青い空とわたし

青い空の日  白い雲の帆船をみていると

どこかへ どこまでも Harmonyと

走っていきたくなります

レトロさんぽ小樽(最終日)

2015年07月17日 17時02分27秒 | 青い空の日は旅立(全般)
7月5日(日)

北海道5日目最終日

小樽での朝。埠頭公園。




▲ 昨夕、近くのスーパーで仕入れたフルーツと菓子パンで朝食。

珈琲はもちろん美瑛・Goshで買ってきた深煎ブレンドを、ハリオのドリッパーで淹れる。
すするように、少しずつ飲む。
食べる。そして飲む。

この時間がいいんだよな。




▲ きょうは北海道の最終日だ。短いねー。

さあ、小樽の街を歩いてこよう。


9時からの小樽運河クルーズに乗ってみよう。
中央橋たもとから。10%割引券使って、一人1350円。



▲ 出発間際で、最後尾に座る。




▲ いったん南運河を、カメラスポットの浅草橋まで行って(昨日の写真)、Uターンして中央橋まで戻って小樽港湾に出て、北運河を巡るクルーズだ。

船から眺める運河の景色はまた違う。
船頭さんのガイドにうなずく。そーだったんだあ。




▲ 北運河。南運河は幅が縮小されたが、北運河は幅の広い元のまま。

が、昔は積み出し船で忙しかった岸壁も、今はプレジャーボートが係留されているだけだ。




▲ 約40分のクルーズが終了。

下船。




▲ 遊歩道を歩く。 (向こうが中央橋、手前が浅草橋)

夜は、ガス灯が点灯し幻想的な雰囲気に包まれる(らしい)所だが。
昨晩は寝てしまった。





▲ 浅草橋から小樽一の賑わいどころ、堺町通りに出る。

昔のレトロな建物が店舗に再利用されて、運河とともに小樽らしさを感じさせる通りだ。
同時に人気の買い物エリアだよ。


店先に、とうもろこしがあった。



▲ 甘さで有名なゴールドラッシュ(左)と、生でも食べれると謳うピュワホワイト。

deco は冷水につけてあったピュワホワイをかじった。私も少し。
ウム、確かに甘いけれど、とうもろこしは、やっぱり焼きモロコシでなければ!




▲ この店では、鮮魚も選べば焼いてくれる。

カニ、エビ、男爵・インゲン、三品で1000エン を。




▲ 店前で、焼いてもらう。

いいにおいが漂ってくる!




▲ 焼き上がった三品。

すぐ食べてしまった。
イカ焼きも注文すればよかった。




▲ そして、小樽=ガラスの町というイメージを定着させた、ご存じ北一硝子

ここで小さいしょう油さしを買った。


この店もある。



▲ 富良野のカンパーナ六花亭に続き、小樽でも六花亭の店をくぐった。




▲ きょう最後の日。だからお土産購入の日とばかりに、おおきい紙袋になった(左)。

買ったのは、さくさくに焼き上げたチョコレートパイ「霜だたみ」
一部、ボクの会社同僚への土産にした。


買い物も済ませた。いったんクルマへ戻ろう。



▲ 向こう右手の埠頭公園へ歩いて行く。

ボクのHarmonyは、いちばん右端に少し見える巡視船が停留している後ろだ。


~・~・~・~

で、巡視船に別れを告げて、Harmonyともどもにやってきたのがここ。



▲ 石原裕次郎記念館。小樽築港にある。

今年3月のNHK新日本紀行で小樽が取り上げられた時、幼少期(3~9歳)を小樽で過ごした石原裕次郎の話も出た。父が山下汽船の小樽支店長として赴任したためだ。その縁で、亡くなったあと記念館が建てられることになるが。
料亭でしょっちゅう夜を明かす父に衣類を届けた裕次郎のエピソードがおもしろく、今度この記念館に行ってみようと思っていた。





▲ 海が好きだった裕ちゃんの愛艇コンテレッサも、敷地内に飾られている。


記念館の中に入ると、



▲ 西部警察(1979~1984)の主要人物(左から舘ひろし、渡哲也、石原裕次郎)と愛車が展示されている。

「へー、背が高いわねー」 ウルサイっ!

deco はこのTVドラマをよく見ていたらしい。
しかし、ボクはほとんど見たことがなかった。


更にここから中の展示物は有料で写真禁止だ。
で内部はHPから、



▲ 「嵐を呼ぶ男」「狂った果実」等の初期の作品、「夜霧よ今夜もありがとう」「黒部の太陽」の代表作のさわりの部分が、流される。

小学校低学年のころ行き付けの散髪屋に置いてある平凡や明星といった雑誌に裕ちゃんは、小林旭なんかとよく出ていた。だから裕ちゃんのイメージはかっこいい、イカスのままだ。
 



▲ 出演映画のかずかず。

しかし、見直してみると。ウムー・・体型的にかっこいいのは、20代まででなかったろうか。
(フアンの方ごめんちゃい)




▲ ハワイにも別荘を持ち、さすがに居宅は素晴らしかったようだ。

しかし年史をみると、裕ちゃんは骨折、打撲とかの怪我をしょっちゅうやっているね。
ご存じのように、裕ちゃんは闘病生活のすえ、享年52歳(1987)で亡くなる。
あれだけ大スターの道を歩み、裕福で満ち足りた生活をしたのだから、幸福だったのでは(deco)。

そうかなあ、ボクはもっと平凡な人生でいいけど。ちょっとタイヘン過ぎるような人生じゃない?


日経新聞の人気記事欄の「私の履歴書」では、今月からなんと浅丘ルリ子がペンをとっておりオジサン達の注目を集めている。
その中で7月9日付の「裕ちゃん」では、

「『不良っぽいけど育ちのいいお坊ちゃん』それが私が石原裕次郎さんを見た時の第一印象だった。品の良さは天性のもの。裕ちゃんは誰であろうと自分から立ち上がり、手を差し出して相手の目を見てしっかりと挨拶する。育ちの良さが見についていて嫌みがまったくない。だから陰で裕ちゃんの悪口を言う人は誰もいない。」

 二人は共演

そうか品の良さか。やっぱり、オレが裕ちゃんをひがんでいるだけだなあ(笑)。


~・~・~・~

午後5時を過ぎた。
小樽港フェリーターミナルへ移動する。記念館からすぐのところだ。



▲ 午後7時半に出航予定だ。

6時半ごろから乗船開始だろう。

正味5日間、駆け足で地域限定の北海道旅行。
楽しいままで終わりそうだ。
息子達も、無事羽田に着いたというメールがさっきあったし。


また、来たいね。北海道。

「俺は待ってるぜ」(1957)


そう? 裕ちゃん。





関連記事 : 「小樽の夢」 2015年3月8日