アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

『野口謙蔵 生誕120年展』 滋賀県立美術館

2022-02-11 | 展覧会

久しぶりに、ブログをアップします。長らく更新しない中、ご覧いただいた皆様には心より感謝いたします!今後は、note にアップしていこうと思います。当ブログの記事も編集して掲載いたしますので、そちらもぜひ、よろしくお願いいたします!

野口謙蔵をご存じですか?

明治末から昭和にかけて活躍した洋画家で、滋賀県蒲生の地で、終生近江の風景を描きました。私がこの画家の作品に出会ったのは滋賀県立近代美術館(現:滋賀県立美術館)のコレクション展。時折り1〜2点展示されていたのですが、洋画というには、とても不思議な画風で、ハッと惹きつけられたものです。

その野口謙蔵さんの作品を、滋賀県立美術館の所蔵品を中心に、一堂に観ることのできる展覧会が、現在開催されています。待ち望んでいた展覧会です!

野口謙蔵生誕120年展 - 滋賀県立美術館

野口謙蔵さんは、滋賀県蒲生郡(現:東近江市)に生まれました。商家の文化的気風の中で育った謙蔵さんは画家を志し、東京美術学校西洋画科に進学します。卒業後は、海外を志向することもなく、すぐに郷里に戻り制作に取り組みました。帝展に入選するなどした初期の大作は、空の青さが印象的な明るさに満ちた作品です。構図や人物もしっかり骨太に描かれ、田舎の牧歌的な雰囲気が感じられます。

それから次第に独特の世界を作り上げていくようになります。風景全面がピンクに染まっていたり、家の柱が歪んでいたり、草木が緑を乱舞させながら、のたくっていたり…。

画家の眼に映った近江の風景が、画家の身体を通りぬけると、こんな表現になるんだ…!と思うと不思議でなりません。色彩の曇りのない美しさには目を奪われ、表現には心を掴まれる、そんな絵画なのです。

私の一番のお気に入りの《ヒヨドリ》という作品は、とってもかわいくて生命感にあふれているんだけど、ハガキにもなっていなくて残念。過去の美術館のブログに掲載されているので、ぜひご覧ください!

常設展示「滋賀の洋画」の見どころ紹介(2)

今回、29点の絵画を一堂に観ることができたのは、とても貴重で嬉しかったのですが、これだけしかないと思うと寂しいな〜。

43才で早逝されたのと、学校時代の作品はすべて自ら廃棄したとのことで、現存する作品は少ないようです。でも、いただいた略年譜を見ていると、もう少しいろいろな作品もあるようなので、ぜひ、機会があれば、もっと大規模な展覧会を開催し、他地域にも巡回して、野口謙蔵さんの作品の魅力を、多くの方に知ってもらいたいです!

展覧会は、2月20日(日)まで。

また、滋賀県立美術館では、ただいま、企画展『人間の才能 生みだすことと生きること』を開催中。こちらは3月27日(日)まで。

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世紀末ウィーンのグラフィック デザインそして生活の刷新にむけて

2019-01-27 | 展覧会
京都国立近代美術館は、2015年にアパレル会社の創業者が蒐集した世紀末ウィーンのグラフィック作品コレクションを収蔵しました。この展覧会は、その膨大なコレクションを紹介するものです。

チラシやポスターを見ても、この時代のウィーンの空気感って、本当に独特。デザインはしゃれているのだけど、何だか薄曇りのような、パカッとした明るさのない感じ…。

世紀末ウィーンといえば、クリムト、シーレ、そして「ウィーン分離派」。1897年にウィーンの保守的な芸術団体から脱退したクリムトら若手芸術家たちが結成したグループです。チラシの建物は、分離派会館ですね。入口に掲げられているように、"DER ZEIT IHRE KUNST,DER KUNST IHRE FREIHEIT"(時代には芸術を、芸術には自由を)をモットーとし、純粋芸術に対抗する総合芸術を志向しました。絵画や彫刻だけでなく、家具や日用品などの工芸作品も含めた生活全般を彩る芸術活動を目指したのです
彼らの主な活動は、展覧会の開催と、機関紙「ヴェル・サクルム(聖なる春)」の発行でした。本展では、この「ヴェル・サクルム」をたくさん見ることができます。レコード・ジャケットのように正方形の冊子は、画集のように美しく、表紙のデザインもバラエティに富んでいて、見ていて楽しいです。
 
今年は、クリムトやシーレの作品が見られる「ウィーン・モダン」という展覧会も夏には大阪にやって来ますが、この展覧会でも、クリムトの作品が見られます。
展示されているのは、今は焼失してしまったウィーン大学の天井画作品のための習作を中心に10点余りのデッサン。クリムトの油彩画って、色鮮やかでコントラストがはっきりしているし、また、作家自身の写真とか生き様なんかを聞くと、とても力強い印象を受けていたので、描かれている鉛筆の線がとても優しく柔らかだったのが、意外でビックリしてしまいました!手のポーズや足の向きなど、何度も描いているクリムトの筆致は、何だか官能的でもあり…。100年以上も前の鉛筆の線を生々しく感じるなんて、クリムトってやっぱりすごい!と感激しました。夏の展覧会も楽しみです。

20世紀にかけて、カラー印刷技術や写真製版技術の進歩、また写真と差別化して見直された版画作品の隆盛などもあり、グラフィック作品は多様化し、日常生活に浸透していきました。展覧会では、ポスター、デザイン図案集、書籍の装丁、木版画(日本の浮世絵の影響あり!)などなど、実に多彩な作品が展示されていて、とても充実していました。2時間はゆうに楽しめます。

また、コレクション展では、敬愛するアーティスト、ウィリアム・ケントリッジの映像作品が見られます。ブルーの美しいアニメーション作品はなかったのですが、久しぶりに再会できて、嬉しかったです。

展覧会は、2月24日(日)まで。4月には東京の目黒区美術館(おお、ぴったりだわ!)に巡回します。お楽しみに!
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吉村芳生 超絶技巧を超えて@東京ステーションギャラリー

2019-01-13 | 展覧会
今年最初の記事は、昨年末に東京へ出かけたときに鑑賞したタイトルの展覧会を取り上げたいと思います。会場は、いつも期待を裏切らない展覧会を見せてくれる東京ステーションギャラリー。あのレンガのユニークな壁が、作品とどのように共創を生み出すかも、いつも楽しみに注目しているところ。

画家・吉村芳生の名は、初めて知りました。チラシを眺めてるだけでは、なかなか全容がわからない、「超絶技巧」がキーワードのよう。新聞に描いているこの自画像は、いったい…?

吉村芳生さんは、1950年に山口県に生まれました。主に郷里の山口県で作品を発表されていたようですが、2007年に森美術館で開催された「六本木クロッシング」で一躍注目を浴び、遅咲きの新人として話題になりました。このとき、彼の作品をキュレーションしたのが、美術批評家の椹木野衣さん。ところが、惜しくも2013年に病気で早逝されました。63才、まだまだ描きたかったでしょうに、本当に残念なことです。

展覧会を通してひしひしと感じるのは、吉村氏の描くことへの執念。彼の作品の「凄さ」は、実際の作品を見ないとわからない!鉛筆で超絶技巧の作品を生み出しているだけど、そこには彼が学んだ版画が深く関わっています。
少し離れたところから、写真に見える作品は、近寄って見るとすべて鉛筆で描かれている。しかも、版画の版をつくるように、モノクロ写真に細かい格子を刻み、そのひとマスひとマスの黒色の濃度を数値化し、同じく細かくマス目を刻んだ紙に、鉛筆の斜線で移し替えていくというもの。(わかります?)なぜ、そこまでやる?と言いたくなるほどの、緻密で根気の要る作業。写真のようで、全く写真ではない作品たちを見ていると、強く心が揺さぶられる気がします。なんなんだ?これは!

さらに、彼の執念を感じるのは「継続すること」。見習いたいです…。1年間、毎日描き続けた自画像。写真を撮ったものを描いたとのことですが、ささいな変化かと思いきや、1日違うだけで全く表情が違っていたりして、おもしろかったです。
そして、晩年に取り組んだ、新聞の一面に描いた自画像。本物の新聞に描いたものもありますが、驚くべきことに、新聞自体(新聞ロゴから、写真も、天気予報も、広告も!)すべて手描きの作品もありました。新聞紙面いっぱいの画家の顔は、記事に関連しているのかいないのか(昔の記事も興味深かったです)、さまざまな表情を浮かべています。これが壁いっぱいに展示されている様子は圧巻でした。

また、美術館のレンガの壁に展示されていたのは、2000年以降に取り組んだ色鉛筆による花々の大きな作品たち。これらも同様に細かいマス目を埋めて描いたとのことですが、写真のようでありながら、この世のものではないような、幽玄さを感じる色鮮やかな花々が咲き乱れています。これも、色鉛筆と思うと、驚愕!

人間の手が描く力って、無限大なのかも…と思わせてくれた展覧会でした。とにかく、驚愕・驚愕です。
展覧会は、来週20日(日)まで。絶対、実物の作品を見て欲しい!
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2019謹賀新年〜昨年の展覧会を振り返る

2019-01-06 | 展覧会
あけましておめでとうございます!関西は今年もお天気の良いお正月でしたね。すっかり遅くなりましたが、昨年の美術展を振り返りたいと思います。
数えてみると、鑑賞したのは35本。ブログにはあまり書けてませんが、なんだかんだと、けっこう行ってたんだ〜と我ながらビックリ。
その中で私が最も印象に残った展覧会ベスト3をあげさせていただきます。

第3位
ルドンの描く絵画の色の美しさにうっとりした展覧会。これまでの私の中のルドンの印象を一変させました。会場とのマッチングも良かったです。もっともっとルドンの絵を見たくなりました。

第2位
初めて知った画家でしたが、こちらも色彩に魅せられました。そして何と言ってもツブツブの気の遠くなるような絵肌の重層感!いや〜見ていて楽しかったです。

そして、第1位!
これは、得がたい体験でした。私自身のピアノへの思い入れもあったのでしょうけれど、震災で傷ついたピアノに凝縮されたたくさんのことと、それを取り巻く空間に充満する音、光、空気…。言葉にならない感動に包まれた素晴らしい展覧会でした。

その他特筆すべきこととして、昨年は藤田嗣治の没後50年の記念イヤーでもあり、二つの展覧会を見に行くことができたし、講演会なども参加して藤田芸術を堪能することができました。また、少し興味を失っていたアートイベントですが、KYOTOGRAPHIEUNKNOWN ASIAに出かけて、開催地に根ざした会場や展示のおもしろさ、自分の知らないアート作品へ誘ってくれるパンチ力とか、やっぱりおもしろいな〜と感じました。

ところで、今年も関西で見ることができない展覧会が多くありました。3回ほど東京へ出かけましたが、それでも残念ながら見ることの叶わなかった展覧会も多数。
そこで、今回は、見ることができなくて、メッチャ残念だった展覧会ベスト3もあげさせていただきます。

第3位:縄文展(東京国立博物館)
一昨年の国宝展で縄文土器を見て、そのワイルドさは、やはり衝撃的でした。いっぱい見たかったんだよ〜!映画「縄文にハマる人々」も公開されていましたが、どちらも見ることができませんでした…。

第2位:小瀬村真美:幻画〜像(イメージ)の表皮(原美術館)
とにかくネットの評判を見れば見るほど行きたくなって、しかも場所が原美術館!行く気満々だったのに、予定していた日に台風が直撃!縄文展とともに、行くことが叶いませんでした。原美術館が閉館すると聞いて、ますます悔しい思いに!

そして、第1位:石内都 肌理と写真(横浜美術館)
これは、マジ泣きました…。東京に出かける時は、けっこう緻密にスケジュールを立てて行くのですが、めちゃ張り切って横浜美術館にたどり着いたら、木曜日で休館日だったという…。教訓。美術館の休みは月曜日だけではない。

昨年は、特に後半、ブログに記事をアップする頻度が減ってしまいました。もし楽しみに見てくださっている方がいらっしゃいましたら申し訳ありません…。秋ごろにパソコンを買い替えて、WindowsからMacになったのも一因かもしれません。自分でも日々のアート体験のフレッシュな感動・感想をもっと機動的に記していきたいと考えている2019年です。何か新しいツール(媒体?)にも挑戦してみたいです。

そんなこんなですが、今年もおつきあいいただけますと幸いです。今年も素晴らしい展覧会や作品に出会えますように!
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没後50年 藤田嗣治展@京都国立近代美術館

2018-11-16 | 展覧会

お待ちかね、京都にやってきた「没後50年 藤田嗣治展」に早速行ってきた。50年前というと、私は生まれていたがほぼ記憶のない頃、母親に「当時のこと覚えてる?」って聞いてみたら「日本に見切りをつけてフランス人になった人でしょう?」とのこと。なんだか、当時の評価が偲ばれる言葉だ…。

以前の記事にも書いたように、ここ10年で藤田嗣治の展覧会をいくつも見ている。特に2年前に兵庫で見た生誕130年の回顧展の記憶は新しいが、そのときより作品本位に出品されているのが本展だ、というのは企画者・林洋子氏のお言葉、期待が高まる。

展覧会は藤田の生涯をたどって作品が展開されている。最初のコーナーに東京藝術学校卒業時に黒田清輝に酷評されたという自画像とともに、同じ頃に描かれた父の肖像画が展示されていた。軍服を着用し威厳のあるお姿。当時のそんな職業の人にしては、息子が画家になることに意外と理解を示していたようだが、藤田の生涯の中で、大きな存在であったことは間違いなく、そこに並んでいることが象徴的に感じられる。

パリに渡った初期の作品の中で、風景画がたくさん見られるのが興味深い。後日、関連の講演会を聞きに行ったのだが、浅田彰氏が、藤田は「お裁縫の人」、風景画はまるで布を寄せ集めたように面で構成されている、彼の絵画は布を剥ぎ合わせたように平面的だと言われていたのには、めっちゃ納得してしまった!

生涯を通して、藤田はやっぱり戦略家だな、と感じる。今で言うところの自分ブランディングに長けている。個性豊かな芸術家が集うパリで、いかに日本から来た自分が、自分だけの個性豊かな作品を生み出せるか探求し続けていたのだろう。初期の幽霊みたいな特徴的な人物画から、乳白色の肌の裸婦を描き始めるところなんて、特に。会場で残念だったのは、防護柵があり、作品までの距離が遠かったこと。乳白色の裸婦は、細い流麗な輪郭線を間近で眺めるのが目の喜びなのに〜。

パリを離れた後、南米を巡り日本へ帰って来てからの作品も充実していた。私は藤田が強烈な色彩で描く、この土着的な絵がけっこう好きだ。また、今回初めて見た、沖縄を舞台にした人物作品も生命力にあふれているようで、いいな、と思った。沖縄なのに、空が美しい青ではなく、グレーだったのが不思議に思い印象に残った。

戦争画は2点出品されていた。3度目の対面となる「アッツ島玉砕」と「サイパン島同胞臣節を全うす」だ。この茶色いインパクト大の作品は、藤田の生涯を語る上では外せないが、2点だけでは唐突感も否めない。今回は、藤田がずっと付けていた日記群が一緒に出品されていて、ちょうど終戦前後の日記が処分されて存在しない、ということが、作品とあわせて戦争に翻弄された画家の姿を際立たせていた。

戦後、日本を離れてパリへ永住し、日本へ2度と帰ることのなかった藤田。パリに行く前に、まず立ち寄ったニューヨークで描いた名作が、チラシに掲載されている「カフェ」。物憂げな女性が座るテーブルには、書きかけの手紙。藤田は生涯を通して筆まめで、数々の手紙が残されている。このニューヨーク時代、妻の君代さんのビザ発給が遅れ、到着を待つまでの間、世話をしてくれいた友人であるシャーマンに数多くの手紙を送っていたから、象徴的に感じる。これらの挿絵がいっぱいの素敵な手紙は、「本の仕事展」で紹介されていたし、林洋子氏による「手紙の森」という著書にも詳しい。

今回の展覧会にあわせて、NHKの特集番組が放映されていたが、このたび藤田の残されたパリのアトリエから、12時間にも及ぶ彼の肉声テープが新たに発見されたそうだ。その一部を聞くことができて興味深かった。(展覧会でも聞けると思ったけど、それはなかった。残念!)「必ず絵には永久に生きている魂があると思っております…」もちろん日本語で、いつか誰かが発見してくれるであろうと残した言葉が藤田らしいようで、痛々しくもあり…。

展覧会で作品を見て、書籍を読んだり、テレビ番組を見たり…かなり藤田嗣治という画家を知ることができたようで、でも実は全然わかっていないかも?と思ったりもする。そう思わせる人物だってことが、ますますわかってきた。どこまでが本音なんだろう?本当は、どんなふうに思ってたんだろう?

藤田が長年書いていた日記は、君代夫人がずっと持っていて、亡くなられた後、東京藝術大学に寄贈されたそうだ。この先もっといろいろなことが明らかになり、もしかしたらそれによって、作品の見方もさらに変わるのかもしれない。本当に興味深い芸術家だ。

京都国立近代美術館では、コレクション展でも藤田嗣治の関連作品が展示されている。藤田と同時代のパリに集った芸術家たち、ピカソ、シャガール、ユトリロ、モディリアーニ、キスリングなど。藤田の作品も10点ほど。こちらは間近で線を楽しめて嬉しかった。他に藤田と同時代の日本の画家や、藤田と同じく没後50年のマルセル・デュシャンの小特集もあり、すっごく見応えありました。こちらも、ぜひ楽しんでいただきたい!

本展覧会、コレクション展とも12月16日(日)まで。京都は紅葉真っ盛りです!

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生誕110年 田中一村展@佐川美術館

2018-08-16 | 展覧会

地元、滋賀県にある佐川美術館で、開館20周年の特別企画展としてタイトルの展覧会が開催されています。田中一村は、奄美大島で島固有の植物や鳥などを独特の画風で描き出した唯一無二の画家で、今年、生誕110年を迎えます。

以前、奄美大島を旅したことがあります。田中一村の作品を常設展示している田中一村記念美術館を訪ねることも大きな楽しみのひとつでした。そこでは、奄美時代の大きな作品をたくさん見ることができて、描かれている動植物すべてが静謐な生命力をみなぎらせているような独特の世界を堪能し、感動~!いたしました。

今回の展覧会は、彼の生涯をもっと丹念に追った展開となっており、田中一村が奄美でついに独自の画風を花開かせるまでの、ある意味、葛藤といってもいい道程を辿ることができたのが、とても興味深かったです。

栃木県に生まれた田中一村は、幼いときから彫刻家の父の手ほどきを受け、優れた南画を描きました。展示されていた7才で描いた作品は「まじで?!」と思うほどのうまさです。南画とは、もとは中国で文人が描いていた画風を、江戸時代に日本の文人が学んだもの、池大雅や与謝蕪村などが知られています。神童とよばれた彼は、その後、東京美術学校に入学するも、3ヵ月足らずで退学。先日の日曜美術館では、南画はもはや時代遅れであり、一村には居場所がなかった、との解説がありました。

30才から奄美に移るまでの20年間を、一村は千葉で過ごしています。南画に飽き足らず、新しい独自の画風を模索し、試行錯誤の時代を過ごしました。画壇の公募展にも挑戦し、39才のときに、川端龍子が主催する青龍展に「白い花」が入選するが、翌年、自信作「秋晴」が落選したことに納得できず川端龍子に抗議し、もう一点の入選も辞退してしまったそう。「白い花」は実物は展示されておらず、写真パネルで見たところ、奄美時代に通じる凛とした美しい作品でした。「秋晴」は展示されていたのですが、一風変わった作品でした。一面ピカッとした金地の屏風に農村の風景が描かれていて、大根が木に吊るされているのだけど、何だか違和感…。そしてその後、日展や院展でも落選が続きました。

この時代の作品には、さまざまな画風が見られます。やはり食べていくために描いたであろう、色紙に描かれた個人蔵の作品もたくさん展示されていて、画家の厚みみたいなものを感じることができます。幼い頃から南画で墨を自在に扱ってきたからか、画面の中の墨の使い方が魅力的だな~と改めて思いました。何だか、黒なのに表情豊かって感じ!

一村は現状を打開すべく九州、四国、紀州へ出かけたスケッチの旅で南国の魅力に開眼し、50才のとき奄美大島へ渡ることを決心します。当時まだ沖縄は返還されておらず、奄美大島は日本における最果ての南国でした。

奄美大島では、紬工場の染色工として働きながら粗末な住処で絵を描き続け、無名なまま亡くなったと言われますが、千葉の支援者が、奄美行きの資金を援助するために一村に描かせた襖絵の大作が展示されていて、彼の才能に惚れ込み、援助し続けた一定の人たちがいたんだ、と改めて知りました。だからこそ、こうして多くの作品が残され、今、こうして評価されているのでしょう。彼の作品を目にすることができることを、本当に喜びたいと思います。

日曜美術館で紹介されたこともあり、県外からもたくさん来られているようで、会場は多くの観客で賑わっていました。機会があれば、ぜひまた、奄美で見たい!やはり島の光と空気の中で、実際のアダンの実を目撃してから作品を見ると臨場感が高まります。島で見るからこその素晴らしさが絶対あると思う。

佐川美術館の展覧会は、9月17日(月祝)まで。

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新版画展 美しき日本の風景

2018-07-20 | 展覧会

京都伊勢丹の美術館「えき」で始まった「新版画展」、大変心待ちにしていました!

先日、浮世絵を創始した「鈴木春信展」に出かけたばかり、江戸時代に民衆の手に芸術をもたらした浮世絵は大流行しましたが、明治時代になると、写真や印刷など、新しいメディアに役割を奪われ、衰退していきました。そこで、一人の版元が、この日本の素晴らしい芸術である浮世絵の再興を目指し、画家らと取り組んで生み出したのが「新版画」です。この版元、渡邊庄三郎の生涯を追った書籍「最後の版元」を読んで以来、「新版画」をとっても見たかったんです!

「新版画」にも美人画や役者絵などのジャンルがありますが、本展では、吉田博、川瀬巴水を中心とした風景画が多く展示されていました。一目見て驚くのは、やはりその色彩の鮮やかさ。どうしても江戸時代の浮世絵は退色していますからネ、風景に見える山の色、水の色、色とりどりの花の色…、その美しさには目を奪われます。巴水の深い青の水の表現は、ホントに美しかったなあ!

この渡邊庄三郎さんのお孫さんが、何と!TV番組の「なんでも鑑定団」に出演されている渡辺章一郎氏で、出かけた日にギャラリートークを聞くことができて楽しかったです。やっぱり彼は画廊の方なので、マーケティングの視点の話が興味深かったです。例えば、吉田博は元々、風景画の画家として大家であったので、版画の世界でも大御所の彼に、おじいさんである庄三郎氏もあまり意見ができず、好きに制作してもらっていたらしい、一方、川瀬巴水には、より良い(売れる?)作品を作るために、いろいろと意見を出して共に作っていたようだ、という話。また、巴水の作品で、降りしきる雪に赤い建物と美しい女性、これはめちゃくちゃ人気がある!とか…。

ところで、新版画と同時代の版画運動に「創作版画」がありました。「新版画」が、共同で創作するものの画師・彫師・摺師で役割分担しているのに対し、「創作版画」はすべてを一人でこなします。以前紹介した「月映」は創作版画ですね。

本展では「創作版画」の作家である小泉癸巳男の『昭和大東京百図絵』を見ることができます。戦前の東京の風景を叙情的に描いたこの代表作により、彼は「昭和の広重」と言われており、会場では歌川広重の類似するテーマの作品が並べて展示されていて、その対比がおもしろいと思いました。「新版画」のように精緻ではなく、とても味のある小泉さんの作品は、かなり気に入ったのですが、絵はがき等が全くなくて残念でした。

前述の本を読んでいただけに、この「新版画」の作品たちには、題材、構図、色使い、色の重ね方、すべてにおいて、かつての浮世絵を再興し、そして超えてやろう!という意気込みがあふれているように感じました。会場には、故ダイアナ妃が気に入って購入した吉田博の作品と、ダイアナ妃のお部屋に飾られている写真が展示されていました。スティーブ・ジョブズ氏も愛好家だったそうです。ホント、浮世絵作品は、手元に置きたくなる気持ち、とってもわかります!

100点もの新版画を堪能できる貴重な機会。展覧会は、8月1日(水)まで。

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ボストン美術館浮世絵名品展 「鈴木春信」

2018-06-23 | 展覧会

あべのハルカス美術館で浮世絵の展覧会を見るのは、これで3回目。鈴木春信ファンの私にとって待ってました!の本展覧会は、ボストン美術館からの里帰り。日本国内では、ほぼまとまって見ることが出来ない春信作品を、何と!600点以上も所蔵しているそうです。そして保存状態が良く、美しい色彩が保たれており、質量ともに世界最高を誇っています。

江戸中期、それまでの紅色を中心とした2,3色摺りの「紅摺絵」から、複雑な多色摺りである美しい「錦絵」が誕生しました。その創成期の第一人者とされているのが鈴木春信です。絵師によって人物画の特徴もいろいろですが、鈴木春信の描く人物は、とても上品でかわいらしい。中性的で、男か女か、その表情から判別するのは難しい。立ち姿はスックとしているのだけど、必要以上にスラリと見せるではなく、頭と体のバランスは日本人らしくて、親しみを感じます。何気ない情景を切り取ったような作品の中には、とてもゆったりと時間が流れている気がします。後の時代の国芳みたいなドラマチックな動的エネルギーとは対極にあるように思います。

今回、会場でじっくり作品を眺めていて、木版画を作る過程で、紙に施されるさまざまな細工に改めて驚かされました。特に、錦絵が誕生した初期だからこそ、絵の具も紙も、高価で質の高い材料が使われていたとのこと。後の時代のように大衆化され量産されたのでは、とてもできない、稀少な凝った作品が作られていたのでしょう。

浮世絵の技法に「空摺り」というものがあります。いわゆる「エンボス」です。作品の中の娘さんの白い着物の表面に、細かい模様がエンボスでくっきりと浮かび上がっている、その凹凸の美しいこと!また「きめ出し」というのは、版木自体に凹面を彫り、紙を当てて叩くことで、ゆるやかな凸面をつくる技法。雪の風景の盛り上がりや、帯と着物に立体感があるのに気付くと、もう震える!これって、ただの絵じゃない!見るだけじゃなくて、絶対触って楽しんでたんじゃないか?わー、触りたい!

浮世絵ってプリントだから、図録でも楽しめるかな~と思ったら大間違いでした。本物に目を近づけてじっくり見るからこその素晴らしさ。ホントは手に取って自分の世界で愛でたい作品ですよね~。

しかしながら、いくら保存状態が良いとはいえ、250年が経過した作品に退色は免れません。ところが!展示されていた「絵本青楼美人合」という彩色摺絵本は、書籍という形態により、とても鮮やかな色彩が残っていて、その華やかな色合いにはうっとりいたしました。今の作品にもたおやかな風合いはありますけど、当時の鮮やかさは、どんなにか見る人を虜にしたことでしょう!!素晴らしい作品たちを堪能し、ますます春信が大好きになりました。

展覧会は、あべのハルカス美術館では6月24日(日)まで。7月7日から福岡市博物館へ巡回いたします。

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色彩の画家 オットー・ネーベル展@京都文化博物館

2018-06-03 | 展覧会

東京で開催されているときから、とても興味を抱いていた展覧会に行ってきました。(Bunkamuraザ・ミュージアムの展覧会サイトがたいそう充実しているので、ぜひご覧ください)

ドイツ・ベルリンに生まれたオットー・ネーベルは、パウル・クレーやカンディンスキーより10~20年若い世代ではありますが、彼らと親密な交流を持つなかで、具象画から抽象画の世界へと飛び立った画家のひとりです。経歴がおもしろくって、キャリアの最初は建築専門学校で建築工事の技術を学んでいたり、その後俳優で活躍した時期もあったり。建築を学んでいた影響か、初期の抽象化されていく風景には、建物が多く描かれ、縦と横の直線が目立ちます。

タイトルに「色彩の画家」と謳われているとおり、作品で用いられている色の美しさが目を引きます。チラシに取り上げられている作品は、「イタリアのカラーアトラス(色彩地図帳)」の中の「ナポリ」。これは、ネーベルが1931年にイタリアを旅した際に、その景観を自身の視覚感覚によって色や形で表現した色彩の実験帳。さまざまな形状のバリエーション豊かな色の組み合わせ。彼がその地に降り立ったときに感じた取った空や土や風景の色彩、風、音、そんなものが凝縮されているのだろう。実際、展示で見ることができたのは2ページだけだったのだけど、映像で全部紹介されていて、また24枚組の絵ハガキが販売されていましたので、即買い!眺めているとウキウキしてくる美しさです。

展覧会場では、クレーやカンディンスキーの作品も併せて展示されていましたが、比べてみるとネーベルの作品の特徴が際立っていました。それは、絵肌の複雑さです。描かれている形自体はシンプルであっても、目を凝らすと、色面が細かい線やドットで構成されており、まるで細い糸で刺繍したような重層感を感じるのです。あたかも単色でペッタリ塗ることを断固拒否しているような、その色面の作り方は、さまざまな作品を見れば見るほど驚愕!してしまいます。布地を思わせるからか、暖かみを感じました。

※展覧会場では、一部の作品が撮影可でした。

バウハウスから創作のインスピレーションと、偉大な友人たちを得たネーベルは、ナチスから退廃芸術であると弾圧され、スイスのベルンに移り住みます。ベルンでは、1933年から制作・就業を禁じられ、実に10年以上も苦難が続いたとは驚きでした。中立国のスイスにおいても、そのような状況であったとは…。

1952年にはベルン市民となり、大規模な展覧会なども開催したとのことです。晩年には近東を訪ね、そのイメージ(土地の色とか、文字の形とか、だろうか?)を取り入れた作品なども制作し、ますます自由な境地を開いていった様子が作品からも窺えました。そして生涯ずっと、絵肌は重層でした!

本当に眼に美味しいこの展覧会。ぜひ実物を見てほしい!6月24日(日)まで。

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ルドン-秘密の花園@三菱一号館美術館

2018-05-27 | 展覧会

もう終了してしまいましたが、最終日に鑑賞してきました。朝いち、入場までに長い行列ができていました。

オディロン・ルドンは、印象派と同時代でありながら(モネ、ルノワールと同い年!)、全く作風の異なる幻想的な世界を描く画家として知られています。前半生ではモノクロームの作品を追求していましたが、50才を過ぎて、色鮮やかな作品を描くようになりました。本展覧会では、ルドンが描いた「植物」に焦点が当てられていました。

ルドンが描く、ちょっと不気味で怪物的な(一つ目オバケ…?)モチーフ。てっきり内面的な宗教上の何者かと思っていたのですが、この展覧会で、実はルドンは植物学者と親交があり、生物学に興味を抱いていて、もしかしたら顕微鏡とか覗かせてもらったりした中で本当に見えたモノだったのかも?と感じました。科学の力で初めて目に見えるようになる生物の神秘の世界。ルドンって、近代化する時代とともにあった科学の人だったんだ!これは驚きでした。

色彩化したルドンの絵画は、本当に本当にきれいです。絵の具に特徴があるのでしょうか…?とにかくラピスラズリのような青色をはじめ、どの色も混じり気のない宝石のような美しさなのです。もし、私が絵を描く人なら、ルドンのような絵を描けるようになりたい!と熱望することでしょう。ずーっと、うっとり眺めていたくなる、そんな絵。

この展覧会の目玉は、ルドンが依頼されて描いた貴族の城館の食堂を飾った壁画16点。うち1点のパステル画「グラン・ブーケ(大きな花束)」を、三菱一号館美術館が所蔵していますので、本展の開催場所は、ホントここしかないでしょう!展覧会場では、この壁画を、実際の食堂のレイアウトに準じて展示していました。(「グラン・ブーケ」は、美術館の専用室に展示されていますので、写真で登場がちょっと残念!)なんて贅沢な空間だったことでしょう!

昨年、同じ美術館で鑑賞したナビ派展でも、ヴュイヤールの食堂の装飾画に感激いたしましたが、ルドンはナビ派にとってセザンヌやゴーギャンと並ぶ先達だったようです。確かに、平面的、装飾的なところも、私の好みなのかもしれません。

いや~、ルドン、大好きになりました。ちょっとおどろおどろしいイメージがあったのですが、吹っ飛びましたね。はるばる見に行ってよかったです。またどこかで、本物をじっくり鑑賞する機会が来ることを待っています!

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