順路や持ち物…参勤交代の「マニュアル本」発見(yomiuri onlineの記事より)
あまり日本史は詳しくないのでもしかしたら事実誤認があるかもしれませんが。
長引く不況の中、弱い立場の被雇用者が無茶な労働を強いられることが多く、ネットでもブラック企業批判がよく見受けられます。
一方で、過酷な環境に耐えていることを自慢する人も結構います。
確かに体力や根性があることは誇れる長所です。
しかし、そうした長所はばりばり仕事ができることそのものにではなく仕事を通して自分の目的を達成することにこそ使われるべきです。
そういう人に出会う度につい「首輪を付けられた奴隷は、そのうち奴隷同士で自分の首輪の出来の良さを自慢をしだす」というコピペ文を思い出してしまいます。
いわゆるストックホルム症候群というやつですが、徳川政権はその人間心理をよく心得ていたように思います。
例えば、意図的に被差別を作り庶民の不平不満を上ではなく下へ向かうようにしました。
一大勢力だった本願寺を東西に分裂させ、お互いを争わせるように仕向けました。
そしてかの参勤交代もその一つのように思えるのです。
妻子を人質に取られたあげくわざわざ江戸くんだりまで行列して向かわねばならない参勤交代は、各藩の大名にとって屈辱的なものだったはずです。
ところが、その内に大名行列が当の本人にとって晴れの舞台のようになり、庶民のマナーも厳しく律せられます。
庶民に馬鹿にされるわけにいかない武士階級の心意気もあったのだと思います。
しかしながら、そんな大名達にちょっと首輪を自慢する奴隷の心理を感じてしまうのです。
伊勢湾岸道の親子3人死亡事故、車が突然停止した原因調査(毎日新聞の記事より)
山口5人殺害、容疑者逮捕もネットでは集落住民のコメントが話題、犯人に同情するような声も(ゲットニュースの記事より)
梅雨が終わりお盆にかけてのこの時期は特に痛ましい事件・事故が多いような気がします。
子供の頃、母方の実家への帰省中に車内で夜通し流れていた御巣鷹山の日航機墜落事故の訃報を伝えるラジオは特に印象に残っています。
伊勢湾岸道の事故にしても、事情が明らかになっていないうちから被害者の方や自動車メーカーに原因を求める書き込みが多く見られます。
翻って金峰村の事件では加害者へ同情する声が多数聞かれます。
どちらの場合も多くの人の命が奪われた、ある意味でとても理不尽な事件事故です。
自然と「どうしてこんなことが起こったのだろう」という思いが出てきます。
この理不尽さに人はなかなか耐えることができません。
どうしても「誰かのせい」にしたくなります。
すると、あまり事情の分からないうちから、個々人の体験に基づいて誰かに肩入れしたり逆に非難をします。
例えば、金峰村の事件では周りからいじめられたり疎まれたとの思いがある人は、容疑者へより感情移入します。
逆に、隣り近所で厄介者がいて困った経験を持っている人はより被害者への同情を強くするんじゃないでしょうか。
しかし、多くの場合実際に公判がはじまるまでは分からないことも多いです。
にもかかわらず、今のうちから実態とかけ離れているかもしれない自分がしっくりくるストーリーを勝手に信じるのは控えたいことです。
こういった理不尽で不安定な状態に耐える忍耐力がないとマズいことも起きます。
更に大きい理不尽な出来事が起きた時、全くの嘘でも心情的にしっくりくる「答え」を出す人にみんなして飛びついてしまうかもしれないからです。
そういった時に憎しみの対象になるのが「自国」や「権力者」なのか「他国」や「外国人」なのかは分かりません。
しかし、現実はそれほど心地よいものではなく複雑ですから、我慢強く解決していく姿勢こそが求められます。
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水の中の夏-A summer in the water-
サッカー東アジア杯 日本、韓国に2-1勝利し優勝! 先制弾、決勝弾は柿谷(スポナビの記事より)
サッカーを長年観ていると、新人選手がデビュー戦を華々しく飾ることが多くあります。
例えば、ドイツのブンデス・リーガでは元代表の高原選手、現代表の香川選手や清武選手といった面々がデビュー戦からめざましい活躍を見せました。
中でも弱冠15歳の森本貴幸選手のJリーグデビュー戦、止まった状態の1対1から相手DFをぶちぬいたシーンは衝撃でした。
しかし、それをピークになかなか自分のプレーができなくなってしまうケースがかなりあります。
森本選手もデビューして数試合した後はかなり苦しんだように記憶しています。
同じような例として、Jリーグの新人賞の受賞者で日本代表になった選手が驚くほど少ないことも挙げられるでしょう。
考えられる理由としてはプレースタイルを把握され対策を立てられたという事だと思いますが、どうもそれだけのような気がしません。
対策されてもまたそれに対応していくことだってできますし、普通に考えてやればやるほどプレーに磨きがかかるはずですから。
ピーク時から調子を崩した選手を見ていると、本来できるはずのプレーすらできなくなってしまっている印象があります。
試合経験の浅い頃に何も考えずにできていたプレーが考えれば考えるほど逆にできなくなっているかのようです。
思うに、それは「失敗の経験」が原因です。
何度か失敗することでその記憶に縛られ、思い切りの良さがなくなっていきプレーに精彩を欠くようになってしまうのです。
過去の反省を生かすことは大事です。
しかし、過去にとらわれすぎるとインスピレーションや積極性をなくしてしまいます。
いざ勝負となれば、余計なことは考えず恐れることなくやりきることも大切です。
このことはサッカーにかぎらず、我々の人生そのものに言える教訓ではないでしょうか?
今日はいつもと趣向を変えて生活に役立つサプリメントのご紹介です。
個人的なことで恐縮ですが僕はあまり身体が丈夫な方でなく、十代を迎えた辺りから身体がだるくことが多くなり、喘息が出たり微熱が数週間続くこともしょっちゅうです。
いわゆる『自律神経失調症』で、生まれつき身体の調整機能が不安定なようです。
そこで試行錯誤を重ねた結果、身体がいうことを効かなくなり始めた時の秘策を編み出しました。
それはずばり「セントジョーンズワート」とキンキンに冷えた「アイス・コーヒー」です。
左がセントジョーンズワートというハーブのカプセルでDHCのものです。
DHCのものが一番手に入りやすく値段も600円程度と手頃で、チェーン店系薬局なら大抵おいてあります。
(心の風邪を引いた人用のサプリで僕も最初は買うのにやや抵抗がありました)
(中のカプセルはこんな感じです。便宜上、左からド・ヌーヴ、原節子、カトリーヌと名付けました)
残念ながら個人的にこれだけ服用してもほとんど効果は感じられません。
しかし、アイスコーヒーと一緒に摂ることで相乗効果が生まれることを発見したのです。
(コーヒーはちょっぴり背伸びして「ネスカフェ・ゴールドブレンド」のブラックです)
特異体質なのかもしれませんが、個人的にはホットではなくアイスでないとダメでした。
効果は服用して十分過ぎくらいで表れ、具体的には身体がやや高揚した感じになります。
軽い運動した後の程よい緊張感に近く場合によっては「火照り」を覚えます。
いいことづくめな感じがしますが、正直言ってそれほど素晴らしくもありません。
もともとやる気のない身体を無理やり叩き起こすわけですから、効いている間の違和感もありますし、疲れが増します。
なので、身体がだるくてどうにもならない時の最終手段に使うのがオススメです。
大抵の場合、朝から起きしなに一度服用すればだるさも消え、翌日から調子が戻っていることが多いです。
とはいえ、なんといってもこういったものに頼らないコンディション作りを日々心がけるのが一番です。
男子ゴルフRBCカナディアン・オープン2日目、松山英樹は9位タイで決勝ラウンドへ 石川遼も63位タイで予選突破(ヤフーのニュース記事より)
昔、ふとした縁で音楽プロデューサーの方とお話をした時のことです。
その方が主催するオーディションではグランプリを勝ち取ったアーティストよりむしろ落選した方が成功するジンクスがあるというのです。
これは結構思い当たるところが多いエピソードです。
例えば、モーニング娘。も元はとあるオーディションの落選者ばかりで作られたグループです。
皮肉なことに優勝した平家みちよさんよりも結果的にブレークしました。
同じくアイドルの登竜門であるホリプロスカウトキャラバンではhitomiさん、椎名林檎さんと並み居るアーティストが落選しています。
国民的美少女コンテストでも持田香織さんが予選落ちだったり、むしろグランプリを取った人が順調にステップアップする方が珍しいくらいです。
スポーツでも象徴的な組み合わせは沢山思い当たります。
野球の斎藤佑樹さんと田中将大さん、サッカーでは前園真聖さんと中田英寿さんや柿谷曜一朗さんと香川真司さんたちです。
いずれも初めは前者の方が注目され影に隠れていた感のある後者がぐんぐん力を伸ばし追い抜いて行きました。
今回記事に取り上げた男子ゴルフの石川遼さんと松山英樹さんも奇しくも同い年のライバルです。
個人的には根っからの努力家より挫折を知る元天才につい感情移入してしまう方です。
スラムダンクの三井寿がそうですが、作者も一番のお気に入りだった印象です。
そういうわけで遅ればせながら覚醒しつつある柿谷選手にも大いに期待しています。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐挿絵(032-フラクタル)
ロイヤルベビーの名は「ジョージ・アレクサンダー・ルイ」に決定(朝日新聞デジタルの記事より)
山田芳裕さんの戦国時代を舞台にした漫画「へうげもの」にこんなシーンがありました。
信長が催した饗宴に家康を招いた時のことです。
贅の限りを尽くした食事を前にして、家康は不快感をあらわにします。
「主は民の範となるべく質素倹約をその旨とすべき」と言うのです。
それに対し信長はこう反論します。
「みすぼらしい主では民も甲斐がないだろう」と。
両者の違いを端的に示したエピソードですが、これはどちらも同じくらいに正しいことだと思います。
民の上に立つ君主だからこそ、誰よりも厳しく自分を律する事を求められます。
一方で、民の代表たる君主があんまり貧相では民自身が恥ずかしい思いをします。
「ノブレス・オブリージュ」という言葉があります。
貴族は高い身分と引き換えに多くの責務を負うというものです。
その気風を受け継ぐイギリス王室はウィリアム王子とヘンリー王子ともに軍務に就き、かなり危険な任務もこなされているようです。
欧州の中世から近世の絶対王政時代は、王の圧政が民を苦しめ四六時中戦争で殺し合いをしているイメージがあるんじゃないでしょうか。
それも間違いではないでしょう。
しかし、民が多くの権利を得るようになった近代以降の方が戦争による死者は圧倒的に上です。
それまで君主が責任を負って死ねばそれで済んだのが、お互いの民による総力戦になってしまったのです。
我々は学校では国民国家の素晴らしさばかりを教わります。
ですが、一方で国民自ら決断し時に命を賭して闘うことを求められる過酷な制度です。
羽生三冠が行方八段に勝利して2連勝/第54期王位戦7番勝負第2局(神戸新聞の記事より)
将棋の羽生名人がこんなことを言っていたのが印象に残っています。
「他人の事は簡単に信じられるが、自分のことを信じるのは大変だ」という言葉です。
その上で自分を信じることの大切さを説いていました。
人の努力というのは見えにくいものです。
一流のスポーツ選手やミュージシャンにはそのパフォーマンスにただ圧倒されてしまいます。
我々はこと人のこととなると、その人が生まれつき天才で何の努力もなしに現在の姿があると錯覚してしまいます。
しかし、白鳥は水面では優雅に泳いでいるように見えるが、その下では必死に両足で水を掻いると花形選手も言っていました。
やたらと自信満々な人についても同じです。
これだけ自信があるということはきっとちゃんとした根拠があって言っているんだろうと信用してしまいがちです。
試験会場で周りの人がみんなものすごく頭が良さそうに見えたりしたことって誰にでも経験あるんじゃないでしょうか。
金八先生はこう言いました。
「我も人なり。彼も人なり」
その人がすごく見えてしまうのは、ただ単にその人のことを知らないだけのことです。
すごく見える人も、自信もないのにそう振舞っているだけだったり、実はすごく悩んでいるのかもしれません。
その上で自分を信じることがどうして大切なのでしょうか?
人を信じるために理由は必要ありませんが、自分を信じるには理由が必要だからです。
自分は自分のことを一番知っていますから、自分を信じるためには必ず根拠が必要だからです。
その根拠こそが自分の実力となって現れるからです。
では、どうしたら自分を信じられるようになるのでしょう?
人それぞれ色んな方法があるはずですが、絶対に人に負けないと思える努力をすることが一番手っ取り早い解決策です。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐挿絵(これまでの物語のまとめ・参)
中編からの続きです。
さて、こういった生まれ変わりに何か一定の法則のようなものはないのでしょうか?
例えば、生まれ変わりの回数です。
スピリチュアル・ガイド、アタン・レーによると個々人の転生の回数は数百回を優に超えるそうです。
ということで生まれ変わりの間隔も短く、セムキフ博士が確認した例では死後10日で転生した例もあるとのこと。
回数が百有余を超えた人はこの世で十分に研鑽を積み生まれ変わりのサイクルから卒業できるそうですが、そのうち約20%は困っている人を救うためにボランティアでこの世に生まれ変わっているとのことです。
また、博士はアタン・レーにアドルフ・ヒトラーは生まれ変わっていないかを聞きました。
アタン・レーは「まだだが、いずれ生まれ変わってくる」と答えています。
その目的はヒトラーが過去に人に対して行った全てのことを、自分が受ける側となって体験しなければならないからだそうです。
また、イアン・スティーヴンソン博士の研究によれば、双子に生まれたもの100%過去生で関わりを持っています。
一番多いのは親族、二番目に仕事仲間、三番目は配偶者だそうです。
(前編でご紹介したローレル&ハーディの生まれ変わりの兄弟は二番目の例に近いです)
最後に、セムキフ博士は生まれ変わりへの理解が深まることの意義について話しています。
博士の調査から人は性別、国籍、宗教、人種を超えて生まれ変わることが分かっています。
それが皆の共通認識になれば、色々な立場の違いから争うことの無意味さに気づくことができるはずとのことです。
今回ご紹介した写真はセムキフ博士のウェブページ『iisis blog』より拝借しました。
ご紹介はできなかった実例にも面白いものがあるので、英語なのでちょっと面倒ですが是非訪れてみて下さい。
米ラジオ番組『Coast to Coast AM』を聴くには
前半からの続きです。
また、ウォルター・セムキフ博士は、生まれ変わり研究の権威である故イアン・スティーヴンソン博士(Dr.Ian Stevenson)のケースを紹介しています。
ジェイムス・レニンガー(James Leininger)さんは2歳の頃から悪夢にうなされるようになりました。
そして夢うつつに「撃墜された!飛行機が燃えている!コクピットから脱出できない!」と苦しむのです。
驚いた父親が詳しく事情を聞いてみたところ幼い息子の身に不思議なことが起こっていました。
ジェイムスさんはゼロ戦などの第二次世界大戦時の戦闘機についてまるで当時を知っているかのように詳しかったのです。
セサミ・ストリートでは知り得ないこれらの知識は彼の生まれ変わる前のものでした。
このケースのすごいところはこのジェイムスさんが、過去生の自分の名前や当時の友人、出向した基地名をも憶えていたことです。
彼の記憶によれば名はジェイムス・ヒューストン(James Huston)、友人の名はジャック・ラーセン(Jack Larsen)、護衛空母ナトマ・ベイより出撃し、硫黄島上空での闘いで日本軍のゼロ戦に打たれ、戦死しました。
(年齢の差こそありますが二人はおどろくほど良く似ています)
昔といっても第二次世界大戦のことですから、関係者には存命している方もいるはずです。
そこで、幼いジェイムスさんは過去生での記憶を辿り、戦友だったラーセンさん、家族のヒューストン家の両親と妹を探しあて実際に再会を果たしたのです。
彼はヒューストン家の身内しか知り得ない情報をいくつも知っていました。
ちなみに、晴れて生まれ変わり会った両親は自分の記憶より随分と年老いていて少し悲しんだそうです。
後半に続きます。
今回ご紹介した写真はセムキフ博士のウェブページ『iisis blog』より拝借しました。
あなたは生まれ変わりを信じますか?
さて今回ご紹介する『Coast to Coast AM』のゲストは生まれ変わりの研究者ウォルター・セムキフ博士(Dr.Walter Semkiw)です。
セムキフ博士は霊媒師を通じてアタン・レー(Ahtun Re)というスピリチュアル・ガイドから情報を得て生まれ変わりの調査を行なっています。
博士が彼(?)を信じるようになったのはアメリカ独立革命期の人物であるデイヴィッド・リトンハウス(David Rittenhouse)の生まれ変わりがいないかを聞いたのがきっかけです。
アタン・レーは世界的な天文学者であるカール・セーガンこそがその人と答えたのです。
博士は最初この言葉を信じませんでした。
彼は経験上、生まれ変わった人物は過去生と共通した才能や趣味を持つことを知っていました。
が、その時点ではこの両者に共通点が見当たらなかったのです。
しかし、リトンハウスの事を調べてみると、彼はアメリカ史上最初の天文学者だということが判明したのです。
そして博士がリトンハウスの肖像画を探し当て確信を持つに至りました。
(確かに目元は似ていますが、全体の印象としては微妙でしょうか)
さらに博士はアタン・レーに戦前のアメリカのお笑いコンビ、ローレル&ハーディの生まれ変わりがいないかを聞きました。
アタン・レーは「いる」と答えたものの、それが誰かについては「今はまだその時期ではない」と明かしませんでした。
それから半年後、博士はふと手に取ったローリングストーン誌に載っていたあるコメディアンの名が気になり、ネットで彼らの顔写真を見て驚愕します。
「彼らこそがローレル&ハーディの生まれ変わりだ」と。
(お二人とも確かに雰囲気がよく似ています)
彼らはジョシュ&ダニー・バッヒャー(Josh & Danny Bacher)という兄弟で、当時新進気鋭のコメディアンでした。
彼らに接触する事に成功した博士は、生まれ変わりを裏付ける様々な事実を知ることになります。
兄弟は幼い頃から影絵でコメディ劇を創作するなど才能を発揮し、また、以前よりローレル&ハーディのグッズの熱心なコレクターであったのです。
中編に続きます。
今回ご紹介した写真はセムキフ博士のウェブページ『iisis blog』より拝借しました。