アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

京の至宝 「黒田辰秋展」

2017-09-24 | 展覧会

このところ、漆芸に興味が湧いています。英語で陶磁器をCHINAというのに対し、漆器のことをJAPANといいます。江戸時代まで、日常の器は、漆器がメインだったんだって…。軽いし丈夫だし熱を通さないし、漆ってすごい塗料だなあ~というのが始まり。なんだか、メルカリでやたらと漆の器を買ってしまったりして…。

というわけで、京都伊勢丹にある美術館「えき」KYOTOで開催のこの展覧会、チラシの作品を見た時から、ぜひ行こうと思っていました。美しい色、カタチ。

黒田辰秋は、京都・祇園の塗師の家に生まれたが、伝統的な分業制に疑問を抱き、木工、塗り、飾りまで一貫製作を志します。それが15才のとき!早熟ですネ。その後、河井寛次郎に出会い、民藝運動に参加、民藝の木漆工に大きな影響を与えました。1970年に木工芸で初の人間国宝となり、晩年に向かうほど自由な境地で作品を生み出しました。

「漆」に惹かれていたのだけれど、この展覧会を見て、木工あっての漆なんだな、と認識を新たにしました。黒田辰秋の作品の特徴のひとつに、生漆を何度も重ね塗りして、木工品の木目の美しさを最大限に際立たせた拭漆という手法があります。映画監督の黒澤明氏に注文されて作った大ぶりな肘掛け椅子、大胆な木目の美しさと、たっぷりの漆が何とも言えない鈍い輝きを放つ、神々しいまでの美しさに息をのみました。できるなら、その表面を手で撫でてみたかった!!(もちろん禁止)

チラシの作品は、茶器なので思ったより小さかったですが、流れるような曲線の美しさと朱色の輝きがあいまって、愛らしく美しい作品でした。また、螺鈿で飾られた作品もたくさん見ることができました。

きょうの日曜美術館では、第64回日本伝統工芸展の作品が紹介されていましたが、工芸品の技術ってそれはもう素晴らしくて、美術の極みだと思うのだけど、一方で使われてこその「用の美」みたいな縛りはやはりあって、その制約の中で極める技、という不思議な立ち位置だなあと思います。木漆芸作品の無限大の可能性には、とても魅力を感じました。

「黒田辰秋展」は、10月9日(月祝)まで。

この秋、京都駅ビルは20周年を迎えました。美術館でも、20年分の展覧会をチラシで回顧。これからも、おもしろい展覧会を期待しています!

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奈良美智 for better or worse

2017-09-17 | 展覧会

頭がゴチャゴチャして寝付きが悪い夜、心を落ち着かせようと思い浮かべるのは、奈良さんの「絵」だ。美しい色彩が塗り込められた、深い思いを湛えている眼を持つ女の子の肖像画が、もし手元にあったなら、飽きず眺めることだろう…。

横浜の個展から5年ぶり、奈良さんの作品たちに豊田市美術館まで会いに行ってきた。前回の展覧会は、ほぼ新作で構成されていたが、今回は奈良さんの30年の制作を辿る回顧展となっていて、作品の変遷を見ることができるのが、とても興味深い。

初期の作品は、今の奈良さんらしくはない。でも、私は好きだ。少しけぶったような色味と筆跡、象徴的な場面、何か深い世界が繰り広げられているようで、じっと見てしまう。そして留学したドイツで、今につながる奈良さんのスタイルが生まれる。その初期作品からの変貌ぶりは、それぞれ画風は全く違うのだけど、私には藤田嗣治を思わせる。

その変換点とされる作品「The Girl with the Knife in Her Hand」(1991)は、勢いと迫力があってすごく良かった。実物には画像ではわからない、筆跡の主張がある。奈良さんってペインターなんだな、と今回の展覧会でしみじみと感じ入った。特に初期の作品には、ペインティングの様子がうかがえる筆跡、少し絵の具が飛び散ってたり、髪の毛の消した跡が見えたり、そういうのがあるからこそ、すごくいいのだ。

展示の後半は、今描き続けている単身の女の子像の近作をたくさん見ることができた。画面全体の色彩の美しさには、本当に惚れ惚れする。初めの頃、反抗的な眼を持って鑑賞者を見返していた女の子は、じっと深い思いを湛えた素直な眼になっている。その瞳の表現も、近くで見るとたまげるほどに繊細で美しい。どこを見ているのだろう?少し離れた二つの眼は、近くと遠く、現実と非現実、その両方を見通しているようだ。

この女の子たち、奈良さんの作品世界に住む現実ではない女の子と思ったら、それは大間違い!奈良さんが撮影した女の子の写真を見ると、びっくりするほど奈良さんの絵にそっくり。そう、奈良さんはある意味、写実画家でもあるのだ!奈良さんにしか描けない絵、撮れない写真。

今回、奈良さんの展覧会に行くのを楽しみに待つ間、予習したのはコレ。

 ユリイカ 2017年8月臨時増刊号 総特集◎奈良美智の世界

展覧会をまず入ったところに、奈良さんという人をつくってきたモノたち…聴いてきた音楽、眺めてきたレコードジャケット、読んできた本、集めてきた人形の数々が展示されている。ユリイカを読んでいると、奈良さんが長い学生時代やその後に出会ったいろいろな人との関係がもたらしたものが、作品を生み出す上でとても重要なのに、なぜか、この展示物を見ていると、とても孤独感を感じる。いったい何故なんだろう?でもそこが、多くの人を惹きつけるところなんだとも思う。

今回の展覧会では、奈良さんが東日本大震災以降取り組んでいる陶芸作品はほとんどなかった。また、今後は写真展が企画されるなど、新たな表現にも取り組んでおられる。回顧展といってもごく一部、今回はド直球の「ペインティング」だったんだな、と思った。

twitterでもよくつぶやいてくださる奈良さんは、とても親近感を感じる。同じ時代に生きるアーティストが活躍し、また変遷していく様を目撃できるのは、本当に興奮することだ。また、たくさんの作品を見ることのできる機会を心待ちにしている。

豊田での展覧会は、9月24日(日)まで。終了間近ではあるけど、ぜひ足を運んでほしい!

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ブリューゲル「バベルの塔」展@国立国際美術館

2017-09-10 | 展覧会

久しぶりの投稿です!いろいろあって、美術館に出かけるのもほぼ2カ月ぶり。眼が「美」に飢えていました。秋はガシガシ出かけますヨ~。

さて訪ねたのは「バベルの塔」、オランダ・ボイマンス美術館からの24年ぶりの来日です。ブリューゲルの「バベルの塔」は、現存している作品が2点あり、もう1点もウィーン美術史美術館で見ました。今回の作品と、構図はほぼ同じですが、塔の階層も少なく、人物も大きめで、何となく明るい牧歌的な雰囲気が漂います。対するボイマンスの作品の方が後に描かれたのですが、塔がずっと巨大になり、そこここに人間の営みが垣間見れるものの、神のいる天を脅かす建造物の威容さが際立っているように感じます。

ところが!実際この作品を目にして驚くのは、イメージに比べてずっとずっと小さいこと!情報として、とても細密な描写であることを知っているものだから、実際の作品を前にすると、どうやってこれほど細密に描くことができるのか、驚嘆してしまいます。会場にめっちゃ拡大したパネルが貼ってあるのですが、その大きさでフツーに見えるほど描き込まれているのです!今の感覚からすると、いったん大きいサイズで描いたものを縮小コピーしたんじゃないか?!って思えるほどに。ひええ~~

そして会場で作品を眺めていると、ブリューゲルがこの大きさ(小ささ?)で描いた意味、みたいなことを考えてしまいました。調べてみたら、先に描かれたウィーンの作品の方が2倍ほどの大きさがあるとのこと、それよりも塔をずっと大きく描いているのに、サイズは小さくしたんだ…。細密描写の技術の誇示もあったのかもしれませんが、以前の記事で書いたように、宗教をテーマに教訓を込めた作品を多く描いたブリューゲル、このサイズに人間の愚かさ、傲慢さを眺める神の視点が込められていたのかもしれません…。

ブリューゲルの油彩画はこの1点だったのですが、版画作品を多く見ることができました。そこには、この展覧会のもうひとつの目玉であるヒエロニムス・ボスの異様な空想世界の影響も見られ、独特の系譜を生み出しているなあと感じました。ボスってどんな変な人やったんやろ~、と思ってたら、裕福で名士で工房も運営して…と、けっこう現実的な人だったようで。意外!

展覧会の前半は、1500年前後の宗教画や木彫などが展示されており、北ヨーロッパらしい素朴な表現が興味深かったです。「表現」の進歩というか変遷っておもしろいなあ!

展覧会は10月15日(日)まで。休日はけっこう混んでいます。ぜひお早めに!

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