11月18日(月)
今日の朝も雨模様。
昨晩は、冷蔵庫の保冷パックをベッド横において手首を冷やしながら寝た。
起きて、甘樫丘のふもとのコンビニへ歩いて行き、消毒液、バンドエイドと熱冷却シートを買ってきた。 ま、こういうのは車内に常備しておいた方が良かったのだろう。
明日香を出発する前に、甘樫丘(あまかしのおか)の展望台に行ってこよう。明日香が見渡せるはずだ。
▲ 甘樫丘は標高148mの小高い丘。飛鳥歴史公園としてよく整備されている。
▲ 展望台が見えてきた。明日香地区だけでなく奈良盆地が見渡せる、絶好のビュースポットだった。
天気がいまひとつだが・・。
▲ 左手には畝傍山(うねびやま)199m。少しいびつな形をしているかな。ふもとには橿原神宮がある。
▲ 真ん中には、耳成山(みみなしやま)140m。標高は低いが円錐状の美しい形をしているのですぐ分かる。事前の計画では、大和三山、全部を登るつもりだったが、膝の痛みもまだ少し残るので、この山だけ登ることにしよう。
▲ 耳成山の左手には、こんもりと横に拡がる香久山(かぐやま)152mがある。昨日はこの麓の「香久山観光トイレ」駐車場に車中泊したから、もう登るのはよしとしよう。
この香久山は天香久山(あめのかぐやま)といわれ大和三山の中でも最も神聖な山とされたとか。
実際万葉集にも、香久山を歌った有名な歌が多い。
大和には群山(むらやま)あれど とりよろふ
天の香久山登りたち 国見をすれば
国原は煙立つ 海原は鴎(かまめ)立ち立つ
うまし国ぞ蜻蛉(あきづしま) 大和の国は 欽明天皇
訳
(大和には群がる山々があるけれども、中でも精霊のとりわけ神々しくよりつく
天の香久山、この山の頂に出て立って国見をすると、
国原にはけむりが盛んに立ち上っている。海原にはかもめが盛んに飛び立っている。
ああよい国だ。蜻蛉(あきづしま)大和の国は。)
「うまし国ぞあきづしま 大和の国は」の大和賛美のフレーズは、観光パンフレットによく引用される。 やはり、私も香久山に登って「国見(くにみ)」の気分を味わうべきかな・・
次の2首は教科書でもみかけたのでは。
春には、
ひさかたの天の香久山 この夕(ゆふへ)
霞(かすみ)たなびく 春立つらしも 柿本人麻呂
夏には、
春過ぎて夏来るらし白袴(しろたえ)の
衣干したり天の香久山
(今や、春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの香久山に真っ白い衣が
干してあるのをみると)
非常に絵画的な歌でいいねー。
正面の大和三山に囲まれたところに、今日訪れる藤原京跡がある。
更に右手の東側には、昨日自転車で駆け回った飛鳥だった。
▲ 飛鳥寺も小さく見える。
▲ 飛鳥寺をズームすると、こう。
さあ、甘樫丘からの国見は終わった。麓に下りよう。 明日香を出発だ。
まず、メガネのパリミキ店に寄ろう。
実は昨日転んだ時、かけていたメガネもふっとんで、ヤバイと思ったが、幸いレンズは割れなかった。しかし、シャフトが曲がってしまったのだ。そのあとは、もう一つの自動車運転用のメガネをしているが、この普段用メガネを直したい。
▲ ネットで近隣の店舗を検索。この↑橿原ロイヤルホームセンター内の店舗へ来た。
直ぐ直していただけいて、無料サービスだった。パリミキは安値販売はしないが、どこの店舗でもこういう簡単な修理は無料でしてくれるようだ。札幌でも以前直してもらったことがある。
ありがとうございました。助かりました。
さあ、耳成山へ行こう。
もう一度見てみようこの山↓だ。
▲ なぜ耳なし山というか? もとはもっと高い山だったが盆地が沈下、山の頭部が地上に残されて単純な円錐形が残った。人の顔にたとえれば耳がないような山なので、耳無山→耳成山と呼ばれるようになったらしい。
一昨日の夜、この駐車場にアプローチしたがみつからなかった。今回もよくわからないまま手近に目に入ったここに入れた。
▲ 私営なのか公営なのか表示が全くない。しかし駐輪場があるから公営だろうと勝手に判断。
後ろは耳成山。
▲ 登山道を探して少しくるくる回ったが、ここから登った(左)。登山口に入ったあとも、らせん状に登山道ができており勾配は楽だ。 15分ど歩いて頂上に到着(右)。
▲ 見晴はまったくない。三角点が一応あった。耳成山139.6mだった。
耳成山から、南へ少し下ったところにある藤原宮跡へ移動した。
▲ 694年持統天皇の時に、都が飛鳥からこの地に遷都され、平城京遷都までの16年3代の都だった藤原京の中枢部がこの地。今は、ご覧のとおりだだっぴろい野原だ。
▲ 1990年代に発掘され、中国の都城制にならって造られた日本初の本格的な都だった。
▲ 内裏後には、このように円柱が置かれている。
▲ 今もなお発掘が続けられている。 藤原宮跡の資料館を見たかったが、月曜日は残念ながら休館日だった。
となると、藤原宮をこの地で想像するにも限界があり、広いなあ・・という思いだけでここを後にした。
今日のねぐらは、初日の15日と同じく天理の健康ランドへ向かった。
▲ 前回はなでしこ御膳。今晩は「シニア向け」とうたっていた幸楽御膳1050エン とした。
これも、色々ついていて私好みで満足、満足。
明日は斑鳩の里を訪れよう。
おつかれさん。
今日の朝も雨模様。
昨晩は、冷蔵庫の保冷パックをベッド横において手首を冷やしながら寝た。
起きて、甘樫丘のふもとのコンビニへ歩いて行き、消毒液、バンドエイドと熱冷却シートを買ってきた。 ま、こういうのは車内に常備しておいた方が良かったのだろう。
明日香を出発する前に、甘樫丘(あまかしのおか)の展望台に行ってこよう。明日香が見渡せるはずだ。
▲ 甘樫丘は標高148mの小高い丘。飛鳥歴史公園としてよく整備されている。
▲ 展望台が見えてきた。明日香地区だけでなく奈良盆地が見渡せる、絶好のビュースポットだった。
天気がいまひとつだが・・。
▲ 左手には畝傍山(うねびやま)199m。少しいびつな形をしているかな。ふもとには橿原神宮がある。
▲ 真ん中には、耳成山(みみなしやま)140m。標高は低いが円錐状の美しい形をしているのですぐ分かる。事前の計画では、大和三山、全部を登るつもりだったが、膝の痛みもまだ少し残るので、この山だけ登ることにしよう。
▲ 耳成山の左手には、こんもりと横に拡がる香久山(かぐやま)152mがある。昨日はこの麓の「香久山観光トイレ」駐車場に車中泊したから、もう登るのはよしとしよう。
この香久山は天香久山(あめのかぐやま)といわれ大和三山の中でも最も神聖な山とされたとか。
実際万葉集にも、香久山を歌った有名な歌が多い。
大和には群山(むらやま)あれど とりよろふ
天の香久山登りたち 国見をすれば
国原は煙立つ 海原は鴎(かまめ)立ち立つ
うまし国ぞ蜻蛉(あきづしま) 大和の国は 欽明天皇
訳
(大和には群がる山々があるけれども、中でも精霊のとりわけ神々しくよりつく
天の香久山、この山の頂に出て立って国見をすると、
国原にはけむりが盛んに立ち上っている。海原にはかもめが盛んに飛び立っている。
ああよい国だ。蜻蛉(あきづしま)大和の国は。)
「うまし国ぞあきづしま 大和の国は」の大和賛美のフレーズは、観光パンフレットによく引用される。 やはり、私も香久山に登って「国見(くにみ)」の気分を味わうべきかな・・
次の2首は教科書でもみかけたのでは。
春には、
ひさかたの天の香久山 この夕(ゆふへ)
霞(かすみ)たなびく 春立つらしも 柿本人麻呂
夏には、
春過ぎて夏来るらし白袴(しろたえ)の
衣干したり天の香久山
(今や、春が過ぎて夏がやってきたらしい。あの香久山に真っ白い衣が
干してあるのをみると)
非常に絵画的な歌でいいねー。
正面の大和三山に囲まれたところに、今日訪れる藤原京跡がある。
更に右手の東側には、昨日自転車で駆け回った飛鳥だった。
▲ 飛鳥寺も小さく見える。
▲ 飛鳥寺をズームすると、こう。
さあ、甘樫丘からの国見は終わった。麓に下りよう。 明日香を出発だ。
まず、メガネのパリミキ店に寄ろう。
実は昨日転んだ時、かけていたメガネもふっとんで、ヤバイと思ったが、幸いレンズは割れなかった。しかし、シャフトが曲がってしまったのだ。そのあとは、もう一つの自動車運転用のメガネをしているが、この普段用メガネを直したい。
▲ ネットで近隣の店舗を検索。この↑橿原ロイヤルホームセンター内の店舗へ来た。
直ぐ直していただけいて、無料サービスだった。パリミキは安値販売はしないが、どこの店舗でもこういう簡単な修理は無料でしてくれるようだ。札幌でも以前直してもらったことがある。
ありがとうございました。助かりました。
さあ、耳成山へ行こう。
もう一度見てみようこの山↓だ。
▲ なぜ耳なし山というか? もとはもっと高い山だったが盆地が沈下、山の頭部が地上に残されて単純な円錐形が残った。人の顔にたとえれば耳がないような山なので、耳無山→耳成山と呼ばれるようになったらしい。
一昨日の夜、この駐車場にアプローチしたがみつからなかった。今回もよくわからないまま手近に目に入ったここに入れた。
▲ 私営なのか公営なのか表示が全くない。しかし駐輪場があるから公営だろうと勝手に判断。
後ろは耳成山。
▲ 登山道を探して少しくるくる回ったが、ここから登った(左)。登山口に入ったあとも、らせん状に登山道ができており勾配は楽だ。 15分ど歩いて頂上に到着(右)。
▲ 見晴はまったくない。三角点が一応あった。耳成山139.6mだった。
耳成山から、南へ少し下ったところにある藤原宮跡へ移動した。
▲ 694年持統天皇の時に、都が飛鳥からこの地に遷都され、平城京遷都までの16年3代の都だった藤原京の中枢部がこの地。今は、ご覧のとおりだだっぴろい野原だ。
▲ 1990年代に発掘され、中国の都城制にならって造られた日本初の本格的な都だった。
▲ 内裏後には、このように円柱が置かれている。
▲ 今もなお発掘が続けられている。 藤原宮跡の資料館を見たかったが、月曜日は残念ながら休館日だった。
となると、藤原宮をこの地で想像するにも限界があり、広いなあ・・という思いだけでここを後にした。
今日のねぐらは、初日の15日と同じく天理の健康ランドへ向かった。
▲ 前回はなでしこ御膳。今晩は「シニア向け」とうたっていた幸楽御膳1050エン とした。
これも、色々ついていて私好みで満足、満足。
明日は斑鳩の里を訪れよう。
おつかれさん。
毎日行っていたのに何も知りません(笑)
若い頃は興味がなかったのでしょうね。。。
発掘風景は長年奈良に住んでいる者には特別ではありませんが「どんなお宝が?」「発掘してみたい!」とか(笑)
思います♪
15分の登山…お疲れ様でした♪
えー、飛鳥の方面の学校に通ってられたのですか!
じゃ神武天皇からの天皇の系図を暗唱させられたり?(そりゃ戦前だよ・笑)
今なら「良いところですねー」ともなりますが、若い頃だったら「何もないじゃん」ですものね。しょうがないですよ。
>「発掘してみたい」・・
錆びた刀剣とか人骨とか・・は興味なくて、こがね色のアレ♪ですよね。私も見つけたい。けれど勝手に掘ると叱られのでしょ?
簡単すぎて恥ずかしい登山ですけどね。写真にもありますが、老人の方が支えられるようにして登ってきました。耳成山は人によっては、どうしても登る価値ある山なのでしょう。