことが起きています。
子どもの頃は「自由こそ正義」「争いは悪」と教育を受けます。
それで一生を終えられるならそんなにいいことはないのですが、そうはいきません。
大人になるといきなり「不自由」な社会で「争いで勝つ」ことを求められるようになるのです。
平等主義的な教育を受けて育った子どもは、大人になっても気ままな生活を好み争いを嫌うようになります。
一方、厳しい環境で育った子どもは、大人になる頃には競争社会への耐性がついています。
すると、皮肉なことが起こっているのが分かります。
子どもへの平等主義的な教育がより一層格差を拡大させる結果となっているのです。
富裕層はそんなことはとうに知っています。
その証拠に、上記事のスパルタ幼稚園は日本で一番お金持ちの多い世田谷区にあります。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『孫が祖父を越える時』
■あとがき
半分は冗談でしたよ。半分は。
子どもにもよるんでしょうけど、女の子は赤ん坊の頃から大人ですね。
母親に甘えたりしませんし、人を気遣ったりできますし。
男性は良くも悪くも曲げられない自分のルールがある人が多いです。
その意味では「大人さ」では女性に永遠に追いつけない部分があります。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
自分のtwitterから拾ってきたネタでエッセイ風漫画を気ままに描いています。
■web漫画『日常にひそむ非日常』
■あとがき
何が起こったのか今もってわかりません。
犬の散歩中の女の子が轢かれたのなら、先に救急車ですよね。
野良犬が出たんなら保健所です。
飼い犬ぽかったですし、警察呼ぶ騒ぎになった理由がわかりませんでした。
もし見てくださった方いましたらありがとうございました。
県内、気温上昇 春のツツジ狂い咲き、松山などで夏日を記録(愛媛新聞の記事より)
この前の日曜日、静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社にお参りに行った時のことです。
ここはその名の通り富士山そのものを祭る神社です。
そして近世になって女神コノハナノサクヤヒメを祭るとされるようになりました。
実際、この神社の社殿の屋根のてっぺんを見ると鰹木の数が5つの奇数と、男神を祭っていることが分かります。
時を経て、荒ぶる火の山から稜線の美しい山というイメージへの移り変わりがあったのかもしれません。
(もっともサクヤヒメ自身、神話では火の中で子を産むなど火のイメージも強いです)
その神名は咲き誇る木の花のように美しい女神であることにちなみます。
で、この木花(コノハナ)とは何かというと、桜、です。
ですから、この神社のご神木も当然のごとく桜です。
お社の向かって右手にも枝の広く伸びた八重桜の樹が植わっています。
で、ちょうど訪れたその日、この樹に不思議なことが起こってました。
なんとこの中秋の時期に、細い枝の先からほんの数片、桜の花が咲いているのです。
いわゆる狂い咲きです。
最近の夏日のせいで植物も季節を勘違いしてしまったんでしょう。
上記事にもありますが、こうした現象はよくあることのようです。
ですけど、そこは桜の女神を祭る神社での出来事です。
少しだけ神様の神秘に触れたような気分になりました。