アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

続 ・ ACOP鑑賞会に参加しました!

2014-12-29 | その他

先日のACOP鑑賞会に参加しました!の続きです。

今回、この鑑賞会に参加してみて、改めて「美術作品を見ること」について考えさせられました。美術展を見に行ったとき、もしかしたらご指摘のとおり、作品そのものよりもキャプションを見ている時間の方が長いのかもしれない…。自分は作品に目を凝らしているつもりでも、実は事前に仕入れた情報を見ているだけなのかもしれない…。

「作品」と作品にまつわる「情報」。

今回のナビゲーターの皆さんも、「情報」の扱いはさまざまでした。鑑賞者の印象や感想が思い切り拡散しそうになった時に、うまく描かれた時代や対象物や、作者について等の情報を提供してもらえると、スッと新しい展開が開かれていく感じがしたり。最後に種明かしみたいにもたらされた情報が、すごい視点の転換を生んだり。作品によって、また鑑賞者との対話の広がりに応じて、適切に情報を提供していく、ということがとても重要なのではないかと感じました。

美術作品を鑑賞する際、やはり全くの情報なしに作品を見るのでは、作者の意図やいろいろな背景の中での作品の持つ意味などがわからず、作品の理解が浅くなり、それはすごくもったいないことだと思います。でも、初めから情報にまみれた目で見るのも、作品の本質に触れ損ねてしまうのかもしれない。なんて難しいさじ加減!!

私もマイミュージアムのサポーターとして解説を行う立場でもあるので(最近ほとんど行けておりませんが…)、作品と鑑賞者のコミュニケーションをより深めるために、どんなところに気をつければいいのか、考えていきたいです。もちろん、経験を積むことが大事なのでしょうけど。

さて、初日のオリエンテーションのときに2013年の報告書という立派な冊子をいただいていたのですが、ネタバレになってはいけないと思って、3回の鑑賞会が終わってからじっくり読んでみました。そこには、学生さんたちが長い時間をかけて、美術作品を通じて、他者との関係を拓いていった葛藤の様子が記されていました。なるほど!アートを媒介にコミュニケーションを活性化するとは、まさにこのことか!と納得。そうだな~、学生時代ってはるか昔で記憶が薄れてるけど、自分に自信もなかったし他人と格闘することも得意ではなかった…かも。

学生さんたちは、ナビゲーターとして鑑賞会の舞台に立つために、本当に一生懸命練習したんだ、いっぱい壁を乗り越えたんだ、ということが報告書からはひしひしと伝わってきました。おかげで、こんなに頭が固くなったオバサンの脳内にも革命を起こしてくれましたヨ!美術を見るのが、いっそう楽しくなりましたヨ!!

3日間通った京都造形芸術大学は、北白川のとても閑静で素敵な環境の中に位置しています。大階段を上っていく建物の正面はまるで神殿のよう!「学校に通う」というシチュエーションも久しぶりで新鮮でした。

このような素晴らしい体験をさせていただけたことに、心から感謝いたします!

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ACOP鑑賞会に参加しました!

2014-12-29 | 作品

9月にビジネスパーソン向けのACOPセミナーに参加し、もうちょっと深く体験してみたいと思ったので、京都造形芸術大学のアートプロデュース学科が授業の一環でやっているACOPの鑑賞者として鑑賞会に参加させていただきました。11月から12月にかけて、2週間ごとに3回の実施です。

ACOP(Art Communication Project)とは上述の学科で、1回生の必修授業として行われている「対話を基本とした鑑賞教育」です。ここで学生さんたちは、自らが作品と豊かなコミュニケーションを図ることのできる主体的な鑑賞者になること、そして対話を通して作品と(一般的な)鑑賞者との間のコミュニケーションを促進し、新しい関係性を築くためのお手伝いをするナビゲーターとしての技術を学ばれています。

ここでも基本は、「見る」「考える」「話す」「聴く」。私たちは、学生さんがナビゲーターとして一生懸命練習されてきた成果を試す鑑賞会のいわゆる「観客」です。1回に4名のナビゲーターが登場し、12人による12作品を鑑賞しました。感想は、めちゃくちゃオモシロかったです!

参加した鑑賞者は20名ほど。まず作品をよ~く眺めて、印象を話すのですが、ホント、人によって同じ絵を見ていても、全然違う印象を受けるのだな~というのが、ビックリでした。たぶん、ナビゲートをしていた学生さんも、どんな意見が飛び出すやら、ドキドキだったのではないでしょうか…。

私が一番印象的だったのは、モネの「睡蓮」を取り上げたセッション。モネは晩年、睡蓮の絵をたくさん描いているので、有名なんだけど「この絵」という確信はない、イメージでとらえているところがありました。最初に絵をじっと見つめた時間は、あまりに有名な作品なので、私の中では「モネの睡蓮だわ」という認識以上に何も広がらなかったのです。

ところがセッションが始まると、皆さんおもしろいことをドンドンおっしゃるじゃあないですか!睡蓮が浮いている水面にしか見えないのに、絵の上部にある睡蓮は、あれは「月と雲」ではないか?とか、水面じゃなくて崖を流れている滝じゃないか?とか…。そう言われると、自分の「ゼッタイ」が揺らいできて、そう言われれば「雲」かも、あれは空だったのか?とか思えてくるから不思議!ささいな色味の違いも見逃さず、明るさが違うから時間の経過をあらわしているのではないか…という深遠な意見もあったり。

鑑賞者の皆さんが、実際「モネの睡蓮」をどれくらい認識されていたのかはわからないですが、確かに知らなければ、まず「睡蓮なのか?」から始まるわけです。ひとりの女性が、「あれはゼッタイ睡蓮です!だって私の見た風景とそっくりなんだもの!」とおっしゃったときは、モネの偉大さを改めて思い知りました。

これなどは、複数の鑑賞者がいたことによって視点が広がる(または、ひっくり返る?)おもしろさだな~と実感しました。ひとりの意見が他人へ影響を与え、そこで感じて言ったことがまた別の他の人へ影響を与える…。まさに水の波紋が広がるように、絵の体験が深まっていきます。この楽しさを知ってしまうと、美術館でひとりで鑑賞するのがさびしくなってしまうかも…。

取り上げられていた12作品は、絵画あり彫刻あり写真あり…、西欧の作品がほとんどでしたが日本画も1点。時代もそれこそ古代ローマのカラカラ帝から現代作品まで。作家は有名な方が多いけど、見たことのない作品が多かったです。けっこう謎めいていて、いっぱい話せそう…というのより、「う~、これで何を話すんや…」って作品の方が、展開がおもしろかった気がします。鑑賞者のメンバーによって話の展開も変わるでしょうし、ナビゲーターって大変でしょうね…。

長くなったので、また続きを書きたいと思います。

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小谷元彦 Terminal Moment @京都芸術センター

2014-12-15 | 展覧会

このチラシのテカっとした赤い渦はいったい何なんだろう…?よくわからなさに興味をかきたてられ、最終日に訪ねてきました。

会場は京都芸術センター。旧明倫小学校の校舎を活用し、芸術振興の拠点としていつもオモシロそうな催しを行っているレトロな場所です。

小谷元彦さんは京都のご出身とのこと。「骨」の作品の端正さが印象的な彫刻家というイメージでしたが、今回、HP等で調べて見て、写真・映像・彫刻・インスタレーションと、ものすごく幅広く斬新な作品を生み出されているアーティストなのだと知りました。すべてが見たことのない作品だ!

展示されていた作品は映像インスタレーションで、大きくふたつ。このチラシの作品は「Terminal Documents」、部屋に入ると大きな円形のプールが。本当に初めは水が張っているのかと思いました。白と赤が混ざり合ったような色合いの水が渦巻いている映像が写されているのです。じっと見ていると目がまわりそうになりますが、その水の色が一瞬で真っ白になる瞬間がやってきます。暗かった部屋が白く照らされて驚きますが、また徐々に赤が混ざっていく…。そしてまわりにはモニターが置いてあり、外国語で赤い本を朗読する女の子の映像が流れています。

解説文によると、「Terminal Documents(末期記録)」とは、亡くなる前に残されていく記憶、最後に見えた光景、という意味があり、作品制作の重要なキーになっています。

目の見えなかった人が見えるようになったとき、世界が真っ白に見えるという、また、視覚を失う前には世界が真っ赤になるという…、中央のプールは視覚機能の中枢である「眼球」的な意識で作られているそうです。また、女の子が朗読しているホフマンの寓話は、駄々っ子の目ん玉をくり抜いて自分の子供に突っつかせる恐ろしい男の話。この巨大なグルグルは目玉だったのだ!

もうひとつの映像作品「Terminal Impact」もちょっと衝撃的でした。手足を失くした人がまだあるかのように痛みや痒みを感じる幻影肢、喪失・欠落のその先を扱おうという作家の意図のもと、コラボレートしているのは片山真理さんというアーティスト。両義足の彼女のことはバリバラで知っていたのだけど、表現や生き方がめちゃカッコイイ人です。彼女の存在があってこそ実現した作品だと思います。リズムが刻まれながら反復される動き。自分の身体もバラバラになっていくような…。髪(ウィッグ)は付け替えることができる。顔も?身体も?存在も…?

不思議な作品だったな~。決して楽しい気分で見れるものではないけど、感覚がかき混ぜられるような、身体に訴えてくるような。それはふたつともの作品にいえることだと思います。これは未知の体験でした。

名和晃平さんとはまた違う、身体感覚をぞわぞわさせる新感覚アーティスト。同時代で動向を追いかけたい作家にまたひとり出会えて、大変嬉しく思いました。2010年に森美術館で大規模個展をされたそう。いろいろな作品を一堂に見られる次の機会を楽しみにしたいです!

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竹尾ペーパーショウ2014「SABTLE」

2014-12-07 | 展覧会

東京で行われた際のウワサは聞いていて、めちゃくちゃ行きたかった「竹尾ペーパーショウ」、大阪でもやっていると知ったのはtwitterのおかげ。ありがたや~。

紙ってものすごく心惹かれる物質です。本が好きなのも、紙の存在がかなり大きい。その紙の限り無い可能性を示してくれる展覧会。…といっても本来は会社製品の展示会なんでしょうに、この一般人も快く受け入れてくれる懐の深さよ!

テーマの「SABTLE」とは、「かすかな、ほんのわずかな」を意味しており、紙の繊細さと同時に、その紙によってもたらされる人間の感覚の繊細さを表現している。統一の展示台もすごくほっそりしていて、少し触れてしまうとユラユラと振動が伝わってしまうほど。

会場は大きくはふたつのくくりで構成され、ひとつはクリエイターによる「SABTLE CREATION」、今回のショウの総合監督でもある原研哉さんはじめ、デザイナー・アーティスト・建築家等15名の方々の発想・技法も豊かに「紙でこんなのが…!」とびっくりするような作品を見ることができます。

もうひとつは「SABTLE COLLECTION」。こちらは日常的な紙の使われ方に、改めて光をあてるような素敵な作品がいっぱい。美しい本や書や刻印を生み出すための要素としての紙、紙自体を切ったり折ったり曲げたりすることで作られる物質としての美しさと、それがもたらす意味。

太古の昔からある紙という存在の素晴らしさを堪能し、感動をもたらしてくれる展示でした。また、会場にいらっしゃったのは竹尾の社員さんでしょうか?紙への愛がいっぱいの素朴な方々で、目が合うと思わず笑みを交わしてしまうような…。

残念ながら本日7日16時までの開催、グランフロント大阪のナレッジキャピタル イベントラボにて。間に合う人はぜひ!

それでは、美しい紙の世界を少しだけ、お楽しみください~!

コメント (2)
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