アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

「生誕100年! 植田正治のつくりかた」

2013-11-15 | 展覧会

植田正治の写真を初めて見たときは、そのモダンさに驚きました!代表作の「パパとママとコドモたち」です。以来、機会があればぜひいろいろな作品を見たいと思っていました。

ただいま、東京ステーションギャラリーで、彼の生誕100年を記念し、代表作約150点による回顧展が開催されています。植田正治がどのようにつくられたか?を辿る展覧会。

今や携帯電話のカメラ機能も進化し、誰もがきれいな写真をいつでも撮れるようになりました。でも、やはり写真家をスゴイな、と思うのは、作品を見たときに、特に人物を撮っている時などに、こんな良い写真を撮るために、この人とどんな風に関係性を作り上げたのだろう?と感心するとき。その瞬間にたどりつくために、それまでにどんなプロセスがあったのだろう?と。

そういった意味では、植田正治の特徴ともいえる演出写真を見ると、もひとつさらに、そこまでに至るところをいろいろ想像してしまって、すごい物語が詰まっている気がします。設定されている虚構と、実際に撮影に至るまでの、ダブルの物語。

生まれ育った山陰を拠点とし、そこに安住を求めた植田正治。彼の作品には、砂丘のイメージがものすごく強い。バックを平面的に見せる空・海・砂…。そう言われれば強烈な色を喚起するようで、でも色味のない美しいモノクロに感覚が埋もれるような気もいたします。本当に唯一無二の、最高のマイ・スタジオを手に入れたんだなあ、と思いました。

砂丘の演出写真ばかりでなく、晩年に向かうにつれ、福山雅治とのコラボでも知られるように、ファッションブランドのイメージ写真、バンドのPV撮影などなど、さまざまな新しいチャレンジをされていた様子も紹介されていました。キャプションに記されていた技法も、ゼラチンシルバー・プリントからタイプCやインクジェットなども。1995年頃のカラーの花の写真にはビックリしました。その様子があまりにもなまめかしくて。80才も超えられて、メイプルソープ以上です!!

初めて訪れた東京ステーションギャラリー、昨年、駅舎の復元とともにリニューアルオープン。2階の展示室は、壁がすべてレンガづくり!それも元は漆喰が塗られていたそうで、レンガの表面がデコボコしていて、扉枠がむき出しの鉄だったりして、なんか本当に駅っぽくて、とても風情があります。これが植田正治の詩的なモノクロの世界にホントぴったりで、展示室を見渡したとき「うわ~っ!!」と興奮してしまいました。これは他にない素敵な空間です!(色のある絵画とかだとどうかな?とも思いますが…)

最後に展示されていた、植田正治が亡くなられたときにカメラに残されていた3点の作品には、心打たれるものがありました。常に追い求めていた詩的な空間、抒情性というものが、ギュッと凝縮されていた気がしたからです。1時間以上はたっぷりと堪能できる楽しい展覧会でした。

来年1月5日(日)まで。

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アーティストになれる人、なれない人(宮島達男・編)

2013-11-10 | 

アーティストになれる人、なれない人 (magazinehouse pocket)

デジタル数字のアート作品で知られる宮島達男さん、京都造形芸術大学で副学長をつとめられているということもあり、「日本の美術教育を考える」というシンポジウムを開催されました。そこに招かれた日本を代表する7名のアーティストと宮島さんの対談を記録した本。タイトルは「才能のある人、ない人を選別する」みたいに誤解されそうですが、そうではなく、小・中・高の美術教育の改革によって、もしくは大学という機関において、「トップアーティストを育てる教育は可能か?」ということがテーマになっています。

対談は4日にわたって行われ、メンバーは、①佐藤卓・杉本博司 ②大竹伸朗 ③茂木健一郎・やなぎみわ ④名和晃平・西沢立衛 という豪華な顔ぶれ。大学教育に関わっておられる方も多く含まれるメンバーに対し、宮島さんは非常に快活な様子で話を進められ、それぞれの専門分野や活動の状況が反映された、とても個性的な話が繰り広げられていて、大変興味深いです。

その中でも、唯一鼎談ではなかった大竹伸朗さんと宮島さんとの対話は、個別の作品とか絵画・彫刻といった専門分野を飛び越えた、「芸術」というものに向かっていく「芸術家」の生き方論が展開され、もっと言えば、「芸術家」をも超えた、人の生き方についての深い話であるようで、なんだかとても心に響くものがありました。

「意味がない、と思うことをやり続けることで、意味が出てくる」「人から何か言われてやめてしまうとしたらそこまでということ」…大した才能も持たない者にとって、時間を積み重ねることで才能を越えることができるというのは、耳が痛く考えさせられることであり、また勇気づけられる言葉でもあります。

大竹さんの芸術家への成り立ちを追うと、けっこう壮絶です。決して真ん中に安住することなく、常に辺境で、自分を追い込んでいる。それでもとっても意思が固いというか、強いというか、やはり芸術を強烈に信じているのでしょうね。それを、大竹さんの言葉で(直接ではないですが)聞けるってのがすごくイイです。

この4つの対談を通して、宮島さんは、「トップアーティストを教えることなどできない。ましてや、「教育メソッド」などで生まれるはずがない」という結論を得ました。しかしながら、優れたアーティストたちに共通して言えることは、「人」との出会いや「環境」がもたらす影響の大きさでした。せめてそれをうまくオーガナイズするのが、教育現場の仕事ではないか、と。

また、美術大学を出ても、トップアーティストになれるのは1%に過ぎない。そこで、宮島さんは、99%の社会に出ていく学生たちに対し、「芸術の持っている本来の力、社会への影響力をしっかり広め伝え、想像力と創造力を自分の人生や社会を切り開く武器にしてほしい」と願い、「それが本来のアートの役割だ」とおっしゃっているところには、とても共感しました。

メンバーの皆さんの作品をよく知っていることも、楽しめる要素ですね。きっとアーティストを目指す若い方が読んだら、全然違うものが感じられるのではないでしょうか。

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レオナール・フジタとパリ@美術館「えき」KYOTO

2013-11-03 | 展覧会

先般、藤田嗣治の本を読んで、タイムリーに京都で展覧会があったので、出かけてきました。1913~1931年の最初にパリで過ごした一定期間の作品を紹介するものですが、藤田というアーティストのまた新しい一面を見ることのできる貴重な展覧会。

藤田嗣治のお父さんは陸軍の軍医だったそうで、大変裕福なお家だったんですね。早くから画家としてパリに行くことを志向し、またそれを認められていたことは幸せだったと思いますが、時代は戦争の足音も聞こえ、状況としてはとっても複雑だったんじゃないでしょうか。そんな中の1913年、輝かしい日本での画家の地位を捨てて渡仏。当時の若き日の藤田の写真を見ると、髪型とかスタイルとか、その斬新ぶりに目を見張ります。今の時代にいても、どんなけシャレてんだ!って感じです。後年のおかっぱ頭だってまだ丸くなった方です…。

さて、藤田は渡仏後4年の1917年に画商シェロンのもとで大規模な展覧会を開き、話題になります。そのときの作品がたくさん見れたのが大変興味深かったです。以前、上野で見た藤田の回顧展でも確か1,2点あったと思うのですが、後年と画風が違い、その時は違和感を感じたものです。でも、今回まとまって見ることで、この画風の藤田にとっての意味、みたいなものをひしひしと感じることができました。

無表情で能面のような人物像は、横顔が特徴的なギリシャやエジプトの古代絵画のようでもあり、また細長い指の表現や人物のポーズには、日本の浮世絵の影響も感じられ、まことに不思議なエキゾチックな世界を醸し出しています。ジャポニズムの潮流も捉えた、ある意味、戦略でもあったのかもしれませんが、藤田が異国のパリの地で、自分のアイデンティティを深く見つめ、日本人である自分ができる表現を追求ししたのだと思います。1点1点見ていて、本当におもしろかったです。

そして戦争後の1920年初頭より、藤田はまさしくパリの美術界を魅了した裸婦画、「偉大なる乳白色の下地」を実現させました。近年、この下地の秘密が解明され、ベビーパウダーなどに使われるタルクという粉末が使われていることがわかりました。そして、人物の輪郭を描いたものすごく細い線!これは、日本画で使われる面相筆という極細の筆で引かれているのですが、もう、本当に髪の毛ほどの細くしかものびやかで迷いのない線で、これは印刷物では、なかなかわかりません。実物を見ると、本当に驚嘆いたします!美しかったですね~。改めて藤田の偉大さを思い知らされた気がします。

とってもおもしろい作品がありました。藤田が当時の妻、ユキのために描いたプライベートなものなのですが、ルノアール、マティス、ユトリロ、シニャックなどなど、名だたる画家たちの作風に倣った水彩による素描で、それがまた特徴をよくとらえていて、とっても楽しいんです。きっと夫婦で楽しみながら描いていたんでしょうね~。

展覧会の最後のコーナーでは、藤田と同時代にパリで活躍し、縁のあった画家たちの作品も見ることができます。どの画家たちも、自分だけの画風の確立を目指していたんだろうなあ、と感じます。アンリ・ルソー、モディリアーニ、キスリング…。ローランサンの花の絵は、やっぱり女性ならではの色合いだなあと思いましたし、またパスキンの作品の淡いはかない感じがとっても良くて心に残りました。きっとそんな中で藤田も葛藤し格闘し、既成の枠なんかとっぱらって、自分の画風を打ち立てていったことでしょう。

小ぢんまりしているけど、とっても充実した展覧会、藤田嗣治の素晴らしさを改めて感じることができます。12月1日(日)まで。会期中無休、夜8時までやってるのでぜひ!

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