青い空とわたし

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3日・大和三山と藤原宮跡にたたずむ

2013年11月21日 19時12分41秒 | 青い空の日は旅立(全般)
11月18日(月)

今日の朝も雨模様。
昨晩は、冷蔵庫の保冷パックをベッド横において手首を冷やしながら寝た。
起きて、甘樫丘のふもとのコンビニへ歩いて行き、消毒液、バンドエイドと熱冷却シートを買ってきた。 ま、こういうのは車内に常備しておいた方が良かったのだろう。

明日香を出発する前に、甘樫丘(あまかしのおか)の展望台に行ってこよう。明日香が見渡せるはずだ。



▲ 甘樫丘は標高148mの小高い丘。飛鳥歴史公園としてよく整備されている。




▲ 展望台が見えてきた。明日香地区だけでなく奈良盆地が見渡せる、絶好のビュースポットだった。
天気がいまひとつだが・・。




▲ 左手には畝傍山(うねびやま)199m。少しいびつな形をしているかな。ふもとには橿原神宮がある。




▲ 真ん中には、耳成山(みみなしやま)140m。標高は低いが円錐状の美しい形をしているのですぐ分かる。事前の計画では、大和三山、全部を登るつもりだったが、膝の痛みもまだ少し残るので、この山だけ登ることにしよう。




▲ 耳成山の左手には、こんもりと横に拡がる香久山(かぐやま)152mがある。昨日はこの麓の「香久山観光トイレ」駐車場に車中泊したから、もう登るのはよしとしよう。

この香久山は天香久山(あめのかぐやま)といわれ大和三山の中でも最も神聖な山とされたとか。

実際万葉集にも、香久山を歌った有名な歌が多い。

大和には群山(むらやま)あれど とりよろふ
天の香久山登りたち 国見をすれば
国原は煙立つ 海原は鴎(かまめ)立ち立つ
うまし国ぞ蜻蛉(あきづしま) 大和の国は
 欽明天皇


(大和には群がる山々があるけれども、中でも精霊のとりわけ神々しくよりつく
 天の香久山、この山の頂に出て立って国見をすると、
 国原にはけむりが盛んに立ち上っている。海原にはかもめが盛んに飛び立っている。
 ああよい国だ。蜻蛉(あきづしま)大和の国は。)

「うまし国ぞあきづしま 大和の国は」の大和賛美のフレーズは、観光パンフレットによく引用される。 やはり、私も香久山に登って「国見(くにみ)」の気分を味わうべきかな・・

次の2首は教科書でもみかけたのでは。

春には、

ひさかたの天の香久山 この夕(ゆふへ)
霞(かすみ)たなびく 春立つらしも
  柿本人麻呂

夏には、

春過ぎて夏来るらし白袴(しろたえ)の
衣干したり天の香久山


(今や、春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの香久山に真っ白い衣が
 干してあるのをみると)

非常に絵画的な歌でいいねー。


正面の大和三山に囲まれたところに、今日訪れる藤原京跡がある。

更に右手の東側には、昨日自転車で駆け回った飛鳥だった。




▲ 飛鳥寺も小さく見える。



▲ 飛鳥寺をズームすると、こう。


さあ、甘樫丘からの国見は終わった。麓に下りよう。 明日香を出発だ。


まず、メガネのパリミキ店に寄ろう。
実は昨日転んだ時、かけていたメガネもふっとんで、ヤバイと思ったが、幸いレンズは割れなかった。しかし、シャフトが曲がってしまったのだ。そのあとは、もう一つの自動車運転用のメガネをしているが、この普段用メガネを直したい。



▲ ネットで近隣の店舗を検索。この↑橿原ロイヤルホームセンター内の店舗へ来た。
直ぐ直していただけいて、無料サービスだった。パリミキは安値販売はしないが、どこの店舗でもこういう簡単な修理は無料でしてくれるようだ。札幌でも以前直してもらったことがある。
ありがとうございました。助かりました。


さあ、耳成山へ行こう。
もう一度見てみようこの山↓だ。



▲ なぜ耳なし山というか? もとはもっと高い山だったが盆地が沈下、山の頭部が地上に残されて単純な円錐形が残った。人の顔にたとえれば耳がないような山なので、耳無山→耳成山と呼ばれるようになったらしい。

一昨日の夜、この駐車場にアプローチしたがみつからなかった。今回もよくわからないまま手近に目に入ったここに入れた。




▲ 私営なのか公営なのか表示が全くない。しかし駐輪場があるから公営だろうと勝手に判断。
後ろは耳成山。




▲ 登山道を探して少しくるくる回ったが、ここから登った(左)。登山口に入ったあとも、らせん状に登山道ができており勾配は楽だ。 15分ど歩いて頂上に到着(右)。



▲ 見晴はまったくない。三角点が一応あった。耳成山139.6mだった。


耳成山から、南へ少し下ったところにある藤原宮跡へ移動した。




▲ 694年持統天皇の時に、都が飛鳥からこの地に遷都され、平城京遷都までの16年3代の都だった藤原京の中枢部がこの地。今は、ご覧のとおりだだっぴろい野原だ。



▲ 1990年代に発掘され、中国の都城制にならって造られた日本初の本格的な都だった。



▲ 内裏後には、このように円柱が置かれている。



▲ 今もなお発掘が続けられている。 藤原宮跡の資料館を見たかったが、月曜日は残念ながら休館日だった。

となると、藤原宮をこの地で想像するにも限界があり、広いなあ・・という思いだけでここを後にした。


今日のねぐらは、初日の15日と同じく天理の健康ランドへ向かった。



▲ 前回はなでしこ御膳。今晩は「シニア向け」とうたっていた幸楽御膳1050エン とした。
これも、色々ついていて私好みで満足、満足。

明日は斑鳩の里を訪れよう。


おつかれさん。





2 コメント

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飛鳥 (チビsora)
2013-11-27 09:31:40
実はそちら方面の学校へ通っていたのです。
毎日行っていたのに何も知りません(笑)
若い頃は興味がなかったのでしょうね。。。

発掘風景は長年奈良に住んでいる者には特別ではありませんが「どんなお宝が?」「発掘してみたい!」とか(笑)
思います♪
15分の登山…お疲れ様でした♪
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こんばんは、チビsoraさん (Sora)
2013-11-27 20:39:30
>実はそちら方面の学校へ・・
えー、飛鳥の方面の学校に通ってられたのですか!
じゃ神武天皇からの天皇の系図を暗唱させられたり?(そりゃ戦前だよ・笑)
今なら「良いところですねー」ともなりますが、若い頃だったら「何もないじゃん」ですものね。しょうがないですよ。

>「発掘してみたい」・・
錆びた刀剣とか人骨とか・・は興味なくて、こがね色のアレ♪ですよね。私も見つけたい。けれど勝手に掘ると叱られのでしょ?

簡単すぎて恥ずかしい登山ですけどね。写真にもありますが、老人の方が支えられるようにして登ってきました。耳成山は人によっては、どうしても登る価値ある山なのでしょう。
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