ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

高大、社会勉強①

2013-09-25 22:53:12 | 日記

 このところずっといい天気が続いていて気持ちがいいが気温が少し高い状態が続いてまだまだ夏を引っ張って離していないなという感じである。

 年前に月頃までずっと暑かった年があったが、段々とそんな状態が常態化するような気がしてならない。

 ところで今日は水曜日ということで高大に通う日であるから分に自宅を出るために時に起床し朝食を作って食べた後、デイバッグに必要なものを準備をした。

 その中に先日墓参で郷里に帰った時、見舞った弟からお返しで貰った郷里にある有名な菓子舗のさつま芋の生菓子を高大のクラスの同じ班の人達に食べて貰おうと一緒に入れる。

 それとは別に乗用車に乗せてもらった帰り道に妹夫婦やその長男夫婦らとともに寄った土産物店で買った土産のお菓子はダンス仲間に渡す予定だが昨日の火曜ダンス教室では前半と後半の間の休憩の時に食べて貰った。

 月曜のダンス教室は彼岸でお休みだったので来週まで預かりということになるが、金曜日の区民センターダンス教室は明後日にあるのでMiさんに渡す予定にしている。

 電車を乗り継いで高大の最寄駅から歩いて行く途中に班の班長を追い越しざま「おはよう」と挨拶をしそのまま歩いて行く。

 そして高大が入っている一階のコンビニでオニギリを買って階まで段上がりである。

 勿論それより前に地下鉄のホームから地上に上がる時もすべて段上がりだが、ヨイショ、コラショとゆっくり上がるようなことではなくサッサッサである。

 だから地下鉄のホームから地上に上がってくる時は大抵の人がエスカレーターを利用する。

 中には若い人達(歳代もいる)が段上がりをする人もいるが短い階段なら彼らの方が瞬発的に上がるので早いが深いところにあるホームから地上まで長い階段がある時には大抵若い人たちに持久力がないので途中でヘタバルことが多いが、それを尻目に追い抜いていく時の快感は何とも言えない。

 「どうだい若いの、こんなオジンが頑張って上がってるんだぜ、アンタもしっかりやんな」と言いたいけどその言葉を胸に秘めつつ上がっていくのである。

 教室に到着したらCD(クラスディレクター)と副委員長の人で長机を出し始めたところであったから早速私も加わって机や椅子を出してシマを作っていく。

 そして後はLANケーブルやハブなどを出してセットし、自分の№のPCをセットした後、持参した缶コーヒーを取り出して表の展示・休憩所の椅子に座り飲む。

 クラス会計さんも自販機からドリンクを取り出して椅子に座ったが、しばし世間話をしていたら、当班で一番若いKさんがやはり自販機にやって来てドリンクを取り出していたが、その時こちらに振り向かせようと「おはよう!」と言うと「さっき階段を上がって来た時に言ったよ」と言って半分怒ったような言葉が返って来たが全然気が付かなかった。

 自分の席に戻りPCを開いて昨夜のブログの続きを記述していったが、途中で今日の講師がやってきた。

 そのうちに班長がやってきたが、今日と月の社会勉強②の2日間、小さな子供相手に「ペイント」を使って「お絵かき」をさせるやり方の講座を勉強するということで普段の授業であるHPに関する講座は今日はなしで絵を描くことに集中することになる。

 分になったのでクラスミーティングの為、前に行き月に行われる遠足について意見を出して貰うこととしたが、改まって聞くとなかなか手が上がらない。

 このままではラチがあかないのでCDが予め預かっていた資料を基に各班で話し

合って希望する場所をつづつ出して貰い、番多いところにするのが順当ということにして決めることにした。

 昼から帰った人もいたので3人しかいない班もあったが2つづつ出して貰った。

 そして近場の金額的に一番安いところへ行くことに決まったが、全部昼食が付いたコースである。

 あとはブログ委員が実際にブログを立ち上げたので後は高大に許可をもらうだけということで来週から本格的に見れることになる。


Aの店、そして西隣区小学校火曜ダンス教室9月レッスン④

2013-09-24 23:10:26 | 日記

い 今日もAいい天気で始まったので、洗濯モードになり早速取り掛かることになった。

 PCは開いた状態のままでメールやカレンダーのチェック、そしてニュースやYoutubeを見たりの同時進行ということになるのはいつもと同じである。

 当初はしばらく行っていない図書館に行くことを考えていたが、Youtubeをあちこち見ているうちに時間が過ぎてしまい気が付いた時にはバスの時刻も過ぎていたので後日に延期することにした。

 歳をとって忘れっぽくなってしまったのだろうかと要らぬことも考えてしまうから始末に困る。

 マア、過ぎてしまったことはどうにもならないから次なる一手を考えておく必要もある。

 それにしても歳は取りたくないもので以前はカラオケでもスッと覚えられた感じがあったが最近は中々すぐには入って来なくなった感じがする。毎日脳細胞がドンドン死んでいくそうだから先に行けば行くほど覚えにくくなっていくだろうが、そのスピードをどれだけセーブ出来るかということであろう。

 今日も午後からAの店に行くことにした。

 先週の金曜日にも言ったのでそん何時間が経ったわけではないが昨日郷里の父母の墓参りに行って来たがいつもだったら高速バスで朝早く行って午前中に墓参を済ませ午後から時間ばかり高速バスの発着場である駅の近くのカラオケ喫茶で歌うことにしているが今回は妹夫婦の車に乗せてもらってトンボ返りだったということでいつも行ってたその反動が出たのかも。

 そこでいつもだったらAの店に行った後、夕方に行われるダンスレッスンに引き続いて行けるようにデイバッグにダンスシューズなどを入れていくことになるが今日は終わった後近くのスーパーで買物をしてバスに乗って帰り、またすぐに西隣区の小学校にダンスレッスンに行くことにした。

 ということで何も持たずに時過ぎの西方面行のバスに乗り、先ずはいつも行く会席料理店の昼定食を食べることにしているから、バス停を降りて分ほど歩いていく。

 途中で通る商店街は地元では比較的有名でこじんまりしている商店街だが結構にぎわっている。

 店に入ると土間につあるテーブルのうち真ん中の席だけ空いていたので入口に近い席に座る。

 今日はサワラの付け焼きにしたが、出てきたサワラも結構大きく値段の割には値打ちがある。

 帰りにスーパーに寄った時に見たが小さい魚でもそこそこ値段がしたことから見てもいつもこの店と取引している卸の店からいい魚が入っているのかもしれない。

 食事を終えてAの店に入るといつものO氏、そしてT氏がカウンターに座っていたので挨拶をしていつものようにO氏の斜め前に座る。

 そのしばらくしたら女性人組が私の横に座ったが、大分前に会ったことがある女性たちである。

 そのせいもあってしばらくしたら隣に座った女性が話しかけてきた。

 「若い歌を歌っておられますが、演歌は歌わないのですか」と聞いてきたので「思い出したころに歌うことはあるけれど普通は殆んど歌いません」と答える。

 そして「私も演歌は好きじゃないので歌謡曲を歌います」ということだった。

 演歌と言い出す前は現在のポップスも以前は歌謡曲といっていたからその当時のままの言い方かなと思える。

 ポップスだってポピュラーソングスの簡略な言い方、すなわち「一般の歌」ということであるから演歌などというようなことをわざわざ言い出してから使い分けをするようになったものである。

 そもそも演歌ということを言い出したのはなんでかと思う。

 何かを演じながら歌うという意味ならば「演歌」という言い方もあるかなと思うが、歌手たちが別段演じているとは思えないからあて字としては不適当じゃないかと思うが、そんなことを言うのは私だけだろうか。

 しかも歌の文句に「日本人なら演歌だ」とか「演歌兄弟」だとかいう曲があるが、「何をぬかしてるんだ」と思うのである。

 誰がいつ演歌という名前を付けて、日本人=演歌という図式を作ったのか知らないが、日本人が作って歌ってる曲はすべて日本人の歌である。

 カラオケ喫茶などではいわゆるド演歌を歌って自分は歌が上手いと自惚れているもの(男性に多いが女性にもいる)に限って大体私が歌っているようなポップスを目の仇にしてくる傾向が強い。

 どんな曲を歌うかはその人の自由でカラオケ喫茶ではいわゆる演歌を歌う人が多い高齢者が行くことが多いから演歌が歌われることが多いというだけのことである。

 私が曲目に浜田省吾の「初秋」を歌い終えて自分の席に座った時に隣に座った女性が「息子も歌っている曲です」ということだった。

 私が歌っている間に、私の年齢が自分たちより歳ぐらいは若いのではないかと思って隣の女性と話していたということだったが、私の方が歳上だと聞いてエーッと驚いていた。

 時前後から客も引き始めたが、それでも今までよりも今日は多くの人が残ったが私は曲目を歌って次の人の曲を聴いてから店を出た。

 これがカラオケ喫茶におけるマナーで、自分が歌い終わってすぐに店を出るのは足で砂を蹴って出るに等しい行為なのである。

 ところが最近は砂を蹴ってすぐに出ていく失礼な客が増えてきたし、自分は拍手を貰っても自分からは拍手もしない輩が増えているが、いわゆる演歌を歌うのが上手いと自惚れてる奴に限って多いのである。

 そんな奴らが「演歌は日本人の心」だなんていう歌詞の曲を歌ってるからチャンチャラおかしくなってくるのである。

 テメエらに日本人の心だなんて歌う資格があるのかいッて言いたくなるのである。

 とにかく最近は腹立たしいことが多すぎるが、日本人にもどうしようもない奴らが多くなってきたのは嘆かわしい限りである。

 今日はAの店に最初から多くの人が入ってきたので曲歌っただけになる。

 すぐに近くのスーパーに行き買い物を済ませてバス停に行き、分ほど待ってやってきたバスに乗り込み自宅に戻ってきた。

 買ってきた生鮮品を冷蔵庫に入れてすぐにダンスシューズなどが入ったデイバッグを持ち出して今度は反対側に行くバス停に行く。

 そして火曜教室のレッスン会場の小学校の門扉の前でしばらく待ち当番の女性が来るのを待ったが、やがてやって来て一緒に入りいつものように準備を手伝う。

 今日は先生から電話が入り駅近くで混んでバスが動かないということなので集まってきたメンバーだけで準備体操をし発表会向けに練習しているジルバを自習することにした。

 やがて先生が現れてさらに続けたが、後半は月に行うマンボの練習である。

 

 

 

 

 

 

 

 


故郷の墓参と弟の見舞い

2013-09-23 23:07:04 | 日記

 今日もいい天気で始まったので洗濯をすることにしたが、あまりゆっくりとしておれない。

 というのも今日は秋の彼岸の中日だから郷里にある父母の墓参に行く予定にしているからである。

 少し前に妹からメールが来て彼岸に墓参をしたいと思っているが、私も行く予定にしているかどうかを訊いて来たのである。

 今年の盆に行かなかったということもあって彼岸に行く予定にしていると返事をしておいたところ昨日に電話があって直接訊いて来たので私も「行くことにする」と返事をしたところ妹たちが住んでいる最寄りの民鉄駅に時に待ち合わせをすることになった。

 そこで今朝時までに行こうとして洗濯をそれまでに済ませておく必要があるということになった訳である。

 その民鉄駅に行くには自宅最寄りの地下鉄駅から途中で乗り継いで待ち合わせる民鉄駅方面に行く路線に乗り換えることになる。

 その駅に着くまでの時間は時間以上かかると思われるので洗濯を早目に切り上げて分前に自宅を出て駅へと向かう。

 途中の民鉄駅で乗り換えて目指す駅で降り早速駅前のバス停に行って遠目に妹夫婦の車を探したが人乗っているものと思ったがそれらしい車がないのでそのまま移動しながら止まっている車を順に見ていくが見当たらない。

 そこでまた元の場所に戻りながら見ていくと人乗っている車を見つけて近づいて行ったら間違いなく妹夫婦の車であった。

 先程見かけた時は妹の旦那が降りて私を捜すために駅の構内に行っていたということであった。

 妹たちは今まではお盆に墓参していたが今回初めて彼岸に墓参をするということである。

 今回は墓参だけでなくついでに弟の見舞いに行くことになっているから私も一緒に行こうということになったものである。

 今までだったら私は単独で直通で行く高速バスを利用して行っていたのだが、その時は朝早くバスターミナルに行って番早い高速バスに時間余り乗って午前時前に現地に着いて墓参した後、郷里の街を歩いて昼食を摂り、そして午後時に開店する駅近のカラオケ喫茶で曲ばかり歌って午後時発の高速バスに乗って夕方に帰ってくるパターンであった。

 ただし彼岸当日でなく日ズラした日に行くことにしている。

 というのも彼岸当日は高速バスが満員になる可能性があるからで、普段の時なら予約しないで当日いきなり行っても乗れるからである。

 ただ今回は見舞いも兼ねているので妹夫婦の車に便乗させてもらうことにしたので民鉄駅で待ち合わせをしたということである。

 現役の頃は自家用車で年間万kmは走っていたが、引退してからは自家用車も廃車処分にしてそれ以後は車に乗ることはなかったから車に乗るのは久しぶりである。

 妹の夫(義弟)は人程の零細企業ではあるがプラント工場のエアダクト関連の設計施工をする会社を興して数年経つがリーマンショック以後は順調に売り上げも推移しているとのことである。

 その長男が年ほど前に入社して設計、製図、プログラミング、現場監督などを見習っているようだが、それまで勤めていた会社では最初の年ほどは良かったが、その後、昇給もストップしてボーナスも出なくなったとかで悩んだ末にお父さんの会社に入って前述の仕事を現在一生懸命に覚えている状況である。

 その長男夫婦も今日、寺で待ち合わせて墓参した後、弟の見舞いに一緒に行くことになっているとのことである。

 高速道路も最近は整備されて郷里に行くのには非常に便利になったということであるが、一部の未開通部分以外は殆んどずっと高速道を利用して走る。

 途中の土産物店兼食堂でラーメンを食べた関係でお寺に到着したのは分遅れとなったが、遅れることは走りながら電話連絡を入れる。

 到着して車から降り、長男のお嫁さんと歳半の男の子に初めて会う。

 早速お墓参りをしてから郷里の家へと向かうが近づくにつれ今まであった家が駐車場に変わったりしていて淋しい限りである。

 私が長男だが、今は弟夫婦が人で住んでいるが、玄関に出てきた弟は予めkg痩せたと聞いてはいたがすっかり歳をとって本当の老人になっていたが、妹が言うには兄弟の中で番歳を取っている感じだという。

 なにしろか月半入院していたということだったが最近は落ち着いて療養がてら自宅でのんびりしていたがまた近いうちに簡単な仕事をするとのことである。

 何はともあれ元気になったということでホッとしたということである。

 時間ばかり色々な話をしたが、その中で近所の家の状況などの話も出て私たち兄弟と同年輩の人たちが何人も亡くなっていることも聞く。

 弟夫婦に身体を大事にするようにと別れを告げて帰途に就いたが途中で来る時に昼食を摂った土産物店まで長男夫婦の車も同行し、店に着いてダンス仲間への土産物を購入した。

 帰りは長男夫婦が住んでいる自宅近くから出ている地下鉄駅に乗って帰れば電車賃もかからないので長男夫婦の車に乗り換えることになった。

 そしてその地下鉄駅まで乗せてもらい地下鉄路線を乗り継いで自宅に戻って来たのは時前となった。

 

 

 

 

 

 


平成25年度リレーウォーク①合同下見歩き

2013-09-22 22:34:05 | 日記

 今日は朝からいい天気に恵まれて青く晴れ亘っているので早速洗濯することに決めた。

 午後からはいよいよ今年度で〆となる年目のリレーウォークの開始となり本番が来週の日曜日ということで、今日はその本番前の合同下見歩きということである。

 年目である昨年と年目の昨年はそれぞれ回シリーズであったが、年目である今年度は回シリーズということで今月月が第回目で月で終了ということになる。

 そして月にリレーウォークの終了を記念して講演会が行なわれることになっている。

 今までは古代の都を目指して南からと北からのリレーウォークであったが、年目の〆の年である今年度のリレーウォークは回だけということもあって古代の津、すなわち古代の港から古代の都を目指すというコンセプトになっている。

 その第回目である今月は当区を歩くことになっているので私が所属する会と、同じ区にある別の歴史の会がそれぞれガイドになる人を名づつ出して班体制にし、それぞれの班に名づつの参加者をガイドすることになっているが私もそのうちの班をガイドすることになっている。

 ということは班×名=名の参加者を募ったわけであるが、途中経過によると申し込みが名ぐらいだということだったので締め切りを少し伸ばすようなことだったが、その後名になったかどうかは確認できてないが、どちらにしても各班で名以上をガイドすることになる。

 スタッフはガイドとともに各班に名のサポーターと受付や定点か所のガイドをする人や記録写真を撮る人などを加えると優に名は超えることは間違いない。

 洗濯を終えて時近くになったので近くの牛めし屋で昼食を摂ってから集合場所である寺に行こうかと思ったが食べ終えてからだと集合時刻にギリギリになるので集合場所最寄駅に着いてから食事することにしたが、集合場所近くのスーパーでパンを買って食べることにした。

 集合地点に行くとまだ時刻まで分以上あるというのに結構な人数が集まっているのには驚いた。

 なんでそんな早くに集まっているのか分からなかったが取り合えずコースの地図と本番当日ガイドの説明用に作ったラミネートを枚ほどガイドに配られていたのを当日サポーターに入る予定の当区ガイドの会の女性副会長から受け取る。

 その後まだ時間が充分にあるので買ってきたパンと自宅から持って来た缶コーヒーで簡単に昼食を済ませる。

 本番当日と同じ最後の班が出発する時刻である午後時になったので出発したが番最初のガイドポイントである中学校の中にあるエントランスにナウマンゾウの足跡化石のレプリカが床下のガラス板越しに見えるように展示されているのとそのすぐ傍の壁に発掘現場となった場所の地層を削り取った断面も分かりやすく貼り付けてある。

 反対側の壁面には万年前の想像画が描かれている。

 そして表側の展示室にはすぐ近くにある「鋳物師の遺跡」からと、市営マンションの建設現場から出土した遺跡の出土品なども展示されているので当日は下履きを脱いで上履きに履き替えてぐるっと回りながら説明することになる。

 ここであまり時間を費やす訳にいかないが結構時間を摂ったので当日はもう少し時間をかけることになるかも知れないということになる。

 その後は遺跡から出土した場所まで結構長い距離を歩くことになる。

 今日はスタッフが名ほど集まって歩いて行ったわけだが前と後ろの間が結構間が空いた状態となった。

 当日のことを思いやるともう少しスタッフは間を空けずに歩いてもらいたいのにこれほどバラけた状態になるとは心外である。

 今日のコースは当区の南部から中部付近の神社まで北上する形になるが結構距離があるので年輩の人にとっては体力的に持たないのかも知れないがガイドとサポーターのスタッフなのにこんなザマでは情けないの一言である。

 最後のガイドポイントは神社の中での説明となるが、終わったら時頃でかなり出発してから時間もかかっている状態である。

 解散した後、リレーウォーク②に参加する団体のメンバーだけ集まって打合せをするということで私がたまに利用する喫茶店に連れて入る。

 私を除く男性陣名がビールを注文していたが私はホットコーヒーを注文し、時間ほど話し合った。

 その後別れて自宅まで歩いて分強の時間をかけて戻って来た。

 

 

 


最近のニュースで思うが…

2013-09-21 23:26:51 | 日記

 暑い夏が終わってやっと秋らしい涼しい日々が続いていたかと思っていたが台風による暴風雨による被害を残して行ったが、それも少し落ち着いてきたかなという感じである。

 今日は晴れ間の見える青空が広がり気温も上がって少し暑く感じるようになった。

 今日は特に予定はないから最近よく見るようになったネットサーフィンを行っていたが、特に最近の政治問題については注意深く見るようになった。

 昨年の尖閣諸島を国が買い上げたことを契機に中国が盛んに公船を繰り出したり、空軍機を繰り出したり、とにかくひっきりなしに嫌がらせをしているが、同様に竹島問題も韓国との間でもギクシャクしているのはご承知の通りである。

 この国以外に日本が嫌われている国は他にはないということも以前のブログに書いたことがあるが、逆にこの国は世界の数多くの国で嫌われていることも書いた。

 なんでこの国はどこの国でも嫌われるようになったか、街を歩いていても中国人は大きな声でしゃべったり、痰やツバを吐いたりといったことだけじゃない。

 いわゆる根っからの国民性に基づいているということをもっと私たち日本人は知らなければならないのに、余りにも無関心でお人好し、言い換えればバカなのである。

 日本人は現在の日本の姿を見て世界は同じように成り立っていると思ってるかもしれないが、日本ほど恵まれた環境にある国は世界広しといえどもまず他にはないんだということを知るべきである。

 それほどこの国は愛すべき国なんだということである。

 とこういうことを言うと左派系の団体や教育委員会辺りが異議を挟んでくるだろうが、先ず一番大事なのは自由主義国家であるということである。

 一般のごく普通の人達はこの自由主義国家ということがどれほど大事かということの認識が出来ているだろうか。

 多分殆んどの人はそんなことなど意識したことがなく、空気か水のようにタダ(無料)で、いつでもどこでも自由に手に入るのと同じ様に自由なのは当たり前のことだと思っているのではないだろうか。

 ところがどっこい世界を見渡すと共産圏や独裁国家などはまだまだ多いのである。

 隣の国でも中国は勿論だが、北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」という国の正式名での名前を見るといかにも民主主義を大事にしているかのようであるが、完全な「名前負け」をしている独裁国家でしかも社会主義国家であることは今更言うまでもない。

 この国にはもちろん自由なんてあり得ないどころか多数の底辺の国民は食うや食わずの貧困層で溢れかえっている。

 上層部の極く一握りの人間が好きなように動かし、賄賂が当たり前で、それがなければ仕事も回してもらえないという特権をカサに着て要求してくるのである。

 中国市場には日本の会社が早くから進出していたが、仕事を貰うために汚職だと判ってても先方のいいなりに支払っていたようだ。

 ところが後から進出してきたドイツやイギリス辺りの企業はいっぺんにそういったことを見抜き、反日暴動が起こった後はサッサと引き上げていった企業が多いが日本企業はモタモタして、おまけに撤退しようと申請するとなんだかんだと難癖をつけてとにかく大金を支払わせられるので引くも地獄、残るも地獄という状況になっているということである。

 最近は中国に進出したものの撤退するためにどうすればいいかのノウハウを教える講習の受講者数がかなり多いということである。

 とにかくなんでも金のなる木を求めようとする共産党の上級幹部の腐敗ぶりは凄まじいものがあり、多額の金を横領してアメリカ辺りに逃げた人数も万人以上に上るということである。

 中国では今「裸官」という言葉が一般に使われているとのことである。

 「裸官」とは先に妻子をアメリカなどに移住させるとともに搾取した金を外国に持ち出し自分だけ単身で中国に残り社会情勢を見ていつでも脱出する機会を窺っている予備軍の高官を指すということである。

 しかしこの国民性というのは高官だけではなく一般の国民でもどうしたら金になるかなど、とにかく金に関わることについては貪欲で汚いのである。

 中国と北朝鮮は共産国だから自由がないのは当たり前だが、実は韓国も別の意味で自由がないに等しい状態になっているのである。

 韓国と言えば誰しも自由主義国家であると思っているはずだがこと対日本について少しでも日本のことを肯定するようなことを言うと社会的に抹殺されてしまうのである。

 だから言論の自由なんてないに等しく、日本でいう最高裁判所ですら民主国家では考えられないような判決を出したりしていることなどを見ても非常に偏ったものになっている。

 おまけに韓国人も中国人に負けず劣らず金には汚いのである。

 そして平気で嘘をついて人を貶めることに何の抵抗も感じることはないという全世界の中でも最悪の国民性であるということを日本人はもっと知らなければならない。

 良く日本人は国としては中国や韓国は嫌いだが、個人としての中国人や韓国人にはいい人もいるよという人がいるが、そういう甘っちょろい考えでいては絶対駄目である。

 普段何気ない時は善人面してても何かの時にパッと変わり身をするのが彼らの得意技である。

 とにかくドイツの高官が絶対に韓国人とは拘わるなと言ってるぐらいである。

 そういう見極めは中国からいち早く撤退したドイツ企業があったように欧州人は相手を見極めるのが早く、いつまでもぐずぐずしているのが日本人なのである。

 サムライの子孫である日本人がいつからドジでマヌケになってしまったのだろうか。

 本当に情けない国になってしまったようだが、これも間違った民主主義、自由主義がはびこった結果ではあるが、しかし今まではともかく身近なところの国が反日の旗を掲げた以上はこれに気付いた訳だから、これ対抗して我々も行動を起こさなければならない。

 ますます中国は軍拡をするし、韓国も対北朝鮮のためなら必要ないと思われる高価な武器を購入しているのだが、うがった見方ではなく韓国は日本を敵視するようになって対日本戦も想定した装備を整えているとしか思えないのである。

 今日はここまでにしておくがこの続きは折を見て書いて行きたいと思っている。