アートの周辺 around the art

美術館、展覧会、作品、アーティスト… 私のアンテナに
引っかかるアートにまつわるもろもろを記してまいります。

やなぎみわ さん

2009-07-26 | アーティスト
 タイムリーな露出が続き、ついに「やなぎみわ」さんに出会ってしまいました。(注:本人に直接会ったわけではありませんヨ)
 お名前は美術雑誌やアート関連の記事でたびたび見かけていて、今年ベネチア・ビエンナーレに出品したという上の作品も、眼の端には入っていたのだけど、なぜか出会っていませんでした。なんか一瞬グロテスクなように感じていたのです。

 それが、今朝、見過ごしていた木曜日(7/23)の日経新聞の夕刊を見ていたら、やなぎみわさんが写真入りで登場していて、へ~こんな人なんだ、というのを認識し、さらに京都にお住まいとの事で近しさも感じていたところ、なんと、今日の日曜美術館がやなぎさんの特集だったのです!

 番組では、ベネチアでの作品展の様子や、現在、大阪の国立国際美術館で開催中の展覧会が紹介されるとともに、出品作品の撮影の様子や、お子様やだんなさんと過ごす日常生活の模様など、やなぎさんご本人がバシバシに登場し、とっても魅力的で興味深かったのです。
 やなぎさんは、同世代の40代。作品のテーマはいろいろですが、こどもから老人までさまざまな女性を被写体に、見る人の心の淵をじっとのぞくようなそんな作品だと感じました。ご本人がお話する中で、「人生」とか「家族」という言葉をよく口にされていたのが印象に残り、作品のキーワードなのだと思います。また美術の力をとても信じている事もうかがえました。
 
 上の作品は、モデルの女性の体に特殊メイクと付け胸(!)を施し、ミニチュアの大地を巨人のように踏みしめ、風にふかれているその一瞬をとらえた作品です。太古の女性本来が持つ力強さとさまざまな圧力から解き放たれた叫びが表現されているようだ、という姜さんのコメントにとても共感しました。また、やなぎさんの、過去でも未来ででもなく現在を生きている女性、今この一瞬にどんな風が吹くかもしれないけれど、という言葉にも何だか感動しました。次はぜひ、生の作品に会いにいきたいものです。

日曜美術館は、来週20時から再放送、
国立国際美術館「やなぎみわ 婆々娘々!」は9月23日まで。
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『商店街と現代アート』

2009-07-13 | 
『商店街と現代アート 大津中町の試み』アーケードアーツの会編(東方出版 1999年)

 図書館でこんな本を見つけて、ビックリ!!先日、記事にした別府の混浴温泉世界や、越後妻有アートトリエンナーレなど、地域を舞台にしたアートイベントに興味深々なきょうこの頃、わが町のよく歩いてる寂しげな商店街で、こんなアートイベントが行われていたとは!しかも、1998年、10年以上前のことだ。

 これは、大津市制100周年記念事業として、一般の市民からの公募で行われたイベントである。本に登場する主婦の杉本洋子さんが、大津の中心街に東西に横たわる600mに渡る3つの商店街(丸屋町、菱屋町、長等)を舞台に、18名の現代美術作家の作品展を、ものすごい熱意を持って実現された。この本は、それが終了した後に、記録をまとめる意味を持って、関係者の座談会を中心に、当時の企画書などの資料も交えて発行されたものだ。

 杉本さんは、特に美術の専門家でもなかったとのことだが、アートしかも今を生きている現代アートの持つ力を本質的に理解し信じることができた人だったと思う。本の中でも、さまざまな困難やトラブルのなかで、悩み迷いながらも、最初の主旨「現代アートで新しい風をおこしたい」を何とか曲げずにやり遂げられた様子が窺える。また巻き込まれていくボランティアや商店街の人々の、「何だかよくわからない」アートへのぎこちない接し方は、とても正直な姿であると思う。
 
 本の中の座談会には、実際に出品されたアーティストも登場していて、途中「アートとは何だ?」みたいな議論も繰り広げられたり、また地域活性化にアートが利用「される」ことについての、アーティストの立場からの発言もあって、なかなか興味深い。

 このアートイベントが街に残したものは何だったのだろう?本の中で関係者たちは、すぐに結果は出なくても確実に何かを残しただろう・・・1回で終わらせずに継続することが大事だ、と語る。でも続けて行われることはなかったし、今見る商店街にアートの面影がないのは、何だかとても残念だ。でも、当時参加した人の心にはその残像は確実に残っているだろう。こんなに身近なんだもの、誰かにぜひお話を聞いてみたいな、などと思った。
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『一瞬のきらめき まぼろしの薩摩切子展』

2009-07-09 | 展覧会
 小雨の降る久しぶりの神戸市立博物館にて。

 「切子」というのは、カットガラスのことで、まあ一般的に食器として売られておりますので、あまりその素晴らしさを認識していませんでした。私は見ておりませんでしたが、人気大河ドラマ「篤姫」にも薩摩切子が登場していたらしく、そんなこともあってわりと地味な展覧会ながら、女性の来館者が多かったです。

 さて、このカットガラス、今日ではグラインダーで削るらしいのですが、当時は細長い鉄の棒に水で溶いた金剛砂(こんごうしゃ)を付けて根気よく文様を切り、さらに木の棒で磨き出していくという気が遠くなるような手作業だったらしい。美しいガラス作品は、写真でも映えますが、やはり実物をいろいろな角度でじっくり見ると、その技術のスゴさに舌を巻きます。

 時は19世紀、篤姫のお義父様、島津斉彬はずいぶんと先進的なお人であったようで、イギリスやボヘミアなど西洋のカットガラスを参考に、薩摩におけるガラス製造に力を注ぎました。薩摩の切子は、無色のガラスに紅、藍、紫などの色ガラスを厚く被(き)せかけ、文様を削り出していく独自の色被(いろき)せを特徴とし、これは薩摩藩だけが確立した素晴らしい技術で、明治になって急速に衰えてしまった薩摩切子は、高価で数も少なく、今ではまぼろしの器となっているそうです。

 写真は「薩摩切子 藍色被船形鉢」(サントリー美術館蔵)。美し~!!菓子器あるいは杯洗と考えられていますが、なんだか変わった形ですよね。船形の舳先にはコウモリが。展示では、隣にもうひとつ無色(でも薄くブラウンがかっているようでもあった)のよく似た鉢もあって、そこには羊の頭が~!!角がグルグルまわってて妙にかわいく、その輝きとフォルムの美しさに惚れ惚れと見入ってしまいました。
 他にも、篤姫がお嫁に持っていった雛祭りに白酒を入れるための対の栓付瓶や細かい細工が施されたミニチュアの切子の杯やお重のセットなどもあり、やはり将軍家に持たせるだけあって群を抜いて質の高いものでした。

 一緒に行った友人が、思わず借りてしまったボイスガイド(音声案内)のナレーターは、何と高橋英樹さん、最初は「斉彬が・・・」と語ってたのが、途中からは「私が・・・」とか「私の養女が・・・」とか言ってたそうです。

 8月30日(日)まで。
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