アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

パウル・クレー おわらないアトリエ

2011-04-15 | 展覧会
京都国立近代美術館で開催中のパウル・クレーの展覧会を見に行きました。
クレーはよく知っている画家ではありますが、これほどまとまった作品をたくさん見たのは初めてです。クレーといえば、やはり詩情豊かな色彩…と思って本展覧会を見に行くと、軽く裏切られます。
副題に「おわらないアトリエ」とあるように、彼の芸術が生み出されたアトリエと、そのプロセスに焦点を当てた展覧会。

コーナーのまず最初は『現在/進行形 アトリエの中の作品たち』。クレーは自ら自分のアトリエの写真をたくさん撮っていたようです。そしてその部屋の様子を見ると、自分の作品を思い切り壁に飾っています、油彩の作品だけではなくちょっとしたドローイングなども含め。写真に写っている作品を実際、よく似た配置に展示していておもしろいと思いました。

次のコーナーからはクレーの作品づくりのプロセスごとに展示が行われていました。まず「油彩転写」という技法。ベタ塗りした黒の油彩絵具の上に原画のドローイングをのせて、針金でなぞって転写するというもの。そ~だったのか、それであんな微妙な線が生まれるのね。原画と転写して水彩で着色した作品がたくさん並べて展示されていました。ほとんど同じ図柄なのに、タイトルが違っていたりして、なんでだろーと思ったりして。

次のコーナーからは切断し再構成または分離された作品の特集。これは発想がおもしろい。コラージュ的な傾向があるのでしょうか。せっかく一枚の画面の中に創りあげた世界を何のためらにもなく切断していまうのって…。それを再構成している作品もあるし、まったく別々の作品として額装されているものもあります。
2つ~4つにも分断された作品を、写真で再構成してキャプションと一緒に展示されていました。どーなんだろう、切断しない方がよかったのでは、と思えるものもあり、切るならここしかないよな~という切り方をされているものあり、これとこれが元々同じ作品だ!というのを見つけるのも相当大変だったのではと思われました。
チラシの作品も小さくてわかりにくいとは思いますが、上下に分かれてふたつの作品なんですね。そこで観音開きになってて、なかなか凝ったつくりです。
他にも両面に描かれた作品もあったり、最後のコーナーは、画家がずっと手元において模範とした「特別クラス」といわれる作品たちでした。

この展覧会を通じて、クレーという人に、ますます興味をかき立てられました。彼が熱心に取り組んだ作品づくりのプロセスを見るにつけ、これはどんなつもりでこのようにしたのか?と、その動機や意図などを想像せずにはいられないのです。なぜこれを切断したのか?なぜ裏に絵を描いたのか?なぜこれを「特別クラス」として手元に置いていたのか???などなど。不思議な人だな~。

というわけで、今回はあまり色彩を堪能するというわけではなかったのですが、「花ひらいて」の抑えたカラフルな色の集まりや、「庭のリズム」という作品の微妙なピンク色とか、「蛾の踊り」のまるで布のような色の濃淡とか、本当に心打たれる美しさを見ることもできました。とても良かったです。

5月15日(日)まで京都、5月末からは東京でも開催されます。
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4月を迎えて

2011-04-03 | その他
4月を迎えました。3月の後半はけっこう寒かったので、春の気配もまだまだだと思っていましたが、気がつくと桜の花がほころび始め、ああ、春なんだなと思いました。

3月11日に東北地方、関東地方を襲った大震災と津波から3週間以上がたちました。
刻々明らかになる被害の大きさには本当に驚愕し言葉を失うしかなく、多くの方が亡くなられ、また被災された方が困難な避難生活を強いられていることに心を痛め、一日も早く、ほんの少しずつでも復興に向かうことを願ってやみません。
ここ関西では、日本の国難である大災害に、いろいろな場面で自粛のムードはあるものの、震災の影響による物理的な不便はほとんどありません。震災の被害に関する情報は、今日のメディアの発達により、ほんとに阪神大震災のとき以上に大量の映像で克明に入って来るものの、その状況があまりに想像を絶することもあって、確かな現実感を伴わないようなそんな感覚に襲われます。同じ日本国内なのに、被災されている方々が遠くて、自分の差し出したい手が全く届かないような、自分のできることのあまりの少なさに心が萎むような、そんな思いの毎日です。

地震の発生以来、新聞などで、文学やスポーツに携わる人たちが、それらはこんな時には必要ではない自粛すべきものとされることに無力感を感じている、といった記事をよく見かけました。演奏者が来日できない、とか、館の物理的な状況の不備にもよるのでしょうが、音楽コンサートや展覧会が中心になるケースも多く見かけられます。

自分自身がその力を信じている『アート』も、こんな時には無力なものなのでしょうか…。
美術界でもできること、として作品のチャリティバザールや、美術団体による募金活動なども行われていますし、また、学生ボランティアが避難所で美術をテーマにしたワークショップなどを行う動きもあるようです。アートを通じて、被災された人たちの心が少しでも癒され浄化されることがあれば、とても嬉しいことだと思います。

音楽に心が癒されるように、絵を見る行為も癒しをもたらしてくれるものです。絵は有名な作家や高名な作品でなくてもいいのです。自分のその時の心情にフィットする色や形をじっと見つめるだけど、不思議と心が落ち着いてくるものです。
私の場合、寝る前にイライラした気分を持て余すときなど、以前に訪ねた展覧会の、好きだった作品を思い出したり、それを見たときのワクワクした気持ちを思い浮かべるとなんとなく気分がおさまり、眠りにつけるということがよくあります。
「心が癒される絵」として思い浮かべるのは、アメリカの抽象表現主義の作家マーク・ロスコです。彼の作品は巨大な画面を色で塗り込めた、見ていると自分の心の奥を深く覗き込んでしまいそうな作品です。テキサス州のヒューストンには「ロスコ・チャペル」という、ロスコの作品に囲まれ静かで荘厳な雰囲気を醸し出している無宗教の教会があり、人々は長い時間そこで瞑想の時間を過ごすそうです。

もちろん被災された方々はとてもそんな状況ではないと思いますが、少しのメロディや一本の鉛筆やクレヨンが生み出す色やカタチが何かの力をもたらしてくれれば、と痛切に思います。


コメント (2)
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