歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

徳川将軍家の通り字

2012年02月02日 | メモいろいろ
徳川将軍家の通り字は御存じのように「家」ですが、もとから「家○」ばかりだったわけではない。家康までの松平家の家督は、「清康─広忠─家康」と続いていて、しかも家康って名前だって、「元康」から改名したものでした。(ただし初名は「元信」。)そして家康の長男は例の「信康」、さらに次男は「秀康」。ですからこの辺までは、通り字はうたがいようもなく「康」だった。

それがどうして家光以降、「家」になっちゃったのか。ああ、多分だれかえらい先生が何か言ってるに違いないね。そもそも「家光」って名前はだれがつけたのかね。たとえば「光康」とかぢゃなくて「家光」って名乗にするっていうのは、徳川家の通り字を変えちゃう、ってことですからね。大ごとだったと思うけどね。いろいろとよく分からないよ。

徳川十五代将軍の名前を小学か中学で暗記して、いまだに憶えてるって人は多いだろうと思います。わたしもそうだもの。そしてこのうち「家○」が十一人、「家○」ぢゃないのが、秀忠、綱吉、吉宗、慶喜の四人。面白いねえ。家康、家光を別にすると、その後存在感のあった将軍は、むしろ「家」のつかなかった人たちのほうぢゃん。そして綱吉、吉宗、慶喜はいづれも前将軍の実子ではなく、養子の将軍たちであった。