アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

ホイッスラーの絵画と音楽

2014-10-19 | 展覧会

ただいま、京都国立近代美術館にて「ホイッスラー展」を開催中。

ホイッスラーは、それまで絵画が果たしてきた、歴史や教訓を伝えるメディアとしての役割を否定し、純粋な視覚芸術、すなわち色や形の調和を求めて作品を生み出しました。抽象美術に関する書籍の序章に取り上げられるなど、革新的な画家であり、抽象への扉を拓いた後進にも影響を与えたと言われています。

とはいっても展覧会ではあくまでも具象画だし、カンディンスキーなどとはずいぶんイメージが違いました。彼の特徴のひとつは作品の「タイトル」でしょう。「ノクターン」「シンフォニー」「ハーモニー」など音楽用語にちなんだ作品たちは、画面から受ける印象とともに、やはりその言葉が連想させる音楽のイメージが重なります。

きょうの「日曜美術館」でのホイッスラーの特集は、千住明さん(お久しぶり!)がゲストで、ホイッスラーの絵に合わせて千住さんが選曲された音楽が流れていました。代表作である「青と金色のノクターン:オールド・バターシー・ブリッジ」には、ショパンのノクターン2番。新さんの「賑やかな声が聞こえてきそう」という感想をかき消し、ロマンチックでもの静かな雰囲気に充たされました。

千住さんの選曲のポイントは、同時代に音楽の世界で革新の扉を開いた音楽、そしてホイッスラーも聞いたであろう音楽。展覧会で作品を見ていたときも音楽を意識はしましたが、実際に音楽が流れる中で作品を見ると、何だかイメージがくっきりするように感じました。

「灰色と黒のアレンジメントNo.2:トーマス・カーライルの肖像」は、ホイッスラーの代表作である母親の肖像と全く同じような構図。そちらの方は、先日行ったオルセー美術館展に出品されていました。真横から描いた肖像画というのも珍しいと思うし、背景、人物ともモノトーン系の色合いも渋い感じなのですが、それほど革新性を感じないんですよね…。何か根本的なことがわかってないのかしら?

「ノクターン」と名付けられた風景画は、確かに新しいと思いました。特にラスキンと名誉棄損の訴訟にまで発展したという「黒と金のノクターン」は、かなり抽象画に近かったです。影響を受けたという浮世絵の展示もあり、挑戦の意欲を感じるように思いました。日本の浮世絵ってホント、デザインが斬新だな~と改めて思ったり。

京都での「ホイッスラー展」は、11月16日(日)まで。12月6日からは横浜美術館ですね。日曜美術館は、来週夜8時から再放送があります。

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ヨコハマトリエンナーレ2014 (その2)

2014-10-14 | 展覧会

華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある

第2会場の新港ピアは、普段は一般の人が入れない施設を展示会場に使っているようで、天井が高く広大で無機質な場所。 

まずここに入ってビックリするのは、やなぎみわの移動舞台車。すでに舞台仕様にパカッと開かれているさまは、電飾とカラフルな装飾でド派手!これは台湾でしか作られていない特注品だそうだ。この舞台車で、「日輪の翼」(中上健次原作)というお芝居を全国各地で上演するという。やなぎみわさんの活動は、ますます拡張しているようだ。

この会場では映像作品が多く見られたのだけど、ここでもまたひとつ衝撃作品が!メルヴィン・モティの「ノー・ショー」。第二次世界大戦中、エルミタージュ美術館では、被災を恐れてすべての作品を館外へ非難させたのだが、その状況下、額縁だけ残ったからっぽの展示室で館の職員によるロシア兵へのギャラリーツアーが行われたというその史実を再現したフィルムだ。画面は誰もいない室内をただ写し出しているのだが、そのギャラリーツアーの様子が音声で流れてくる。額縁を前に、その作品の素晴らしさをとうとうと語るガイド、それに対し感想めいたことを口にする兵士…。はっきり言ってい異様、まるで裸の王様だ。滑稽なように見えるけど、実は、有名美術館、有名作家、有名作品というブランドがあれば、実物の作品がなくても鑑賞できてしまうということが、実はあり得るのではないか…。

さて、展示室を奥へと進むと、いよいよドドーン!大竹伸朗さんの「網膜屋/記憶濾過小屋」がお目見えだ。 

昨年、丸亀で見たドクメンタ13に出品された作品「モンシェリー」の続編といった感じ。あちらは佇む小屋だったけれど、この作品には大きな車輪がついていて、これから動き出す動のエネルギーを感じる。今回のヨコトリでは、美術館の入口にあったゴシック・トレーラーに始まり、やなぎみわ、大竹伸朗と、巨大な動力がつながっているような気がした。

「記憶」「忘却」というとき、大竹さんほどぴったりくる作家はいないんじゃないだろうか。この大きな装置の中を覗くと、古めかしいセピア色の写真が無数に貼り込まれていた。忘れ去られた記憶の断片がそこここに残されているかのように。作品そのものの材料が、どこかで何かに使われていたものを集めてきているようだ。あれは、あの場所で組み立てられたんだろうな、もちろん。ワーオ、様子を見たかったな~。どんどん巨大装置化が進んでいく大竹さんの今後の作風も見逃せない。

ヨコトリ自体は会場が少ないのだけど、横浜では関連していろいろなアート・イベントが開催されているようだ。BankARTも行きたかったんだけど、体力がギブアップ!友達がとてもおもしろかったと言っていたのだけど。

ところで、話は戻るのだが、今回の私的目玉はコレだった。

横浜美術館の「華氏451はいかに芸術にあらわれたか」の部屋にあった「Moe Nai Ko To Ba」。本展覧会のためだけに「忘却」をテーマに作られた世界でたった1冊の本。装丁もめちゃくちゃ凝っている。ここで唯一、森村さんもアーティストとして手描きのドローイング等の作品を載せている。他にも志賀理江子さんの写真や松井智恵さんの作品も。これは稀覯本としてはスゴイ!

少し高くなっている台に置かれているこの本は、観客が直にさわってページをめくることができる。ワーオ!たくさんの人の手にまみれて、だんだんヨレッとしてくる本。こんなに価値ある本なのに、なんと会期の最終日、「消滅パフォーマンス」によって燃やされ「忘却の海」に消えていくことになるのだ!まさに「華氏451度」へのオマージュ。なんだか、こういうストーリーの完結の仕方は好きだ。(もったいないけど…)

会場では、レイ・ブラッドベリの「華氏451度」の完全新訳版が販売されていて、これは読まなくちゃ!と購入。けっこうオソロシイ話です…。現代を予感しているようなこの小説の世界と展覧会体験が相俟って、ますます心が掻き乱されるような、印象がグッと深まっていくような…。

 華氏451度〔新訳版〕 (ハヤカワ文庫SF)

こんな楽しいヨコトリ、会期は11月3日(月祝)まで。会場では、市民ボランティアの皆さんがガンバっておられました。親切にご案内いただいて感謝。おそろいの「忘却」Tシャツが素敵でしたヨ~!

ヨコハマトリエンナーレ2014(その1)はこちらから

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ヨコハマトリエンナーレ2014 (その1)

2014-10-13 | 展覧会

華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある

横浜に行ってから、もう2週間になるのだけど、今もこの展覧会のことをあれこれ考えてしまう…。私にとってそれほどインパクトのある展示内容であった。

近頃各地で行われているアート・イベントのひとつ、と最初はあまり行く気はなかったのだが、森村泰昌さんがアーティスティック・ディレクターで、そのストーリー仕立てになっているコンセプトをきくと、俄然興味が湧いてきて訪ねることにしたのだ。会場が横浜美術館と新港ピアの2カ所とコンパクトなのもよい。

テーマにある「華氏451」とは、レイ・ブラッドベリの近未来小説「華氏451度」に由来しており、華氏451度とは紙が自然発火して燃え始める温度を指している。この小説の中で文化や叡智の象徴としての「本」は、罪深いものとして所持することを禁じられ存在を消されようとしている。1950年代の小説なのに、テレビやインターネットが蔓延し画一的な情報におどらされがちな現代社会を予言している。こんな世の中にあって、「本=芸術」の存在とは…?そして記憶と忘却のその先にはいったい何が…?

まず横浜美術館では、テーマのもとに繰り広げられる7つのストーリーが展開されている。それに先立つ序章として、エントランスホールに巨大なゴミ箱「アート・ビン」(マイケル・ランディ)が。これは「創造的失敗のモニュメント」、有名無名のアーティストが投げ込んだ作品がゴミとして横たわっている。ゴミとなっても存在感を放つ作品もあれば、完全に裏返っちゃって存在自体認められない可哀想なものも。きっと作家にとって失敗作品にも捨てられない愛着ってあると思うけど、なんだかそういうものを纏いつつ、思い切った爽快感もあるような、不思議な風景。また入れ物が巨大なのでなおさらだ。

第1章は「沈黙とささやきに耳をかたむける」。いきなりマレーヴィチの1914-15年の素描!そしてジョン・ケージの代表作「4分33秒」の楽譜!いわゆる地域興しのアート・イベントとは全く違う展開を期待させ、もうワクワク。禁欲的な語らぬ作品が続く。

圧巻は、第3章「華氏451はいかに芸術にあらわれたか」。これは、作品といっていいのか…。展示されているひとつひとつにドシン、ドシンと衝撃を受けた。

まず、ドラ・ガルシアの「華氏451」ペーパーバックの山。これは手にとってもよい。パラパラめくるとすべて鏡文字!読むことのできない本。この小説に描かれるような書物を禁じるという行為への抵抗か。そして大谷芳久コレクション。第二次世界大戦中に戦争や軍を讃える詩文を発表した当時の書籍が展示されていた。戦後も活躍した、誰もが名を知っている作家たちばかり、これらは戦後はもちろん隠され、葬り去られた。本自体もそれを著した作家たちの過去も…。「忘却」というキーワードがズンと胸に迫ってくる。

そしてマイケル・コラウィッツ「どんな塵が立ち上がるだろう?」。1941年にイギリス軍に攻撃され燃えてしまったドイツ・カッセルの図書館の蔵書を石でかたどった作品なのだが、この石はタリバンが破壊した古代遺跡バーミヤンの石仏のものを使っている。 下の写真のガラスに書かれた文字が読めるだろうか?

「私はバーミヤンの仏像を破壊したくなかった…外国人が仏像を修復したいと申し出た…私はショックを受けた…生きている何千人という人々、餓死しかけているアフガン人のことなど気にかけず、仏像の心配をしている…それで私は仏像の破壊を命じた…彼らが人道的な仕事のために来ていたら、私は破壊など命じなかっただろう。」(抜粋)

すごい衝撃を受けてしまった。バーミヤンの破壊をさんざん非難していた一方の見方と、破壊した方の切実な言葉…。正しい価値観なんて、ホントないんだ、と実感した。

他にも、タリン・サイモンの「死亡宣告された生者、その他の章 Ⅰ-ⅩⅤⅠⅠⅠ」というプロジェクト。世界中を旅した作家が、各地で出会った血統とそれにまつわる物語を調査し記録したもの。作品としては、関係者のポートレイト、物語の詳細の記述、物語の断片や写真の3面で構成されている。その物語も、生きているのに死亡宣告された男、女性初のハイジャック犯、ウクライナ児童施設の子どもたち、と複雑だ。

これらの作品は、「美術」とは言えないのかもしれない。でも、「世界をまるごと切り取っている!」とはっきり確信した。アートは、分析したり評価したり改善したりはしない。だけど、この複雑で統一の価値観でははかれない混沌とした世の中の事象を、さまざまな手法でまるごと見る人に呈示してくれているのだ。なんて、素晴らしいのだろう!と、静かに感動してしまった。どう感じるか、考えるかは、見る人に委ねられている。

第4章「たった独りで世界と格闘する重労働」では、またもや福岡道雄さんの作品に出会えた。 

 

この風船のようなものは、色味が内臓を思わせるようなグロテスクさ。紐を持つ人が浮かび上がっていて、風船に重量感のある不思議な逆感覚。タイトルの「飛ばねばよかった」も意味深だ。「飛ぶ」ことはポジティブなイメージなのに、後悔しているの…?そして壁には黒いFRPのタブローが。近寄ると何やら小さな文字が描いていある…。それは何と、無数の「何もすることがない」!福岡さんって、やっぱりかなりおもしろい作家。ますます興味が深まった。一度お目にかかってみたい。

第6章「おそるべき子供たちの独り芝居」では、坂上チユキさんの作品を、とてもたくさん見ることが出来て嬉しかった。本当に繊細な線。単色だけの作品より、少し色味があるものの方が好きだった。描かれている世界は不思議だけど。

他にも印象的な作品がたくさんあった。そして次の会場、新港ピアへバスで向かう。さあ、大竹伸朗さんの作品が待っている~!(長くなったので次回へ続く)

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オルセー美術館展@国立新美術館

2014-10-05 | 展覧会

夏の美術の旅が、諸事情により延びに延びて、ようやく先日出かけてきました。今回は、東京・横浜へ。

まず、どうしても見たかったのは、「オルセー美術館展 印象派の誕生~描くことの自由~」、とりわけカイユボットの「床に鉋をかける人々」がお目当てです。

何しろ日曜日だったので、人出はハンパなかったです。やっぱり東京は人が多いのですね~。人気作品の前では5重くらいの人垣ができていて、なかなか絵の前に近づけません…。

さて、昨年展覧会を見に行って、改めて出会ったカイユボット、いろいろな素晴らしい作品がありましたが、やはりオルセーが所蔵する「床に鉋をかける人々」が最高峰のように思え、ぜひ見てみたいと願っていました。

この作品は、1876年にパリで開催された第2回印象派展に出品され、人々に衝撃を与えたと言われています。なぜなら、ブルジョア層であったカイユボットが、このような労働者階級の人たちを描くことは、当時としては斬新だったから。

絵の前に立つと、柔らかな光が印象的です。労働者がモデルとはいっても、描かれているのは丁寧に仕事をこなしていく職人たち。その様子は談笑しているようでもあり、絵の隅にはワインらしきボトルも見え、リラックスした雰囲気です。作家とも親しい間柄なんでしょうか、自分の家をメンテナンスしてくれる職人への愛情のこもったリスペクトが感じられるようです。腕を伸ばした職人たちの美しい身体、遠近の効いた構図、落ち着いた色合い、もう、ずっとずっーと見ていたくなる絵。なぜこんなにも魅かれるのだろうか…?とにかく、はるばる見に行ってよかったです!

この展覧会では、まさにキラ星のごとき印象派の巨匠たちの質の高い作品が見られます。初めは作家のネームバリューに惑わされそうになりますが、見ているうちに、絵を見る楽しさ、喜びというものをジワジワ感じていきます。

やっぱりモネには脱帽しますわ~。白色で埋め尽くされた「かささぎ」にはホントに感動した!白一色と思って近寄って目を凝らすと、光のあたっている部分には薔薇色が塗り込まれていて、影のところの灰色とか、すごい凝った色使い。絵から少し離れると、本当に写実的な雪景色に見えてくるその視覚マジック!すっごくオモシロイです。モネの絵は、まさに実物を見る価値があると思います。マネをリスペクトして描かれたという巨大な作品「草上の昼食」も、意欲的でした。

ところでこの「草上の昼食」とういテーマは、いろいろな作家によって描かれており、のどかでスノッブな感じが特徴だと思うのですが、ここで裸体の女性を描いたマネの作品は、当時としてはかなり奇異であり、美術史上、革新的であったのだと改めて実感。マネに始まりマネで終わるこの展覧会、あの「草上の昼食」も出品されていたら完璧だったのですがね…。(ゼイタク?)

さすがオルセー、大変良い展覧会でした。会期はもう少し、10月20日(月)まで。ますます混むでしょうけど、ぜひ見に行ってみてください!

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