Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

続・曖昧な日本の私

2013-10-31 23:02:37 | コラム

「宗教信じてないならお守りをズタズタに切って」 宗教学者と大学教授の対談が話題に(ガジェット通信の記事より)

平素よりいやらしい動画に出演してくれている素人女性には菓子折りの一つも持って行きたいほどお世話になっています。
ですが、自分の大切な人が出演するとなれば間違いなくやめるよう説得すると思います。

我々は牛や豚をぬいぐるみにするくらい好きですが、一方で殺して毎日のようにその肉を口にしています。
ペットに人気の猫だって三味線にしますし、犬だって食べる国はあります。

どちらもよく考えればおかしな話です。
しかし、世の中は矛盾だらけ、戦場は答えのでない疑問であふれています。

神社ファンとして、自分なりに人智を超えた存在を信じていはいます。
しかし、科学は大好きですし、いつか宇宙の謎が科学的に解明されることを期待しています。
矛盾しているかもしれませんが、僕の中ではどちらも共存しています。
著名な科学者の多くも何らかの神の存在を信じているとの話を聞いたことがあります。

矛盾してますが、しかし、人間ってそういうものです。

ですから「宗教を信じてない」と言いながらお守りを大切にしている人がいてもそれほど疑問に思いません。
むしろ、そういう風にしか表現できない心の態度ってあると思います。
それはいうならば、ツンデレ少女が大好きな彼(彼女)に「大嫌い!」と言う、そんな心境です。

言葉の定義を厳密にしていくのが学者さんたちの仕事です。
欧米では宗教に対するポジションを明確に表明することを求められもします。
しかし、僕に言わせれば、それは他所事です。
物事をはっきりさせすぎると角が立って面倒なことも多いです。

ですから、市井の日本人は宗教をうさん臭く思いつつお守りを大切に持っておく、それでいいんじゃないでしょうか。

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新宮の神倉神社。急な石段を登ると十代の女の子が1人佇んでいました

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努力は素質を越えられるか?

2013-10-30 23:59:59 | コラム

陸上・為末大、ツイッター批判に「努力すれば成功する、間違っている」と応戦(J-CASTの記事より)

人が何かを成し遂げるのに、努力と才能どちらが必要でしょうか?

色んな意見があるでしょうけど、やはり持って生まれた素質は大切です。
例えば、スポーツであれば100米走で金メダルをとるには黒人種に生まれなければまず不可能です。

では勉強ならどうでしょう?
勉強は環境も大事です。
例えばその環境になければ、人は言葉すら話すことができません。
しかし、日本のようにある程度の教育が保証された国では、やはり環境よりも素質の差が出やすいです。

総じて言えば、身体能力や知能指数など数値で測りやすい分野は、素質が占める割合が高い分野です。
遺伝子の研究が進めば、この辺りはさらに明らかになるでしょう。

しかし、世の中というのはそれほど単純じゃありません。
例えば、ノーベル賞受賞者はもちろん知能指数が高いものの、意外にも「天才」レベルは1人もいません。
僕が神と崇めるセザンヌも、美術学校になんとか裏入学で入るほどの下手っぴでした。
サッカー日本代表でも、長友、中村憲剛、今野選手は高校まで全くの無名でその後才能を見出された選手です。

これらの分野には数値に現れない能力も大切で、その点で彼らは人よりずっと長けていたのです。
では、いわゆる根っからの天才ではなかった彼らが持つ能力とは何でしょう?

それはいうならば、その人の持つ「創造性」や「オリジナリティ」です。
こちらは素質がそこそこあれば努力次第でいくらでも磨き上げることができます。
むしろ、論理的で計算や分析が得意なタイプは物事に受け身でこの創造性にかけるきらいがあります。

それに何事も最後は自分との勝負です。
持てるもので精一杯頑張って昨日の自分に勝てたのなら、結果が人並みでもそれは何より尊い勝利です。
きっと、例に挙げた人たちも誰よりも自分と競争して打ち勝ってきた人たちなんじゃないでしょうか?

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セザンヌがこの作風にたどり着くのは中年になってから。彼のリンゴはどれもまんまるです

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あらすじ

2013-10-29 22:24:09 | 伝恋‐あらすじ

舞台はスクランブル交差点。
数年前、深夜のひき逃げ事故で父親と妹ヤエコを亡くした主人公シルシは、
今朝もここで事故の目撃情報を募る。
そんな彼の前に現れたのは謎の少女アノン。
シルシの作ったビラを差し出して彼女は聞いた。
『ここに書いてあるのは嘘?』
『そう願ったことなら何度もあるよ』
そして、ビルの巨大スクリーンから流れるボーカロイドの歌。
それはかつてヤエコが歌っていた歌そのものだった。
アノンはこの物語の作者、オリジネイターを探していた。
その先にはある少女の悲劇が隠されていた。
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神社の狛猫

2013-10-27 22:59:23 | コラム

ネコは撫でるとストレスを感じる?論文巡り話題(毎日新聞の記事より)

日本の神様には眷属という神のお使いをする動物がいます。
例えば、観光客にエサを買わせて鹿を飼育するシステムを完成させた奈良公園です。
最近ではお辞儀も覚えいよいよがめつくなったあの鹿たちは春日大社の眷属であり、故郷は茨城の「鹿嶋」にあります。

正確には眷属というわけでもないかもしれませんが、狛犬も神使いには違いありません。

ひところ、湘南平を臨む高麗(高来)神社によくお参りしていました。
そのすぐ側で軒を並べる民家の塀に時折、二匹の猫がじっと座っているのを見かけました。

毛色の白と黒がシャープな印象を与える細身の野良猫で、二匹とも全く同じ模様をしています。
(無理やり例えるならバットマンっぽい柄です)
二匹並んで凛と背筋を伸ばして、身じろぎもせず一点を見つめて佇んでいます。
散歩の度に猫はみかけますが、あれほど神秘的な雰囲気の猫にはなかなかお目にかかれません。
しげしげと見つめていると、通りがかったおばあさんが「いつもこうして二匹でいるのよ」と話しているのを耳にしました。

思えば、あの猫達も神のお使い眷属だったのかもしれません。
それならば、あの瓜二つの兄弟猫は狛犬ならぬ狛猫といえそうです。

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数年前の高麗神社の三が日の様子。

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恐怖の源泉

2013-10-26 23:44:59 | コラム

「ベクレてるんやろなぁ、国会議員に出す弁当は」 山本太郎議員がライブ配信ツイキャスで発言(J-castのニュース記事より)

まだ東京に住んでいた時、自転車を通勤の足にしてはるばる練馬から目白まで通っていました。
夏休みに訪れた熊野旅行から戻り久しぶりに自転車を漕いでいると、どうも違和感を覚えます。
目白通り恒例の朝の渋滞による排気ガスがやたらと臭く感じるのです。
それで「普段気付かずにどれだけ身体に悪いものを吸い込んでいるんだろう」と再認識させられました。

さて、話は放射能です。
たとえば国内の放射能汚染に対する認識は人によってかなり開きがあります。
例えば上記事の山本太郎議員によれば日本はもはや人の住める環境ではなくご本人も海外移住を検討していると聞きます。
一方で、日本より放射線の高い地域を例に出して今の水準は健康に影響はないと言う人も結構多いです。

実際にどれほどの影響があるのかは今しばらく経過を見ないことにははっきりしません。
しかし、一部の人の放射能への過剰な反応には心理的な要因もかなり大きいように感じます。

確かに放射能はに浴び続けることで甲状腺がんなど健康に害をなす恐ろしい電磁波です。
しかし、発がん性に限って言えば、排気ガスもそこそこヤバイはずですが、それほどは言われません。

では、両者を分ける決定的な差とは何でしょうか?
それは放射能が見ることはおろか臭いを感じることもできないシロモノであるという点です。
どれだけ汚染が進んでいても、またその逆であっても、我々はそれを体感することができません。
それに比べると、排気ガスなどはある意味で人の認識下にある分、妙な安心感を与えてくれます。

我々の「恐れ」とは「分からないもの」に対して起こります。
対人恐怖症の人は相手がどんな人だかわからないから怖いのです。
夜道の物陰が怖いのは何が隠れているかわからないからです。

そしてわからないから想像がネガティブに働きひどく傷つけられることに恐れます。
しかし、恐怖に打ち勝つには何よりもその対象を「知る」ことが一番の対処法です。

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女は愛嬌

2013-10-25 23:59:59 | コラム

男女平等、日本は105位…先進国で最低水準続く(47NEWSの記事より)

「自分が今と逆の性別に生まれたらどうだっただろう?」と誰しも一度は考えたことがあるんじゃないでしょうか?
また、性格的に「この人は男に生まれたほうが…」逆に「女に…」と思う人も結構います。

ネットでこの手の話題になると、必ず見かける書き込みがあります。
「女に生まれたほうが楽。だけどブスに生まれたら悲惨」というものです。
恐らく男性の、若いか人生経験がまだ浅い人のものと推測できます。

「自分の顔のパーツに男はひとつは気に入らず、女はひとつお気に入りがある」といわれます。
その人がブスかどうかは別として、女性は自分の見た目に男性ほど悲観したりしません。
満足とはいかなくても「でも肌は結構白いし」とか「でも目は大きい方だし」とか人より勝ってると思う部分があるものです。

また「男性は異性の8割が恋愛対象になるが、女性は2割しか恋愛対象にならない」といわれます。
恋愛業界ではそこそこの器量があれば基本的に女性はモテモテの売り手市場です。
おっさんの立場で言わせてもらえば、明るく若い女性はみなそれぞれ魅力的です。

確かに恋愛を楽しむなら見た目がいいに越したことはありません。
しかし、生涯の伴侶となると「見た目」を重視している人ってどれだけいるんでしょうか?
自分の母親や祖母、親戚を見渡してみなさんそんなに器量よしばかりでしょうか?
よほど嫌な顔立ちじゃなければ相性や他の要素のほうがずっと相手選びには大切です。

女性に比べて男性は一部の勝ち組だけが子孫を残すずっと過酷な世界に生きています。
「ブスに生まれた女性は悲惨」と言っている男性は自分が今「男の勝ち組」側にいるとの過信がありはしないでしょうか。
あるいは「明日から本気出す」とか「努力次第ではそうなれる」とか…
もしそうなら「自分の見た目は平均くらいはある」と思っている大半の女性よりずっと自分を厚かましく考えているかもしれません。

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柔よく剛を制す?

2013-10-24 23:16:36 | コラム

ステロイド中毒となった女性ボディビルダー、副作用でペニスが生える。イギリス[10/24]

スポーツに限れば筋力の強い男性の方が女性より強いことがほとんどです。
前にサッカーのなでしこジャパンが男子中学生のチームに大敗したことがありました。
平均で言えば20歳の成人女性の体力は70歳の男性のそれと同じと聞いたことがあります。

水泳などでは身体が「女性的に」成長するに従い力を発揮できなくなる選手もいます。
逆に冷戦時代のオリピックでは共産圏の女性選手には明らかに「男性化」していた人もいたそうです。
やはり男性ホルモンが運動能力へ寄与する大きさは疑いようがありません。

では、おおよそ身体能力で女性が男性にかなう分野というのは全くないのでしょうか?
オリンピックの女子種目を見れば案外その答えは簡単です。

例えば身体の柔らかさやしなやかさです。
最近では男子もあるそうですが、新体操は女性ならではの身のこなしがが生きる競技です。
平行棒に限っては男子が挑めば悶絶すること間違いないでしょう。

また女子の体操の中には平均台という競技もあります。
この平衡感覚も女性のほうが男性より優れているのだそうです。

意外(?)なところでは反射神経も女性が男性より優れている部分だそうです。
これのみが結果を左右するスポーツとなるとちょっと思いつきませんが、ゲームなら向いてるものも結構ありそうです。

そして女性ならではといえばなんといってもその美しさでしょう。
シンクロナイズド・スイミングもあまり男性がやるところは想像したくありません…

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上手にダマして

2013-10-23 23:21:32 | コラム

ドッキリ番組  ヤラセの実態「昭和のドッキリ番組ではホンモノの素人を使っていたため、トラブルも多かった」(ブッチNEWSの記事より)

20年もっと昔『一杯のかけそば』というお話がブームになったことがありました。
ある大晦日の夜、蕎麦屋に訪れた親子が貧しさからたった一杯のかけそばを頼みます。
主人は気を利かせて少し多めのそばを出してやり、毎年恒例になっていったという心あたたまるエピソードです。

かくいう僕も小学生の頃、体育館に学年ごと集められて朗読を聞かされました。
担任の先生が「これを聞いてなんとも思わない人はどうかしている」と言ったのをよく憶えています。

これが広まった時、実話という触れ込みでした。
しかし、それが原作者の創作と分かり「感動したのに騙された!」と怒った人たちがたくさんいたそうです。

しかし、考えてみればおかしな話です。
良いお話ならそれがウソか本当かは本来どうでもいいことのはずです。
現に我々は最初から嘘とわかっていている小説や映画で感動することがよくあります。

確かに本当に起こったことならより驚きや感動は増すでしょう。
でも、僕に言わせればそれはちょっとズルいやり方です。

小説より奇なる事実を物語にするのには何の疑問もありません。
しかし、どこにでもありそうなお涙頂戴な話を「実際に起ったこと」と箔付けするのは賛成できません。

よく似た事例だと思うのが「天才児が描いた絵」です。
その多くは子供が描いたにしてはすごいけど大人なら割とよくある作風です。
作品そのもののオリジナリティではなく、それ以外の情報で評価されているのは少し残念です。
それはインコが描いた絵みたいなもので、どちらかと言うと大道芸に近いです。

ですから、逆に贋作でも素晴らしい絵というのもあるにはあるんじゃないかと思います。
まあ、肝心のオリジナリティが人の真似ですからあまり評価はできないでしょうけど。

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ミケランジェロ12,3歳の頃の絵。ある意味晩年のものより鬼気迫るものを感じるのですが…

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良薬口に苦し

2013-10-22 22:39:35 | コラム

クッキー「オレオ」、麻薬と同じ中毒性や習慣性がある-米大学の研究(時事通信の記事より)

料理漫画『美味しんぼ』にこんな話がありました。
その回の究極と至高の料理はずばり『サラダ対決』でした。
あーでもないこーでもないと紆余曲折を経て、山岡率いる究極の料理側が用意したのはただの「完熟トマト」だったのです。
その理由が衝撃で「野菜は本来人間が美味しいと思うようにできてないから」というものでした。
確かに、生野菜の多くはドレッシングなどで油分を足し味付けを加えないと食べられません。
トマトはその中でも例外だということです。

僕も正直言って野菜はあまり好きでないので、今も半分納得しかけています。
それを言ったら肉や魚だって最低限の調味料は必要ですし、モヤモヤは残りますが。

美輪明宏さんがかつて『オーラの泉』で「身体に悪いものほど美味しく感じる」と言っていたのを思い出します。
確かに化学調味料に炭酸飲料、スナック菓子に油っぽいもの全般、どれも口には美味しいですけど健康のためには控えたほうがいいでしょう。

その美輪さんの発言を裏付ける最たるものがキノコです。
毒キノコよく名の上がるベニテングダケは食べると松茸なんて目じゃないレベルで美味しいそうです。
美味しい上に食べるとファミコンなしに裏スーパーマリオが3Dリアル体験できるそうですが、命の保証はありません。

きれいなものには刺があるといいますし、自然界もなかなかに奥深いです。

逆に人間にとって美味しくない野菜は身体に良いということになるのかもしれません。
「良薬口に苦し」なんて言葉もあります。

さて、甘いもの全般も身体に悪いですが美味しいです。
上記事の同大学には是非HERSHEY'Sの『Cookies'n'Creme』と三角柱の『TOBLERONE』も調べてもらいたいです。
中毒性が分かったところで、買うのをやめたりはしないですけど…

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キノコ全般好きですが、中でもベニテンちゃんは食べちゃいたいくらいにカワイイです

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メディアの真実

2013-10-21 22:52:50 | Coast to Coast AM

ネットを徘徊しているとどうしても出くわしてしまうのが、メキシコ産のグロ画像です。
慣れっこになってしまった自分が嫌になりますが、かの国では一体何が起こっているのでしょう?

今回ご紹介する『Coast to Coast AM』のゲストは米ジャーナリスト、ベン・スワン(Ben Swann)さんです。
スワンさんはアメリカでほとんど報道されることのないメキシコの麻薬戦争を取材しています。

まず、紛争が激化する一つのきっかけが、2006年以降ののカルデロン大統領による軍を投入でした。
軍は麻薬カルテルと裏でつるんでいた警察署をかたっぱしから潰しにかかります。
すると今度は職を追われた数百数千の元警官たちが新たな犯罪組織をつくり上げるという悪循環が起こったのです。

もともとはメキシコの麻薬カルテルはお互いの縄張りには干渉しないスタンスを取っていました。
しかし、一方で当局の取り締まりはシナロア・カルテル以外の麻薬カルテルばかりを狙うものでした。
権力と結んだシナロア・カルテルは勢力を伸ばし他の麻薬カルテルの縄張りにも踏み込みます。
ところが他の勢力を甘く見ており、予想外の激しい抵抗にあいました。
これが紛争が激化したもう一つの理由です。

よく麻薬カルテルのひとつロス・セタスはメキシコ国軍の元軍人によって組織されたとされますが、スワンさんによればやや正確性を欠きます。
もともとはアメリカ軍によって訓練され麻薬カルテル対策に投入された軍人が裏切ったというのが真実です。

そこにはアメリカの思惑もあります。
ひとつの麻薬組織が勢力を伸ばし政府と結ぶよりは、対抗勢力同士で紛争していたほうがまだマシとの算段です。

本来、メキシコは豊かな鉱山や油田を持つ資源国です。
しかし、それらの権益は全て大統領を含めた権力者たちが独占し、大衆はその恩恵に預かることができません。
さらには製造業もインドや中国などに奪われ、中流層が根こそぎなくなってしまったのです。

メキシコの麻薬戦争はかように重層的な問題の結果起こったと言えます。

最後にメディアそのものについてです。
スワンさんによれば、人々がニュース報道を観るのは事実を知るためではなく、自分の価値観を確認するためです。
そこでは報道への絶対的な信頼は必要ではなく、普通の人よりは信ぴょう性があると思われるだけで十分です。
それは与えられる情報に満足し安心しきっている我々に警鐘を鳴らしているように聞こえました。

米ラジオ番組『Coast to Coast AM』を聴くには

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