荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

東京の正岡子規(リメイク版)-1

2015年05月13日 | 散文
またぎっくり腰になってしまった。「横になったまま生活」3日目である。
最新のネタが無いので在庫記事でお茶を濁します(座ると痛いので、横になったまま)。

数年前に半月板を損傷した。何度かママチャリで激しく転倒したのが原因らしい。
膝の手術をすることになった。歩けないので退屈するだろうと、本棚の奥から20数年振りに「坂の上の雲」文庫本全8巻を引っ張り出して、病院のベッドに持ち込んだ。
ふるさと愛媛の3人の男と日本が、一途に己を創りあげていく物語である。診察やリハビリの合間に、1日1巻を読む覚悟である。 
読み進むうちに根岸へ行ってみたくなった。
退院した翌日が日曜日だったので、家内が止めるのも聞かず、ママチャリを引っ張り出して、痛む膝を励まし励まし根岸に行ってみた。
この時の行動が、術後1年以上経っても痛みが引かず、膝にヒアルロン酸を注入しながら、再手術を恐れて過ごした不安な日々に繋がっている。

当然後悔したが、反省には至らなかった。
その後別の機会に不整脈の手術を受け、退院した翌日がやはり日曜日だったので、ゴルフの打放しに出掛けた。
この時は再手術した。

さて、根岸に着いてびっくりした。
子規庵はラブホテル街の一角にある。玄関から入って部屋を見て、庭に降りて裏木戸から退出するのが子規庵の見学コースであるが、木戸を出た所がラブホテルの入り口である。




初めて行った日が偶然子規の命日(糸瓜忌)であった。
さぞかし見学者が多いのであろうと思ったら、庭に案内人を含めた数人と、縁側に座っている私と、もう一人老人が子規の机に座って自作の俳句を書いているのみである。
いささか拍子抜けした。
「坂の上の雲」がTV放送されている最中に行ってみると、小さな家一杯の見学者で座る余地など無く、息苦しくて早々に退出した。

話を戻す。
初めて行った日が命日であったことで子規が私を呼んだのであろうと解釈し、高浜虚子が加賀屋敷の黒板塀に子規の霊が揚がって行くのを見たのはこの辺りであろうかと民家の塀を撫でると、指先に何やら暖かいものが感じられ、秋山の淳さんが正岡の升さんの葬列を見送ったのはこの辺りであろうかと路地に佇むと、急に視界が狭くなって子規庵以外の景色が見えなくなった。

後日調べてみると、子規の住居があったのは子規庵の100m位向こうであり、子規庵は、家も机も庭も空襲で焼失したものを、戦後現在の場所に再現したものであることを知る。加賀屋敷の黒板塀は現在ラブホテルの壁であり、淳さんが葬列を見送った場所は四方ラブホテルに囲まれた路地の交差点の辺りである。
指先が暖かかったのは残暑の太陽熱を吸収した木の板のせいであり、視界が狭くなったのは不整脈か空腹のせいであろう。

近所を散策すると、至る所に子規の俳句が貼られている。放置自転車の向こうにも、岡田家の玄関口にも、山口家の勝手口にも、森家の門扉にも、マンションの塀にも、街中に一杯ある。


















その中で子規庵の隣家の玄関口に貼られている句を紹介する。



「榎の実散る此頃うとし隣の子」
「椎の実を拾ひに来るや隣の子」

この家に住んでいる人が羨ましいなあ。
記録によると、子規は陸羯南に世話されて彼の隣に住んでいる。
ということは、この句は羯南の子のことだろうか?

少し周辺を走ってみる。


・・・この辺で次回につづく。PCを操作する根気がありません。

コメント (2)
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