ドラゴンボール : 悟空の母が30年目で初登場 誕生秘話が明らか(まんたんウェブの記事より)
日本独特の文学に「日記文学」や「私小説」というものがあります。
エッセイとも違い、乱暴に言えば書き手の身近な出来事を淡々と綴っていくまさしく『チラシの裏』です。
学生時代に古典では「蜻蛉日記」「更級日記」、現代国語では志賀直哉の「城の崎にて」を読んだ記憶があります。
しかし、人の私生活を聞かされて面白いかといえば、そうとも言えない人も多いと思います。
とはいえ、多かれ少なかれそういった個人的な思いを作者は作品に盛り込むものです。
ある意味その対極に位置するのが上記事のドラゴンボールの作者鳥山明さんではないかと思います。
もちろん、表現力や世界観などは個性ある漫画家さんです。
でも、ストーリー自体は個人的な思い入れよりファンがより楽しめる方に進む印象です。
その証拠に、思い入れが強くなるはずの古株キャラでもストーリーの都合によってはばっさり切り捨てられていきます。
そのエンターテインメントに徹する姿勢はストイックですらあります。
が、そんな中、唯一鳥山さんの作家としての『エゴ』が出たんじゃないかと感じた場面があります。
ボロボロになって世界を救った旦那をひとまたぎ
純朴な田舎娘だったチチは狂信的な教育ママに変貌してしまいました。
ピッコロもベジータも人造人間も魔人ブウも善人になっていったのに、この変貌はあんまりです。
勝手な推測ですが、鳥山さんも当時ご家庭で似たような問題を抱えていたのかも知れません。
もっとも無職の戦闘狂の夫を持てば誰でも多かれ少なかれこうなってしまうのかもしれませんが…
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「カラオケ得点対決 第3回歌うまキッズ最強トーナメント」(関ジャニの仕分け公式サイトより)
レッド・ツェッペリンのロバート・プラントは圧倒的な声量のハイトーン・ヴォイスでその後のロックボーカルのスタイルを樹立しました。
しかし、一方で「オリンピック競技でもやってるつもりか」と批判する声もあったようです。
実際僕は雄叫びのような初期より、喉を潰しかけていた頃の中期の歌声が一番好きです。
力みが抜け彼本来の地声に近いハスキーな声がいいのです。
さて、夜リビングでパソコンをいじっていると上記事の番組を家の者が見てました。
皆さん小学生ですが技術は大人のプロ顔負けで素直に驚きました。
しかし、やや気になった点があります。
日頃から一生懸命トレーニングを積んでいるせいでおしなべて皆声が非常に筋肉質なのです。
例えるなら劇団四季や宝塚の劇団員のような歌声です。
企画自体が音程の正確さやビブラートの伸びなどを機械で判定し点数をつけるものですから、こうなるのも当然です。
あくまで個人的な好みですが、僕はもっと地声に近い声の響きが好きです。
実際、売れている歌手の皆さんは『歌うまキッズ』より地声を活かした歌い方をする人が多いように感じます。
例えるなら、上手い絵と感動させる絵との違いとも言えるでしょうか。
僕の好きなゴッホやセザンヌは純粋な技術で言えば、そこら辺の美大生の方が上です。
ですが、彼らほどオリジナルな表現力を生み出せる人はめったにいません。
技術力と表現力は重なる部分は多いですが、全く同じというわけでもないと思います。
ヘタウマなんて言葉もあるくらいです。
ファンの人に怒られそうですけど、美輪明宏さんの歌は僕にとってヘタウマの最高峰です。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
非の打ち所のない美貌もさることながら、これで17歳とか何者ですか
小保方氏が若山教授に渡したのは実験に使われていないはずの別の種類のマウスのもの。ES細胞だった可能性(NHKニュースの記事より)
小学生一年生の頃、担任の先生に自作の詩を褒められたことがありました。
それで得意になった僕は、ポエムをしたためては先生に見せに行っていました。
しかし、元から大した才能もありませんでしたから、なけなしのアイディアもすぐに底をつきます。
とはいえ、一度知った称賛の味は忘れることはできません。
どうにかならないものかと思案にくれた挙句、ついに禁断の果実に手を出してしまいました。
好きだったなぞなぞの本などからネタを引っ張ってくることにしたのです。
そうしてできた詩には後ろめたさ以上に、何か違和感のようなものがありました。
子どもながら媚びた気持ちの悪さがあるのが自分でも分かるのです。
そんなスランプ状況の中、先生が「今までで一番だ」と褒めてくれた詩がありました。
内容はというと、色んな絵の具を合わせて色んな色を作った、という素朴で短いものでした。
最後に「全部の色を混ぜると黒になった」と結んでいたように憶えています。
その詩は誰かからパクったわけでもなく唯一実体験から出た正直なものです
自分としては何のひねりもないつまらない詩だと思っていただけに高評価は意外でした。
しかし、そこではっとさせられました。
先生からすればそれまでの僕の詩にあったウソっぽさなど最初からお見通しだったのです。
それ以降自作のポエムを先生に見せに行くことはなくなりました。
小保方さんもいつしか周囲の評価に自分の能力が追いつかなくなり、嘘で取り繕ってごまかし続けた挙句とんでもない事態を引き起こしてしまったような気がします。
変に隠れることなくそういった心の葛藤を正直に話せば、きっと同情してくれる人も少なからずいるはずです。
がん患う友人のために丸刈り、米女子児童が校則違反で一時停学に アメリカ コロラド(ロイターの記事より)
例えば、友人と一緒に外を歩いていて雨が降ってきたとします。
自分は傘を持っていますが、あいにく折りたたみ式で二人分には小さすぎます。
かといって自分一人だけ傘をさすのも気まずいです。
そういう時どうするのがいいんでしょうか?
欧米ならとにかく頭だけでも一緒に傘に入ってしのごうとする人が多そうです。
それに対して、日本なら自分も遠慮して傘をささずに一緒に雨に降られる人が多いかもしれません。
なんとなくそんなステレオタイプがあるんじゃないでしょうか。
どちらもそれぞれの優しさのカタチで優劣はないと思います。
が、日本人のこういう横並び気質にはコンプレックスを持っている人も多いかもしれません。
しかし、上記事によれば、欧米人でも後者のような人も結構いるみたいです。
そういう意味ではちょっと意外な記事でした。
それで、ちょっと前にyoutubeで見たとある外国のCMを思い出しました。
赤髪が原因で学校の悪ガキグループにからかわれている少年を、ハンサムな青年が遠巻きに眺めています。
どうやら少年は毎日そんな目にあっているようでした。
それで彼を助けるために青年が取った行動はというと…
あくる日に同じ髪の色に染めて少年の隣に立ったのです。
腕っ節の強そうな青年を前に、悪ガキたちも少年を馬鹿にするのをやめました。
小保方さんコピペ騒動は文系オヤジのひがみ(ブッチNEWSの記事より)
例えば、最近何かと外交上関係が悪化している日本と韓国ですが。
政治学者に言わせれば、これは地政学的な原因によるものだと言うでしょう。
日本海に切っ先のようにせり出した朝鮮半島と日本列島とは、もはや宿命的な位置関係にあります。
歴史学者に言わせれば、そこに歴史の必然を見出すかもしれません。
過去日本は国内の権力基盤が整うと決まって朝鮮半島へと進出していきました。
有史の上だけでも、任那や百済、秀吉の朝鮮出兵、朝鮮併合とかれこれ1500年間はそんなことの繰り返しです。
経済学者に言わせれば、きっと経済的な問題です。
日本はアベノミクスによる円安攻勢に対して、韓国経済は非常に危機的な状況にあります。
車や造船あるいは家電製品など、お互い製造業を得意としているので摩擦が生まれます。
では、心理学者に言わせればどうでしょう?
きっと2つの国を人格のようにとらえて、人間関係と同じように解釈しようとするんじゃないでしょうか。
多分、それぞれの見方はどれも正しいんじゃないかと思います。
こうしたことは人間でも同じです。
理屈っぽい人は、人の行動に合理性を見つけて理解しようとします。
Aさんが今日仕事を休んだのは、かかりきりだった案件が片付いたからだろう、と言った具合です。
それに対して、感情的な人は人の行動を感情的に理解しようとします。
Aさんが今日仕事を休んだのは、きっと昨日上司に怒られたことで傷ついたからだろう、という感じです。
恐らく、上記事を書いた人は自分の行動原理を喜怒哀楽に求めることの多い感情豊かな方なんだと思います。
クリミアの美人検事総長ポクロンスカヤ「私はアニメの主人公じゃない、検事総長だ」(ロシアの声の記事より)
萌えキャラブームは未だ冷めやらず、聞くところによれば最近では往年の戦艦まで女体化されているそうです。
基本的にこういうネット発ブームは楽しんでいるのですが、上記事の件はどういうわけかあまりノレません。
その訳を自問自答している時、ネットで出回っている『コミュニティの一生』コピペを思い出しました。
『面白い人が面白いことをする
↓
面白いから凡人が集まってくる
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする
↓
面白くないので皆居なくなる』
これまでも美人すぎる市会議員やらウクライナ大統領といった面々が話題に上ったことがありました。
萌えキャラ化したケースではフィギュアのリプニツカヤさんが記憶に新しいところです。
こちらは大ブームになり、PIXIVを中心に絵師さん達が思い思いに彼女のアニメチックなイラストをあげていました。
けど、今回のポクロンスカヤさんは渦中にある自治政府の検事総長という立場の人です。
確かに美人ですけど、楽しく騒ぐにしてはちょっとスジが悪い気がします。
ブームのウラには何かスケベ心のようなものがあるような気がします。
どうもリプニツカヤさんの二番煎じを狙って、注目を浴びたい絵師さん達がかなり意識的にムードを作っている、という感じです。
ちょうど上コピペの『残った凡人が面白くないことをする』という段階です。
意地悪な見方ですが、そういった模倣的な嘘くささを感じてしまうのです。
こういうネット発のブームはどこからともなく自然発生的に起こったものが広がるから面白いのです。
末永く萌えキャラブームを楽しむためにも、できれば『乱獲』は控えたいものです。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
妙なカラーリングに仕上がったパズドラのアマテラスちゃん
小林よしのり氏 「わしはまだ小保方さんに騙されてるのだろうか? もう女という生物を信じられない」(小林よしのりさんのブログ記事より)
男性は何かにつけて「これだから女は…」と愚痴ります。
でも考えてみればおかしな話です。
それをいうなら、女性の方がよっぽど男性に失望しなければいけません。
例えば、この世の犯罪を起こすのはそのほとんどが男性です。
車の運転でも女性はよく馬鹿にされますが、実際重大な事故に限っては男性がその大半を占めます。
しかし、女性側から大々的に批判が出ることはめったにありません。
それは女性の優しさからくるものかもしれませんが、それ以上にお互いの異性観の違いがあるように思います。
例えば、男性は女性の体臭をいい匂いと感じますが、女性は男性の体臭が臭いと感じます。
男性にとって女性の8割が恋愛対象ですが、女性とって恋愛対象になる男性は2割に満たないと言われます。
つまり、最初の段階で男性は女性を高いところにおき、女性は男性を低いところにおいています。
ですから、男性は期待を裏切られることで女性に失望します。
それに対し、女性は男性を見直すことはあってもそれほど失望することはないのです。
実際、少女漫画では第一印象は最悪でいろんな出来事を通して彼を好きになっていくのが王道です。
しかし、男性が女性に幻想を抱きがちなのは育つ環境上しかたのないことです。
生まれて初めて接する女性によって、物心つく前から異性のイメージが出来上がってしまっているのですから。
どんなわがままも聞いて甘やかしてくれる「母親」という存在がある以上、千年たっても男性は女性に対して幻想を持ち続けることになるでしょう。
NMB48みるきーと交際疑惑の男性にファンが殺害予告 「ころすぞ」「みるきーに手出したら許さん」(日刊サイゾーの記事より)
男とは得てして身勝手なものです。
好きなアイドルを女神のように神聖視しながら、恋愛発覚するやいなや売春婦のように見下します。
その度に「こんな思いをするなら花や草に生まれたかった」と自分自身も深く傷つくのです。
いわばロマンチストな男性の中には聖と俗という2つの女性観が複雑に絡み合っています。
アニメや漫画では、この女性の両面性が二人のキャラに役割分担されることがあります。
話は昨日つい魔が差して『天元突破グレンラガン』を全話一気観してしまったことに始まります。
ここにはニアとヨーコという二人のヒロインが登場します。
ブルーベリーブロンドのニアは見た目華やかな不思議ちゃんでしかも王女様という聖女です。
悲運にも見舞われますが、恋愛面では順当に主人公シモンと結ばれます。
一方、セクシー担当の赤髪のヨーコは扱いが雑な気がしました。
シモンにも好意を寄せられつつ、その兄の恋人カミラとはくちづけを交わし結ばれた直後に死なれてしまいます。
以降、事あるごとに亡きカミラを偲ぶ未亡人のようになってしまい、どうも暗い影がつきまといます。
かと思えば、最終話近くでカミラと似たタイプだが2枚は役者が落ちるキタンと有耶無耶な感じでチューした上彼にも死なれてしまいます。
アニメ自体は評判通り面白かったですけど、僕はカミラとヨーコが一番好きだったのでちょっと微妙な気分です。
ニアにかわって一身に恋愛沙汰を引き受けたヨーコは、もうちょっと浮かばれてもバチは当たらなかったと思います。
こういう性と俗という女性観の二面性を男性側のエゴととるか純粋さととるかは別れるとこでしょう。
今どき男性でも化石のような考えかもしれません。
しかし、アイドルの女の子たちはこういった幻想に支えられている部分があることは肝に銘じておく必要があります。
15年続いた「オンバト+」を終了へと追い込んだ素人のエセお笑い評論家たち(ライブドアニュースの記事より)
音楽や絵画あるいはレストランの料理でも、その良し悪しを評価する基準とは何なのでしょうか?
一番わかり易いものに数字があります。
例えば、興行成績が高いほど面白い映画で売れているミュージシャンほどいい曲を出していることになります。
たしかにこれはうなずける面があります。
実際売れている映画は面白いものが多いですし、売れている曲はいいものが多いです。
しかし、『ラピュタ』や『トトロ』より『ハウルの動く城』の方が面白いという人も、去年一番いいアルバムが『AKB48』だという人も案外珍しいと思います。
食べ物で言うなら、マクドナルドのハンバーガーとコカ・コーラが世界で一番美味しいということになるのはちょっと変です。
それに一時の流行りはあまり信用できるものでもありません。
書籍は特にその傾向が強く、一年も経てば誰も名前も思い出せないようなものがベストセラーになることも多いです。
それに多くの人に受け入れられるものというのは、そのジャンルの上澄みをさらったようなものも多いです。
特に興味のない層にも訴えるものがあるから売れるわけで、逆に熱心なファンからは「ありきたり」と感じられることもあります。
例えば、AKB48の曲はJ-POP歴代の売れ線コード進行をまとめたカタログとしての価値はありますが、それ以上かと言われれば疑問です。
そもそも、ヒップホップや上記事のお笑いでも、オリジナリティというのは非常に狭い人間関係の中で作られるものです。
貧しい黒人社会や関西人独特のユーモアの感覚がその中で洗練されていき、素晴らしいものとして多くの人達に受け入れられていくのです。
クラシック音楽だってごく一部の上流階級を喜ばせるために作られたものばかりです。
芸術だってお笑いだって客商売ですから、知識の浅い素人にも分かるようにする努力も必要です。
しかし、あくまで素人のファンの言い分は話半分以下に聞いておかないと、その本質まで失うことになります。
フィギュアスケーター、ジョニー・ウィアーさんが同性婚の相手と離婚、わずか2年で破局(スポニチの記事より)
例えば、女性なら「女らしい」性格の人が男性にモテると思います。
それに比べると、やや好みに幅がありますが、基本的に「男らしい」人が女性にモテるんじゃないでしょうか。
ならば、同性愛者にとってモテるタイプとはどんな人でしょうか?
男性のゲイも、やはり「男らしい」人が人気のようです。
それもちょっとやそこらの男らしさじゃありません。
見てるだけで「男臭さ」が漂ってくるガチムチの男性がモテます。
不思議なようでいて、考えて見るとリクツは通っています。
ゲイ男性は自分も男なので、相手には更に男らしさを求めるのです。
しかし、ここでちょっと疑問が浮かびます。
男性ホルモン旺盛な男らしい性格であればあるほど当然女好きになります。
となると、ゲイ男性が好むこういうタイプが彼らと相思相愛になるケースはなかなかないように思えるのです。
翻って、ゲイ男性は身振りから口調まで女性っぽさを感じさせる人がほとんどです。
でも、ゲイ男性達はこういったタイプの中から恋人を見つけることになります。
であれば、なかなか好みの男性を見つけるのは難しくはなりはしないんでしょうか?
ガチゆり界では、いわゆるフェミニンなタイプの女性が慢性的に不足していると聞いたことがあります。
実際、ガチゆり女性はサバサバした男性ぽい性格の人が多い印象です。