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”レンガのふるさと”深谷を訪ねて

2014年09月24日 23時37分56秒 | 青い空の日は旅立(全般)
9月21日(日)

昨日は、東京駅丸の内駅舎(1914年完成)と三菱1号館(1894年完成)を訪れた。
両方の歴史的建物に共通するのは、外壁がレンガによるものだということ。

しかもどちらのレンガも埼玉県深谷市にある同じ工場で製造されたものだ。
このことを知ったのは、2012年12月13日付の日経アートレビュー欄の「レンガは朽ち果てず」という記事を2年前に読んでのこと。
記事に掲載された、深谷市のホフマン輪窯(わがま)内部の幻想的な異世界に目を惹かれた。

深谷市に問い合わせてみるとホフマン輪窯の一般公開は11月の1日だけするとのこと。
12年は終了。昨年13年11月は奈良旅行で行けず。
そして、今年は今日の、9月21日(日)が一般公開日。
2か月前に市のHPで知った。




▲ 朝出発。1時間半ほどかかって11時ごろにレンガ工場に到着。

この工場、日本煉瓦製造株式会社は富国強兵のスローガンのもと明治政府の肝いりで明治21年(1888年)に建てられたもの。ここで製造されたレンガは東京駅丸の内駅舎を初めとする明治の近代建築に使用され日本の近代化に貢献した。しかし、時代の波には勝てず需要減で平成18(2006)年にその歴史の幕を下ろした。

かって全国に50以上のホフマン輪窯があったが、国内に現存するのはこの深谷の6号輪窯のほか3カ所のみ。




▲ 入り口になびく「特別公開」ののぼり。そう、これは「国指定重要文化財」でもあるのだ。




▲ 工場前には、市の職員さんが一人受付で座っている。横には、ヘルメットの箱が。

もっと、大勢押しかけているのではと不安だったが、そうでもなく安堵。
これならゆっくり見学できる。




▲ トタンぶきの家屋の中に入ると、輪窯(わがま)が直に迫った。

輪窯の入り口(左)から入ると、すぐ輪窯の内部に(右)。





▲ 中央分離壁の左へ向かう窯通路と右へ向かう窯通路に分かれている。この写真は3枚の写真を合成して作った。

裸電球に照らされた窯(かま)の内部は、天井も壁もレンガの赤一色だ。
足元には砕けて粉末になったレンガが厚く積もっている。




▲ ホフマン輪窯とは考案したドイツ人、ホフマンにちなんだ。楕円形のトンネルは18の部屋に分かれ、燃焼→冷却の製造サイクルを順次半月ほどで1周させ、連続して製造できるようにした。

我々は、図の左下の入り口から入り、左右の窯が見えるところに立っている。




▲ 窯はずっと奥まで続く、長さ56.5mある。幅は20mだ。

もっと奥まで覗いてみたいが、崩落の危険があるからだろう、許可されているのは入り口付近の1m四方だけだ。

この6号窯では、1907年から68年まで、この空間がレンガで埋められ、焼かれ続けた。
黒い焼け跡があちこちに残る。



順番が逆になったが、同じ敷地内にある資料館へ行こう。




▲ 煉瓦資料館。 当初ドイツ人煉瓦技師チーゼの居宅兼事務所として明治21年に建てられたもの。





▲ 日本煉瓦製造株式会社の全景の模型。赤印を付けた工場が、先ほど見学した6号輪窯だ。
最盛期には6基ものホフマン輪窯が稼働していた。

手前の茶色の直方体は、レンガが平積みされている様子だろう。




▲ レンガ工場を上部から眺めた模型。




▲ レンガ工場の断面図。下の赤印の輪窯の上には3階建ての木造の家屋がかぶさっていた様子が分かる。

(現在保存されている窯には、家屋はもう無く、トタンぶきの屋根がかぶさっているのみ)





▲ 輪窯に、これから焼くレンガを積み上げている写真。




▲ 丸の内のれんが街のパネル写真があった。





▲ 昨日見た、三菱1号館がある。

通りのだだっ広いこと。





▲ 東京駅丸の内駅舎の写真。

深谷製のレンガは他にも、迎賓館、東京裁判所、日銀、慶大図書館、横浜開港記念館、新港埠頭倉庫、碓氷峠のメガネ橋・・・等々に用いられたそうだ。

なぜ、深谷がレンガ製造の地に選ばれたか?
深谷は従来から瓦生産が盛んで、レンガ素地用の良質な粘度が採れること、地元の川→利根川→江戸川→隅田川を通じて東京へレンガを運ぶ水運があったことから、地元出身の大実業家・渋沢栄一が明治政府に推薦したからだ。




▲ では、そろそろ深谷のホフマン輪窯にお別れしよう。



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深谷市の駅前に出てみよう。

まず、クイズ。




JR深谷駅も赤レンガなのだ。しかも東京駅にそっくり似せて平成8年に完成。






▲ 総工費35億円のうち、34億円を深谷市が負担したとか。

そう、深谷市は”れんがのふるさと”として売り出しに力を入れているのだ。

しかし、なんかデズニ―ランドの駅みたいだな(笑)。





▲ みんな赤レンガ。




▲ 自動販売機も赤レンガ(の模様)。




▲ 駅前のモスバーガーのビルも、ビジネスホテル・ルートインも、赤レンガだ。

レンガ建築には、市から補助金が出るらしい。
もう涙ぐましいー。


深谷市が、レンガを主役にした観光に力を入れるのは、もちろんレンガ生産地だったということがあるが、私達がレンガ建築に特別な親しみを覚えるからだと思う。

あなたの地でも、レンガ建築だというだけで記念館になっていないか。
あれは、何だろう?

レンガは何千年も前から世界で使われいるものだが、日本に導入されたのは幕末以降。見かけだけでも近代化推進のため急に取り入れられた。しかし関東大震災で耐震性が問題視されると、急速に鉄筋コンクリートに取って代わられた。
その結果、日本でレンガが建築の主役だった時期は実はほんの数十年に過ぎない。
しかしその数十年とは、明治から大正にかけての日本が「坂の上」を目指して上昇気流に乗った時代。
我々の気持ちが未来に向かって大きく高揚した時代だ。
でもそれは敗戦という崩壊の結末につながった。

したがって、歳月を経たレンガ建築を見ると、歴史的なもの文化的なものが一緒くたになって、私達はさまざまな思いが湧き起る。

郷愁、憧憬、詩情、安心等々・・・

そして、旅先で見れば、なんともいえない旅情にもつながる。



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いつものごたくはともかく、お腹がすいた。1時近くになっている。
観光案内所で得たパンフをもとに、深谷の郷土料理「煮ぼうとう」を食べにいこう。



▲ 國良。市内からかなり離れているが、帰宅途中道すがらだった。

自家製の野菜を使うとパンフに書いてあった。




▲ 店の中は、きわめて田舎風。(埼玉風・笑)





▲ 煮ぼうとうセットを注文した。1100エン。

甲府のほうとうが味噌味でカボチャが入って汁がトロトロだが、こちらは軽い醤油味でカボチャは入ってない。
平べったいうどんに、ネギはもちろん、ミツバ他、根菜系の野菜が入ってさっぱりしているかな。

味噌で煮たナス、漬物のナス、キュウリが付く。

ご飯に残った煮ぼうとうの汁をかけてネコマンマで食べていたら、店のばあちゃんに、「そうして食べるのよ、おいいしいでしょう」、と褒められた(笑)。

ああ、ウマイっ。




▲ 道の駅かわもと、に寄ってみたが「深谷ネギ」は当然売り切れ。

深谷ネギ入りメンチカツなるものを買って帰った。



これで、二年間構想をあたため(笑)、二日間を費やしたレンガ建築めぐりは終わり。


これからも、自分が興味を持ったスポットは、自分の「小さな旅」として周ってみたい。




2 コメント

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Unknown (ハラさん)
2014-09-25 16:18:27
レンガ工場、1年に1回しか公開しないにしては、空いてますね。

私も、レンガ作りに限らず、大正・昭和初期の建物を見るのは
好きですね。
でも、それを目的地にしようとは思いませんが・・・。
良いですよね。
最近では、小樽の街でレンガ作りではないですが、昔の建物 楽しく写真撮ってましたよ。
これが、連休の予定だったのですね。
天気が悪くても大丈夫なように・・・。

私は、小雨決行のつもりで行ったら、最高の波と 出会う事が出来て、海に遊んで貰う事が出来ました。
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お出かけ (Sora)
2014-09-25 21:12:04
空いていて良かったです。2009年の1月の一般公開日には3300人も訪れたとかの記事を見たからでした。

レンガ建物には、異国的なあこがれと、郷愁と、旅情みたいな不思議なごちゃまぜの思いをいだいてしまいます。もう少しそのところを突っ込んでみたかったのですが・・・力及ばずでした。

日曜日はお互いに天気が良くて、楽しめましたね。
今週末は、秋晴れが続きますねー♪ 最大限活かして出かけます。
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