アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

「芸術闘争論」村上隆 

2011-10-23 | 
「芸術起業論」から4年、ついにはかのヴェルサイユ宮殿で作品展を行ってしまった、世界を舞台に活躍するアーティスト村上隆氏が次に出したのが本書です。「芸術起業論」では、自身の作品が高値で取引されるには理由がある、アートはビジネスなんだ!と、どちらかとご自身の作家活動について語られ、そんな自分が認められない日本のアートシーンへの怒りが充ちていたように思うのですが、本書は、アートを志す日本の若者へ向けて、またそれを支えるべき日本のアートファンへ向けて、自分自身のノウハウをさらけ出し(もちろんすべてじゃないでしょうけど)、切々と訴えているような調子が感じられました。

興味深かったこと。
まず、「第2章 鑑賞編」で示されている鑑賞の四要素。①構図 ②圧力 ③コンテクスト ④個性
これが、現代美術を見る座標軸、つまりルールだというのです。

「構図」
私は絵を描く勉強は全くしたことがないので、作家がこんなにも見る人の視線の動きを意識して画面構成をしているということに驚きました。まずどこに注目させ次にどこに目がいくようにここに何かを配し、最終的に視線が下に流れるように…とか。知らず知らずにうちに自分の視線の動きを操作されていたなんて…!

「圧力」
これは「圧倒的な執着力」を表しています。例えられているヘンリー・ダーガー。彼の死後に発見された膨大なヴィヴィアン・ガールズを描いた作品は確かに圧力があるといえるでしょう。

「コンテクスト」
これが村上さんが、世界で評価されるために一番重要視しているもの。構図によって視線を誘導するのも、画面の四隅に眼を行き届かせ、コンテクストが見えるようにするため。
コンテクストとは訳すと「文脈」、現代美術は「歴史の重層化とコンテクストの串刺し」でなかれば世界で認められない。日本ではそれを理解する人が少なく、今アーティストを目指す若者たちも「自由」に作品を作りたいだけなら必要とされない。「個性」だってハイコンテクストに創りあげるものではないか。それが彼の主張です。
確かに現代アートって、そういう知的遊戯みたいな一面があると思います。文脈を読みとれた方が見るのが楽しくなる、といのも少しわかる気がする。


それから「第3章 実作編」では、村上さんが実際に工房で作品を作っていく過程が紹介されています。一見マンガみたいな彼の作品も、ものすごく手が込んでいて技術的にハイレベルなのがわかります。ぜひここにカラー写真を入れていただきたかった、というのが私の要望です。

最後の「第4章 未来編―アーティストへの道」では、具体的にアーティストになるためのノウハウを紹介。この本のきっかけがニコニコ動画での「芸術実践論」という講義だったそうで、視聴者のレスポンスをダイレクトに受け止めて、実際に彼の声を聞きたい人に懇切丁寧に語っているような雰囲気が感じられます。
世界で活躍しているからこそガラパゴス化している日本のアートシーンを、ぜひ変えたいという強い信念、そのためには自分だけでなく自分に続くアーティストを育てなくちゃ、という気概。本書の最後に描かれていた言葉には感動を覚えました。
「ぼくが死んでも、芸術は生き残る。そのための準備をし続ける。ただ、作品あるのみ。作品を後世に伝えるために全身全霊を込めて闘う。何時死んでもいいような作品を作る。なぜなら、それが芸術家であるぼくの使命だから。…」

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生誕120周年記念「岸田劉生展」

2011-10-21 | 展覧会
ドドーン!!麗子、登場です。
この絵は、本当に有名ですよねえ。名前はよく知っている岸田劉生ですが、初めてその作品をじっくり拝見いたしました。
場所は大阪市立美術館、久しぶりの訪問でしたが天王寺公園の周辺は相変わらずワイルドな雰囲気を醸し出しておりました。美術館の近くに動物園の入口もあるんだけど、「泥酔状態での入園をお断りします」という看板っていったい…。

岸田劉生、日本近代美術史の屈指の洋画家。ちょうど120年前に生まれ、38歳の若さで亡くなっています。
今回の展覧会の目玉は、やはり「麗子、いっぱい」なんでしょうけど、個人的には、前半に展示されていたたくさんの肖像画に圧倒されました。1912年から14年にかけて、「岸田の首狩り」とも言われたように、だいたい同じサイズの肖像画を自他含め、ものすごくたくさん描いています。特に自画像は、作品に制作年だけではなく月日まで入れられているので、同じ角度の顔を同じ衣裳で描かれているにもかかわらず、ほんの短い期間(場合によっては2週間とか)しかあいていないのに、色の乗せ方や表現が変わっていたり、表情のとらえ方が違っていたりと、本当に自分の表現というものを飽くことなく追い求め続けていたことが見てとれて、胸に迫るものがありました。

最初の頃の作品は、ゴッホっぽくて、だんだんフォービズム的な色合いになり、そしてセザンヌを思わせる作風に…。独自の表現としてたどりついたのが、まずは重要文化財である1915年の「道路と土手と塀(切通之写生)」。これは、先日の日曜美術館でもやっていたけど、不思議な写実絵画です。この坂道の異様なほどの存在感!となりにはこの坂道を横から遠景で眺めた作品もあり、興味深かったです。

そして何と言っても「麗子像」。東洋のモナリザ、とも言われるように、麗子の表情は妖しく神秘的です。写真で見るとかわいらしいお嬢さんなのに、なぜか劉生が描くと顔が横長になるのね。立ったり座ったり分身になったり…、いろいろな麗子がいました。顔はこの世のものじゃないようなのに、着物の絞り柄とかものすごく写実的で驚きます。ついには「それはないやろ~」的な「寒山風麗子」まで…。後には麗子をトレードマークというか、アイコンのように使っていたようにも見受けられました。

関東大震災をきっかけに京都に移り住み、そこで分不相応な骨董収集や茶屋遊びにはまってしまったとのことで、それ以降は昔のような渾身の作品はあまり見られませんでした。それでも病気療養も終え、これからまた、という時の急逝。もっと長く生きていれば、どんな作風の作品を見せてくれたでしょうか。

考えてみたら、この時代のひとりの作家の作品をじっくり見たのって初めてだったかもしれません。西洋絵画に傾倒したり、日本古来の文化に魅せられたりと、この時代の「洋画家」はアイデンティティを探求し苦悩していたのだろうな、というのがよく感じられる展覧会でした。

ぜひ、麗子に会いに行ってみてください!11月23日(水祝)まで。

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秋はアート・イベントが花盛り

2011-10-17 | 展覧会
     

先日、久々にマイ・ミュージアムである滋賀県立近代美術館に行ってきました。最近はひと月に1回程度のペースでボランティアに参加しています。
さて、美術館には全国の美術館・博物館から送られてくる展覧会のポスターやチラシを置いてあるコーナーがありまして、そこで行く度に面白そうな情報を収集するようにしています。
今回、目に付いたのは、いわゆる地域で開催されるアート・フェア。なんと近畿だけで3種類のチラシをGETいたしました。

まずは「木津川アート2011」(11月3日~13日)。テーマは「明日への記憶」(なんか聞いたことあるような…。)このイベントは今年で2回目とのこと、京都と奈良を結ぶJR線の木津、加茂、上狛の3つの地区で開催されます。いつもブログを拝見している美術ライターの小吹さんが関わっておられるようで、去年もかなり推してらした覚えがあります。先日、朝のNHKニュースでも取り上げられていて、けっこうメジャーなのかもしれません。

次に奈良・町屋の芸術祭「HANARART はならぁと」(10月8日~30日)。こちらは旧市街のならまち以外に、大和郡山とか八木、三輪、宇陀、五条など、けっこう奈良県の南部広域が開催地区となっております。また、開催時期も少しずつずれていて、いっぺんにいろいろな地区を巡る、という主旨ではなさそうです。約50の町屋会場に約60の現代アート作家、ってことで、今個人的に注目の三瀬夏之介さんが出品されているので、興味をそそられています。

そして「高槻アート博覧会」(11月1日~30日)。JR高槻および阪急高槻市の両駅間のエリアで開催されます。初めて存在を知りましたが、なんと10年の歴史がある「アートdeわくわくストリート」というイベントが今年から装いも新たになったようです。ここで注目はトークショーに登場する藤浩志さん。去年豊島で架空の人物の家をつくっていたアーティストですね。高槻は春のジャズフェスも有名で、このような地域をあげたイベントに熱心なのでしょうか?

さて、最近は近畿にとどまらず、全国各地でアート・イベントが盛んに行われている模様。昨年の「瀬戸内国際芸術祭」の動員力が評価されたのでしょうか、アートが各地の町興しイベントとして有効な手立てと見なされているように思われます。でも同じような時期に、これだけ近くで同じようなイベントがあると、正直ちょっと食傷気味というか…。あまり積極的に行きたいと思わなくなってしまいました。新聞やネットで、「一過性でアートが消費されている」とか「作品の質に疑問」という記事も見かけました。

地域のアート・フェアって誰のためのものなんでしょうね~??地域の人?地域外からくるお客さん?出品するアーティスト自身?どれも!ってのが一番いいんでしょうけど…。こういうことを考えるためにも、自分の足で出かけてみるってことが大事かもしれない、とは思うけど…なあ~。

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Stay hungry. Stay foolish.

2011-10-09 | その他
アップルの元CEO、スティーブ・ジョブズ氏が5日死去されました。
私は全然アップル・ユーザーではないので、その製品の魅力を実感しているわけではないのですが、
熱烈なアップル・ファンが魅かれるところを聞くと、理解できる気がします。
そこには、「アート」があるのではないか?と思うわけです。

今回のニュース等で、「現代のダ・ヴィンチ」とたとえる表現がありましたが、
なるほど、その通りだな、と思いました。まさにイノベーターと呼べる人。こんな人はちょっと思い当たりません。なので、よく知っている人ではないのですが、死去の知らせを聞いた時、本当に「惜しい人が亡くなってしまった…」と心から残念に、残念に思いました。

それで、テレビなどで一部は目にしていた、2005年の有名なスタンフォード大学での演説をネットで初めて見てみました。
ものすごーく感動していまいました。彼が語る3つのストーリーは、どれも体験に裏打ちされた強いメッセージが込められています。
特に3つ目の「死」についてのストーリーは、彼が亡くなってしまった後に聞くと、この数年間のアップルの革新と躍進は、そのような壮絶な思いものもとでなされたものであったのだ、と思い知らされます。

そして、テレビなどで取り上げられていなかった1つめのストーリーが、わたしの心を最も惹きつけました。
彼が退学することになったリード大学は、国内で最高のカリグラフィ教育が提供されていて、そこで学問として学んだ美しいフォントの作り方が後にマックを開発するときに活かされたというのです。
長い歴史における文字の変遷、その中で生み出された美しい書体を学ぶこと、美しい文章に見せるために文字と文字のスペースを微妙に調整していく技術、そのような科学では把握できないフォントの美というものに魅せられたジョブズ氏。
「ああ、やっぱりそうだったんだ…!」と思いました。美しいフォントを持つ世界初のコンピュータの誕生という直接的なつながりもさることながら、彼のイノベーションにアートがある理由がわかった気がしたのです。

「Stay hungry. Stay foolish.」
この演説のひとつひとつのストーリーに、「君は今、どうなんだ?」と突きつけられている気がします。
改めてジョブズ氏の偉大さに敬服し、ご冥福をお祈りします。

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コメント (2)
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