『セビリアの理髪師』というオペラの原題は《Il Barbiere di Siviglia》だそうだ。わたしは「ヴァ行」を使わない主義だから、「セヴィリア」ではなく「セビリア」と書く。しかし、ロッシーニのこのオペラはイタリア語なのだから、原音主義の人たちにとっては、このオペラの邦題は『セヴィリアの理髪師』というべきだ、ということになるのだろう。
ところで、イタリア語と違い、スペイン語ではvの発音は[b]であって、[v]ではないそうだ。いやこれにも例外があって、東のほうのカタルニア語ではやっぱり[v]なのだそうだ。ある人たちは、ガンバ奏者で古楽の指揮者でもあるJordi Savallについて、「ホルディ・サバール」という(NHKの?)表記を批判して、「ジョルディ・サヴァール」と書きなさい、と声高に主張している。
サバールはさておいて、セビリアの話にもどる。Macに入れている『スーパー・ニッポニカ』で「セビリア」を引くと、そこには仮見出しが立ててあって、「セビーリャ」の項目に誘導される。スペインではSevillaと表記されるらしいこの街は、スペイン南西部のアンダルシアにあって、2001年に人口68万あまりだそうだ。アンダルシアでは、カタルニアとは違ってやっぱりvは[b]と発音するようだ。すると原音主義でいこうとすると、少なくとも「セヴィリア」はまづいだろう。「セビリア」または「セビーリャ」と書くべきなのだろうか。
しかし話はここで終わらないのである。地元では、Sevillaを「セビージャ」と発音するのだそうである。サッカーの欧州連盟カップで今回Sevillaのチームが優勝したのだそうなのだが、Yahoo!でニュース検索すると、日本の報道の一部でも、「セビージャ」という表記をしているところがあった。
となると、原音主義の人は、ロッシーニのオペラについての話なら「セヴィリア」と書き、オペラの話ではない現実のこの街の話をするときは、「セビーリャ」あるいは「セビージャ」と書きわけるべきなのである。ごくろうさまである。
ところで、イタリア語と違い、スペイン語ではvの発音は[b]であって、[v]ではないそうだ。いやこれにも例外があって、東のほうのカタルニア語ではやっぱり[v]なのだそうだ。ある人たちは、ガンバ奏者で古楽の指揮者でもあるJordi Savallについて、「ホルディ・サバール」という(NHKの?)表記を批判して、「ジョルディ・サヴァール」と書きなさい、と声高に主張している。
サバールはさておいて、セビリアの話にもどる。Macに入れている『スーパー・ニッポニカ』で「セビリア」を引くと、そこには仮見出しが立ててあって、「セビーリャ」の項目に誘導される。スペインではSevillaと表記されるらしいこの街は、スペイン南西部のアンダルシアにあって、2001年に人口68万あまりだそうだ。アンダルシアでは、カタルニアとは違ってやっぱりvは[b]と発音するようだ。すると原音主義でいこうとすると、少なくとも「セヴィリア」はまづいだろう。「セビリア」または「セビーリャ」と書くべきなのだろうか。
しかし話はここで終わらないのである。地元では、Sevillaを「セビージャ」と発音するのだそうである。サッカーの欧州連盟カップで今回Sevillaのチームが優勝したのだそうなのだが、Yahoo!でニュース検索すると、日本の報道の一部でも、「セビージャ」という表記をしているところがあった。
となると、原音主義の人は、ロッシーニのオペラについての話なら「セヴィリア」と書き、オペラの話ではない現実のこの街の話をするときは、「セビーリャ」あるいは「セビージャ」と書きわけるべきなのである。ごくろうさまである。