荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

都電荒川線-6/学習院下駅から早稲田へ(最終回)

2015年05月07日 | 散文
向こうに見える急激な坂を下って学習院下駅に着く。

一度ならず二度三度この丘を上り下りしているが、大変な坂である。
特に、裏道の急坂ったらもう・・・。

面影橋駅。



橋の名前に何か所縁がありそう。



やっぱり考える事はみんな同じである。

親切に駅と神田川の間の歩道脇に案内板があった。

橋の下は神田川である。



こんな案内もあった。
下流の柳橋で合流する隅田川まで右に7.5km、源まで左に17.1km。
何故此処にこれがあるのだろう?

みんな「面影橋」の名前に誘われて此処で降りて、「神田川」を覗いて、次の電車に乗るのだろうか?
私もフォークソング世代である。
「南こうせつとかぐや姫」の名曲を思い出す。
夕暮れ時だったら、口ずさんでいると思う。

神田川沿いを散策する。

これはもう、桜の満開時に来たい。

そして早稲田に着く。



10年位前の事を思い出して、駅前で佇んでしまった。

ここ西早稲田整形外科で、飛ぶ鳥を落とす勢い時代の関脇把瑠都に逢った事がある(当時、将来の横綱間違いなし、と言われていた)。
私は半月板損傷で彼は十字靭帯断裂だった。
当日の朝刊に次のような記事が出ていた。
「昨日の取り組みで膝を痛めた把瑠都は、都内の病院で診察を受けた後、今日の取り組みの出欠を判断する」
・・・都内の病院とは此処だった。
午前の最後の予約をしていた私の後に、彼が付き人に介護されてやって来た。
彼の影で、雑誌を読んでいた私の視界が暗くなった程大きかった。
私は逢えてちょっと嬉しかった。
「大変な事になったね、でも頑張ってね」とのミーハー応援に彼は「あー、いー」と答えた。
悲しそうな灰色の瞳が子供っぽかった。

この怪我が原因で、彼は横綱になれなかった。
以降自分の膝との戦いだった。

一応、早稲田大学へ行ってみた。



ちょっと足を延ばして、神田川沿いに椿山荘へも行ってみた。
ホテルへの道は物凄い坂だった。

以上で都電荒川線を追い掛けた小さな旅は終わりです。
思っていた以上に、色んな人に夫々思い出多い界隈だと再認識しました。

今回、改めて東京は坂が多いと感じました。
自転車では大変です。お奨めしません。
都電巡りは、都電で・・・。
コメント (1)
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