日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

「障害」に興味がありますか?

2017-06-30 22:15:20 | 発達応援
 電気屋さんに冷蔵庫見学に行ってきました。
どの冷蔵庫も鏡のようにツルピカで、びっくり。

 流行なのでしょう、どのメーカーにもダークなブラウンがあって、
冷蔵庫なのに高級な雰囲気を醸し出しています。
豆乳なんて入れたら、「ワインにして。」と冷蔵庫に言われちゃいそうです。

 で、我が家の冷蔵庫の生きてる冷凍機能。
ほどよく、冷凍機能が低下して、ちょっと冷え冷えすぎる冷蔵庫くらいになってます。
おかげで、キンキンに冷えたスイカを食べることができました。

 どうにか、なるもんですねぇ〜。

 「障害」ということに、世の中の人はどれほどの興味を持っているのだろう。
発達障害の特集などもあるくらいだから、世の中でも関心は向けられているのだとは思います。

 私自身のことでいうと、私はあまり「障害」ということに興味がないような気がします。
あるとすれば、自分が知り合った個人についてのとても狭い範囲での興味と関心しかないのだと思います。

 たとえば、中学生になっても言葉をあまり発しない子に対して、
この子は、こちらが言っていることがわからないから黙っているのか、
単なる反抗で話さないのか、話したいけれど言葉にするのに時間がかかるのか、
もしかして、聞こえていない!?等々色々なことに思いを馳せてていました。

 どうやったらこの子と意思の疎通がはかれるかなぁ〜とは考えますが、
「場面緘黙かも」とか「難聴かも」とか「知的障害なのか」とカテゴリーに入れ込んで、
そこをスタートにしようとは、思ったことがありませんでした。

 運動することが極端に苦手でも、勉強が苦手でも、
体をどういう風に使っているのかや学習のどの部分が引っかかりになっているのか、よく見て、
「発達障害!?」「LD?」ということにはあまり関心がなかったように思います。

 ただ、文字の見え方が違う人がいる、書くこと読むことが難しい人がいる、
ということは、本を読んで知っていました。

 でも、目の前で漢字がなかなか覚えられなかったり、
やたらと本の文字を読み飛ばし、何度読んでも内容が頭に入らない人を「LDだね。」とカテゴライズしても、
それは何の役にも立たない気がするのです。

 診断名を聞いて、そこで終わる支援者や途方に暮れる親御さんも少なからずいらっしゃると思います。

 診断されたことがスタートのようで、
気がついたら診断名がゴールだった…っていうことにならないようにしてほしいな、と思います。

 世の中、障害名や障害の診断云々よりも、
もっと個人的なその人その人の持つ生き方や価値観が大事なような気がするのです。

 障害だ、と卑下することなく、
障害だ!とそれを印籠のようにするでもなく、
「なんたら障害」なんていうのに振り回されずに、淡々とひとりの人としての人生を歩めば良いかな、と思います。


 
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24歳の冷蔵庫。

2017-06-29 21:08:09 | 日記
 部屋の片付けをするぞ!とやる気満々で早朝の積込みから帰宅。
いつものように、洗濯、お茶飲んで新聞を見ていたら、
これまた、いつものように梅ちゃんが「母ちゃーん、あそんでー、ねーねーねー!」と新聞の上でバンザイして訴えます。

 寝ているだけの刺激のない、退屈な日常は猫もいやよね。
ましてや、家の中だけで生活してる我が家の猫は、と思い猫じゃらしを張り切って振ります。

 でも、暑いからか、「あそんでー」という割に集中しない梅ちゃん。
そうすると、猫じゃらしを振る私も眠気が…。

 洗濯機終了の音で目が覚めました。
こうやって時間泥棒に時間をとられる日々であります。
いかんいかん。



 冷蔵庫の調子が悪いかも?と思ったのは、
冷蔵庫内に水が溜まっているのを発見した、数ヶ月前のことでした。

 そのときは、「閉め方が甘かったんだな。」と思い、パッキンを掃除し、きちんと閉めて事なきを得ました。
が、また数日後、水がたまっていて、いよいよ、冷蔵庫も寿命かなぁ、と思うことも無きにしもあらず、でした。

 私の冷蔵庫は平成5年のまだ独身の頃に、「ひとり暮らしにはもったいないくらいだ!」と言われながら
買ったものでした。

 冷蔵庫と言うと、私の母が冷凍食品を使わない、使えない人だったこともあり、
我が家では、氷と肉が冷えればいい、くらいの存在でした。

 そんな家で育ったので、私が一人暮らしをして初めて買った冷蔵庫も、
氷とアイスと冷たい飲み物が冷えたらいい、くらいの基準で買ったワンドアの冷蔵庫でした。
その冷蔵庫は今も実家で、乾物入れとして活躍しています。

 で、私の現在の壊れかけの冷蔵庫は、今は懐かしい「ナショナル」製の冷蔵庫。
平成5年の夏頃に買ったものだから、この夏で24年目という感じの年代物です。
引越しも8回ほど経験し、船にゆられて種子島にも行きました。

 この冷蔵庫を買ったときは、背面がスッキリしていてすごいなぁ、と思ったのを覚えています。
どうして、そんなことを思ったかというと、以前のワンドアの冷蔵庫は、
ガスが入っているタンクがむき出しで、当時飼っていた仔猫の姉弟が、
私が仕事に行っているときに、そこが温かいのか入り込んで暖をとっていたからでした。

 でも、冷蔵庫機能がダメになると、まぁ、困るもので、
入れていたお肉からドリップはでるし、卵も気分的にとっとと使い切らなくてはならないし、
バターは溶けているしで、ああ、冷蔵庫ってすごいなと実感した数日でした。

 24年ぶりに見る冷蔵庫の機能は、もう、びっくりするようなハイスペック、多機能。
目移りしながら、自分にとって使い勝手が良さそうなものを選んでいたら、
あっという間に夕方になっていました。

 明日は実物を見て、数点しか無い電気屋さんを巡って、
感じの良さそうなところで買いたいな、と思います。

 
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猫ブームの陰。

2017-06-28 22:50:56 | 日記
 赤紫蘇を買い、塩で揉んで梅干しに赤紫蘇を投入しました。
今年の梅もちゃんと赤く染まるかなぁ、と思いながら梅に交互に入れていきました。

 副産物の白梅酢もとてもきれいで、うっすらピンクでロゼのワインかなにかのようでした。 

 月曜日に我が家の猫たちに内緒で行った猫カフェ。
そこでオーナーさんと話しをする中で、
なにやら大変なことが数日のうちにあるようなことを言われていました。

 ブリーダー崩壊か何かかな、と思っていたら、猫カフェ崩壊。
猫を置き去りにして、オーナーさんがいなくなったそうで、
営業は去年からしていないような感じで、猫たちは一ヶ月以上放置されていたようだそうです。

 昨日から保護活動が始まっているようで、
私も何かできることないかなぁ、どの子か引き受けるかなぁ、と考えることでした。

 猫に依存してしまう人の猫の多頭飼い、外での餌やり。
これも一種の愛着障害だよなー、と思ったりしてます。

 …我が家も多頭飼いではあるんですがーーーーー。

 近ごろ、猫は流行もののように扱われています。
生きているものを流行もののように扱うのには違和感を覚えます。

 また、全国各地で猫を保護して里親に出すことをがんばっている方々がいらっしゃいます。

 猫の保護。
我が家の猫も私が保護した猫たちです。
でも、何でもかんでも、猫を保護すれば良いということではない気がします。

 そんな呑気なことをいってるから、不幸な猫が減らないいんだと!お叱りを受けそうですね。
でも、路地裏に潜む猫、屋根で昼寝する猫がいる風景がいいなぁ、と思うのですよね。

 猫の糞害、美しい花壇を荒らされるなど、嫌う人も多いのですが…。
うまく共存していけたらなぁ、と思うのですよねぇ。

 


 
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支援員のときどんなことを学んだか?

2017-06-27 20:06:43 | 発達応援
 積込み後の休憩中、同僚たちがテレビの番組や芸能ニュースについて熱く語っています。
たくさん食べて大食いを競うタレントで、だれそれが食べ方がきれいだとか、
そのためにそのタレントが努力していることとか、忙しい中家事で工夫しているところとか、
詳細に語るその姿と「そうそうそう」と頷く同僚たち。

 最初、大食いタレントへの詳細な情報に「ファンなのか?」と思いましたが、
特にそういう様子もなく、そうか、そのくらいの情報はテレビを流していれば把握できるんだなぁ、
要は興味があるか、ないかか、とひとり納得することでした。

 おばちゃんたちの話題は、大食いタレントから天下国家のことまで、
けっこう幅が広いのでありました。

 私は仕事をするときに、ものすごく小さく狭い部分から仕事をはじめる傾向があります。
たぶん、あまり、全体を見渡して采配を振るうというのは得意ではないのだと思います。

 それをそうか、と自覚したのは、つい、昨日のことです。

 昨日は、ちょっとお仕事のことで人にお願いする話しをしていました。
その仕事をしようと思ったきっかけが、とても個人的な理由で、小さな個人的な思いに端を発してたので、
大丈夫かしら、よいかしら、と私は思いながら話しをはじめました。

 結果は、とても良い方向にお話が進み、とても嬉しいことでした。

 それで、ああ、そういえば、私が色々なことを学んだきっかけも、
支援員をやりはじめた最初に会った子が静かに、なんだか、すべてをシャットダウンしたような状態になる、
ものすごく、真面目に、地道にがんばっているのに、すべてがフリーズしたようになる、
教室で授業を受けていると骨を抜かれたクラゲのような姿勢になる…、
それって、どうすればいいんだろう、と思い、
そういう個人の子に対応するためだったなぁ、ということを思い出しました。

 その結果、私は猫烏賊ほいほいに引っかかったりしたんだなーとも振返ることでした。

 先日のお出かけ教室で、「私も支援員してるんです。どんなこと勉強されましたか?」と質問されました。
そのときは、「なにしたっけ?」という感じでしたが、
自分が関わっている子どもさんの困っていることに目を向けたらいいのかなぁ、と思いました。

 「こうすれば、こう!」のマニュアルなどは存在しないと思うのです。
関わる子が自立し、やりたいことを見つけたり、自分で道を選ぶためにはどんなことが必要か、
そんなことに思いを馳せながら、その子に力をつけるために、自分に足りない知識を学ぶといいのかなぁ、と思うことです。

 …でもこれって、わざわざ書くまでもない、支援員に限らず、当たり前のことですね。
ま、いいか。

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不思議な療育の世界。

2017-06-26 12:25:32 | 発達応援
長く空きになっていたお隣の部屋。業者さんが入って掃除をしています。広い間取りの我がアパートは、猫飼いに嬉しい「猫を飼ってる人が借りれる」アパートです。逆にいうと、猫いないと借りることができないアパートでもあります。こんな物件、地方では稀有な存在です。住み心地満点です。

お出かけ教室の体験に来てくださったお子さんがいました。そのお子さんとは、もちろん初めて会ったのですが、身体の使い方に凸凹が見られるお子さんでした。ですので、ビーチボールをポーンと自分で放り投げてヘディングするのも、ボールは明後日の方に飛んでいくし、投げた本人は前のめりになっているし、てんやわんやしながらボールと格闘していました。

それで、バランスボールを使って、お子さんが力一杯、でも難しくなくできる、色々な遊びをしました。途中、本気モードになったお子さんは靴下を脱ぎ捨てて、私に全力でぶつかって来ました。
そんな遊びを2、30分して、ふとビーチボールヘディングをすると、ポン、ポンと普通にできてお子さんが「できた!」一緒に来ていらっしゃった親御さんもびっくりしていらっしゃいました。

そして、なんでも療育センターで身体の凸凹の部分は、余り改善の余地がないことを言われたそうで、「そう!こういうのができるようになりたかったのです!」と目が少しうるっとされていました。

その話を聞いて、私もびっくりでした。まだまだ幼いお子さんの身体の使い方が凸凹なのが、改善の余地がないような言い方をする療育機関って、なんだろ〜なーと。少なくとも親御さんは、そういう風に言われた印象を持つ、一体、何やってるのかなぁ、療育って。

その後も親御さんは、ストローで息吹きできなかったのができるようになったり、短時間に色々なことができるようになったお子さんを見て、とても嬉しそうな笑顔でした。

やった遊びはお家でもできることばかりだったので、家でも気がついたらそういう遊びしてくださいね、とお話しして体験は終わりました。

モノは揃って、人も専門の方が揃っているであろうところで、「このままですよ」みたいな不思議なことを療育機関では言っているのでしょうかね。療育よりも頼りになるので、栗本さんの新刊を押し売りしたことでした。



療育で親御さんをめげさせて、子どものできることを削いでどーするんだよ、療育!と腹もたった体験の時間でした。



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