歌わない時間

言葉と音楽について、思うところをだらだらと。お暇な方はおつきあいを。

ガーディナー『ヘンデル/メサイア』

2006年05月04日 | CD ヘンデル
Handel
Messiah
Marshall・Robbin・Rolfe Johnson・Hale・Brett・Quirke
Monteverdi Choir
English Baroque Soloists
John Eliot Gardiner
411 041-2

1982年録音。51分04秒/51分53秒/34分03秒。PHILIPS。むかし、私がはじめて買ったCDがこのガーディナーの『メサイア』で、その後、生活苦(!)その他もろもろの事情で売り払ってしまったこともあるのだが、後にまたおなじ演奏を買い直した。いまから四半世紀近く前の録音、てことになってしまったのですね…。早いもんだ。

悪口を言おうと思えば言えるけれども、しかしガーディナーの『メサイア』はやっぱりすごい。聴く者を飽きさせない。序曲から最後の「アーメン・コーラス」まで、どこもかしこも磨きに磨かれている。動と静、明と暗、早いとゆっくり。隣り合うナンバーどうしの対比をハッキリと際だたせている。『メサイア』でいい演奏をひとつだけ推薦してください、と言われたら、迷いつつも、このガーディナー盤をわたしは挙げると思う。いやそもそも、『メサイア』でひとつだけ、というのが無理なんですけどねわたしに言わせれば。

しかしガーディナーのこの『メサイア』については、毀誉褒貶、さまざまな意見がある。貶す人の気持ちも、わたしにはよく分かる。このことについては最後に書く。とにかく、この演奏が気に入るようなら、その人はガーディナーとの相性のいい人。それにしてもガーディナーは、かつて、ヘンデル演奏に関してこれほどまでに意欲満々だったんだよなあ。

この録音のあと、実力派の合唱団がいくつも出てきて、それぞれの指揮者とともに『メサイア』を録音した。仕上げのみごとさでは、82年現在のモンテベルディcho.のこの演奏よりもさらに上をいくグループもたしかに存在します(たとえば、ザ・シクスティーン)。しかしそれでも、この『メサイア』におけるモンテベルディcho.の完成度の高さは、いまなお現役盤として聴くに値する。合唱団そのもののレベルの高さもさることながら、ガーディナーの眼が楽譜の隅々まで爛々と光っていて、決まるべきところが、すべて、ぴたっと決まっている。これは、ある程度の合唱の経験があって『メサイア』の合唱に参加したことのある人ならよく分かるはずだ。

ソリストは、全体にちょっと堅く聞こえないこともない。みな、ガーディナーの意図を具体化するのに一所懸命だったんだと思う。もっともいいのはメゾ・ソプラノのロビン。ついでソプラノのマーシャルか。ブレット、ロルフジョンソン、ヘイルの男声3人はやや窮屈。たとえばバスのロバート・ヘイルというのは、美声は美声で、細かい音符もよく回せる人なんだけど、ふだんバロックなんて全然歌ってなくて、装飾音の扱いなんかまるで不慣れなのが手に取るように分かる。いや、そうは言っても合格点は出せるけど。

この演奏の問題点は、CD3枚(いまは2CDで出ているけど、わたしが持っているのは3CD)聴きとおしたあとに、「ああ、ヘンデルっていいなあ」ということではなくて「ああ、ガーディナーって巧いなあ」という感想が最初にわいてしまうこと。つまりヘンデルの音楽そのものよりもガーディナーの表現意欲のほうが全体を支配していて、いまひとつ、ヘンデルを聴いた満足感にひたらせてくれないんですよ。

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