日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

子どもと関わる者として。

2016-07-31 16:47:59 | 発達応援
 横浜も暑かったですが、やはり鹿児島の暑さは上手だと感じる昨日今日。
鹿児島の暑さには、湿気と熱風があるような気がします。
喉を、皮膚を焼くような。

 あまりにも暑過ぎるから、みんみん蝉も鳴かないのでしょうかねぇ。

 学習に凸凹があって、でも、普段から本人のがんばりや周囲の支えで、
勉強やスポーツ、その他、色々なことをがんばっているお子さんというのはたくさんいると思います。

 本人のがんばりや学習する環境に恵まれて、
全体的に見ると緩やかでも右肩上がりで、よしよし!と思っていたのに、
慣れない場面や学習するために細かくみていくような場面では、
浮き足立ったような状態になり、できることまで総崩れになってしまう子というのはいると思います。

 そんな場面に出くわすと、本人はもちろん、がっくりするのですが、
その子を支えてきた周りの者も一緒にがっくりしてしまう…、
そんなことがよくあります。

 凸凹のある子どものほうは、実はとても落ち込んでいるのですが、
それを見せると、なんか、自分でも惨めに思えるし、
周りの期待を裏切ったなぁ、という思いに胸も潰れそうで、
ついつい、「ま、こんなこともあるある。どんまーい!」的な態度を見せてしまいます。

 また、中には「悔しい」とか「悲しい」という感情があまりなかったり、
あっても、それを表現する術を持たない子などもいるものです。

 そうすると、その子と関わってきた者たちは、
その子のあまりにも、あっけらかーんとした態度や何事もなかったような態度に
気持ちを逆なでされたようになり、怒りが倍増、激増して、
ついつい、言い過ぎたり、攻めすぎたりしてしまうことがあります。

 学習が思うようにできないことで、いちばん困っているのは本人。

 学習にせよ、生活にせよ、その子に関わる側は、
そのことは肝に銘じて、自分がその子と関わったことへの成果のなさに、
感情を振り回されないようにしないといけませんね。

 そして、成果がでないのは、決して、子どもだけの責任ではなく、
関わる側の関わり方、教え方にも一端があることも頭に置かなくてはいけません。

 特に、私のようにそのことを仕事にしている者は、
そこを忘れないように、日々研究研鑽精進しなくてはならないな、
そんなことを思った休日でした。


 

 
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本を使う。

2016-07-30 06:59:27 | 発達応援
横浜に来ています。昨日は鹿児島でもまだ聞いていない、見事なみんみん蝉の声を聞きました。街中に適度に緑があって、横浜も歩きやすいです。私は歩くことで頭の中に地図ができるタチです。昨日は新横浜〜大倉山の地図ほぼ完成。楽しいことです。

昨夜ははいちゃんの新刊「人間脳を育てる」の読書会に参加しました。

この読書会は、『人間脳を育てる』ではいちゃんと対談し、編集された花風社の浅見社長が進行で、その後の『30歳からの社会人デビュー』『他の誰かになりたかった』の著者の藤家寛子さんの講演会もあり、とてもお得な読書会でした。

本を読むということを普段ひとりでし、ひとりで完結しているというのは、私もそうですが、他の参加者さんも、職場単位でいらっしゃっている方以外は同じだと思います。それはもちろん、自分の中に本の内容を落とし込み、自分に必要なことと巡り合う大切な時間です。

ところで、このはいちゃんの『人間脳を育てる』は、沈思黙考して読み、その内容を頭で理解し、「ふむ、そういうことなのね。」としたり顔をして済ませる本ではありません。そこから一歩進んで、「じゃあ、私はこんな動きが気持ちいいよ」とか「あら、うちの子と一緒にこんなことしてみようかね。」と本を読んだら動いてみる、本を読みながら動いてみるような本だと思います。

私がこの本を読んだときは、「これって…」とざわざわ動いたり、気がつけば、本がバランスボールの下敷きになったりしながらの集中力を欠く読書になっていて、後で、数回、精読を自分に課して読むことになる、楽しい本でした。

でも、読書会に参加して思ったのは、もしかして、頭でだけ読んでいる人が多い?余計なお世話だけど、それだけではもったいない!使おうよーということでした。

そして、私もお話会などで、この本の中味の使い方を伝えていくと本が本棚の肥やしにならないかもな、などと思うことでした。

さて、一方の藤家さんの講演は何度も胸が押され、苦しくなりました。藤家さんは淡々とお話しされているのですが、「やり直す」ということの生半可ではない、本人にも周りにも生死を突きつけるようなことなのだ、ということを初めて知りました。私は過去の藤家さんを知りません。今は過去を含みながらも、そんなこと微塵も感じさせない、普通の元気な生き生きと生きる女性として、出会えたことを本当に嬉しく思いました。

短い時間でしたが、たくさんの種を頂いた濃い横浜の時間でした。
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あんた、変!

2016-07-29 08:41:14 | 発達応援
天気が良い中、空港に向かっています。私としては、夕方16:00台の飛行機を取ったつもりが、代金入金時、以前、キャンセルした便の分のお金を払ってしまいまして。もちろん、全くきがちきませんで(._.)丁寧に航空会社から「間違ってますよ」と連絡をいただき、時間はキャンセルした分ので、お金はカウンターで足りない分払ってくださいね、と言われて、都会でうろうろ遊ぶ時間に恵まれる今日です。

相模原市であった事件のあと、重い障害のある人が生きていることの価値云々について、職場など公の場でそういうことを言われたことがある、聞いたことがあるという人たちがいてとても驚いています。

私は今まで、自分の周りにいる人から、障害が重い人は安楽死させたら良いとか、生きてる価値がないなんていうことを聞いたことがありませんでした。それは、そういう人が身近にいなかったからだろう、と言われるでしょうが、確かにいないといえば、いないのです。でも、遠い親戚の人で障害があったり、亡くなる数ヶ月前の祖母は、食べたと思ったら、戻してしまったり、勤めていた所で障害がありパニックになって暴れまわる子がいるなど、そういう人との関わりが皆無だったわけではありません。

でも、その人たちが生きていること、生きていくことに疑問を持つ、ましてや、価値云々を判断することなど思いもよらないことでした。

小学生の頃、教員をしていた父が養護施設に行き、記念品にと鉛筆立てをもらってきたことがありました。父は、鉛筆立てなのでと私に「お土産」と言って渡しながら、「不恰好な鉛筆立てではあるけれど、ここには、作った人が生きて役に立とう、立ちたいと思う気持ちがこもっているんだよ。」と言って、その日に会った施設の人たちのことを話してくれました。子どもの私には、ショックな、ちょっと理解できないことも含まれていましたが、今なら、それは施設の支援者が…と理解できたことだったと思います。

それって、変じゃないの、と思うときは「それって、変!」っていうことは本当に大事ですね。今回の極端に偏って、常軌を逸したような意見を身近な人がささやいたとき、日常の仕事で、小さくあれ?って思うときもどっちも同じだと思います。言わないことは、同意見、だから、言いたい放題されてストレスをためている人を積込みの職場でも見かけます。

自分を守るため、それが、実は、家族やもっと広がって社会までをも助ける、小さい声になるのだと思うのです。

…って、ちょっと、大げさかしら(´・_・`)
そんなことを考えた1日の始まりでした。
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頭もみもみ。

2016-07-28 22:49:51 | アロマテラピー・療術
 近所の生活雑貨も売る薬屋さんが閉店することを通りがかって知りました。
近所に大きい全国展開のお店ができたからでしょうか、
買い置きしないでも良いからいいわぁ〜と思っていたので、残念です。

 大きいお店は広すぎて、洗剤1本買うのも並ぶのが面倒なんだけどなぁ、と
閉店セールをしている店で洗剤を買いました。
しばらく、洗剤は買わなくて良さそうです。

 今日はクリームバスのお客様がいらっしゃいました。
まだまだ、クリームバスをさせていただいたお客様の数が多いとはいえないのですが、
頭に触れた感じというのは、本当に、ひとりひとり違っていて驚きます。

 頭蓋骨に皮膚が張り付いているように感じられる方、
頭蓋骨と皮膚の間に水分を蓄えている?というような方、
色々な方がいらっしゃいます。

 水分を蓄えているなぁ〜と指先で感じる方は、
ふだん、あまり眠りの質が良くないかもしれないなぁ〜と思っていると、
クリームバスをしているうちに眠っていらっしゃったりします。

 頭というのは、たくさんのツボがあるので、細かく、ツボを押していく感じのクリームバスは、
思いのほか、リラックスされるようです。

 なんだか、疲れたなぁ、緊張したなぁ、というときは、
自分で頭を揉みほぐしたり、とんとんとんと軽く叩いてみるのも良いと思います。

 夏はからだのあちこちが疲れます。
頭も忘れずに、揉みほぐしてみてくださいませ。

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おかしいことはおかしい。

2016-07-27 21:38:53 | 発達応援
 今日も天気のよい鹿児島です。

 やっと、梅干し干しをはじめました。
一粒、一粒、ざるに並べて、ベランダの手すりのところに干しました。
ぷっくりと、真っ赤になったもの、うすいピンク色のもの、真っ赤とピンク半々のものと、
漬かり具合も様々です。

 もう、あと、数回は干さねばなるまい、土用干し。
指先が少し、ピンクに染まっています。

 神奈川県で凄惨な事件が起きました。
亡くなられた方々には、本当に、突然、生きていくことを奪われて、
かける言葉もないような気持ちでいっぱいです。

 そして、ニュースを見ている限りでは、
加害者もまともな人ではないような印象です。

 大麻の反応が出ても、警察沙汰にならない不思議。
「重度の障害者は生きてる価値はない、数百人殺す」というような発言を聞いた友人たちが、
ただただ、フェイドアウトしていく不思議。
「報道で精神疾患があるってどうしていうんだ!?」という主張の不思議。
こちらも、なんだろうなぁ、という気持ちでいっぱいになります。

 精神疾患云々の前に、この加害者に「あんた、変だよ!」という人はいなかったのでしょうか?
それをいわないことこそが、その人を理解すること、受け入れることという思いがあったのでしょうか?

 私は、今も交流のある子ども、もうすぐ成人ですが、
時々、こちらが思いもしないようなことを言う子がいます。

 それは、聞いた端から、ことごとく、
「なんで、そんなこと考えてるの?」と聞いた上で、
「あんた、それ、おかしいよ。」としつこく、言い続けることがあります。

 それは、その子なりに時間をかけて考えたことではあるのですが、
とてつもなく、浅く、無駄な考えなことが多いのです。

 そんなこと考えてる暇があったら、
自分で米でも炊けるようになれ、レジでさっさとお金だせるようになれよ、と、
現実の生きる世界に根を下ろしていけよ、と厳しいことも言ってきたし、
今でも会って、そういう話になると、
「あんたねー、あのさー」と説教じみたことを言い続けています。

 障害があっても、なくても、
その人らしい人生を生きていく権利はひとりひとりにあります。
それを踏みにじる権利は、誰にもないと思っています。
そして、関わる人たちがそういうことを踏みにじるかもしれない芽を見つけたら、
「おかしいぞー!」っていえる人でありたいと思います。

 もちろん、私自身も踏みにじることがないようにしなくてはですね。
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