アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

フリーダ・カーロの遺品 ―石内都、織るように

2015-11-26 | 映画

 

この映画のことをTwitterで知ってから、もうずいぶんと時間がたった気がします。ようやく京都シネマで上映が始まり、見に行ってきました。

私を惹きつけたのは、石内都さんの写真、フリーダ・カーロ、そしてメキシコ。以前の記事にも書いたように、若い頃(20世紀の終わり頃)はよく海外旅行に出かけていたのですが、一番感動したのがメキシコ!フリーダの「青い家」も、もちろん訪ねました。彼女のおびただしい遺品の封印が解かれたのは2004年とのことなので、私が訪ねたときは、まだバスルームに眠っていたということか…。

訪ねたときの天気が晴れだったのかは記憶が定かではないのですが、きょう見た映画の中にあふれていた光が、そこには確かにあったように思います。

フリーダには、まず彼女の作品に出会ってしまうと、ずいぶんと痛ましい気持が先に立ってしまいます。そして、彼女の人生について知ると、なおさら。ところが、今回、この映画関連で流れてきたTLの写真には、ずいぶんと闊達な、これまでのイメージとは違う魅力的なフリーダがいました。なるほど~、いろんな男性が彼女に魅かれたのもわかる!

現代日本を代表する写真家・石内都さんは、「Mother's」の母の口紅や「ひろしま」の被曝された方の衣服など、持ち主の魂が立ち昇るような美しい写真が印象的。フリーダの遺品を撮影するのに、これほどふさわしい写真家はいなかったでしょう。

撮影の過程で、最初は博物館のスタッフにフリーダの遺品を触らせてもらえなかった石内さん、そのうちご自身が手袋はめてフリーダの衣装をパンパン叩いて整えたりして、日を追うごとに信頼が築かれていった様子が見てとれました。それは、石内さんとフリーダの遺品との距離が縮まっていった過程でもあったのだと思います。親子三代にわたって受け継がれるメキシコの伝統的な衣裳について、「日本の着物も同じ!」という嬉しい共感の声をあげたり。本当に素敵な撮影風景でした。

映画の最後の方で、撮影された写真が、2013年「パリ・フォト」で発表された様子が映し出されていました。ここで初めて作品となった写真を目にすることに。石内さんの手に(目に?)かかると、こんな風に写し出されるのか!という驚き。フリーダ・カーロという女性の強さが、滲み出ているような気がしました。

このパリ・フォトでのインタビュー、それから映画の前半にあった「青い家」を訪ねてきた観客へのインタビュー、それぞれにアーティストや作品に対する共鳴があって、それが二人のアーティストを通じて大きく振幅しているように感じました。

メキシコ、特にオアハカ地方は、美しい刺繍が施された衣装をはじめ、先住民の伝統が色濃く残る独特な風土。映画の中で、日本のお盆のような「死者の日」のお祭りの様子が映し出されていたのですが、花で飾られ、たくさんの蝋燭の灯されたお墓に、家族が一晩中寄り添い、話をしたり、写真を見たり、静かに悼んだり…。すごく心が震えるような美しい情景だなあと感動しました。自分が死んだら、あのように弔われたら嬉しいなあ…。

あのメキシコの明るい光と、「青い家」の壁の青の美しさが、まだ目に残っているような気がします。しばらく余韻を楽しみたいな、と思います。

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Don't Follow the Wind

2015-11-16 | 展覧会

東日本大震災から4年を迎えた今年の3月11日、Twitterである展覧会が始まったことを知った。リンクの貼られたWEBサイトにアクセスしてみると、真っ白い画面に音声だけが流れる。

「Don't Follow the Windは、東京電力福島第一原子力発電所付近の帰還困難区域内で開催されている展覧会です…」

放射線量が高く、今なお立ち入ることのできない地域で開催されている国内外のアーティスト12組による国際展。この展覧会は、これから後、帰還困難区域の封鎖が解除されて初めて見に行くことができる。それは、3年後なのか、10年後なのか、もっと先なのか…。

発案者はChim↑Pomだと聞いて「さすが!!!!!」と思った。これこそ、まさにアートができること。震災から4年がたって、今そこにある現実を、まるごとそのまま提示する方法として、こんな秀逸なアイデアがあるだろうか。

この展覧会のことを知ってから、タイトルの意味をずっと考えていた。「風になびくな」なのか「風化させるな」なのか…。Twitterでいただいた情報によると、福島第一原発の事故後、住民の多くが北へ逃げようとしたなかで、長年の経験から冷静に風向きをみきわめた釣り人が東京方面に逃げた事実から、展覧会名にとられたいうことだが、いろいろな意味が込められているようだ。

最初はいったい何が展示されているのか、誰が展示しているのか、さっぱりわからなかったこの展覧会のサテライト展示「ノン・ビジター・センター」が、9月にワタリウム美術館で始まった。そのニュースを聞いて初めて、これが実在の展覧会であることを実感し始めたのだ。好評につき予定の会期より延長されたため、先日の東京ツアーで見に行くことができた。

展示されているのは、それぞれのアーティストの作品のまさに「断片」。少し詳細な説明がある作品もあったが、その全容は依然つかめないままだ。それより、会場全体を使って、この展覧会の特殊性がとても強調されていた。

「拒絶」「隔絶」がキーワードか。3階のEVが開いた瞬間の衝撃。3階の小さなスペースにほとんどの作品が展示されているのだが、ここには立ち入ることができない。鑑賞者は特設の不安定な階段を上ってガラスの外から作品を眺めるしかないのだ。よく見えない、映像の音も聞こえない…。「近寄れない」ことを実感させる展示方法。

ところが、3階の奥に事務所があるらしく、私が見ているあいだに2回ほどスタッフがそのスペースをスタスタと横切っていかれた。「隔絶」が漂う空間にあって、これが逆に救いのようで、なんだかホッとした。

展覧会のことをもっと知りたくて、Don’t Follow the Wind: 展覧会公式カタログ2015を購入。これは、めっちゃ読み応えあり。というか、このカタログ自体も展覧会の一部なのではないかと感じる。冒頭の椹木野衣さん(椹木さんもグランギニョル未来というアーティスト集団の一人としてこの展覧会に参加)のテキストがとっても興味深い。「美術・美術作品・美術の力」と「放射能・放射性物質・放射線」の接点について。ランドアートを提唱したスミッソンがいうところの「サイト=現場=よそ」の作品を「ノン・サイト=美術館=ここ」に翻案することについて。そして西洋とはちがって、自然災害にまみれている日本列島内の「ノン・サイト」の不確かさについて…。

他にもChim↑Pomの卯城さんはじめ実行委員会のメンバーによる座談会なども大変興味深かった。やはりアイデアだけでは乗り越えられない壁がいくつもあって、資金的な問題だとか、たくさんの困難を克服して実現にこぎつけたことがよくわかる。さまざまな人とのつながりが生まれたおかげだと、彼らは言う。福島の地域の人はもとより、このプロジェクトに賛同する人、それは日本の国の枠を超えて。

大変申し訳ないことだが、関西にいると福島は遠い。いろいろなニュースを見聞きすることで、その状況は知っているつもりではあるけれど、この展覧会の存在を知り、実際にいつ見られるのかわからない作品のことを想像することで、ぼんやりしていた視点がフォーカスされるような感覚がある。震災後、4年がたってもなお、足を踏み入れることのできない地域がこの日本に存在することを、改めて思い起こす。そんなことって、あっていいのだろうか…?

いつかこの展覧会がオープンする日のことを想像する。それは、カタログの座談会で語られていたように、もしかしたらひっそりと始まり、見に行くには防護服が必要ってこともあるかもしれない。それでも、想像し、そして願う。帰って来た地域の方々が、笑顔で展覧会を訪れる日が来ることを。

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「琳派 京を彩る」@京都国立博物館

2015-11-03 | 展覧会

    

この秋のメインイベントといってもよいでしょう!ついに、「琳派」展で、ホンモノの「風神雷神図屏風」に対面してまいりました~!

今年、琳派誕生400年の記念の年。1615年、書や陶芸、漆芸で名を知られた本阿弥光悦が、徳川幕府から洛北鷹峰の地を拝領し、工芸を家業とする親類縁者を集め、光悦村を営んだことが始まりだといいます。

17世紀の光悦と俵屋宗達とのコラボレーションに始まり、18世紀の尾形光琳・乾山、そして19世紀にかけての酒井抱一と鈴木其一が大きな系譜と思われ、その流れに沿って作品展示がなされていました。特徴を私なりに申し上げるなら、金箔地・デザインちっく・たらし込み・トリビュートってところでしょうか。

まず、光悦と宗達の競作として、すっかり心奪われたのは「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」。まるまる全てを見せてくれている思われる長~い展示、光悦の強弱の効いた自由闊達な書もさることながら、やはり宗達の描くリズミカルな鶴がスバラシイ!一見するとハンコで押したようにデザイン的に省略された鶴の形なのに、しなやかな動きに充ちていて生きているような躍動感です。いやあ、これはいつまでも見ていたかった…。

俵屋宗達の絵画で一番すごかったのは、「たらし込み」の技法で描かれた「牛図」。「たらし込み」とは、宗達が考え出したと言われる水墨画の技法で、うすい色や水に濃い墨をたらしてにじませる描き方で、この技法による牛2頭の体は、その技法の浮遊感とは真逆のゴツゴツした牛の筋肉がリアルに描き出されており、「なんだ、これは!!」って感じで驚愕しました。スバラシイです。

尾形光琳の作品もたくさんありました!こんなに一度にたくさん見たのは初めてかも。一番気に入った「竹梅図屏風」、竹も梅もデザイン化されているような描き方なのに、抒情があってカッコいいんですよね。弟の乾山の陶芸の自由な作風もとてもおもしろかったです。京都の高級呉服商の息子たちとして、裕福な暮らしの中で培われた、人々を魅了する趣味の良さみたいなものを、彼らのバラエティに富んだ作品から感じ取れたように思います。

そして、いよいよハイライトは、3人の絵師による「風神雷神図屏風」。宗達の作品を中心にコの字に展示されていました。このコーナーは、もう人がわんさかあふれていましたヨ!「鳥獣戯画」もたいがいでしたが、これも誰しも知っている、でもホンモノはめったに見れない作品のひとつなのでしょうね~。

まず目に入る尾形光琳の作品は、色彩が全体に鮮やかです。金箔もキレイですし、宗達の作品と比べると、特に右の風神さまの緑の明るさが際立っています。図像はそっくりなんですが、宗達の作品より、大きめに外枠を取っているので、宗達の風神雷神が画面いっぱいに飛び出しそうなのに比べると、こぢんまりしている印象を受けます。風神雷神の背景の黒い雲?は、光琳の作品は面積多めで目立っていました。

宗達の作品は、やっぱりオリジナルののびのび感があるように思いました。(と言っても、この図像も他の絵画からの借用だという話…)どちらも恐い神様なのに、ユーモアいっぱいのかわいらしいお顔!以前、建仁寺で見たレプリカよりは、やはり古さ、もしくは渋さを感じました。風神の足元の雲?は、茶色っぽかった。前に見たテレビ番組では、銀で塗られた雲が変色したということでしたが、元の色ってどんなだったんだろう?と興味深かったです。

そして酒井抱一の作品は、まさにトリビュートですね。彼なりのオリジナリティも加味した作品になっていました。解説を読むと、宗達の作品は知らずに描いたとのこと。3面の「風神雷神図屏風」に取り囲まれると、さすがの大迫力でした。

この脈々と受け継がれる「風神雷神図」。現代の作家たちもたくさん描いています。描くものも見るものも魅了するこのテーマ。おもしろいですね~。今、「琳派」をテーマにした展覧会が、いろいろなところで開催されていますが、先人の作風やモチーフやエッセンスを取り入れながら、自分なりのアレンジをしてきたことが、「琳派」の系譜なんだろうなあと思います。「琳派」を感じるには、もっと他の展覧会も行かなくちゃ!

場所は、京都国立博物館の本館ではなく、平成知新館で行われていました。3人の「風神雷神図屏風」の競演が見れるのは11月8日まで。日曜日の3時頃に行った私は、入るまで1時間弱待ち、会場内もそれなりに混んでいましたが、けっこうしっかり見れました。ぜひ天気の悪~い平日のすいてそうな時間を狙って行ってみてください。

展覧会は11月23日(月祝)まで。「琳派」を堪能できます!!

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「月映」つくはえ@東京ステーションギャラリー

2015-11-01 | 展覧会

ロマンチックなタイトルが少し心に引っ掛かりながら、強力な触手が動かないまま、和歌山から愛知へと遠ざかっていた展覧会に、ついに東京で出会うこととなりました。会場は、東京駅開業当時の名残を残すステーションギャラリー、良い雰囲気です。

「月映(つくはえ)」とは、1914年から15年にかけて、東京の美学生であった田中恭吉、藤森静雄、恩地孝四郎の3人の若者が、自らの表現を求めて作り上げた、木版画による詩画集です。展覧会は、3人の出会いの頃の作品にはじまり、「月映」誕生と3人の手による私家版、および出版された公刊Ⅰ~Ⅶを紹介するもので、小さな額に入った作品を中心に約300点が展示されていました。

大正初期、文芸誌「白樺」などがさまざまな西洋美術を紹介するなか、ムンクやカンディンスキーに影響を受けた彼らは、当時主流とはいえなかった「木版画」という手法で、独自の世界観を表現した雑誌を誕生させました。手のひらくらいの図版には、3人それぞれの個性が発揮され、そして若くて瑞々しい詩情あふれる言葉とともに、まさに小さな宇宙を生み出したのです。

木版画の作品って、よく考えたらあまり見たことなかったな…。「月映」以前の彼らの作品には、インクで描かれたものがけっこうあって、その線がとてもシャープだったので、あえて版画の手法を選んだのだと思ったが、木版画はエッチングなどのように、シャープな線があらわれるものではありませんでした。むしろ、滲んだような線で、境目があいまいなようで、そこに暖かみがあるのかもしれない、と思いました。

3人の中でも、とりわけ光を放つ存在は田中恭吉。最初に木版画の魅力に夢中になり、3人の手による雑誌の創刊を推進しながらも、彼は結核を患い、「月映」に命を削るように力を注いで、1915年に亡くなってしまうからです。

田中が恩地宛てに雑誌のタイトルについて提案する手紙が残っているのだが、「月映」にしましょう!というウキウキした感じが、びんびんに伝わって来て、なんだか心打たれます。やはり病気をされたからか、田中の作品は少ないのですが、木版ができなくて言葉のみ寄せた「死と血のうた」とか、グッとくるものがありました。3人のコラボレーションが素晴らしい作品でありながら、この田中恭吉の「消えゆく命の叫び」が込められていることで、いっそう輝きが増しているのだと感じます。

藤森静雄の作品は、木彫りの痕跡をうまく生かした、広がりのある作品が印象的。恩地孝四郎の作品は、3人の中でも一番スタイリッシュで、また抽象表現なども取り入れていて新しいと感じました。恩地は、その後も美術家として活躍し、来年、東京国立近代美術館で20年ぶりの回顧展が開かれるそうです。

2階のレトロなレンガの壁の展示室には、公刊「月映」が中心に展示されていました。雰囲気バッチリ合ってましたよ~!私家版の手刷りの木版画に対し、公刊の木版画には「機械刷り」と表示されていたのですが、木版の機械刷りってどんなのかな?同じ図版で手刷りと並べると、色味もちがっていて、やや平板な感じがしたのですが…。美術館の人に聞きたかったけど、タイミングがつかめなかった…。

それにしても、青春って美しいな~と改めてしみじみした展覧会でした。20代前半の若者ですから、当然、今の私からすると息子と言っていいような年頃なんですけど、そこは大正時代の若者ですから、「先輩」って感じもあって、彼らに対する距離感が難しい!1914年というと第一次世界大戦が始まったりして、世情的には決して明るくないよね。彼らの社会に対する不安とか、逆に彼らに対する世間の評判とか、そういう彼らを取り巻くいろいろも一緒に感じてみたい気がします。

ようやく対面した「月映」の小宇宙には、劇的ではないけれど、じわじわと心をつかまれるような、そんな感動がありました。見に行って良かった!

展覧会は、11月3日(火祝)まで。 

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