買ったはずの蔵書が消える 電子書籍、企業撤退相次ぎ(朝日新聞の記事より)
昔、仕事でオーストラリア出身の方の東京案内をしていた時のことです。
電子書籍なんて聞いたこともない頃でしたが、彼は電車内でわざわざA4のノートパソコンを広げて小説を読んでました。
一方、日本では電子書籍用のタブレットもでている中、広がりを見せていません。
例えば、外国では支払はクレジットカードが主流ですが、日本はいまだに現金が幅を利かせています。
ものづくりが得意な一方で、IT産業や金融業は『虚業』といわれ、世界的にも後れを取っています。
とかく日本人は目に見えないふわふわしたものに対して構えてしまうところがあるようです。
でもこれにはこれでいいところがあるんじゃないかと思います。
紙の本なら文字だけでなく、ページをめくる動作や紙の感触やにおいでも脳を刺激しています。
ただ文字の情報を追うより「体験」として心に残りやすいはずです。
先の小保方さんのSTAP細胞の発見にしても、なぜそんなことが今まで分からなかったのかと不思議なくらいです。
それは机に向かってばかりでなく目の前にある自然に「五感」を活用して向き合った結果なのかもしれません。
ノーベル物理学賞を受賞した小柴さんも子供時代は「野山で遊ぶこと」をすすめておられました。
今は分かりませんが、僕の小学校ではシャーペンが禁止でした。
その是非を問うてクラスを上げての討論会まで開かれましたが、今ならその禁止の理由も分かる気がします。
新型万能細胞STAP 5年越しの立証…小保方晴子さん「誰も信じてくれなかった」(産経新聞の記事より)
去年母が倒れた時のことです。
以前から寝こむことが多く、とうとう歩くのも困難になり無理を言って入院させてもらいました。
かかりつけの医者によれば「糖尿病が原因」とのことです。
が、素人判断ですが、べらぼうに高いわけでもない血糖値のせいで、苦しくて歩けなくなるなんて聞いたことがありません。
疑問に思っていると、入院して2週間後、心臓が通常の4割しか活動していないことが検査でわかります。
血糖値が上がったのも、そのせいですい臓の機能が弱ったためでした。
実際、脳梗塞がいつ起きてもおかしくない危険な状態だったそうです。
原因をつきとめられたのも医者のお陰ですから、最初の診断をとやかく言うつもりはありません。
ですが、データばかりで判断しないでもうちょっと問診をきちんとすれば、病院側の手間も省けたような気もします。
そういった「思いやり」が大切だとあらためて感じた体験でした。
勉強にしてもこの「思いやり」が鍵だと思います。
試験を出す側の気持ちになって、どこを聞きたいのかを思いやって、答えが見つかることもあります。
サッカーや野球などのスポーツだってある意味でそうです。
相手が次にどう動くかどんな玉を投げるのかを「思いやって」プレーします。
変に頭でっかちだと、この「思いやり」に欠けて当たり前のことに目が向かないなんてこともあるでしょう。
上記事の小保方さんの成果も初め科学雑誌「ネイチャー」にボロカスにこき下ろされたそうです。
バイオテクノロジーは今世紀最も伸びる科学分野の一つと言われています。
生き物の「気持ち」を「思いやれる」女性ならではの優秀な研究者がこれからも出てくるかもしれません。
きゃりーぱみゅぱみゅの新曲『ゆめのはじまりんりん』のメロディーが、GAOのヒット曲に酷似(Techinsight Japanの記事より)
「バッハの時代に音楽は完成されていて、その後の音楽は全て模倣」とドヤる人をネットで結構見かけます。
確かに今の12音階の普及と発展にはバッハたちの貢献は大きいでしょう。
それにバッハの楽曲はある種の普遍性を感じさせる素晴らしいものです。
しかし、今の音楽は当時の音楽家ならルール違反だとぶち切れてしまいそうな用法であふれています。
ハーモニーの複雑さやコード進行のバリエーションだけでも現在の方がはるかに豊かです。
上の意見はそれを無視した暴論だと思います。
それは「絵の具の色の種類はルネッサンス期に出きっているからその後の絵はすべて模倣」というのと同じです。
ただ、ポップスとなるとちょっと話は変わってきます。
万人に受け入れられる流行りの曲調となると、作りが極端に限定されていきます。
例えば、上記事のGAO『サヨナラ』です。
詳しい話は避けますが、この曲の出だしは『ドミナント・モーション』というコード進行をそのままメロディーにしています。
作曲をかじった人なら誰でも知ってる「いろはのい」で、確かに誰の耳にもすっと入ってくるいい旋律です。
逆にこの曲を聴いてしまうと、同じメロディの有名曲がそれまでなかったのが不思議にすら思えてきます。
これこそが音楽の面白さとも言えるでしょう。
今回の上記事の曲がシロかクロかは各自の判断に任せるしかありません。
ただ、どんな天才でも、ポップで、しかも以前のものとも違ういい曲をコンスタントに作り続けるなんて不可能に近いと思います。
そんなとき、過去のヒット曲を参考にするなんてことはあるかもしれません。
「今僕が曲を作るのをやめると、たくさんの人が仕事にあぶれてしまうんです」
全盛期の小室哲哉さんがそんなことを言っていたのを思い出します。
Now Playing... / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / / /
作家の坂東眞砂子さん死去 55歳 ホラー小説「死国」がヒット 「山妣」で直木賞受賞(毎日新聞の記事より)
今現在、科学万能主義の世の中になり、不思議なことなどなくなりました。
夜からは幽霊が消え、森からは精霊はいなくなり、神様が夢枕に現れ神社が立つなんてこともなくなりました。
でも、やっぱり人間は怖がりです。
そこでどういうわけか、この世から「お化け」を消してくれた科学技術を恐れだします。
例えば、テレビです。
そのテレビに写っている女の人が突然飛び出してきたら…
そんな恐怖の光景が話題となった小説『リング』は映画もヒットし、ハリウッド映画にまでなりました。
それで言うと、ここ十余年で急激に普及した携帯電話だって負けてはいません。
死んだ人から携帯電話に着信があったら…小説『着信アリ』も映画になったと思います。
僕自身、一時期深夜自宅に無言電話がかかってきていたこともあり、未だに電話のベルが怖いです。
そこでいうとツィッターやフェイスブックなどのSNSやブログだってある種の怖さを持っています。
ふとしたことで炎上することもあれば、心当たりの無い人からの友達申請も不気味です。
まあ、まだこのあたりの恐怖を扱った有名作品は出てない気がしますけど。
そんなわけで、今でも妖怪はなくなるどころか、時代のニーズに合わせて種類を増やしているのかもしれません。
かくいう僕を日常的に特に困らせるのが妖怪「消しゴムさらい」と妖怪「髪ゴム隠し」です。
妖怪「トイレットペーパー切らし」は僕以外にも多くの人を困らせていることでしょう。
そんなわけで未だにノック一つせずに自室に入ってくる母親もそろそろ妖怪認定していいんじゃないかと思っています。
中山千夏が断言「男は女性差別者、女はマシな人間」(探偵ファイルの記事より)
普段よりいやらしいビデオに出演してくれている素人(?)の女性達には感謝の念が絶えません。
が、ふと我に返る瞬間があります。
彼女たちはこの先まっとうに生きていけるんだろうか、親や兄妹は悲しんではいないか…
いわゆる「賢者モード」というやつです。
そもそも若い女性にとってこういったビデオに出演することは一種の自傷行為という面もあります。
親からの愛情を受けずに育った、彼氏に振られた…そんな自暴自棄な理由で出演する方も多くいます。
間接的とはいえ、観ている人全てはそれに加担しているのと同じです。
しかし、皆、良心の呵責を感じながらも、どこかで割り切っているのです。
男性なら誰しも通る道です。
それを「女性差別」というのなら世の男性は多かれ少なかれ差別主義者です。
ですから、多くの男性にとって女性には二通りあります。
「付き合いたい女性」と「ただ関係を持ちたい女性」です。
ひどいことだとわかっていても、AV女優や風俗嬢などは後者のグループに入れて割り切って楽しむことに慣れています。
関西芸人の世界ではそれぞれを「マジタレ」「カキタレ」という用語で呼ぶくらいです。
世の女性は、男性の誰もが持つこういう差別的な面を忘れてはいけません。
やたらとモテる女の人も、その実、ただ軽い女と見られているだけかもしれません。
ただ、古典落語の昔から、遊女に恋する男性というのも多くいます。
そういう男性ならそもそもこのような割り切りはせずに済んでいるでしょう。
所詮、男と女は狐と狸の化かしあいです。
女性だってそんな男性の心理を巧みに利用して「責任とって」とせまることだってあります。
そういう意味では世の中よくできていると思わなくもありません。
アメリカ社会 マリフアナ解禁の莫大な経済効果(ニューズウィークの記事より)
神道では神様はどこにでもいるわけではありません。
山や木や岩などそこに鎮まるための依代(よりしろ)が必要です。
その中でも最高峰の依代のひとつが『麻』です。
その証拠に伊勢神宮で売られているお守りはその名も『大麻』といいます。
家を新築する前に土地のお祓いをする地鎮祭は誰しも一度や二度は見たことあるんじゃないでしょうか。
祭祀中に神官がばらまく色とりどりの紙の中には『麻』の切れ端も入っています。
麻はどこでもよく育ち、服の繊維にもなる上に神様の依代にもなってしまうスーパー植物です。
神社ファンとしては庭に一株植欲しいところですが、困ったことに法律で禁止されています。
吸うと酩酊作用があるとのことですが、依存性や健康の被害はタバコやお酒よりずっと少ないようです。
正直「慣習」という一点を除けば、禁止する理由も無いのかもしれません。
ただ、喫煙中はラブ・アンド・ピースなゆるふわ頭になってしまうので、愛好していると怠け者にはなるようです。
それにしたって、じゃあお酒はどうなんだという話にもなります。
飲み会の度に一方的に搾取される身の上の下戸としては大麻ともども発禁してもらって全く構わないのですが。
名前に「麻」のつく女性の知人が複数います。
名前以外に彼女たちに共通点しているのは北海道出身ということでした。
でっかいどうな北海道では一昔前までは取り締まりを免れた大麻草を見かけることがあったようです。
もしかしたら、そのせいかもしれないなと、ふと思いました。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
伊勢神宮の125に及ぶ摂社の一つ佐美長神社。摂社の中では個人的に思い入れの深い神社の一つ
太川陽介&蛭子能収の「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」 『めちゃイケ600回SP』抑えて同時間帯トップ(テレビ東京)
私事で恐縮ですが、バイトでやっている個人指導の塾講師のことです。
つい昨日、直前に担当が僕なのを知ってとある女子生徒が受講を拒否、急きょ代わりに入った女子生徒からも拒否されるミラクルを起こしてしまいました。
決して相手も問題のない生徒というわけではありませんが、これにて終演です。
結局最後まで自分が教室になじめなかった理由はわかります。
人見知りなせいで明るいキャラを演じる癖がついているのですが、子どもからすると嘘っぽく押し付けがましく感じるのです。
人に好かれる人には共通点があります。
それは本人に無理がない「自然体」であることです。
例えばマツコ・デラックスさんです。
彼女(彼?)の辛辣なコメントも、考えに変に凝り固まったところがなく「本音」を言っているからイヤミがないのです。
別の言葉で言えば「自分らしく」生きている人ともいえるでしょう。
しかし、これはとても難しいことです。
人に嫌われることを怖がったり面倒だからといって人に合わてしまうようだと、これはできません。
自分らしく生きるためには自分に自信を持ち強くなければいけません。
それを生まれ持っている人もいれば、努力して手に入れた人もいるでしょう。
上記事の番組での蛭子さんは、旅先で名産品をガン無視してカレーをむさぼる無頼漢ぶりです。
ところが視聴者にはそれが受けているのです。
蛭子さんはいい人でもなければ悪人とも違うと思います。
とにかく何でも自分に正直なのです。
だから、彼のわがままもイヤミなところがなく笑って許されてしまい、それがこの番組の妙な魅力になっています。
「靖国にヒーローはいない」安倍首相、ダボス会議で海外記者に説明(朝日新聞の記事より)
毎朝アメリカCNNのニュースを観ていると面白いことに気がつきます。
大規模な災害や事故があった時必ず「今回のヒーロー」という特集があるのです。
自らの命を顧みず多くの人を救った消防隊の隊員や航空事故のキャビン・アテンダントにスポット・ライトが当てられます。
さすがヒーローの国アメリカですが、どの文化にも特に重んじられている美徳があります。
例えば、中国では「礼」がそうでしょう。
英国なら「ジェントルマン」、つまり紳士であることが尊ばれます。
ここ日本では「武士道」もその一つとしてよく知られるところです。
しかし、よく考えてみるとおかしな話です。
中国人はどう贔屓目に見ても礼節から最も縁遠い人たちに思えます。
英国人もブラック・ジョークが大好きだわ暴動もよく起こすわでとても紳士的とは言えません。
日本人だって世界的に見れば武士道とは真逆の優しく気弱な人が多いと思います。
おそらく、孔子『論語』の昔から中国人は無法者が多かったのだと思います。
ですから「礼」を教える必要があり、それを実践できる人が尊敬を集めたのです。
英国人も紳士が少なかったからこそ、紳士であることが皆の規範となりました。
日本人は本来臆病者だからこそ、命を投げ打つ武士に憧れたのです。
年頃の女の子のことを「花も恥じらうお年ごろ」なんていいます。
それが本当なら女子高生達がこぞってミニスカートを履いたりしないと思います。
しかし、どれもいわば社会を円滑に営むための「方便」です。
それぞれの文化が長年育んできた美徳を尊重し大事にしていきたいものです。
菅元首相、都知事選で細川氏支持訴え 「二つに分かれては原子力ムラに勝つことはできない」(時事通信の記事より)
まだ漫画『20世紀少年』が連載されていた頃に作者の浦沢直樹さんがこんなことを言っていました。
「最近は敵が誰だかわかるものはウケない。だから最後まで謎にしなくてはならない」
子供向けのアニメや特撮といえば、とにかく敵が悪いやつでした。
人を困らせるのが三度の飯より大好きな気持ちがいいくらいの悪役ぶりです。
だからこそ、主人公達は遠慮なく正義の鉄槌をふるうことができます。
『ウルトラマン』や『マジンガーZ』は当時のちびっこたちのハートを鷲掴みにしました。
しかし、だんだんと世の中が複雑なことに気が付きます。
互い争い合う敵味方どちらにもそれなりに「理由」があることが分かってきます。
そこを上手く描いた『機動戦士ガンダム』は今なお絶大な人気を誇っています。
しかし、我々の社会は現在もっともっと複雑になり謎だらけになっていきます。
もはや戦う敵も得体が知れなかったり、なんで襲ってくるのかすら分かりません。
そもそも戦いに「理由」があるのか、何のために戦っているのか自問自答したくもなります。
『新世紀エヴァンゲリオン』はまさにそんな時代を映し出す鏡でした。
僕もそんな今の時代の気分はよく分かります。
なんとなく社会に不満はあるけど、そうしている張本人や明確なイデオロギーがあるとも思えません。
働くにしたってどうせただの歯車だし、人の役に立つとかやりがいとか、そういう気分もありません。
戦前なら「鬼畜米英」、戦後なら「古い日本」や「権力」を敵とみなせば、戦う楽しさもあったでしょう。
そんな敵をなくした時代の中、悪の組織「原子力ムラ」に挑む上記事の菅元首相は毎日が楽しそうです。
本当にそんなものがあるのかどうかは知りませんけど。
「日本ではなぜ乞食を見かけることが少ないのか」 日本のホームレスが「物乞い」をしない 3つの理由(レコードチャイナの記事より)
日本では駅前で托鉢の修行僧を見ることはあっても、いわゆる物乞いを見ることはありません。
「坊主と乞食は三日やったらやめられない」という昔の言葉あります。
貧しいながらそれなりに気ままな生活を楽しんでいるホームレスも結構いるのかもしれません。
ところで、僕の住む自治体はガラの悪い「修羅の街」として県下でもその名が知られる存在です。
一時期は夜、駅前にシルバー・アクセサリーを売る外国人が露店を出しているのをよく見ました。
そんな所で商売ができる時点で、どこの差し金かは想像に難くありません。
売り子は兵役逃れでやってきたイスラエルの若者だったそうですが、本当でしょうか?
ここ数年でも夜、駅の階段を降りた下で荷台に積んだ果物を売る人たちを時々見かけます。
これもそのスジの方たちのシノギになっていると風の噂に聞きましたが、真偽の程は分かりません。
さて、随分前に同じ場所で一度だけ「物乞い」と言っていい人を見たことがあります。
夕方頃だったか、白人系の男性が何やら四角いダンボールを首からぶら下げて立っています。
物珍しいので思わず見るとちゃんと日本語が大きな文字で書かれています。
「旅行中にパスポートも財布もなくして困っています。お金を下さい」
そこでは大体こんなことを訴えていました。
本当ならまず大使館に駆け込むべきですし、しかるべき機関で事情を話せば助けてくれる人はたくさんいるはずです。
きっと悪い日本人の入れ知恵に違いありません。
が、ともかく何かの事情で彼がかわいそうな境遇にあったことは本当です。
今では彼がちゃんと故郷に帰りまっとうに暮らしていることを願うばかりです。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐挿絵(イナギ03-続・セラピー?)