明けました。
と当時にこのブログも5年目を迎えます。
さて、長く連載している漫画とかに一読者としてこんなことを思ったりしないでしょうか?
「だらだら続くよりきれいな形で終わらせてほしい」
こんな泡沫ブログが比較すべくもありませんが、ただ、続ける側の気持ちは分かります。
どんな名作でも、終わった時点でそれは過去のものになってしまいます。
作品だけでなく、作者自身筆を折ってしまえば、不思議と彼の作品は過去の遺物として急に色あせて見えます。
でも、現在進行形で続けていれば、終わった話でも振り返った時、新しい見え方をすることがありえます。
続けている限りはその可能性は常にあります。
これはそれぞれの人生でも同じことなんじゃないでしょうか。
後悔したこともつらかったことも、前を向いて生きていく限りは、新しい意味を与えてくれることはありえます。
話が壮大になってしまいましたが、久々の更新でそんなことを思いました。
細々とですが、今年も漫画や曲、たまにはコラムも更新出来たらなと思っています。
そんなわけで本年もよろしくお願いいたします。
明けました。
今年の抱負は…
「自分の事を気遣う」
…です。
持病の重度の体調不良に快復の兆しが出てきてようやく気づけたことなのですが。
病は気からといいますけど、たぶん順序が逆です。
身体のバランスさえちゃんと整えていれば、心は自然と回っていきます。
逆に心が病みだす時は先に身体にシグナルが出ます。
姿勢が悪くなっていたり、呼吸が浅くなっていたり、身体のどこかが力んでいたりします。
そうしたストレスに対する反応にいち早く気づいて、心に届く前にやっつけたいと思います。
また一年が終わろうとしています。
と時を同じくして当ブログがコラム形式になってまる四年が経ちます。
毎日更新の記録は途切れてしまいましたが、これからも続けていけたらと思っています。
そんなわけで、個人的に印象に残った記事をご紹介して一年の締めくくりとしたいと思います。
■おすすめ
…これからも長く付き合って行きたい
web絵本『KAIJU(カイジュウ)』シリーズ
■思い出
…深刻なネタ不足
ピアノのA先生と亡くなった旦那さんの話
(ブログ開設以降最も心に残った話です)
自転車おじさんのあいまいな怒りとあいまいな対象
箱根にだまし絵を観に行った話
■論
やわらかめ
…生きにくい世を生きやすく
ストレスをためやすい真面目な人のために
すごく怒らせてしまった人に謝るには?
一瞬のひらめきを自分のものにする方法
かため
…正直、読んでくれる人には感謝しかない
不公平感が国を傾ける時代
反差別のパラドックス
人の理性の凶暴性
■なぜなにシリーズ
…正しく答える事より正しく問う方がずっと難しい
意見と文句の違いとは
機械化は人を豊かにするのか?
勉強ができるのと頭がいいのは違うのか?
■web漫画
…最近ようやく描くのが楽しくなってきた感じです
見たこと聞いたこと
web漫画『真夜中のポメラニアン』
web漫画『何(カ)さんの見た風景 後編』
web漫画『子どもは大人に大人は子どもに』
〇〇集
web漫画『最近外国に定着しだした日本文化』
web漫画『発音にギャップありすぎな英固有名詞』
web漫画『実は残念な名言集』
感じたこと考えたこと
web漫画『笑えないよ』
web漫画『どうせ死ぬ』
web漫画『自分らしくの難しさ』
ほとんどがbotという噂もありますが、皆さんのアクセスとコメントに励まされ続けています。
来年もまた気が向いたら覗いていただけると嬉しいです。
では、良いお年を。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
<電通社長引責辞任>過酷勤務の企業風土 鬼十則…「すべてが過剰だった」(産経新聞の記事より)
個人的に仕事の面でとても劣等感を抱いてしまうタイプの人がいます。
とにかく自分の仕事に対する熱意と執着心が尋常でなく、それを支える体力が並みはずれている、そんなタイプです。
そして大体の場合、人間性は最悪です。
基本的に周りから距離を置かれてるか、やっかみ半分で陰口を言われて嫌われています。
でも、結果を出す上、他人に厳しいのと同じくらい自分にも厳しいので誰も何も言えません。
経験上、こういう方は比較的小さな企業で、ワンマン社長として成功されてる方が多い印象です。
ところが、それ以上の規模になると、この手のタイプが上に立つことが少なくなってきます。
大きくなればなるほど、会社が長く続けば続くほど、見かけなくなってきます。
どちらかというと穏やかで優しい感じのする人が増えてきます。
というのも、組織が一定以上大きくなると、人をまとめる力が必要になってきます。
自分でやるより、人を使う、人に好かれる、色んな考えや性格の人を許容できることが必要になってきます。
前述のタイプの方は一定の会社組織のレベルでは非常に優秀ですが、一方でこの限界を乗り越えられない人が多いのです。
その証拠に、国という最大の組織をまとめる議員にこの手のタイプはまず見かけません。
ただ、大企業にいないかというと、業態的に一人部署のようなところのある商社や広告代理店や金融系には多いんじゃないでしょうか。
逆に言うと、同じ社員でも敵同士で、そういう人でないと生き残れない面があると思います。
上記事の『電通』もそういう嫌われる要素があるのは彼ら自身自覚していたと思います。
ですから、一昔前までは「大手広告代理店」と言われテレビでその名が出ることは北朝鮮並みにありませんでした。
しかし、今はどんな企業も表に出て多くの一般の人の目にさらされるネット時代です。
多くの人から見られればみられるほど、こうした人に嫌われるタイプの優秀さは、個人も企業も生き残りづらくなっていきます。
「さとり世代」の取扱説明書。その9つの特徴とは?(TABI LABOの記事より)
ずいぶん前から普通に語られるようになったSM談義ですが。
確かにSとMというのは考えるてみると、かなり深いです。
例えば、Sの人はMの人をいじめるのが好きです。
いじめながら「Mちゃんはすごく痛いんだろうなあ」と想像してハアハアするわけです。
しかし、ここで不思議なことに気づきます。
Sの人が楽しいのはMの人の気持ちになってるからです。
それってもはやMの人と立場的にほとんど変わらないんじゃないでしょうか…?
さて、たまに男女の恋愛でも似たようなことを思うことがあります。
男らしい男の人って精力旺盛で肉食系っぽいイメージってないでしょうか。
もちろんそういう人もいますけど、経験上そうとも言えない面があります。
こういう男性は気ままで孤独なライフスタイルを好みます。
休みの日に没頭できる趣味がひとつあるか、逆に仕事人間です。
仕事をテキパキとこなし物腰もスマートなのに、女性だけはどうも苦手という人って案外います。
また、麻雀やパチンコや競馬などのギャンブルが好きだったり、プロレスが好きも多い印象です。
当然、お酒も大好きで喫煙者も多いです。
こういう男らしいタイプは、女性の気持ちがあまり分かりません。
なので女性の気持ちになり変わって感情移入することがありません。
すると結果的に恋愛にも奥手になるのです。
むしろ心のどこかに女性らしさを持っている男性の方が恋愛にはずっと積極的です。
特に女性的な感性をもつアーティスト気質の男性に女たらしが異常に多いのはこのためでしょう。
過去記事『キレイでフシギでカワイイ楽曲集』や『荒々しくも美しいギターソロ曲集』に続いてニッチな音楽趣味をご紹介するコーナーです。
※クラシック風とは言いましたが、正確には教会音楽あるいはバロック風です。
クラシック的なこてこてのマイナーコードの曲があまり好きでないのと、壮大過ぎたりするのはあまりポップになりませんので。
Elsa Lunghini『T'en Vas Pas』
初めはエルザ・ランギーニの有名曲『悲しみのアダージョ』です。
この曲自体有名ですが、日本では大貫妙子さんが『彼と彼女のソネット』という名でカバーしています。
透き通った歌声と相まって可憐で切ないメロディが心を打ちます。
スピッツ『涙がキラリ☆』
お次はまさかの邦楽のご紹介です。
サビの最後「心と心をつないでる~」からのフレーズがぽいと思いませんか。
Alan Parsons Project『Since The Last Goodbye』
実はこの曲をご紹介したくて企画しました。
80年代を代表するポップ・ソング・ライターのアランパーソンズ・プロジェクトのマイナー曲です。
初めのAメロがまさにバッハのアリアのような優美で幻想的なメロディに仕上がってます。
落ち込んだ時に優しく包み込んでくれる曲です。
以上です。
選に漏れましたがビリー・ジョエル『Honesty』もサビがいかにもド短調のクラシック風です
バッハのG線上のアリアをアレンジしたプロコム・ハルム『青い影』も有名です。
また、クィーンもよくクラシックとロックの融合と言われています。
では1曲挙げろと言われると難しいですが『Love of my life』でしょうか。
ジェネシスも伝統音楽よりですが『サルマシスの泉』あたりは特にクラシックっぽいです。
また、もっと後の時代(ムソルグスキーやバルトークなど19世紀以降)のクラシック調だと
・EL&P(エマーソン・レイク・アンド・パーマー)
・ELO(エレクトリック・ライト・オーケストラ)
・10㏄
などがぽい曲多いです。
ドワンゴの川上量生が宮崎駿の前でプレゼン 「障害者を侮辱している」と激怒される(ゴゴ通信の記事より)
どの世界でもその道のカリスマと呼ばれる人がいます。
例えば、野球なら長嶋茂雄さん、プロレスならアントニオ猪木さん、俳優なら松田優作さん、落語なら古今亭志ん生さん、アイドルなら木村拓哉さんでしょうか。
しかし、こうして並べてみると不思議なことに気づきます。
失礼ですが、スキのない完璧人間という感じはあまりしません。
共通して天然ボケだったり空気を読まなかったり、どこか人間的に危なっかしいところがあります。
それもそのはずで、彼らのその特性はこそがカリスマ性を感じさせるのに必須な要素なのです。
それはまた「その人の行動の予測がつかないこと」ともいえるでしょう。
例えば、行動が突発的で喜んだり怒ったりするタイミングが周りが分からないとします。
普通の人がやったらあきれられておしまいです。
しかし、カリスマには何といってもその分野の才能があります。
すると、周囲にとっては理解不能な行動も「この人は自分の理解を超えている…すごい…!」となります。
こうしてその人のカリスマ性がどんどん高まっていくというわけです。
そして、上記事のアニメ界のカリスマにもそんなところを感じなくもありません。
放送を見てたのですが、あんなものを見せた人の意図も謎でしたが、その反論も難癖に近かったです。
こんな具合でなんでも言いがかりをつけては自分でなんでもやってしまいます。
それがまた素晴らしいので誰もが納得してしまいます。
でも、この件でもネットではその発言の意図をめぐって「ああでもない」「こうでもない」と喧々諤々です。
そしてまたカリスマ性は高まるのでした。
<蛭子能収>「葬式でも、みんなが悲しそうにしているのを見ると、なぜかおかしくなってしまう」(女性自身の記事より)
過去記事『web漫画『孫が祖父を越える時』』でもご紹介したのですがこんなことがありました。
三歳になったばかりの姪が遊びに来た時のことです。
だいぶ寂しくなった父の額を叩きながら「なんで髪ないの?」と不思議そうに聞くのです。
「マンガか?!」と思うような光景を目の当たりにしてちょっと感動しました。
と同時に意外なことが新鮮に見える子どもの純粋な目は、うらやましいなとも思います。
ただ、おっさんの僕もたまにふと「これ、おかしくない?」と思う日常の風景はあります。
いったんそう思いだすと突然異世界に紛れ込んだような絶望的な違和感に、早く家に帰りたくなります。
その筆頭が「自転車」です。
自分も頻繁に利用してますけど、これって見た目的に大分変じゃないでしょうか。
普通、便利な物ほど機能的で形も洗練されてます。
でも自転車はちょっとどこかアホっぽさが残されてる気がします。
例えば、ウェストポーチほど便利なバッグって考えられないと思うんです。
でも、やっぱりダサいので誰もしません。
自転車という乗り物にそれに似た危うさを感じます。
この違和感の極めつけが「電車」です。
たまに同じ方向に向かっている違う路線同士の車両が並走することってあります。
すると、お互いに中の人たちが見えるのですが、これがおかしくてしかたありません。
特にちょっと遠目で人がぎゅうぎゅうに詰まっている状態のが並走したりすると本当におかしいです。
四角い箱に乗せられた大勢の大人が真顔ですごい速さで横移動してるのです。
馴れるまで一人で乗ってる時でも思わず笑いそうになるのを我慢してたのですが、間違いなくヤバい人でした。
そしてこれのさらに面白いところは、向こうから見れば自分もその状態ということです。
将棋のプロ棋士、羽生善治氏「人工知能の時代。過去の勉強方法これから役立たず。」(テレビ朝日の記事より)
身内の話で恐縮なのですが。
うちの父は子どもの頃、いわゆる知能指数で「天才」が出た人でした。
(残念ながら僕にはまったく受け継がれていません)
でも、ここだけの話、息子の僕が話していて「賢いなあ」と思うことはまずありません。
確かに複雑な計算とかを空でやれるのですが、日常でそれが必要とされる場面なんてないですから。
むしろ実体験に関する記憶は苦手で、行ったところも会った人もすぐ忘れてしまいます。
また「マジックナンバー7」という言葉があります。
人間がとっさに覚えられる数字は「7つ」が限界という説に基づくものです(本当はもっと少ないようです)。
これは勉強ができるできないに関係なく誰でも大体同じです。
さて、何が言いたいかというとこういうことです。
「人は抽象的な認識力に比べて現実的な認識力の差は少ない」のです。
勉強という分野になると、特に理系科目はとんでもなく差がつきます。
2桁の足し算引き算も難しい人から、4次元の世界を脳内でイメージできる天才までいます。
しかし、そんな人たちでも現実世界の認識にはそれほどの差はつきません。
それに「抽象的な認識力だけ」優れた人や「現実的な認識力だけ」優れた人もいます。
前者は日常生活に無頓着な天才アーティストや天才学者のタイプです。
そして後者は「あの子は勉強はできないけど賢い」と言われる『サザエんさん』のカツオタイプです。
たまに「勉強のできる人と頭のいいのは違う」と主張する人がいます。
そういう人は「現実的な認識力」が優れていることを「頭がいい」と言っています。
「いじめには該当しない」 岩手・高校野球部員いじめ疑惑で校長会見(ねとらぼの記事より)
日本が平和なだけかもしれませんが、最近よくニュースを見ていて思うことがあります。
「これって全国放送でやるほどの事かな?」
家庭から学校から会社まで、人が集まればトラブルはつきものです。
嫌なことも不条理なこともたくさんあります。
でも、普通なら中の人たちでどうにか事を収めて話は終わりです。
ところが、近頃ではそれで済むことが、ダイレクトにいきなり全国ニュース化します。
とにかくささいなトラブルまですべてに正義の鉄槌を下す責任を負わされているようで見ていて疲れます。
逆に言えば、これで疲れない人は、どんなことにも善悪の判断をしないと気が済まない人なんでしょう。
そして、この現象はこういう人がどんどん増えていっているということなのかなと思います。
ある意味では、これは社会正義がちゃんと働いているからこそです。
でも、あまりいい傾向だとは個人的には思いません。
なぜなら、この正義の味方シンドロームの根本にあるのは「人間不信」だと思うからです。
上記事もネットにあげられたからとは言え当人も反省しているようですし、ここまで話題になることかなとは思います。
でも一方で、強豪校の野球部での部員いじめがよく問題になるのは事実です。
なので、本当は学校側が隠蔽して、いじめられた側が泣き寝入りしているんじゃないかと疑念を呼びます。
だからこそ衆人環視の場に引きずり出し善悪の判断を下さないと気が済まないのです。
そこに隠されているのは、過剰な社会正義の裏に社会への不信があるという皮肉な真相です。